今日はワンネタではありません。私は、歌手の方々のコンサートやミュージカルの鑑賞を、時々楽しんでいます。
最近、ジュリーこと沢田研二さんのドタキャンの話題が流れていましたので、久しぶりに彼のコンサートの動画をユーチューブにて拝見しました。というのも、私は子供のころから20歳くらいまでは、沢田研二さんの大ファンでした。きっかけは私のいとこが(2歳上の、おませなお姉さんでした)すごいカッコいい人が現れたよ!とテレビで歌っているジュリーを指さしたのです。その姿は、まさしく星の王子さまでした シーサイドバウンドを歌いながら踊るその姿は、この世の人間とは思えない美しさで~私は好きになってしまいました 当時は小学生だった私ですが、男性を好きになるという感情を初めて経験しました。といっても、恋愛の対象ではなく、雲の上の存在~尊い神さまのようでした。
そして中学生の時、近くの会場でタイガースのコンサートがあると分かり、母に頼んで、行かせてもらいました。私はその時、前座のバンド(誰か忘れた?)が出てきただけで⇒鼻血ブー でした。今では死語となっている鼻血ブーですが、本当に、前座が出てきた時点で鼻血が出てきたのです。それくらい、当時の中学生にとっては刺激的でした。他のファンも、タイガースが出てきたと思って⇒ キャーキャー騒いでいました。実は名もないバンドでしたけど そして待たされたあと、ジュリーが登場 ↓
著作権の関係もありますが、この写真はファンクラブの写真なので使用しても大丈夫でしょう。そうです 私はすぐにファンクラブに入会しました。毎月、渡辺プロのファンクラブ会誌・YOUNNG が送られてきました。その当時はナベプロと言えば、芸能界ではドン の存在です。人気のある有名タレントやドリフターズなどのお笑いやスクールメイツ、小柳&天地&南さんの三人娘やアグネスチャンなどのそうそうたるタレントを有する独占企業でした。YOUNNGには、当時の人気歌手の情報が満載でした。
それから私はお小遣いを貯めて、何度もタイガースのコンサートに行きました。
数日前のジュリーのドタキャンで、色々と意見が分かれているようです。しかしジュリーをよく知っている往年のファンの方々は・・・あぁ~相変わらずやってるね。彼ならありうるのよね。と驚くことはないと思います。
ジュリーは若い頃から気難しいところがあって、自分が気に入らない行動をファンが起こすと、ステージからそのファンに対して⇒怒っていました 私はその現場を、何度も見てきました。例えば、歌っているときにキャーとファンが叫ぶと⇒ のべつまくなしキャーキャー言ってないで⇒静かに聞けよ と怒鳴っていました。それでもキャーという人がいると、歌うのをやめたりします。そして機嫌の悪い顔をして・・進行しなくなります。そのようなときに、空気の読めないファンが ⇒早く歌って!というと・・・オマエ⇒ 帰れ と怒鳴ります。
そのようなことが日常茶飯事で当たり前だったので、ファンはすっかり慣らされて・・飼い犬のように・・ジュリーが気に入るような観客の態度になっていきました ジュリーのファンはマナーがいいです。私はその当時は子供だったので、気難しい人だな。大人ってこうなのかな など引いてしまう部分はありました。でもタイガースのメンバー、バンドの一人一人も好きでした。それから4年後くらいで、タイガースは解散しました。活動期間は短かったですね。ジュリーはその後、PYG・ピッグというバンドに参加しました。そのバンドは、テンプターズの萩原健一さん・スパイダースの井上孝之さんら・とのセッションで話題になりましたが、歌はあまりヒットせずに、すぐに消滅しました
PYGの代表的な歌は 花・太陽・雨 です。 私はLPレコードを買い、PYGのコンサートにも行きました。しかしそのコンサートは、驚くほどガラガラでした。大きな会場でしたが、前列の3~4列目までしかお客さんが入っておらず、本当に可哀想 でした。全体の一割も居なかったです。しかも端の席は埋まっておらず、みんな真ん中の席に移動して、自由に見ていました。このようになったのは、イベンターが悪いですね。事前に、ちっとも宣伝していなかったですから。ファンの方々は、PYGがこの会場でコンサートを行うことを知らなかった人ばかりでした。あとから聞いて~えっ!来てたの~行きたかったのに との声が多かったです。ガラガラの席を見て、最初は驚き ショックを隠せない様子のジュリーたちでした。でも最後まで明るく演奏し、歌ってくれました。PYGは、ローリングストーン・ディープパープル・クリーデンス・クリアウォーター・グランドファンクなどの海外のコピー多かったです。ロックバンドでした。私も影響を受け、これらのLPを購入して聞いていました。特にディープパープルが好きでした。
このころのジュリーも、妖艶で美しかったです。
そのPYGか解散したあとです。沢田研二さんはソロで歌うようになりました。ソロなってからは大ブレークでした。それ以降は、歌も容姿もタイガース時代よりもさらにパワーアップして、沢山のヒット曲を飛ばしました。危険な二人 時の過ぎゆくままに 勝手にしやがれ などでレコード大賞や歌謡大賞を何度も獲得し、押しも押されぬ大スターとなりました 今となっては時代が違いますが、当時は、手に届かない~遠い存在~格が違うような、雲の上の人のようでした。
