イタグレブリーダー・ヨーロッパのイタリアングレーハウンド。

ヨーロッパから5頭のIGを輸入しました。出産や老犬のこと。家族として大切に育てています。

がん検診を、まじめに受けていたあの頃。。。

2015年11月14日 | Weblog

私が30代になった頃~今~思いだせばすごく若かったですね でも子供が2人いたから、自分ではおばさんの気分でした。当時は千葉に住んでいました。会社の狭い社宅でしたが・・・周りは小さなお子さんが沢山で、新たに生まれてくる赤ちゃんも居て、子供天国で賑やかでした。毎日子供達を向かいにある空き地で遊ばせて、ママ友も沢山いました。ママ友はいくつかのグループに分かれていました。目立つグループ・・地味なグループ・・色々です。子供が通っている幼稚園によってグループは分かれていました。評判の良い幼稚園・月謝のお安い幼稚園などで、子供達が着ているお洋服にも差がありました。20数年前も⇒今も変わっていません。ママ友の中には必ずボスがいました


そのような子育てで忙しいときに、とても仲の良かった友人・ママ友が胃がんになってしまい2人目の赤ちゃんを産んで半年後に亡くなりました。32歳という若さでした。最初に胃の調子が悪くなったときは2人目の子をお腹に宿していたので、これって、つわりかな?と思ってガンにむしばまれていることに気がつかなかったのです。私にいつも、今回はつわりが長いわ(>_

ってぼやいていました。しかしそれはつわりではなく、ガンが早い速度で進行していたのです。無事に赤ちゃんを出産したあとに、初めて他の科で診察を受け、胃ガンが発見されました。発見された時点では、体中に転移していて、どうしようもなかったそうです。

彼女のお葬式で私はご両親から、あなたは一番仲が良くてN子は、あなたに感謝していますよ。ぜひ弔辞を読んでください~と頼まれ、私は涙をボロボロと流しながらお別れの言葉を述べました。そして何よりも涙を誘ったのは彼女の長男君、まだ3歳だったJちゃんが、棺の中の彼女のほっぺたをポンポンとなぜながら⇒ママ、起きて どうしてこんなところで寝てるの?と悲しそうなお顔をするのです。このようすには、本当にたまりませんよ。亡くなった彼女も、こんな小さな可愛い子を残して無念だったでしょう  


のちにN子さんの旦那さんは再婚されて、Jちゃんと生まれていた女の子の新しいお母さんができたと聞きました。


このような大きなできごとがあった後・・・私は体調が悪くなって全身がだるいし~胃の調子も良くなかったので⇒スワ⇒私も胃ガンなの?N子さん~私を連れて行かないでよ!私はまだ死にたくないのよ!私には、育てなくてはならない子供達が居るのよN子さんの遺影に向かっていつも祈っていました。そしたらその体調不良は、ただの夏バテでした。。思い込みってすごいね。


そんなことがあってから、私は30代の若さでしたが、毎年のように乳がん検診・子宮がん検診・胃がん検診を受けるようになりました。最近芸能人の方々が、自分はガンであることを告白されています。そのほうが仕事をセーブして治療に専念できます。大切な家族がいれば、誰だって死にたくはないです。女性の方々は子供が居れば、この子が成人になって一人で生活できるまで、自分は死ぬことはできない と考えます。私もそうでした。子供が小さいうちはぜったいに死ねない!とつよく強く思いました。


こんなに可愛い子供ですよ ↓ 20年以上前の私たちです。



北海道に引っ越してきた頃です。スキー旅行に行きました。洞爺湖のホテルに泊まりました。



ピアノの発表会です。可愛いボクちゃんです。挨拶しています。ボクちゃんはピアノが嫌いで、ただ習っていただけ。なんの身にもなっていません(>_



長女ちゃんです。この子はちょっとは上達して、合唱コンクールではクラスの伴奏をしていました。


これも、別の発表会です。管理人、若いでしょう。



この頃は管理人は、私が死んだら子供達はどうなるの。路頭に迷わせるワケにはいかない!とガン検診をまじめに受けていました。


そして子供達が成人して、私の手を借りなくなくても十分に生きていける となったくらいから・・・おさぼりしています。検診に行かなくなりました。母親はやはり子供のことを一番に考えます。主人の存在も大きいですが、主人は大人ですから自分で生きていけるもの。。。主婦って、ほっ!としてある種の緊張がとけると、自分だけならまだいいや~と思ってしまうものです。


 子供達が家に居る頃から、シュナウザーやヨーキーを飼ってました。当時は子供優先でしたので、繁殖は家庭に支障がない程度でボチボチ行っていました。


上の子が東京の大学へ行き巣立って行った後、イタリアングレーハウンドの存在を知りはまりました。。その後ヨーロッパのIGを知ってからは虜になってしまいました。10数年前に体調が思わしくなくて病院にかかり、貧血などの治療をしていました。その当時は主人は東京で単身赴任をしており、子供達は東京で大学生です。つまり、私はこの家にたった一人で住んでいました。更年期も訪れました。つらい時期が続きました。特に初代のシュナウザー・ディジーを亡くした時、その子の苦しむ最期の姿が頭から離れずに、精神的に崩れてしまいました。いわゆるウツになりました。更年期と重なり、高年期ウツでした。一人っきりでした。辛かったです。自分の意思とは関係なくホルモンのバランスが崩れているのですから、苦しかったです。食べ物がのどを通らないのですから。。。朝起きたときに⇒ああ~今日もイヤな一日が始まるとイヤ~な気分になって身体が動かなかったです。


そんなときに、自分の支えになったのは、子供の存在でした。私がしっかりしないと子供達はどうなるの?大人になったといえど、古里は恋しいはず。札幌にたまに帰って来るのを楽しみにしているはず。そう心の中で叫びながら、ヨタヨタしながら自分で運転して病院へ行き、頑張りましたよ。お母さんはいつも明るく、家族を太陽のように照らす存在でなくてはいけません。そして~一人暮らしでも、犬たちの存在が私にパワーをくれました。ディジーを亡くしてメソメソしていたとき・・・天の声が聞こえました。貴方の犬はディジーだけじゃないのよ。ほかにも貴方の存在を頼りにしているワンたちがいるでしょう。ワン達は一日中、あなたの様子を見ているよ。貴方が悲しんでいることも、喜んでいることも全部伝わっているのです。これではいけない!と自分で気がついてから。私の中の邪気が抜けました。とりついていたモノが、スーッと抜けていくのが分かりました。私の母はとても厳しい人でした。風邪を引いたりお腹が痛いというと⇒病は気からです。貴方の精神が弱いからですと。看病もしてくれない人でした。ひどいよ~冷たいよ~と思っていましたが、ある程度は、あてはまるかもしれませんね。


 それ以降は、ずっと元気な管理人です。風邪も引いたことないですね。


そして、お笑いのネタ。 ↓ 写真です。先月に福岡に行ったときの写真。上の写真の時から長い月日が流れ~娘は結婚し、マゴをプレゼントしてくれました。


ファミリーで楽しく夕飯を済ませ、ホテルに戻ったあと、この施設には小さい子が遊べるキッズコーナーがあります。土足厳禁で素足です。私ったらビールを 沢山飲んでいてほろ酔いです。靴下まで脱いでいました。よく覚えてないけどね(^_-)



ボールのお風呂(?)に入ってマゴちゃんと一緒に遊んでいました。


 



 ボール投げをしたり、滑り台を滑って遊びました。


しかし~こんな姿を娘が撮っていたなんて知らなかったのよ。あとから写真が送られてきてビックリするやら、赤面でした。でもほのぼのとした写真なので載せました。。たくさん遊び、滑り台を何度もすべった私です。貸し切りだったからからですよ。他にお客さんがいたら、恥ずかしくてしませんよ。いや~叱られますね。この後またのどが渇いてきて、娘の旦那さんとレストランでビールを飲んじゃった。生ビールって美味しいよね。缶ビールとは比べものにならないです。私の周りにはお酒が強い人がいないので、彼は唯一の、飲み友達よ


あ~た。もう若くないんだから、あの頃の初心に戻って検診を受けなさいよ!はい!そうします 


今日も読んでくださり、ありがとうございました。ワンクリックよろしくね。

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