私のブログを古くからご覧くださっている方々は記憶にあると思います。今日は、巣立って行ったVOLA君のお話です。
22年前に犬舎を立ち上げて・・・その頃はシュナウザーとヨーキーを飼い始め、先輩方に助言をもらいながらブリーダーの勉強をさせていただき、繁殖をしていました。最初のシュナちゃんもヨーキーちゃんも、お産も子犬育ても上手で安産だったので、私は有頂天になっていました。帝王切開の経験もなく、すべて私が産婆さんとなり無事に取り上げてきました。あとから考えると・・それは良いお母さん犬に恵まれたために運が良かったからでした。私の力ではなかったのです。
その5年後くらいにイタリアングレーハウンドにはまりIGを本州から迎えました。イタグレの繁殖を始めてから、最初の頃はヒヤヒヤとする出産を経験しました。思考錯誤の中、私はお産に向いている子とそうでない子がいることを、身をもって経験しました。
お産に向いていない子に出産をさせることは、その犬にとってはストレスに値します。ですのでママ犬の様子を見て,向いていない子からの出産はしないことにしました。それでシルビィからの血液は途絶えました。お産が安産で子育てが上手なママ犬は、楽しそうに育ててくれます。よく食べてお乳もたわわに出ます。イノセントでは過去に育てた子犬の99%が母乳で育ちました。では・・・残りの1%は・・・人工ほ乳で育てたのは VOLA君だけでした。
シルビィのあとは、安心して産んでくれる子にしか出産を望まなかったので、10年間ほどは安産続きでした。またまた有頂天になっていたこの頃・・・2年前です。神様がカツを入れたのだと思います。すごい試練が訪れました。
病院の先生から、松村さん~貴方はお産に関しては詳しいから、病院に来るときは帝王切開と判断したときだけでいいよ~と冗談で言われていたこの頃でした。2年前、私のミスでママ犬を太らせてしまったために、ママのモナちゃんのいきみが弱くて、なかなか強い陣痛がきませんでした。一匹目の子の頭が見え隠れしたので、いつもの経験から私が引っ張って~無事に産まれました。 それがこの子 VOLA君でした。 ↓VOLA君は産まれてすぐにおっぱいを探し当てて上手に吸いました。大切なママ犬の初乳をたっぷりと飲んだので安心しました。本能はすごいですよ。。。
しかしこのあと・・・悲しい事が起こりました。強いいきみがこないまま・・延々と時間は過ぎ・・翌日となりました。夜中になってもママ犬はおおとなしく寝たままで 表情を変えませんでした。本当は苦しかったのかもしれないけれど、モナママはとてもガマン強い子です。
あとから考えると、モナがガマン強い出来ごとがありました。それは、ショーの開催場所で、下に砂利が敷かれていた開催地でした。とんがった石なので小型犬の肉球に刺さって痛いのです。当日はチワワやヨーキーやダックスなどのわんちゃん達が、本番で歩くのが痛くて立ち止まる犬が続出しました大型犬は比較的平気でした。肉球の厚さが違います。
しかしモナは痛がるそぶりも見せずに普通に歩いていました。私がステイのポーズを取るためにしゃがんで膝を地面に着くと~痛い痛い(>_
ストッキングはすぐに破れて、膝からは何カ所も血が流れてきました。人間は靴を履いているから分からなかったのですが~この砂利が犬たちの肉球を傷つけていたのです。他のハンドラー達も、こんな砂利道は歩かせられない!と怒りをあらわにしていました。私も、今後この会場でショーが行われるなら、二度と出さないわ!と決めていました。その後、主催者も反省したようで、その会場でショーが行われることはなかったです。
話が横道にズレましたが、そのようなガマン強いモナちゃんです。モナの陣痛を待ちながら、時に部屋の中を歩かせたりお腹をさすったりしながら長い時間が経ちました.朝方にやっと胎児が降りてきました。しかし陣痛は弱くて自力では出てくることが出来ませんでした。何かトラブルがあり、胎内で亡くなっていました。胎児が生きていれば自分で出ようとする力が働くので、もっとスムーズなのですが・・・亡くなっていると直感しましたので、私がタイミングよく引っ張って出しました。第二子も男の子でした。綺麗な男の子でした。亡くなった直後ではなく、時間が経っていました。胎児の硬直の状態で分かります。モナちゃん、頑張ってくれたのに、助けてあげることが出来なくてごめんね
夜中のうちに病院へ連れて行っておけば、この子は助かっただろうと思いました。私の判断が悪かったのです。モナちゃんはお母さんに心配かけないようにと、苦しいそぶりを見せなかったんだね。ごめんね。気がついてあげられなくて。。。一晩ガマンしたことが、とても身体の負担になりました。モナは出産が終わったあともぐったりしていました。体中に毒素が回ってしまい、立ち上がるにもよろけていました。すぐに病院へ行き手当てしてもらいました。先生からは、このお母さん犬はとても衰弱しているので子犬からは隔離してください。子犬は人工ほ乳で、貴方がお世話してください。そうしないとママ犬はいつまで経っても身体が元に戻りませんよ。と言われました。確かにその通りでした。
それから私がVOLA君を人工ほ乳で育てました。24時間~3時間おきにほ乳し~排便をさせました。子犬は離乳食が始まる頃までは、自力ではオシッコ&ウンチを出すことができませんから。
こんなに可愛くキレイに産まれたVOLA君。ママと離れて育つことになってごめんね。
最初は注射器から一滴ずつのほ乳でした。数日すると、ほ乳の乳首から上手に飲めるようになりました。
兄弟をつくってあげれなくてごめんね。ママの腕の中で寝させてあげられなくてごめんね。VOLA君の様子に毎日毎日、一喜一憂の管理人でした。生後一週間ほど経ったころから、この子の生命力の強さを確認しました。管理人がミルクよ~と言うと喜んで、待ってました!と飲み干してくれました。丈夫に育つだろう!と確信しましたが~オーナーさまには離乳食が始まるまでは、まだ安心とは言えません、とお伝えしました。
ここでママ・モナリザの事を書きます。
イノセントの子はみんな、どの子も自信をもって紹介できます←ブリバカ許してね だって自分の子を好きでなかったら、お客様から子犬の代金をいただくなんてできないと思いますよ。お客様に失礼だと考えています。
モナママは、うちで産まれた子です。お父さんは、ポーランドCH・ロナルド君です。私が輸入した初代の男の子。ロナルドは、骨量があり歩様のきれいな子です。ロナルドはイノセントの子の骨格をしっかりとした骨太にしてくれました。何度も書いていますが、イノセントの子は骨折したことがありません。
うちの女の子の中でもエレガントそのものです。目がパッチリ。アーモンドの目です。
モナ2歳の時の写真です。このお顔のライン、VOLA君に似てますね。
モナは私のハンドリングでJKC・CHを完成しました。あるプロハンの方がモナのお顔つき&ライン&歩様を気に入ってくださり、引きたいです~といってくださいましたが、私は愛犬と共に楽しむことが一番の目的なので、オナハンで頑張りました。
北海道でのショーで3枚のカードを獲ったあと~初めての東京遠征ビックサイトにてウィナーズを獲得、メジャー・カードをいただきました(その時点でCH完成です) その後CHさま達と並ばせていただいて、なんとAOM(BOBに次ぐ2番です)を戴きました。応援に来てくださっていたファミリーさんから⇒鳥肌が立ちましたよ!とのお言葉をいただきました。
このような素晴らしいママから産まれたVOLA君です。
人工ほ乳のあと離乳食もスムーズに食べてくれて、生後50日でこんな姿に ↓
ハンサムですね~
一人っ子だったけどイノセントの仲間に鍛えられたから.社会性も沢山学んだよ。こちらは2か月ころの写真。3月末ですが、まだ雪が残っているね。
こちらは名義変更のために巣立つ数日前に撮った写真です。JKC会員カードにこの写真が印刷されます。
VOLAくんは通常の子犬たちよりも長くお預かりしました。イノセントに3ヶ月近くいました。その間、他のワン達と沢山の経験をしました。今回写真を整理すると~今は亡きシルビイとの写真なども沢山残されています。私がブログを書くと長くなりますので省略です。これでも十分長いよね(笑)
そしていよいよ巣立って行く日がやってきました。2014年。4月19日です。空港までの車の中です ↓
管理人さん~ボクはどこかへ行くのでしゅか? はい!楽しいところに行くのですよ。安心してね。
空港に着き、いよいよお別れの時が来ました。
VOLA君、ここまで立派に成長してくれて&大切な経験をさせてくれてありがとうね。VOLA君との経験を勉強させてもらったので、これから先も生かしていきます。ありがとうね。感謝の気持ちしかありません。そして~オーナーさまとなってくださるVOLA家の皆様からのお言葉・・・産まれてから早い段階から戴きました。もしVOLA君に何か生きていくうえでの障害が現れたとしても、私達はそれらをきちんと受け止めてこの子をお迎えします。ご縁がある子だと考えました。一生大切にします。家族で話し合って決めました。 と感動のお気持ちを戴きました。もし障害が出ればうちに残しますが・・・VOLA君はすこぶる健康に育ってくれました。素晴らしい生命力を持った子でした。
VOLAパパさんは、その後成長の様子をブログでつづってくださいました。
VOLA君のブログはこちらです⇒ http://ameblo.jp/beehead/ 飛べ VOLA です。
あれから2年の月日が経って、サプライズがありました。続く・・・。
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