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【COGHCC聖書通読】 2018/05/17

2018-05-17 08:15:12 | 一日一章・聖書通読日記
エレミヤ書 52:1-3
ゼデキヤは王となったとき二十一歳であったが、エルサレムで十一年世を治めた。母の名はハムタルといい、リブナのエレミヤの娘である。 ゼデキヤはエホヤキムがすべて行ったように、主の目の前に悪事を行った。 たしかに、主の怒りによって、エルサレムとユダとは、そのみ前から捨て去られるようなことになった。そしてゼデキヤはバビロンの王にそむいた。

この箇所は先に通読したエレミヤ書39章の繰り返しになりますが、51章までがエレミヤの預言、52章は預言が成就したことを具体的に記した構成となっています。南ユダ王国最後の王ゼデキヤはバビロンに投降したエホヤキン王の代わりに立てられた傀儡政権でしたが、2代前の王エホヤキムと同様に、自分にとって都合の悪い預言の言葉に耳を傾けず、主の前に悪を行ったために、神様から捨て去られることになったと記されています。彼は自分を王に据えたバビロンに背くという愚かな行いによって、彼の治世は終焉を迎えます。愛なる神様は私たちを何とかして滅びから免れさせようと救いの手を差し伸べ続けておられますが、その手を振り払い続ける者には、もはや救われる余地は残されていません。

http://bible.com/81/jer.52.1-3.ja1955

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エレミヤ書 52:4-6
そこで彼の治世の九年十月十日に、バビロンの王ネブカデレザルはその軍勢を率い、エルサレムにきて、これを包囲し、周囲に塁を築いてこれを攻めた。 こうしてこの町は攻め囲まれて、ゼデキヤ王の十一年にまで及んだが、 その四月九日になって、町の中の食糧は、はなはだしく欠乏し、その地の民は食物を得ることができなくなった。

バビロンに背いたゼデキヤに対する報復として、バビロン王ネブカデネザルは大軍を率いてエルサレムを包囲し、周囲に高い塁を築いて攻撃しました。エルサレムは完全に孤立無援状態となり、2年間の籠城の後、ついに食料が尽きて市街は激しい飢饉に陥りました。エレミヤが、バビロンに降伏しない者は剣と飢饉と疫病で死ぬと預言した通りです。神様の御言葉は必ずその通りに実現し、聞き従わない者は滅びを免れることはできません。

http://bible.com/81/jer.52.4-6.ja1955

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エレミヤ書 52:7-11
そして町の城壁はついに打ち破られたので、兵士たちはみな逃げ、夜のうちに、王の園の近くの、二つの城壁の間の門から町をのがれ出て、カルデヤびとが、町を攻め囲んでいるうちに、アラバの方へ落ちて行った。しかしカルデヤびとの軍勢は王を追って行って、エリコの平地でゼデキヤに追いついたが、彼の軍勢がみな散って彼のそばを離れたので、 カルデヤびとは王を捕え、ハマテの地のリブラにいるバビロンの王のもとに引いていったので、王は彼の罪を定めた。 すなわちバビロンの王はゼデキヤの子たちをその目の前で殺させ、ユダのつかさたちをことごとくリブラで殺させ、 またゼデキヤの目をつぶさせた。そしてバビロンの王は彼を鎖につないでバビロンへ連れて行き、その死ぬ日まで獄屋に入れて置いた。

2年間の籠城の後、ついに城壁が打ち破られて攻め込まれたゼデキヤ王は、街を捨てて同盟国の一つアラバへと落ち延びようとします。しかしバビロンの軍勢は彼を追撃し、エリコの平地で追いつかれると、衛兵たちはゼデキヤ王から離れて逃げ去り、いともあっけなくバビロンに生け捕りにされてしまいました。彼を待ち受けていたものは、バビロン王の前で自分の息子たちが虐殺される惨劇を目の当たりにした後、目をつぶされてバビロンに連行され、死ぬまで投獄されたという余りにも悲惨で残酷な余生でした。神様の御言葉を侮り、悔い改めずに背き続ける者の最後は、最悪の事態を免れることはできません。

http://bible.com/81/jer.52.7-11.ja1955

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エレミヤ書 52:12-16
五月十日に、-それはバビロンの王ネブカデレザルの世の十九年であった-バビロンの王に仕える侍衛の長ネブザラダンはエルサレムに、はいって、 主の宮と王の宮殿を焼き、エルサレムのすべての家を焼いた。彼は大きな家をみな焼きはらった。 また侍衛の長と共にいたカルデヤびとの軍勢は、エルサレムの周囲の城壁をみな取りこわした。 そして侍衛の長ネブザラダンは民のうちの最も貧しい者若干、そのほか町のうちに残った者、およびバビロンの王にくだった人、その他工匠たちを捕え移した。 しかし侍衛の長ネブザラダンはその地の最も貧しい者若干を残して、ぶどうを作る者とし、農夫とした。

