出エジプト記 3:1-3
モーセは妻の父、ミデヤンの祭司エテロの羊の群れを飼っていたが、その群れを荒野の奥に導いて、神の山ホレブにきた。 ときに主の使は、しばの中の炎のうちに彼に現れた。彼が見ると、しばは火に燃えているのに、そのしばはなくならなかった。 モーセは言った、「行ってこの大きな見ものを見、なぜしばが燃えてしまわないかを知ろう」。
エジプトから逃れ、ミデアンの地で隠遁生活を送っていたモーセに、突如として神は現れます。羊を放牧するうちに神の山ホレブに来たモーセは、いつまでも燃え尽きない柴を見て不思議に思い、近付いて燃え尽きない理由を探ろうとしました。それはあたかも、自身の力でイスラエル人を救おうと立ち上がったものの、当のイスラエル人から敵対視され、エジプト王からも追われ、逃亡を余儀なくされて燃えつき症候群に陥ってしまった自分を再び燃え立たせる力が、いつまでも燃え尽きない柴にあるのではないかと感じたのかもしれません。しかしモーセに欠如していたのは、神を求める心、一対一で神と向き合う姿勢でした。自身の力に頼る者は、いつか必ず燃え尽きます。しかし永遠に燃え尽きることのない神の力に頼る者は、いつまでも希望を失うことなく常に前進する力が与えられます。
https://www.bible.com/bible/81/exo.3.1-3.ja1955
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出エジプト記 3:4-6
主は彼がきて見定めようとするのを見、神はしばの中から彼を呼んで、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼は「ここにいます」と言った。 神は言われた、「ここに近づいてはいけない。足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである」。 また言われた、「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」。モーセは神を見ることを恐れたので顔を隠した。
いつまでも燃え尽きない柴にモーセが近付いてくるのを見た神は、柴の中から彼の名を呼びました。モーセが答えると、ここに近付いてはならない、また足から靴を脱ぎなさい、なぜならここは聖なる地であるからだと命じました。神のきよさは誰一人として侵すことのできない、絶対的な聖なるものです。モーセは靴を脱ぎ、神を見ることを恐れて地に平伏しました。私たちは神の領域に土足で踏み込むようなことをしてはいないか、聖なる神を冒涜するようなことをしてはいないかと、自らの神に対する姿勢を常に省みる必要があります。
https://www.bible.com/bible/81/exo.3.4-6.ja1955
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出エジプト記 3:7-10
主はまた言われた、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。 わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわちカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとのおる所に至らせようとしている。 いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見た。 さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」。」
靴を脱ぎ、地に平伏したモーセに、神はエジプト人から虐げられているイスラエル人の状況をつぶさに見届け、彼らの苦しむ声、神に救いを求める声を聞かれたと告げ、それ故モーセを遣わして、全イスラエル人をエジプトから約束の地に救い出すとのご計画を明かされました。神は主を畏れ、その戒めを守り行う者の苦境を決して見逃すことなく、必ず悩みの中から救い出し、豊かな祝福をもって報いてくださるお方です。
https://www.bible.com/bible/81/exo.3.7-10.ja1955
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出エジプト記 3:11-17
モーセは神に言った、「わたしは、いったい何者でしょう。わたしがパロのところへ行って、イスラエルの人々をエジプトから導き出すのでしょうか」。 神は言われた、「わたしは必ずあなたと共にいる。これが、わたしのあなたをつかわしたしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたがたはこの山で神に仕えるであろう」。 モーセは神に言った、「わたしがイスラエルの人々のところへ行って、彼らに『あなたがたの先祖の神が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と言うとき、彼らが『その名はなんというのですか』とわたしに聞くならば、なんと答えましょうか」。 神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。 神はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい『あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と。これは永遠にわたしの名、これは世々のわたしの呼び名である。 あなたは行って、イスラエルの長老たちを集めて言いなさい、『あなたがたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主は、わたしに現れて言われました、「わたしはあなたがたを顧み、あなたがたがエジプトでされている事を確かに見た。 それでわたしはあなたがたを、エジプトの悩みから導き出して、カナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとの地、乳と蜜の流れる地へ携え上ろうと決心した」と』。」
