伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/05/21

2018-05-21 07:50:10 | 一日一章・聖書通読日記
哀歌 4:1-2
ああ、黄金は光を失い、純金は色を変じ、聖所の石はすべてのちまたのかどに投げ捨てられた。 ああ、精金にも比すべきシオンのいとし子らは、陶器師の手のわざである土の器のようにみなされる。

ソロモン王の時代には、銀が石ころのように価値がないものと見なされるほど豊かで、純金や大理石がふんだんに用いられましたが、今や神殿や王宮の金ははぎ取られ、銀や青銅の器物さえもすべて略奪されて、栄華を誇った時代の姿は完全に失われてしまいました。栄光の輝きに満ちていたイスラエルの民は、素焼きの器のように、割れて打ち捨てられるものとなりました。イスラエルは栄光の神の写しでありましたが、まことの神を忘れ主から離れ去るならば、もはや遠い過去の栄光です。

http://bible.com/81/lam.4.1-2.ja1955

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哀歌 4:3-6
山犬さえも乳ぶさをたれて、その子に乳を飲ませる。ところが、わが民の娘は、荒野のだちょうのように無慈悲になった。 乳のみ子の舌はかわいて、上あごに、ひたとつき、幼な子らはパンを求めても、これに与える者がない。 うまい物を食べていた者は、落ちぶれて、ちまたにおり、紫の着物で育てられた者も、今は灰だまりの上に伏している。 わが民の娘のうけた懲らしめは、ソドムの罰よりも大きかった。ソドムは昔、人の手によらないで、またたくまに滅ぼされたのだ。

贅沢三昧に裕福な暮らしをしていたイスラエルの民でしたが、今や飢え渇いた乳飲み子に与える食料もないほどに落ちぶれ、産み落とした卵を荒野に放置するダチョウのように無慈悲な者となったと記されています。紫の着物にたとえられる高貴なファッションを追い求め、グルメに明け暮れ飽食の時代に生きる今の日本人の姿と重なる共通点が多くあります。好景気に支えられた豊かな国々の人々がいる一方、世界を見渡すと貧困に喘ぎ、飢餓に苦しむ人々のなんと多いことでしょうか。自分さえ良ければそれでよいとする刹那的な生き方を改め、すべての人々の幸福を祈り求め、行動に移す私たちでありますように。

http://bible.com/81/lam.4.3-6.ja1955

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哀歌 4:7-10
わが民の君たちは雪よりも清らかに、乳よりも白く、そのからだは、さんごよりも赤く、その姿の美しさはサファイヤのようであった。 今はその顔はすすよりも黒く、町の中にいても人に知られず、その皮膚は縮んで骨につき、かわいて枯れ木のようになった。 つるぎで殺される者は、飢えて死ぬ者よりもさいわいである。彼らは田畑の産物の欠乏によって、刺された者のように衰え行くからである。 わが民の娘の滅びる時には情深い女たちさえも、手ずから自分の子どもを煮て、それを食物とした。

イスラエルの君たちの容姿は、雪や乳や珊瑚やサファイヤ等にたとえられるほど血色も良く麗しいものでしたが、飢饉に陥った今や皮が骨に付くほどやせ衰え、枯れ木のようになってしまいました。剣に倒れる方がまだましだとたとえられるほど飢餓状態は激しさを増し、母がわが子を煮て食べるほどの極限状態となりました。罪を悔い改めない者に対する神様の裁きは、まさに地獄絵の様相を呈するほど厳しいものであることを肝に銘じ、今の平安に安住することなく、常に神様の御心に適う生涯を送る私たちでありますように。

http://bible.com/81/lam.4.7-10.ja1955

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哀歌 4:11-13
主はその憤りをことごとく漏らし、激しい怒りをそそぎ、シオンに火を燃やして、その礎までも焼き払われた。 地の王たちも、世の民らもみな、エルサレムの門に、あだや敵が、討ち入ろうとは信じなかった。 これはその預言者たちの罪のため、その祭司たちの不義のためであった。彼らは義人の血をその町の中に流した者である。