そして彼は、人気絶頂の27歳の時に、7歳年上の女性と結婚しました。お相手の方も、当時大スターでした。その方との噂はずっと流れていましたが、ファンにとってはショックでしたよね。結婚した際ジュリーは、ファンクラブの会員だけを比叡山でのショーに招待してくれました。全国から三万人のファンが招待されました。結婚相手の女性をステージ上でお披露目しました。数曲歌ったあとに⇒ ボクの妻です と紹介してくれました。その女性は、ステージで紹介されて泣いていました。質素な花嫁衣装でした。
彼女も大スターだったのですが、とても控えめな人で、ジュリーの邪魔にならないようにと 引退して陰で支えていきました。 私ですか~ もちろん行きましたよ。京都までね。夏の暑い時期で、比叡山には何もなくて、今でいう、熱中症になった方々が多かったです。全国からファンクラブの人たちが集まりました。三万人が比叡山に集まったのです。その時の京都近辺は、あらゆるホテルが満杯だったそうです。私は東京からかけつけ、新幹線で日帰りで帰りました。
京都では、クラブの役員から~バスで先導され~終わったらバスで駅まで戻ったような記憶です。とにかく大移動の列で並んでいて、同行した友人たちともはぐれてしまいました。携帯のない時代です。はぐれたら、会えませんでした。
あたらめてユーチューブで検索したら その 比叡山コンサートが出てきました。43年前ですよ。私の青春時代でもありました。なつかしい。
しかし、ジュリーはその女性とはやがて離婚しました。原因は、今の奥様である女優さんとの不倫であったと言われています。当時は連日ワイドショーが取り上げて、大騒ぎでした。そのことがきっかけて、ファンクラブが解散したのかな・・さすがに熱心なファンも愛想をつかして・・消滅したそうです。私は、彼がソロになって派手なパフォーマンスで売り出してからは、興ざめしていました。タイガース時代の、美しいメロディが好きでした。ずいぶん前から冷めていたので、ファンクラブも、とうにやめていました。
それから私も結婚し、子育てで忙しくて余裕がなくなりました。のちに私たち家族が札幌に引越したころは、多分ジュリーはヒット曲もなく、彼の中ではどん底の時代が続いていたと思います。札幌に来て間もなく、たまたまジュリーのコンサートが行われることを知った私は・・昔・・好きだった歌手なので・・見に行こう と久しぶりに行きました。当時は厚生年金会館と呼ばれていたホールです。
3000名ほどの容量のあるホールです。しかし=2階には観客はおらず、1階も7割くらいの少ない観客数でした。売れていた頃の彼とは違い、それなりに落ち着いていました。明るく歌い、機嫌は良くて、今度は東京のコンサートまで来てねと言ってバイバイ していました。。私は内心・・往年の大スターでも、こんなに空席があるんだ。と悲しくなりました。一番良かった時代を知っていて、観客に怒鳴っていたジュリーを見てきただけにね。こんなになるのねと。。。
それからさらに時が経ち、最後に彼のコンサートを見たのは、今から7~8年前でした。新聞に、チケットをご招待します~と書かれていたので応募したらペア券が当たりました。その時も、会場も前回と同じ厚生年金会館でした。その時は、1階席はもちろんのこと、2階席も満員でした。2階席は座ることができなくて、立ち見の方がいらっしゃいました。招待者は2階です。私も2階席でしたが、席・番号はありました。
私は考えました。前回はガラガラだった同じ会場です。その時から特にヒット曲や話題作りはありませんでした。なのに大盛況で、この立見席は・・イベンターの配慮ですよ。チケットが売れないままガラガラの席が目立ってしまうよりは、招待券として、たとえ無料でお配りしてもかまわない。そのほうが、歌手もお客さんも楽しくやれるということ 満員の中で、ジュリーはいつもより楽しそうに歌や踊りを披露してくれました。すでに現在のようにお太りになっていて、昔の面影は有りませんでした。そのことをご本人はジョークにされて⇒ なにやっても、ちっとも痩せないのよ と笑いを取っていました。
そのお姿は、若き日の王子様とは、同じ人とは思えないくらいお変わりになっていらっしゃいましたが・・・歌や踊りはますます磨きをかけられていました 特に歌は、大きく声が通って若々しくて、以前よりも上手になっていました。
今回のドタキャンの報を聞き、イベンターがもっと機転を利かせて事前にフォローしていれば・・・このようなことにはならなかったと思います。私は過去に何度も、ガラガラの席でも歌ってきた沢田研二さんを見ています。表には出ていませんが、お客の動員数の問題だけではなかったような気がします。呼ぶ側・受ける側、お互いの心ですよね。70歳で現役の沢田研二さん。私ももう一度、生きているうちに、ぜひライブを見せていただきたいと思いました。
今日もご覧下さり、ありがとうございました。
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