神の壮大なイスラエル救済計画を持ちかけられたモーセは、私はいったい何者でしょうと答えました。それはかつてイスラエル人をエジプト人の手から救おうと立ち上がったものの、見事に失敗してしまった過去の苦い経験から、卑屈になってしまったモーセの心が見て取れます。しかし神はモーセの側の事情とは関係なく、モーセを遣わすにあたり、必ず神が共にいてくださるとの約束をしるしとされました。モーセが自分をイスラエルに遣わされた方の名を何と呼べばよいかと尋ねると、神は「わたしは有って有る者」、また「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と、その名を明かされました。「わたしは有る」という言葉は理解しにくいですが、世のはじめから終わりまで変わることなく有るお方、目には見えなくても必ず存在されるお方、と受け止めるとわかりやすいかもしれません。これが私たちの信じる神の永遠の名前です。そしてイスラエル人の長老たちに、エジプトで受けている苦難を神はつぶさに見、その悩みを顧みて、父祖アブラハムに与えると約束した地に導き出すことを決心したと告げるよう、モーセに命じられました。自分がイスラエル人を導き出すのですか?とのモーセの問いに、神はわたしが導き出すと答えられました。人を救うのは人の業ではなく、神の業であることが、この答からもわかります。
https://www.bible.com/bible/81/exo.3.11-17.ja1955
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出エジプト記 3:18-22
「彼らはあなたの声に聞き従うであろう。あなたはイスラエルの長老たちと一緒にエジプトの王のところへ行って言いなさい、『ヘブルびとの神、主がわたしたちに現れられました。それで、わたしたちを、三日の道のりほど荒野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげることを許してください』と。 しかし、エジプトの王は強い手をもって迫らなければ、あなたがたを行かせないのをわたしは知っている。 それで、わたしは手を伸べて、エジプトのうちに行おうとする、さまざまの不思議をもってエジプトを打とう。その後に彼はあなたがたを去らせるであろう。 わたしはこの民にエジプトびとの好意を得させる。あなたがたは去るときに、むなし手で去ってはならない。 女はみな、その隣の女と、家に宿っている女に、銀の飾り、金の飾り、また衣服を求めなさい。そしてこれらを、あなたがたのむすこ、娘に着けさせなさい。このようにエジプトびとのものを奪い取りなさい」。
モーセを遣わすにあたり、神は、イスラエルの長老たちと共にエジプト王の元に行き、神に犠牲を捧げるためにイスラエル人を荒野に行かせるように願い出るようにと、具体的な指示を出されました。しかし神は同時に、心の頑ななエジプト王が簡単には承諾しないことを承知の上で、その何度にもわたる交渉の中で主は数々の奇跡をもってその栄光を現され、神の民イスラエルを虐げたエジプト人に対する報復と、イスラエルが受ける報酬をも約束されました。神のご計画はそう簡単に実現するものではありませんが、必ず成就すること、その経緯もまた神のご計画であること、そして神の約束を信じ続ける者だけが手にすることができることを、この御言葉からも私たちは学ぶことができます。
https://www.bible.com/bible/81/exo.3.18-22.ja1955
モーセは妻の父、ミデヤンの祭司エテロの羊の群れを飼っていたが、その群れを荒野の奥に導いて、神の山ホレブにきた。 ときに主の使は、しばの中の炎のうちに彼に現れた。彼が見ると、しばは火に燃えているのに、そのしばはなくならなかった。 モーセは言った、「行ってこの大きな見ものを見、なぜしばが燃えてしまわないかを知ろう」。
エジプトから逃れ、ミデアンの地で隠遁生活を送っていたモーセに、突如として神は現れます。羊を放牧するうちに神の山ホレブに来たモーセは、いつまでも燃え尽きない柴を見て不思議に思い、近付いて燃え尽きない理由を探ろうとしました。それはあたかも、自身の力でイスラエル人を救おうと立ち上がったものの、当のイスラエル人から敵対視され、エジプト王からも追われ、逃亡を余儀なくされて燃えつき症候群に陥ってしまった自分を再び燃え立たせる力が、いつまでも燃え尽きない柴にあるのではないかと感じたのかもしれません。しかしモーセに欠如していたのは、神を求める心、一対一で神と向き合う姿勢でした。自身の力に頼る者は、いつか必ず燃え尽きます。しかし永遠に燃え尽きることのない神の力に頼る者は、いつまでも希望を失うことなく常に前進する力が与えられます。
https://www.bible.com/bible/81/exo.3.1-3.ja1955
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出エジプト記 3:4-6
主は彼がきて見定めようとするのを見、神はしばの中から彼を呼んで、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼は「ここにいます」と言った。 神は言われた、「ここに近づいてはいけない。足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである」。 また言われた、「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」。モーセは神を見ることを恐れたので顔を隠した。
いつまでも燃え尽きない柴にモーセが近付いてくるのを見た神は、柴の中から彼の名を呼びました。モーセが答えると、ここに近付いてはならない、また足から靴を脱ぎなさい、なぜならここは聖なる地であるからだと命じました。神のきよさは誰一人として侵すことのできない、絶対的な聖なるものです。モーセは靴を脱ぎ、神を見ることを恐れて地に平伏しました。私たちは神の領域に土足で踏み込むようなことをしてはいないか、聖なる神を冒涜するようなことをしてはいないかと、自らの神に対する姿勢を常に省みる必要があります。
https://www.bible.com/bible/81/exo.3.4-6.ja1955
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出エジプト記 3:7-10
