創世記 32:1-2
『さて、ヤコブが旅路に進んだとき、神の使たちが彼に会った。 ヤコブは彼らを見て、「これは神の陣営です」と言って、その所の名をマハナイムと名づけた。』
父母の元を離れ親戚ラバンの元に逃れるときは一人だったヤコブは、ラバンの元を離れ故郷に帰るときには、大勢の家族と家畜とを引き連れる民族大移動となりました。そのとき神様の御使いたちがヤコブに現れます。これは大家族となったヤコブ一族を守るマハナイム、すなわち神の軍勢が共にいて守ってくださることを意味しています。
神様は私たちの置かれた状況に応じて、その都度、必要十分な助けを送ってくださるお方です。この神様に信頼し、平安の内に日々力強く歩む私たちでありますように。
http://bible.com/81/gen.32.1-2.ja1955
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創世記 32:6-8
『使者はヤコブのもとに帰って言った、「わたしたちはあなたの兄エサウのもとへ行きました。彼もまたあなたを迎えようと四百人を率いてきます」。 そこでヤコブは大いに恐れ、苦しみ、共にいる民および羊、牛、らくだを二つの組に分けて、 言った、「たとい、エサウがきて、一つの組を撃っても、残りの組はのがれるであろう」。』
兄エサウの元に使者を送った名こぶでしたが、400人もの僕を引き連れて出迎えに来たとの報告を聞いて、兄が自分を攻めに来るものと思って恐れます。本当はヤコブを心から歓迎してくれるかもしれないのに、恐れが先に立ったのは、過去の自分が兄エサウの長子の特権と祝福を奪い取った罪悪感から来たものです。
私たちもまた、過去の罪を精算しない限り、恐れから逃れることはできません。罪を精算するには主イエス様の十字架による購いを信じ、神様の御前に罪を告白して悔い改めることです。罪の恐れから真に解放され、喜びと新しいいのちに生きる私たちでありますように。
http://bible.com/81/gen.32.6-8.ja1955
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創世記 32:24-25
「ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした。 ところでその人はヤコブに勝てないのを見て、ヤコブのもものつがいにさわったので、ヤコブのもものつがいが、その人と組打ちするあいだにはずれた。」
贈り物を送って兄エサウと和解しようと画策したヤコブでしたが、それだけでは恐れから解放されることはできず、家族を先に行かせて一人残って恐れの根元と向き合わざるを得ませんでした。そのときヤコブの恐れを解消しようと近付いてくださった神様に向かい、ヤコブは自分の力でねじ伏せようとしましたが、神様はヤコブの腰に手を触れて、人の力の源を無力化しました。
私たちが自我を張り続けるならば、神様はどうすることもできません。人の知恵やこの世の処世術もまた、恐れや不安を解消することはできません。自らの弱さを素直に認め、神様の御前にへりくだって進み出るとき、はじめて恐れから解放されます。このことを肝に銘じて、何でも自分の力やこの世の知恵に頼って解決しようとせず、天地万物の創造主なる神様にすべてを委ねる謙遜な姿勢をもって人生の諸問題に立ち向かう私たちでありますように。
http://bible.com/81/gen.32.24-25.ja1955
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創世記 32:26
『その人は言った、「夜が明けるからわたしを去らせてください」。ヤコブは答えた、「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」。』
人間的には欠点だらけのヤコブでしたが、神様に認められた良い点がありました。それが神様の祝福を乞い求める思いの強さです。この執念ともとれる思いの強さが、神様が兄エサウではなく弟ヤコブを選び祝福された理由です。
私たちも、この世のものに対する貪欲は禁物ですが、神様の祝福だけはどれほど貪欲に求めても構いません。むしろ積極的に神様を求める心を、神様は最も喜ばれ、祝福してくださいます。
http://bible.com/81/gen.32.26.ja1955
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創世記 32:28
『その人は言った、「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」。』
人を押し退ける者という意味の名を持つヤコブは、神様のお取り扱いを受けて、神様の祝福の民であるイスラエルという名前に変えられました。私たちもまた、自分を捨てて神様の元に服従するとき、神様の約束の民イスラエルに加えられる幸いに与ることができます。神様にすべてを受け渡したヤコブのように、過去の罪をイエス様の十字架ですべて精算し、主に全く従い、祝福を受け継ぐ神の民となる私たちでありますように。
