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【COGHCC聖書通読】 2019/01/04

2019-01-04 08:00:07 | 一日一章・聖書通読日記
使徒行伝 11:1-4

さて、異邦人たちも神の言を受けいれたということが、使徒たちやユダヤにいる兄弟たちに聞えてきた。 そこでペテロがエルサレムに上ったとき、割礼を重んじる者たちが彼をとがめて言った、 「あなたは、割礼のない人たちのところに行って、食事を共にしたということだが」。 そこでペテロは口を開いて、順序正しく説明して言った、

ペテロが異邦人、しかもイスラエルにとっては支配国の民族であるローマ人に福音が伝えられバプテスマを授けたという噂はたちまちのうちに広まり、エルサレムにいる他の使徒たちやユダヤ人の耳にも入りました。そしてペテロがエルサレムに帰還すると、割礼を重んじる保守派の人々から、ユダヤ人としての慣習を破ったと咎められました。そこでペテロは事の次第を順序立てて説明することにしました。何か新しい働きを始めるとき反対意見や批判が出ることは世の常で、教会とて例外ではありません。そのとき私たちが忘れてはならないことは、批判の応報を始めることではなく、冷静かつ客観的に経緯を説明し、理解を求めることです。

http://bible.com/81/act.11.1-4.ja1955

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使徒行伝 11:5-14

「わたしがヨッパの町で祈っていると、夢心地になって幻を見た。大きな布のような入れ物が、四すみをつるされて、天から降りてきて、わたしのところにとどいた。 注意して見つめていると、地上の四つ足、野の獣、這うもの、空の鳥などが、はいっていた。 それから声がして、『ペテロよ、立って、それらをほふって食べなさい』と、わたしに言うのが聞えた。 わたしは言った、『主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないものや汚れたものを口に入れたことが一度もございません』。 すると、二度目に天から声がかかってきた、『神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない』。 こんなことが三度もあってから、全部のものがまた天に引き上げられてしまった。 ちょうどその時、カイザリヤからつかわされてきた三人の人が、わたしたちの泊まっていた家に着いた。 御霊がわたしに、ためらわずに彼らと共に行けと言ったので、ここにいる六人の兄弟たちも、わたしと一緒に出かけて行き、一同がその人の家にはいった。 すると彼はわたしたちに、御使が彼の家に現れて、『ヨッパに人をやって、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。 この人は、あなたとあなたの全家族とが救われる言葉を語って下さるであろう』と告げた次第を、話してくれた。」

ペテロはまず、自分がローマの百卒長コルネリオに招かれてカイザリヤに下った経緯について、まず自分に対して神様が幻の内に「神がきよめた者をきよくないと言ってはならない」と3度語りかけられた後、御霊がコルネリオの招待に対して、彼らと共に行きなさいと命じられたことから話し始め、コルネリオの家に着いて話を聞くと、彼もまた御使が現れてペテロを招きなさいと命じられたこと、そしてペテロと一緒に6人の兄弟たちが同行したことによって、この後の経緯がペテロの独断で行ったことではなく御霊に導かれた結果であることの証人であることを説明しました。教会の働きにおいて、独りよがりの勝手な単独行動や、都合の良いように自己正当化するような言動では、批判や反対意見を鎮めることはできません。教会が一致して主の働きを進めるためにも、思いつきや行き当たりばったりで行動しては、結果オーライで既成事実化して物事を強引に事を押し進めるようなことは差し控えるべきです。神の導きと平和を重んじる私たちは、御霊による一致と秩序を何よりも第一としなければなりません。

http://bible.com/81/act.11.5-14.ja1955

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使徒行伝 11:15-18

そこでわたしが語り出したところ、聖霊が、ちょうど最初わたしたちの上にくだったと同じように、彼らの上にくだった。 その時わたしは、主が『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊によってバプテスマを受けるであろう』と仰せになった言葉を思い出した。 このように、わたしたちが主イエス・キリストを信じた時に下さったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったとすれば、わたしのような者が、どうして神を妨げることができようか」。 人々はこれを聞いて黙ってしまった。それから神をさんびして、「それでは神は、異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ」と言った。