ユダ王朝に対する裁きの後は、エルサレムの街と住民たちに対する裁きです。バビロンの待衛長ネブザラダンはエルサレムの街に火を付けて神殿も家屋もすべて焼き払い、街を取り囲む城壁もすべて崩して廃墟としました。今のエルサレム旧市街は後の時代に建てられたもので、その地層の下に当時のエルサレム市街の遺跡が埋もれていることが発掘調査でわかっています。そして生き残ったエルサレムの住民はバビロンに捉え移され、最も貧しい層からわずかな人々だけが、バビロンの監視兵のために食料を備えるためにエルサレムに残されました。これもまたエレミヤの預言した通りに成就したのです。

http://bible.com/81/jer.52.12-16.ja1955

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エレミヤ書 52:17-23
カルデヤびとはまた主の宮の青銅の柱と、洗盤の台と、青銅の海を砕いて、その青銅をことごとくバビロンへ運び、 また、つぼと、十能と、心切りばさみと、鉢と、香を盛る皿および宮の勤めに用いる青銅の器をことごとく取って行った。 また彼らは小鉢と、心取り皿と、鉢と、つぼと、燭台と、香を盛る皿と、灌祭の鉢を取った。金で作った物は金として、銀で作った物は銀として、侍衛の長は運び去った。ソロモン王が主の宮に造った二本の柱と、一つの海と、海の下の十二の青銅の牛と、台など、このすべての物の青銅の重さは量ることもできなかった。 この一本の柱の高さは十八キュビト、周囲は十二キュビトで、指四本の厚さがあり、中は、うつろであった。 その上に青銅の柱頭があり、柱頭の高さは五キュビト、柱頭の周囲は網細工と、ざくろとで飾り、これらもみな青銅であった。他の柱もそのざくろも、これと同じであった。 その四方に九十六個のざくろがあり、周囲の網細工の上にあるざくろの数は百個であった。

次にエルサレムの神殿に対する裁きです。主の宮が裁かれるとは意外に思われるかもしれませんが、当時のエルサレムの神殿は偶像の神々がまつられ、神様の忌み嫌われる偶像礼拝や、自分の子どもを火で焼いて捧げるといった忌まわしき行為が公然と行われていたため、神様はそのような汚れた場所と化した神殿を放置するわけには行かなかったのです。ソロモンが富と贅の限りを尽くした青銅の柱や装飾物も、すべて解体されてバビロンに持ち去られてしまいました。このようにして人の建てた神殿は、その役目を果たせなくなったら人の手によって失われてしまいます。私たちは心の内に揺るがない信仰という永遠に残る神殿を打ち建てるべきです。

http://bible.com/81/jer.52.17-23.ja1955

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エレミヤ書 52:24-27
侍衛の長は祭司長セラヤと次席の祭司ゼパニヤと三人の門を守る者を捕え、 また兵士をつかさどるひとりの役人と、町にいた王の側近の者七人と、その地の民を募る軍勢の長の書記官と、町の中にいた六十人の者を町から捕え去った。 侍衛の長ネブザラダンは、これらの人を捕えて、リブラにいるバビロンの王のもとに連れて行った。 バビロンの王は、ハマテの地のリブラで彼らを撃ち殺した。こうして、ユダは自分の地から捕え移された。

ユダの国を信仰的に導く役目を担っていたはずの祭司たちは王と人々の歓心を買うために偽りの預言を行い、王のつかさたちはまことの神の預言を語ったエレミヤを迫害した結末として、彼らはバビロンに連行されて処刑されるという無惨な最期を遂げることとなりました。まことの神の御言葉を曲げて語って人々を惑わせ、あるいは自分の都合の良いように解釈する者には、最も厳しい裁きが下ります。

http://bible.com/81/jer.52.24-27.ja1955

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エレミヤ書 52:28-30
ネブカデレザルが捕え移した民の数は次のとおりである。第七年にはユダヤ人三千二十三人。 またネブカデレザルはその第十八年にエルサレムから八百三十二人を捕え移した。 ネブカデレザルの二十三年に侍衛の長ネブザラダンは、ユダヤ人七百四十五人を捕え移した。この総数は四千六百人であった。

バビロン捕囚は3期にわたって行われました。第一期がエホヤキム王の時代、第二期がその子エホヤキン王の時代、そして第三期が南ユダ王朝最後となったゼデキヤ王の時代です。その中には後に出てくるダニエルとその友人たち4人も含まれていました。彼らはバビロンの地に捕囚として連れ去られる屈辱を味わいましたが、自らのいのちは奪われることなく、またその能力に応じてバビロンで高く用いられました。バビロンに逃れていのちを得、祝福を受けよというエレミヤの預言はここにも成就します。神様の御言葉は決して廃ることなく、その約束は必ず果たされます。

http://bible.com/81/jer.52.28-30.ja1955

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エレミヤ書 52:31-34
ユダの王エホヤキンが捕え移されて後三十七年の十二月二十五日に、バビロンの王エビルメロダクはその即位の年に、ユダの王エホヤキンを獄屋から出し、そのこうべを挙げさせ、 親切に彼を慰め、その位を、バビロンで共にいる王たちの位よりも高くした。 こうしてエホヤキンは獄屋の服を脱いだ。そして生きている間は毎日王の食卓で食事し、 彼の給与としては、その死ぬ日まで一生の間、たえず日々の必要にしたがって、バビロンの王から給与を賜わった。

非業な最期を遂げたユダ王族の中で、一人だけ地位を回復した王がいます。それは自らバビロンに投降し、捕囚の屈辱を受け入れたエホヤキン王でした。彼は投獄されていた間、後にネブカデネザルの王となるエビルメロダクと親しい関係になり、彼がバビロンの王に就任すると同時に解放され、高い地位に就くことができました。罪を犯して裁きを受けても、神様の御言葉に聞き従った者には回復の道が備えられていることは、私たちにとっても希望です。

http://bible.com/81/jer.52.31-34.ja1955
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【今日の聖句】 2018/05/17

2018-05-17 06:35:11 | 今日の聖句
箴言 序 21:21 新共同訳
「恵みと慈しみを追い求める人は
 命と恵みと名誉を得る。」

神様の特性である恵みと慈しみを追求する人は、神から来る素晴らしい賜物として永遠のいのちと恵みと誉れとを受けることができます。欲望に身を任せて身を滅ぼすことなく、神様の恵みの世界に引き入れられる私たちでありますように。

http://bible.com/1819/pro.21.21.新共同訳
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