http://bible.com/81/gen.32.28.ja1955
『さて、ヤコブが旅路に進んだとき、神の使たちが彼に会った。 ヤコブは彼らを見て、「これは神の陣営です」と言って、その所の名をマハナイムと名づけた。』
父母の元を離れ親戚ラバンの元に逃れるときは一人だったヤコブは、ラバンの元を離れ故郷に帰るときには、大勢の家族と家畜とを引き連れる民族大移動となりました。そのとき神様の御使いたちがヤコブに現れます。これは大家族となったヤコブ一族を守るマハナイム、すなわち神の軍勢が共にいて守ってくださることを意味しています。
神様は私たちの置かれた状況に応じて、その都度、必要十分な助けを送ってくださるお方です。この神様に信頼し、平安の内に日々力強く歩む私たちでありますように。
http://bible.com/81/gen.32.1-2.ja1955
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創世記 32:6-8
『使者はヤコブのもとに帰って言った、「わたしたちはあなたの兄エサウのもとへ行きました。彼もまたあなたを迎えようと四百人を率いてきます」。 そこでヤコブは大いに恐れ、苦しみ、共にいる民および羊、牛、らくだを二つの組に分けて、 言った、「たとい、エサウがきて、一つの組を撃っても、残りの組はのがれるであろう」。』
兄エサウの元に使者を送った名こぶでしたが、400人もの僕を引き連れて出迎えに来たとの報告を聞いて、兄が自分を攻めに来るものと思って恐れます。本当はヤコブを心から歓迎してくれるかもしれないのに、恐れが先に立ったのは、過去の自分が兄エサウの長子の特権と祝福を奪い取った罪悪感から来たものです。
私たちもまた、過去の罪を精算しない限り、恐れから逃れることはできません。罪を精算するには主イエス様の十字架による購いを信じ、神様の御前に罪を告白して悔い改めることです。罪の恐れから真に解放され、喜びと新しいいのちに生きる私たちでありますように。
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創世記 32:24-25
「ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした。 ところでその人はヤコブに勝てないのを見て、ヤコブのもものつがいにさわったので、ヤコブのもものつがいが、その人と組打ちするあいだにはずれた。」
贈り物を送って兄エサウと和解しようと画策したヤコブでしたが、それだけでは恐れから解放されることはできず、家族を先に行かせて一人残って恐れの根元と向き合わざるを得ませんでした。そのときヤコブの恐れを解消しようと近付いてくださった神様に向かい、ヤコブは自分の力でねじ伏せようとしましたが、神様はヤコブの腰に手を触れて、人の力の源を無力化しました。
私たちが自我を張り続けるならば、神様はどうすることもできません。人の知恵やこの世の処世術もまた、恐れや不安を解消することはできません。自らの弱さを素直に認め、神様の御前にへりくだって進み出るとき、はじめて恐れから解放されます。このことを肝に銘じて、何でも自分の力やこの世の知恵に頼って解決しようとせず、天地万物の創造主なる神様にすべてを委ねる謙遜な姿勢をもって人生の諸問題に立ち向かう私たちでありますように。
http://bible.com/81/gen.32.24-25.ja1955
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創世記 32:26
『その人は言った、「夜が明けるからわたしを去らせてください」。ヤコブは答えた、「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」。』
人間的には欠点だらけのヤコブでしたが、神様に認められた良い点がありました。それが神様の祝福を乞い求める思いの強さです。この執念ともとれる思いの強さが、神様が兄エサウではなく弟ヤコブを選び祝福された理由です。
私たちも、この世のものに対する貪欲は禁物ですが、神様の祝福だけはどれほど貪欲に求めても構いません。むしろ積極的に神様を求める心を、神様は最も喜ばれ、祝福してくださいます。
http://bible.com/81/gen.32.26.ja1955
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創世記 32:28
『その人は言った、「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」。』
人を押し退ける者という意味の名を持つヤコブは、神様のお取り扱いを受けて、神様の祝福の民であるイスラエルという名前に変えられました。私たちもまた、自分を捨てて神様の元に服従するとき、神様の約束の民イスラエルに加えられる幸いに与ることができます。神様にすべてを受け渡したヤコブのように、過去の罪をイエス様の十字架ですべて精算し、主に全く従い、祝福を受け継ぐ神の民となる私たちでありますように。
http://bible.com/81/gen.32.28.ja1955