ペテロはまず、異邦人と交流してユダヤ人の慣習を破ったことに関する批判に対して、経緯を説明して理解を求めた後、御言葉を語ったところ聖霊の賜物が異邦人にも降ったと説明し、神がなさった御業を私たち人間が押し止めることはできないと、異邦人にパプテスマを授けたという信仰の核心に迫る批判に対して理解を求めました。このペテロの説明を聞いて、異邦人伝道に批判的だった人々も、すべては御霊の導きと受け入れて、異邦人にも罪の悔い改めと永遠のいのちに至る道を開かれた神の御名をほめたたえるに至りました。頑なな原理原則論や、感情に任せた批判は、健全な信仰ではありません。神様の御心を真摯に受け止め、従順に受け入れる柔軟な心こそ、神を第一とする信仰に基づいた、私たちクリスチャンに最も相応しい健全な応答です。

http://bible.com/81/act.11.15-18.ja1955

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使徒行伝 11:19-26

さて、ステパノのことで起った迫害のために散らされた人々は、ピニケ、クプロ、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者には、だれにも御言を語っていなかった。 ところが、その中に数人のクプロ人とクレネ人がいて、アンテオケに行ってからギリシヤ人にも呼びかけ、主イエスを宣べ伝えていた。 そして、主のみ手が彼らと共にあったため、信じて主に帰依するものの数が多かった。 このうわさがエルサレムにある教会に伝わってきたので、教会はバルナバをアンテオケにつかわした。 彼は、そこに着いて、神のめぐみを見てよろこび、主に対する信仰を揺るがない心で持ちつづけるようにと、みんなの者を励ました。 彼は聖霊と信仰とに満ちた立派な人であったからである。こうして主に加わる人々が、大ぜいになった。 そこでバルナバはサウロを捜しにタルソへ出かけて行き、 彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。

ペテロの働きによって異邦人伝道が公に認められた後、ステパノの迫害によって地方に散らされた人々が自主的に行った伝道の結果、ユダヤ人たちの中にいた数人の異邦人たちによってアンテオケでギリシャ人にも福音が宣べ伝えられ、多くの者が主に帰依するようになったとの情報がエルサレムの教会にも届きました。そこで教会は慰めの子との異名を持ち、御霊と信仰に満ちた人バルナバをアンテオケに遣わし、信徒たちを励ましたところ、更に福音宣教の働きが進みました。そこでバルナバは、かつてエルサレムでギリシャ人を論破するほどのローマの高等教育を受け、言語に堪能であったサウロをタルソまで探しに行き、共に宣教の働きに加えたところ、更に宣教の働きが前進しました。このアンテオケで発足した教会で初めて弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになり、キリスト教がユダヤ単一民族の宗教から世界共通の宗教へと変貌するきっかけとなりました。この世界を造られた神の働きは、もはや人種を越えて、世界の全人類の救いに至る道を辿り、神の御心が成し遂げられることとなりました。極東といわれるアジア最東岸の国、日本に住む私たちもまた、この福音の御業の結果、救いに与ることができたことに心より感謝いたします。

http://bible.com/81/act.11.19-26.ja1955

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使徒行伝 11:27-30

そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケにくだってきた。 その中のひとりであるアガボという者が立って、世界中に大ききんが起るだろうと、御霊によって預言したところ、果してそれがクラウデオ帝の時に起った。 そこで弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに援助を送ることに決めた。 そして、それをバルナバとサウロとの手に託して、長老たちに送りとどけた。

教会の働きは、単に福音が宣べ伝えられ救いに与るだけでなく、この世においても互いに助け合い励まし合う、主にある一致を生み出します。このころエルサレムこらアンテオケに下ってきた預言者たちによって、世界中に大飢饉が起こるとの預言がなされ、現実のものとなりました。砂漠気候であるユダヤ地方が飢饉の影響を受けて窮乏したとき、世界中の物資が集まるアンテオケ教会からユダヤの人々を救おうとする動きが出て、バルナバとサウロに託して物資を送り届けました。この愛の分かち合いこそ、この世に生きる私たちクリスチャンに最も必要な心です。また信仰の基であるイスラエルのために祈り、また支援することは、アブラハムの信仰の根に接ぎ木された私たちクリスチャンが果たすべき当然の使命です。

http://bible.com/81/act.11.27-30.ja1955
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