鉄壁の防御を誇った城壁が破られ、侵入したバビロンの兵たちによって焼き払われ、完全に廃墟と化したエルサレムの街の姿は、当時の人々の予想だにしなかった光景でした。それらすべての災いの根元は、まことの預言者たちの語る神様からの警告を無視し、人々の歓心を買うために偽りの預言を語る偽預言者たちや祭司たちの罪と不義によるものでした。まことの神様の御言葉を正しく伝えない者は、偽りの言葉にすべての責任を問われます。たとい人々から疎まれようとも、まことの神の御言葉に堅く立ち、真理をねじ曲げるようなことは絶対にしてはなりません。

http://bible.com/81/lam.4.11-13.ja1955

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哀歌 4:14-18
彼らは盲人のように、ちまたにさまよい、血で汚れている。だれもその衣にさわることができない。 人々は彼らにむかって、「去れよ、けがらわしい」、「去れよ、去れよ、さわるな」と叫んだので、彼らは逃げ去って放浪者となったが、異邦人の中でも人々は「もうわれわれのうちに宿ってはならない」と言った。 主はみずから彼らを散らして、再び彼らを顧みず、祭司を尊ばず、長老をいたわられなかった。 われわれの目は、むなしく助けを待ち望んで疲れ衰えた。われわれは待ち望んだが、救を与え得ない国びとを待ち望んだ。 人々がわれわれの歩みをうかがうので、われわれは自分の町の中をも、歩くことができなかった。われわれの終りは近づいた、日は尽きた。われわれの終りが来たからである。

世界各国からの羨望の眼差しを一身に受け、栄華を誇ったイスラエルの姿は、今や見る影もなく、身を寄せようとしても汚れた者として忌み嫌われ、追い払われる落ちぶれようです。それは神様が罪を悔い改めなかったイスラエルを捨て、世界中に離散させることを定められたからです。今なおイスラエルは近隣諸国の憎悪の的となり、排斥され続けています。ここに神様に打ち捨てられた者の惨めな姿を垣間見ることができます。私たちはイスラエルの歴史から賢く学び、同じ過ちを繰り返してはなりません。

http://bible.com/81/lam.4.14-18.ja1955

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哀歌 4:19-22
われわれを追う者は空のはげたかよりも速く、彼らは山でわれわれを追い立て、野でわれわれを待ち伏せる。 われわれが鼻の息とたのんだ者、主に油そそがれた者は、彼らの落し穴で捕えられた。彼はわれわれが「異邦人の中でもその陰に生きるであろう」と思った者である。 ウズの地に住むエドムの娘よ、喜び楽しめ、あなたにもまた杯がめぐって行く、あなたも酔って裸になる。 シオンの娘よ、あなたの不義の罰は終った。主は重ねてあなたを捕え移されない。エドムの娘よ、主はあなたの不義を罰し、あなたの罪をあらわされる。

イスラエルを追い立て、強盗のように荒野で待ち伏せする近隣諸国の人々にも、やがて神様の裁きのときがきます。何度も繰り返しますが、聖書の原則は、イスラエルを祝福する者は祝福され、イスラエルを呪う者は呪われる、との神様の約束に尽きます。神の民イスラエルに対する裁きが厳しいものであったとしたら、神を信じない民に対する裁きは更に激しさを増すことを、私たちは覚えなければなりません。

http://bible.com/81/lam.4.19-22.ja1955
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【今日の聖句】 2018/05/21

2018-05-21 06:35:39 | 今日の聖句
ペトロの手紙一 1:24-25 新共同訳
こう言われているからです。
「人は皆、草のようで、
 その華やかさはすべて、
 草の花のようだ。
 草は枯れ、
 花は散る。
 しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」
これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。

平均寿命が90歳近くになったとしても、悠久の歴史と比べれば草花の如く、短く儚いものです。この世の人生に執着することよりも、昨日も今日もいつまでも変わることのない主の御言葉に寄り頼み、永遠のいのちを得させていただく福音に与る私たちでありますように。

http://bible.com/1819/1pe.1.24-25.新共同訳
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