主はまた言われた、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。 わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわちカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとのおる所に至らせようとしている。 いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見た。 さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」。」
靴を脱ぎ、地に平伏したモーセに、神はエジプト人から虐げられているイスラエル人の状況をつぶさに見届け、彼らの苦しむ声、神に救いを求める声を聞かれたと告げ、それ故モーセを遣わして、全イスラエル人をエジプトから約束の地に救い出すとのご計画を明かされました。神は主を畏れ、その戒めを守り行う者の苦境を決して見逃すことなく、必ず悩みの中から救い出し、豊かな祝福をもって報いてくださるお方です。
https://www.bible.com/bible/81/exo.3.7-10.ja1955
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出エジプト記 3:11-17
モーセは神に言った、「わたしは、いったい何者でしょう。わたしがパロのところへ行って、イスラエルの人々をエジプトから導き出すのでしょうか」。 神は言われた、「わたしは必ずあなたと共にいる。これが、わたしのあなたをつかわしたしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたがたはこの山で神に仕えるであろう」。 モーセは神に言った、「わたしがイスラエルの人々のところへ行って、彼らに『あなたがたの先祖の神が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と言うとき、彼らが『その名はなんというのですか』とわたしに聞くならば、なんと答えましょうか」。 神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。 神はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい『あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と。これは永遠にわたしの名、これは世々のわたしの呼び名である。 あなたは行って、イスラエルの長老たちを集めて言いなさい、『あなたがたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主は、わたしに現れて言われました、「わたしはあなたがたを顧み、あなたがたがエジプトでされている事を確かに見た。 それでわたしはあなたがたを、エジプトの悩みから導き出して、カナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとの地、乳と蜜の流れる地へ携え上ろうと決心した」と』。」
神の壮大なイスラエル救済計画を持ちかけられたモーセは、私はいったい何者でしょうと答えました。それはかつてイスラエル人をエジプト人の手から救おうと立ち上がったものの、見事に失敗してしまった過去の苦い経験から、卑屈になってしまったモーセの心が見て取れます。しかし神はモーセの側の事情とは関係なく、モーセを遣わすにあたり、必ず神が共にいてくださるとの約束をしるしとされました。モーセが自分をイスラエルに遣わされた方の名を何と呼べばよいかと尋ねると、神は「わたしは有って有る者」、また「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と、その名を明かされました。「わたしは有る」という言葉は理解しにくいですが、世のはじめから終わりまで変わることなく有るお方、目には見えなくても必ず存在されるお方、と受け止めるとわかりやすいかもしれません。これが私たちの信じる神の永遠の名前です。そしてイスラエル人の長老たちに、エジプトで受けている苦難を神はつぶさに見、その悩みを顧みて、父祖アブラハムに与えると約束した地に導き出すことを決心したと告げるよう、モーセに命じられました。自分がイスラエル人を導き出すのですか?とのモーセの問いに、神はわたしが導き出すと答えられました。人を救うのは人の業ではなく、神の業であることが、この答からもわかります。
https://www.bible.com/bible/81/exo.3.11-17.ja1955
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出エジプト記 3:18-22
「彼らはあなたの声に聞き従うであろう。あなたはイスラエルの長老たちと一緒にエジプトの王のところへ行って言いなさい、『ヘブルびとの神、主がわたしたちに現れられました。それで、わたしたちを、三日の道のりほど荒野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげることを許してください』と。 しかし、エジプトの王は強い手をもって迫らなければ、あなたがたを行かせないのをわたしは知っている。 それで、わたしは手を伸べて、エジプトのうちに行おうとする、さまざまの不思議をもってエジプトを打とう。その後に彼はあなたがたを去らせるであろう。 わたしはこの民にエジプトびとの好意を得させる。あなたがたは去るときに、むなし手で去ってはならない。 女はみな、その隣の女と、家に宿っている女に、銀の飾り、金の飾り、また衣服を求めなさい。そしてこれらを、あなたがたのむすこ、娘に着けさせなさい。このようにエジプトびとのものを奪い取りなさい」。
モーセを遣わすにあたり、神は、イスラエルの長老たちと共にエジプト王の元に行き、神に犠牲を捧げるためにイスラエル人を荒野に行かせるように願い出るようにと、具体的な指示を出されました。しかし神は同時に、心の頑ななエジプト王が簡単には承諾しないことを承知の上で、その何度にもわたる交渉の中で主は数々の奇跡をもってその栄光を現され、神の民イスラエルを虐げたエジプト人に対する報復と、イスラエルが受ける報酬をも約束されました。神のご計画はそう簡単に実現するものではありませんが、必ず成就すること、その経緯もまた神のご計画であること、そして神の約束を信じ続ける者だけが手にすることができることを、この御言葉からも私たちは学ぶことができます。
https://www.bible.com/bible/81/exo.3.18-22.ja1955