伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2016/04/22

2016-04-22 08:00:24 | 一日一章・聖書通読日記
出エジプト記 2:5-6
『ときにパロの娘が身を洗おうと、川に降りてきた。侍女たちは川べを歩いていたが、彼女は、葦の中にかごのあるのを見て、つかえめをやり、それを取ってこさせ、 あけて見ると子供がいた。見よ、幼な子は泣いていた。彼女はかわいそうに思って言った、「これはヘブルびとの子供です」。』

ヘブル人の男の子が産まれたら殺すようにとのパロの命令がエジプト全土に発令されたちょうどそのときにモーセは生まれました。彼の父母はしばらくはモーセをかくまっていましたが、成長と共に隠しきれなくなり、しかし愛する我が子に手を掛けることができず、籠に入れてナイル川の川岸に置きました。そのときモーセを拾い上げたのが、ヘブル人の男の子を皆殺しにする命令を下したパロの娘でした。しかし彼女は父の命令に背き、モーセがヘブル人の男の子であることを知りながら、その子を引き取って我が子として育てることを決めました。

神様のなさることはすべて不思議の連続です。何故このタイミングにこのようなことが起こるのか?ということばかりです。しかしその背後には必ず神様の目的があり、歴史の歯車をきちっと合わせるかのように、すべてを相働かせて万事を益とします。私たちもこの神様の摂理の中に生まれ、すべては神様の御手の中にあることを忘れてはなりません。神様が今、私たちをこの時代のこの国に生まれさせて、今のこの環境に置かれたことを自分に対する神様の御心と受け止めて、神様の目的と託された使命を果たす私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.2.5-6.ja1955

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出エジプト記 2:9
『パロの娘は彼女に言った、「この子を連れて行って、わたしに代り、乳を飲ませてください。わたしはその報酬をさしあげます」。女はその子を引き取って、これに乳を与えた。』

モーセを我が子として育てようと考えたパロの娘に対し、モーセの姉ミリアムが機転を利かせてモーセの実の母親を乳母として紹介し、パロの娘もその提案を受け入れました。絶体絶命のピンチから、パロの娘の庇護の下に安心してモーセを養育できる最高のチャンスを得ることとなりました。ここにも神様の不思議な導きと守りを感じざるを得ません。

私たちの人生はピンチの連続です。しかしピンチを真正面から向き合い、逃げることなく神様が備えてくださる明日への希望を信じるとき、ピンチは自ずとチャンスにつながります。私たちの人生を導くものは、見えない将来に希望を与えてくださる神様への信仰です。信仰によっていかなる危機をも乗り越え、明日への希望に生きる未来志向の人生を切り開く私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.2.9.ja1955

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出エジプト記 2:11-12
「モーセが成長して後、ある日のこと、同胞の所に出て行って、そのはげしい労役を見た。彼はひとりのエジプトびとが、同胞のひとりであるヘブルびとを打つのを見たので、 左右を見まわし、人のいないのを見て、そのエジプトびとを打ち殺し、これを砂の中に隠した。」

モーセはパロの娘の子としてエジプト最高の学問を身に付けて成長しましたが、自分はエジプト人ではなくイスラエル人であるとのアイデンティティーを保っていました。これは幼いときから実の母に育てられ、まことの神様を信じるイスラエル人としての民族意識を身に付けることができたからです。私たちも神の民としてのアイデンティティーを保つことがとても重要です。

しかし若いモーセはこの民族意識の高さが災いし、ヘブル人を酷使していたエジプト人を殺してしまうという罪を犯してしまいます。この罪が後にモーセを窮地に陥れます。私たちは神様のためだと言いながら、平気で罪を犯してはいないでしょうか。それは決して神様の御心ではありません。私たち自ら手を下して神のようになることを神様は喜ばれません。神様の御心は、神様の時を待ち、すべてを神様の御手に委ねる信仰です。私たちは弱く罪のある人間ですから、気を付けていないと失敗を犯してしまいます。そのようにならないように自らを戒め、神様の御心に聴き、御手に委ねる忍耐と信仰を身に付けさせていただきたいと心より願います。

http://bible.com/81/exo.2.11-12.ja1955

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出エジプト記 2:14-15
『彼は言った、「だれがあなたを立てて、われわれのつかさ、また裁判人としたのですか。エジプトびとを殺したように、あなたはわたしを殺そうと思うのですか」。モーセは恐れた。そしてあの事がきっと知れたのだと思った。 パロはこの事を聞いて、モーセを殺そうとした。しかしモーセはパロの前をのがれて、ミデヤンの地に行き、井戸のかたわらに座していた。』

イスラエル人でありながらパロの娘の子としてパロの庇護の下に生きてきたモーセを、他のイスラエル人たちは決して快く思っていなかった現実を突きつけられたモーセは、パロからも命を狙われる身となり、失意の中でエジプトから逃亡します。善意が徒となった形ですが、むしろ己の力で何とかしようとしたモーセの罪に起因した結末です。

私たちは決して何でも自分で解決しようとしてはなりません。神様に頼るよりも人の力に頼ってはなりません。まず神様に祈り、御心を聞き、神様の御旨に適ったことだけをすること、それがクリスチャンの取るべき行動です。

http://bible.com/81/exo.2.14-15.ja1955

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出エジプト記 2:23-25
「多くの日を経て、エジプトの王は死んだ。イスラエルの人々は、その苦役の務のゆえにうめき、また叫んだが、その苦役のゆえの叫びは神に届いた。 神は彼らのうめきを聞き、神はアブラハム、イサク、ヤコブとの契約を覚え、 神はイスラエルの人々を顧み、神は彼らをしろしめされた。」

私たちの神様は、私たちを顧みていてくださるお方、私たちを愛するが故に必ず私たちの声を聴いてくださるお方です。エジプト人による奴隷支配の中で苦しめられて来たイスラエル人の叫びを、神様は決して聞き逃していたわけではありません。イスラエル人の叫びが神様の元に満ちる時を待っておられたのです。

私たちは時折、神様は私の祈りを少しも聴いてくださらないと感じるときがあります。しかし私たちの祈りは、本当に必要なことだけでしょうか。ともすると私たちはそのときの気分次第で身勝手な祈り願いをしていないでしょうか。諦めずに祈り続ける祈祷課題こそが、私たちにとって本当に必要な祈りです。神様はそのような心の底からの祈りを待っておられます。祈りがなかなか聞かれないと感じるこの試練の時が、むしろ私たちの信仰を試み、更なる信仰の高みへと練りきよめます。本当に必要な祈りを諦めずに祈り続ける、まことの祈りの信仰生活を送る私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.2.23-25.ja1955
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【今日の聖句】 2016/04/22

2016-04-22 06:50:29 | 今日の聖句
ローマ人への手紙 15:4
「これまでに書かれた事がらは、すべてわたしたちの教のために書かれたのであって、それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みをいだかせるためである。」

聖書の御言葉は私たちに忍耐と慰めを与え、イエス・キリストの十字架を信じるすべての人に救いの希望を得させようと私たちを教え、義の道へと導きます。聖書の教えをわが喜びとし、御言葉に学び聞き従う私たちでありますように。

http://bible.com/81/rom.15.4.ja1955
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