伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/05/27

2018-05-27 12:20:22 | 一日一章・聖書通読日記
エゼキエル書 5:1-4
「人の子よ、鋭いつるぎを取り、それを理髪師のかみそりとして、あなたの頭と、ひげとをそり、はかりで量って、その毛を分けなさい。 その三分の一は包囲の期間の終る時、町の中で火で焼き、また三分の一を取り、つるぎで町のまわりでこれを打ち、さらに三分の一を風に散らしなさい。わたしはつるぎを抜いて、彼らのあとを追う。 あなたはその毛を少し取って、衣のすそに包み、 またそのうちから少しを取って火の中に投げ入れ、火でこれを焼きなさい。火はその中から出て、イスラエルの全家に及ぶ。」

中東の人々にとって髭は成人男性としての象徴であり誇りです。髪も髭も剃り落とすことは死者を弔うときにのみ行われたことですが、神に仕える祭司には律法の規定により禁じられていました。ですから神も髭も剃り落としなさいという神様の命令は、祭司であったエゼキエルにとっては受け入れ難いことでした。しかし神様はこの預言的行動を通して、エルサレムの街にどのような最後が待ち受けているかを示そうとしたのです。それは聖なる神に仕えるため葬式に出てはならない祭司が喪に服すほどの徹底的な裁きと滅びの予表でした。神様は時折、人が理解に苦しむ不思議なこと、つじつまの合わないことをなさりますが、それには必ず意味があります。私たちは祈りの中で、神様の真意を尋ね求めなければなりません。

http://bible.com/81/ezk.5.1-4.ja1955

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エゼキエル書 5:5-7
「主なる神はこう言われる、わたしはこのエルサレムを万国の中に置き、国々をそのまわりに置いた。 エルサレムは他の国々よりも悪しく、わたしのおきてにそむき、そのまわりの国々よりもわたしの定めにそむいた。すなわち彼らはわたしのおきてを捨て、わたしの定めに歩まなかった。 それゆえ主はこう言われる、あなたがたはそのまわりにいる異邦人よりも狂暴であって、わたしの定めに歩まず、わたしのおきてを行わず、むしろ、あなたがたの回りにいる異邦人のおきてを守っていた。」

神様はエゼキエルに、主がどれほどエルサレムを愛し、特別扱いしてこられたかを語り聞かせました。小さな民であったイスラエルを四方の国民から守り、ソロモン王の時代には世界各国から貢ぎ物を納めるまでに、栄光に輝く中心的存在となりました。にもかかわらず、エルサレムの人々は主の恵みを忘れ、神様の忌み嫌われる悪しき行い、偶像礼拝の忌まわしい儀式を神の宮の中で公然と行い、神様が追い払われた異邦人にもまさって悪行三昧の日々を送り、その心は神様から遠く離れ去っていました。恵みを恵みとして感じなくなるとき、人は堕落が始まり、坂道を転がり落ちるようにどんどん悪に染まり行きます。私たちは恵みに感謝する心を決して忘れてはなりません。

http://bible.com/81/ezk.5.5-7.ja1955

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エゼキエル書 5:8-10
「それゆえ主なる神はこう言われる、見よ、わたしはあなたを攻め、異邦人の目の前で、あなたの中にさばきを行う。 あなたのもろもろの憎むべき事のために、わたしがまだした事のないような事、またこの後ふたたびしないような事をあなたに対してする。 それゆえ、あなたのうちで父はその子を食い、子はその父を食う。わたしはあなたに対してさばきを行い、あなたのうちの残りの者をことごとく四方の風に散らす。」

