ぐーたら猫の「パソコン水彩の館」

これまで描いたのは900点余。我ながらよく続いたなぁ!右下にあるブックマークからHPに入ってご覧さいませ。

インド仰天紀行(13)

2006-09-23 16:19:23 | パソコン画
とりあえず、どうしても我慢できないのは、掃除おばさんリナのお仕事ぶり。
(洗面所とトイレを同じ雑巾で拭かれてはねぇ)
「拭き掃除は床だけで結構」と厳命してから1週間…
不自由なServant生活に一筋の光明が見え始めました。

ある日、娘担当のServantのマリが、おずおずと聞いてきたそうです。
「日本でServantの仕事がしたいのだが…」と。
マリは娘の身の回りの世話をする傍ら、部屋にあった日本の雑誌を盗み見たらしい。
(CanCanだかananだか、そんなたぐいの雑誌ね)

そこで初めて日本という国を知り、改めて興味をひかれたらしい。
高層ビル、整備された町並み、華麗なファッション、グルメ…。
それを聞いた時、娘はひらめいた!
この日からマリ大改造計画を始めたそうです。

ハナシは飛びますが…主人と懇意にしているJALインド事務所の方のインド人転手が体の不調を訴えました。
しばらくの間、自分で運転しようかなぁと思う間もなく、
家には次から次へと運転手志望の人がやってきて、門前市を成す盛況。
対応に大わらわとなり、結果、落ち着いて仕事もできないと、ぼやくことしきり。
こういったニュースはインド社会では、あっという間に伝わるんですって。
そのくらい、みんな仕事探しに鵜の目鷹の目なんですね。
インドでは就職先を見つけるのが大変。
大学を出て、タクシー運転手なんて話はざら。
だから多くの大学卒業生が、ツテを求めて、海外へ海外へと働きに出たがるそうです。

そんな国だからこそ、マリも、日本で仕事ができたらなぁと思ったんでしょうけどね。
(うちの娘より、能天気ですね)
娘は、毎日学校から帰ると、部屋にお茶を持ってくるようにとマリに命じました。
(あぁ、こそばゆい表現!)
そこで大家夫婦にマリが怠けていると思われない程度の時間をかけて、毎日、彼女の教育をし始めました。
それは「貴女はこの仕事が好きか?」という質問から初まり、
「今の仕事は気楽だろうが、それは誰にでもできる仕事であって、雇い主の気分が変わったら、すぐ首がすげかえられてしまう、危うい仕事でもある。」という説明へと続いたそうです。

毎日15分程度、日本の話をしてきかせました。
特に家事代行の仕事は時給で800円程度と聞いてマリは腰を抜かしました。
(だって彼女の月給と同じ額をたった1時間でもらえるんだもんね)

「しかし貴女の仕事ぶりを見る限り、優秀な日本人Servantの変わりに働く事は無理である。」
「だからここに私がいる間に、日本人のServantになれるよう、練習したらどうか。」という話へと持って行き、
1週間後には「日本で仕事するのは無理だが、インドで日本人駐在員向けに特別訓練されたServantをめざせ。」という結論へと持っていきました。

「インドにはServantなら掃いて捨てるほどいるが、好みの特殊な日本人駐在員にあわせる事ができるServantはなかなかいない。
そういう仕事ができる特殊なServantになれば、駐在員が帰国する時、
他の駐在員に紹介してもらえるから、今後、仕事に困るという事はなくなる。
きちんと仕事すれば、他の外国人に比べて日本人はやさしいし、ものわかりのいい主人だし、
そこで日本語を覚えれば、それはそれで、また、人生に新しい道も開けてくるというもの。」

…と、まぁ、こんなハナシの展開ね。
でも、これって、マリにしたら天地がひっくり返る様な人生の意識改革だったでしょうよ。
今まで、主人に言われるまま動くのを何の疑いもせず、ひたすら、のんべんだらりと待つだけの人生が唯一当たり前だと思ってきたわけだから。
ことここに至ってやっと、マリは日本人主人(つまり娘ね)が要求しているのが「清潔」「迅速」であるという事を理解し、努力するようになりましたとさ…。
ふーやれやれ…


絵は「卯月孤影」
この頃属していたあるネット水彩教室の9月の課題が「ふるさとを描く」というものなので、
東京生まれの私が想像したふるさと風景です。
ここで描きたかったのは「深更の月光に照らされた雲の輝き」です。
だから天上の月はあえて描きませんでした。描かないでも月の存在が感じられるでしょう?

ちなみに、ここの代表者の先生が
「とてもファンタステックな構図で、しかも作品全体に気品のある光が感じられます。天才的です。」」
とお褒めくださいましたが…?






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする