子どものころ、お盆になると仏壇とは別に部屋の隅にふすまを立てて「盆だな」をつくっていた。
そしてお寺に「迎え火」に行き、提灯の火を持って帰る。
子どもにとっては、盆だなに並ぶスイカなどの果物やお菓子が楽しみであった。きゅうりやなすではなく。
今は少なくなってしまったと思うが、精霊流しは風物詩として各地で賑わっている。
故人を想う。それが仏教というかたちをとって行われている。
宗教の習俗化のひとつだ。
そうした行事が過去の戦争へ思いをはせる。
78年前、太平洋戦争の終結。
アジア諸国に猛威をふるった「大日本帝国」、いわゆる「軍事独裁政権」の崩壊の日でもあった。
日本人310万人、アジア諸国で2000万人ともいわれる途方もない人命が失われた。
日本兵の6割は戦闘ではなく「餓死」であった。
私の父は36歳で招集され中国の満州に派兵されたが、戦後無事に帰ってきた。
父の口癖は「うまい話には乗るな」であった。戦争の話はいっさいしなかった。
釧路では何人の人が亡くなったのか。
以前に図書館で戦没者名簿を参照した。釧路管内で3,058人という数字となっている。
1人ひとりがどこで戦死したのか、地名が書かれている。多くが東南アジアだが、激戦の沖縄では約二百名となっている。また、地域が空白になっている方は三百数十名もある。
一人一人の家族に想いをめぐらせば、どれほどの悲しみがあったのであろうか。
米アカデミー賞の「西部戦線異状なし」のなかで、敵兵を殺したあとに胸ポケットから妻と子供の写真が出てきてショックをうけるシーンがある。
戦争は誰が起こすのか。
答えは日本国憲法の前文にある「政府の行為」によってだ。
いま、自公政権はアメリカの従属として、海外の戦争に自衛隊が参加できるように急速に法整備を進めている。
常に「日本を守る」という美辞麗句で。
日本の経済が「安全保障」という言葉で「軍事化」が進んでいる。
軍需企業の「国営化」の話も飛び出ている。
そして今年から来年にむけ、「セキュリティクリアランス法」が大きな焦点になりつつある。
ITをはじめとした先端産業で、セキュリティクリアランスの資格を持たない人、労働者を排除していく。
民間企業を、その労働者を、大学の研究者を、政府の国家の管理のもとに置く。まさに戦前の軍需産業の復活ではないか。
「・・・帝国」を経験した国には、その復活を夢見る政治家がいる。
日本も同じだ。
その流れを止める力は国民であり、民主主義の力であり、日本国憲法だ。
お盆にあたって・・・
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