神様から心が離れ、偶像礼拝による悪行の限りを尽くしたエルサレムとユダの人々に対し、神様は歴史上後にも先にもかつてなかったような恐ろしい裁きを行うと宣告されました。実際に、バビロン軍に包囲され兵糧責めに遭ったエルサレムの街では、親がわが子を食べ、子がその親を食べるほどの飢饉に陥り、まさに地獄絵図の様相を呈しました。そして生き残った者は捕囚として連れ去られ、残されたわずかな人々もエルサレムを捨てて廃墟となりました。神様から離れた心の行く末は、このような悲惨な結末を迎えます。私たちは歴史の事実から教訓を得なければなりません。

http://bible.com/81/ezk.5.8-10.ja1955

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エゼキエル書 5:11-13
「それゆえ、主なる神は言われる、わたしは生きている。あなたはその忌むべき物と、その憎むべき事とをもって、わたしの聖所を汚したので、わたしは必ずあなたの数を減らす。わたしの目はあなたを惜しみ見ず、またわたしはあなたをあわれまない。 あなたの三分の一はあなたの中で疫病で死に、ききんで滅び、三分の一はあなたのまわりでつるぎに倒れ、三分の一は四方の風に散らされる。わたしはつるぎを抜いてそのあとを追う。 こうしてわたしは怒りを漏らし尽し、憤りを彼らの上に漏らして、満足する。こうして、わたしの憤りを彼らの上に漏らし尽した時、彼らは主であるわたしが熱心に語ったことを知るであろう。」

神様はエゼキエルに命じた預言的行動の解き明かしをされました。それはエルサレムの人々が神殿の中で偶像礼拝を行い聖なる場所を汚したため、剃った髪や髭のように3分の1は疫病と飢饉で死に、3分の1はバビロン兵に剣で殺され、残りの3分の1は四方に散らされるという内容でした。その裁きが現実のものとなったとき、預言者の警告の言葉を軽んじたエルサレムの人々ははじめて神様の御言葉が真実であることを知るようになると言われました。生ける神の御言葉を侮る者は、実際に裁きを身に受けるまで自らの過ちに気付かないものです。私たちは彼らと同じ過ちに陥って二の轍を踏まないように気を付けなければなりません。

http://bible.com/81/ezk.5.11-13.ja1955

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エゼキエル書 5:14-17
「わたしはまわりにある国々の中と、すべてそばを通る者の目の前であなたを滅亡とあざけりに渡す。 わたしが怒りと、憤りと、重い懲罰とをもって、あなたに対してさばきを行う時、あなたはそのまわりにある国々のあざけりとなり、そしりとなり、戒めとなり、驚きとなる。これは主であるわたしが語るのである。 すなわち、わたしがあなたを滅ぼすききんの矢、滅亡の矢をあなたに放つ時、わたしはあなたを滅ぼすために放つのだ。わたしはあなたの上にききんを増し加え、あなたがつえとするパンを打ち砕く。 わたしはあなたにききんと野獣を送って、あなたの子を奪い取り、また疫病と流血にあなたの中を通らせ、またつるぎをあなたに送る。主であるわたしがこれを言う」。

神様の裁きは密かに行われるものではなく、イスラエルに敵対する者たちの見ている中で、公然と行われました。それは他国の人々に、主が自らご自身の民を裁かれることを通して、神様の義であられること、そしてこの世に神様のいますことを知らせるためでもありました。神様は人を偏り見る不当な方ではなく、罪を犯せば誰しも裁かれます。罪を黙認することは、神の義に反しています。私たちもエルサレムの人々と同様、特別扱いされることはないことを肝に銘じ、罪を犯すことのないように自らを省みなければなりません。

http://bible.com/81/ezk.5.14-17.ja1955
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【今日の聖句】 2018/05/27

2018-05-27 06:18:03 | 今日の聖句
フィリピの信徒への手紙 4:6-7 新共同訳

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。

思い煩いとは、恐れの念に心が支配されてしまい、「○○ならばどうしよう」と実際には起きていないことを心配する単なる取り越し苦労です。すべての思いを全知全能の神に委ねて祈るとき、天来の平安に包まれ、思い煩いから解放されて心と思いとを守っていただく私たちでありますように。

http://bible.com/1819/php.4.6-7.新共同訳
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