9条で国は守れない。
核兵器を持てば攻撃されない。(核共有)
敵基地攻撃を持てば抑止力になる。
防衛予算をGDP2%へ
こんな論調が安倍元首相や維新が叫んでいる。
一部メディアも引っ張られている。
そして、9条や核廃絶を主張している人たちを「平和ボケ」と非難し揶揄している。
何かおかしくないだろうか?
この場合の「おかしい」は「いぶかしい」方だ。
戦争の悲惨さはウクライナの現状を見れば一目瞭然だ。
太平洋戦争を経験している高齢者は、子どものときの記憶が呼び覚まされ、「戦争は絶対ダメ」と泣いている。
先の大戦は世界で6000万人、アジア2000万人、日本は310万人も命が失われ街は焼け野原となった。
アジアでは、今回のロシアのように日本が侵略をしたのだ。
この人類の惨禍は人間が引き起こしたものだ。
どうしたらこのような悲劇を終りにできるのか。
その思いがこめられているのが、国連憲章であり日本国憲法だ。
国連憲章の前文は
「われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳・・・」
日本国憲法前文は
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言」
最高法規として
「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたもの」
いま「力には力を」
「軍事には軍事を」
「核には核を」
の声を上げている勇ましい人たちがいる。
軍事力の拡大の先には何が待っているのか。
まさに想像力の欠如ではないか。
これを「平和ボケ」といわずしてなんという。
軍事力を煽って喜んでいるのは兵器産業であり、「死の商人」たちだ。
日本共産党は昨日、釧路根室管内の二十数カ所で、スタンディングをはじめ、いっせい宣伝を行った。
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