参議院での「安保法制」=(戦争法)の審議がはじまっている。
安倍首相の答弁に、とりわけ目に付くのが「平和のための法案だ」
というフレーズであり、「徴兵制は憲法に照らしてありえない」と
いう断定口調である。
自民党の森まさ子議員の「子どもを持つおかあさんが心配している」
と質問すると、待ってましたとばかり上記の答弁を行い、「ありが
とうございました」とお礼をいう質問者。なんの裏付けもとらない
出来レース的な質疑であった。
(この人は本当に弁護士なんだろうか、という疑問を持つ?)
一昨年の特定秘密保護法案の担当大臣としての答弁はボロボロであっ
た。国民の人権を守る立場の弁護士として、まったく逆のことを行い
「国家権力」の強化に手をかしてきた人物でもある。弁護士法第1条
に反することを強行したと私は思っている。
聞いていて、これほどの茶番劇はないであろうと思った。
そもそも「集団的自衛権は憲法上認められない」という歴代の内閣で
確定したものを、いとも簡単に投げ捨ててしまった人物が安倍首相だ
からである。
まず信用できない、という到達点にある。そして「言葉が軽い」首相
ということだ。
小泉元首相以来、「ワンフレーズ」政治が広まり、後からどうとでも
言いかえることができる抽象的な文言が多く、「断定」が多用される。
みなさんの職場に「断定」口調の上司はいるのではないか。
最初は頼もしくみえるが、そのうち「嫌われる」上司のナンバー1に
変わっていく。経験していると思う。安倍首相がダブってみえるのは、
私だけではないと思うが?
「平和」、「正義」という言葉は、非常に抽象的な部類に入る。
人類のさまざまな社会性から生まれた言葉だから。
ここで哲学的にみると、抽象性が高いものほど「弁証法的」に考える
ことが必要である。
物事は生成・発展・消滅の運動のなかでとらえ、固定的にみてはなら
ない、というものの見方である。
平和は戦争に転化し、正義は悪に転化する。そのまた逆もある。歴史
上、幾多もある。
太平洋戦争は、戦争遂行者からは「平和」のための戦争であった。し
かし実態は「侵略戦争」であった。
だからこそ「ポツダム宣言」で間違った戦争であることを受け入れた。
安倍首相は「間違った戦争」とは絶対に言わない。
安倍首相の唱える「積極的平和主義」は武力にもとづく「平和」であ
る。自民党の質問は、中国、北朝鮮を名指しで「日本が攻撃されかね
ない」、だから・・・
戦争前夜の声のごとく煽っている。武力と武力の高まりと緊張は、い
つか破れる。一昨日のテロのグラフが例でもある。アメリカの武力行
使が、どれだけ世界を不安定にし、危険な状況をつくり出しているか。
だからこそ、日本共産党の提唱する「北東アジア平和協力構想」が求
めらている。
これが共産党の「対案」である。
「戦争法案」に対案はない。あるのは「廃案」しかない。
日本国憲法を無傷のまま、子どもたちの未来に残すために。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます