イタグレブリーダー・ヨーロッパのイタリアングレーハウンド。

ヨーロッパから5頭のIGを輸入しました。出産や老犬のこと。家族として大切に育てています。

イノセントっ子同士~ご対面。

2018年09月27日 | Weblog

わたくし、先週末の連休は、北海道では最後となるショーに参加しておりました。忙しくて、ブログはしばらく更新できませんでした。無事に最後のイベントが終わり~その後,溜まっていたことがらも終了しました。これからは、できるだけブログを更新していきたいと思っています。ショーのことは、まだ写真の整理がついていないので、今日は巣立った子・ファミリーさんからいただいた写真を紹介させていただきます。

我が家から巣立ったリズちゃんとテオドーラちゃんのご家族は九州にお住いです。そして今年巣立っていった そてつ君も九州へ行きました。九州は7県ありますが、このお二方のご家族は、同じ県にお住いです。

それで、同じイノセントの出身ということで、連絡を取り合い 交流の時間をつくってくださいました。ありがとうございます。

とある公園で待ち合わせされました。

こんにちわ。クンクン・・始めまして。

そてつ君は、パピー教室に参加したことがあります。その時は他のワンちゃんとは、触れ合ったり遊んだりできなかったそうですが・・・この日は、あいさつもできて~その後テオちゃんに興味を示し、マウントまでしたそうですよ。オーナ様も驚いていました。嬉しい驚きですよ

お互いに興味を持ってくれたみたいね。うん、同じ血の匂いがする

キミたち美人姉妹だね あなたもまだ5か月なのに・・すでにイケメンね

オーナー様同士で、お互いに褒めあってくださいました。そてつ君のことを、キレイなカラーで毛並みがピカピカのイケメン君で将来が楽しみだと リズちゃんは天海祐希ふう。テオちゃんはオードリーヘップバーンふうの美人だと。わたくし~ブリバカ冥利につきますよ。ありがとうございます。

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普通の日々。いつもの光景。

2018年09月19日 | Weblog

今年の北海道は、めずらしく秋が来ている。例年ですと、夏が終わるといきなり冬がきたように寒くなることが多い北海道なんだけど・・・ここのところ秋晴れが続いていて~とてもほっこりとして 気持ちがいい季節です。

ボクは、2か月になりました。体重は2kgです。お部屋の中で好きな場所を見つけたの。

ボクの名前は アーサーです。ヨーロッパの王様の名前 円卓の騎士 というサブタイトルで、人気ゲームがあったね。英雄だそうです。管理人は・・ああっ・・ここから来ていたタイトルか・・と今さらながら知りました。ステキな名前ですね。

ボクは、部屋の中に気にいった場所があって、いつもそこで ひなたぼっこ してたの。床の上で寝てたの。そしたら、管理人さんが気を利かせてマットを敷いてくれた。

だからボク、いつもここにおもちゃをもってきて・・ゴロゴロしてるの。

そしたら、他のワンたちもこの場所に興味をもって・・・

ここ、ボクのテリトリーですけど。。。

まあ、そういわずに、私にもくつろがせてよ。あっ、はいいいですよ。

あのお姉さん、あっちに行ったよ!ボクちゃんぬくぬく~ 気持ちいいな。お日様がサンサンで暖かいの。

ボクがちょっといない間に・・・今度は、おばあちゃまが座ってる。ここの場所も窓際でポカポカ なの。 いいよ。おばあちゃま、くつろいでね。このおばあちゃん⇒強いです。普通に食べていても痩せています。目は白内障で視力も落ち、感覚だけで生活しています。そんなお年寄り風でも・・誰にも負けていません いつもオペラに喧嘩を売ります。オペラはガマンしているけど・・プチっ!と切れたとき、喧嘩になります。それなのに負けていません。恐るべし 強いおんな 食欲も旺盛です。食べる子は強いです。

また誰もいなくなり~ボクはおもちゃをカミカミで一人遊びです。管理人は、アーサーー君の姿が見えなくなると、ここを覗きます。すると楽しそうにしているので、安心・・安心です

ワンは、好きな場所が一番落ち着きます。この場所は暖かく静かです。成犬たちが居る出窓から少し離れていて、場所を横取りされないので、格好のくつろぎタイムを過ごしています。アーサー君は穏やかな性格です。可愛いです。微笑ましいです。

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ご心配くださったお言葉と共に~ご報告もいただきました。

2018年09月16日 | Weblog

北海道の地震から10日経ちました。今では通常の生活に戻っています。と思っていたら・・・表向きだけの場合もありました。今日は少し遠くのショッピングタウンへ行きました。それは、液状化現象で道路に地割れが起こったり陥没した、K区の近くの場所です。その途中に 羊ケ丘道路を通りました。そしたら・・ビックリしました 羊ヶ丘展望台にそっている道路に、大きな木を伐採した丸太が、ずら~っと並べてありました。観光地で有名な羊ヶ丘展望台です。北大の創始者・クラーク博士の銅像があります。少年よ大志をいだけ ボーイズ・ビ・アンビシャス で有名なクラーク博士です。

何っこれ 木が大きすぎるくらいに成長したので、間引きで伐採したのか?とよくよく見ると・・・展望台に沿って張っていたフェンスが見事になぎ倒されて壊れていました。ものすごく大きな木。当たれば即死するくらいの大木です。恐ろしい光景は300mくらいは続いていました。大きな木が地震で倒れてしまい、それに沿っていたフェンスが倒れてしまい、ぐちゃぐちゃに壊れていたのです。我が家からは車で20分ほどの場所ですよ。道路を隔てたそこの周りは、住宅街で民家が立ち並んでいます。前面に4車線の大きな道路があるので、住宅街までは大木は倒れてこなかったようですが・・住んでいる方々は怖かったでしょうね おそらく、メキメキメキメキ・・ドドド・・ と大音響がしたことでしょう。K区の周りには、このような被害の場所がまだ多くあるのかもしれないと・・・ 自然の恐ろしさ猛威を改めて感じました。

さて、地震の当日から沢山の方々が心配してくださり、メールやお電話をいただきました。自然の災害は、とても怖くて不便な生活も経験しましたが、同時に、暖かい心もいただきました。昨日も高校時代の同級生から=大丈夫と思ってたけど、そろそろ落ち着いたかな?と思って、あえて遅くに電話したのよ(*^^*)と言ってくれました。Tちゃんらしくて笑いました。

若いかたは高校の同級生時は、つい最近のことでしょうけれど、私のような年齢ですと、はるか昔の・・・ 多分会っても・・誰だっけ?とすぐには分からないくらいの・・昔の人なんですよ。ほかの同級生や大学の友人からも電話があり、これを機に、元気なうちに会いましょうね という話まで盛り上がりました。高校・大学の同級生で北海道に住んでいるのは私だけです。だからなおさら、ブンちゃんは北海道に行ってるから と気にかけてくれたのです。私のあだ名はブンちゃんでした。文子の名前からブンと呼ばれていました。なつかしいなぁ~

そして、イノセントのファミリーの方々も気にかけてくださって、たくさんのメールやお電話をいただきました。皆さん同じことを書いていらっしゃいました。大変な時でしょうから、返信はしなくて結構ですと。本当に、みんなありがとう いじらしいです 嬉しかったです

実は私は、繁殖をするには身体がきつくて、もう・・そろそろだな と思うこともあるのです。それは体力面だけではないです。一年間に生まれてくれる子犬の数も少ないです。かかっ ている経費を引くと、私の年収は、20年来・・50万に届かない。ウソみたいでしょうでもね、一匹飼っている方の10倍以上の経費が(ショーにもお金がかかります)かかっていると換算すると分かりますよね。 忙しいのに・・貧乏ヒマなしです。ワンたちの、チーや激しいバトルの爪痕や歴代の子犬たちのカミカミで、家具もフローリングもボロボロです。リフォームしたくても、ブリーダをやっているうちはイタチごっこですから、主人が賛成しません。

一階ではペットショップを、私が一人でキリモミしている状態。私が忙しすぎるので、娘の家族も、たまに帰省しても我が家には泊まらずに、ホテルに泊まるほどです。彼らの本音としては、ワンたちがウルサクて、自宅ではゆっくりとくつろげないことと、ホテル付きのパック旅行のほうがお安いからです 主人も同じです。一階に来るとワンワンと吠えられ、ソファに座るとワチャワチャ・・ポンポン と膝によってきてペロペロ攻撃です。テレビもゆっくりと見れなくなるので、すぐに2階に退散していきます。

何件かの、ドッグフードやグッツの業者から契約を頼まれました。フードのサンプルなどが送られてきます。けっこう、しつこいです(@_@;) その業者と契約すれば、そこそこのお小遣いが入ってきます。うちの子を迎えてくださった方に、そのメーカーのフードを売るというシステムです。でも、それは致しません。オーナー様たちには説明しております。うちでは〇〇を食べさせていましたが、この先・・他のフードに切り替えることは、貴女の自由ですよと。私も、これ以上忙しくなることはしません。犬グッツで手数料稼ぎをするヒマもないです。自分の好きなIGを創り、その子と一緒にショーに出て評価していただくことが、晩年の私の楽しみとなっています。私は、自分の好きなタイプのIGを繁殖するのみです。

生きているだけでもありがたいとしみじみ思う。幸い、身体も健康で、自分の力だけで歩けるし動いていける。こんなに恵まれているのだから、この仕事ができることを、ありがたいと思わなくてはいけない と改めて思いました。

そして、ご心配の声と共にいただいた写真です ↓

エレンちゃんと雷次君です。いつもステキですね。

キレイな写真です。楽しそう 

こちらはゆずちゃんです。先月に亡くなった、おばあちゃん犬の娘さんです。名前は伏せていたのに、ママが亡くなったことにお悔やみをいただきました。分かる方は分かるのですね。ジ~ン の私でした。ゆずちゃん、8歳か? 9歳ですよね。パパはすでに亡くなっているロナルド君。ゆずちゃんはロナパパと同じように前足を組むそうです。似ている。ロナを思い出して、ちょっとホロッ としました。長い年月が経っても、いつも忘れないで気にかけてくれてありがとうございます。ゆずちゃん、イタグレ(?)の置き物に負けていない美しさです。ありがとうございました。ゆずママさん、今でも年賀状をありがとうございます。

こちらは、前回載せるのを忘れた、ウィリー君です。カッコいいね。

今回のことで、普通に 電気 ガス 水道 が使えて、スーパーには当たり前のように何でもあること。コンビニでは、すぐに食べれるものが買えていたこと。ガソリンはすぐに給油できていたこと。車を当たり前のように運転して、足代わりに使っていたことなど(今回は信号が点いていなくて、みんなゆっくりと譲り合いながらの運転でした)

それらが当たり前ではないことを経験しました。生かしてもらっていることに感謝の気持ちを持たなくてはいけないと。スーパやコンビニでは、すぐに食べるのであれば、賞味期限の古いものを買うようにして、生産者や物流の方々の努力を無駄にしないように。使っていない電気はすぐに消すなど、省エネ・エコに心がけようと思います。

賞味期限が過ぎた牛乳は廃棄されるそうです。それに伴い、廃棄時にお風呂の水・・何倍ものお水を同時に流すそうです。そうしないと環境汚染となり認められないそうです。今回は10日経った本日でも、牛乳・ヨーグルトなどは、早い時間に売り切れていて棚にはありませんでした。

飽和状態では捨てられていた牛乳が、困ったときには争奪状態です。一人2本までと表示されています。何本も買っている人がいて、レジで注意され戻していました。これをきっかけに、賞味期限は、おいしく食べられる期限であることを認識してほしいです 1日~2日過ぎたくらいなら、食べても死にはしないよ! 私もこのことを頭に入れて、新品から選ぶのではなく、商品が無駄にならないように選びたいと思いました。

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北海道の地震 2

2018年09月10日 | Weblog

北海道の地震 胆振(いぶり)東部地震が発生してから5日となりました。この地震で多くの方々が亡くなられました。、避難生活を余儀なくされている方々いらっしゃいます。また、札幌市のある区では、住宅地の液状化現象により、大切な建物が傾いたり損壊された家屋もありました。被害を受けられた方々に、お見舞いを申し上げます。

札幌ですが、7日の夜に通電してからは、徐々に生活が戻ってきました。地震が起こった日から2~3日は、ガソリンスタンドはどこも長蛇の列でした。スーパーにも行列ができていました。

本日は、特に込み合うこともなく落ち着いてきました。

しかし物流はまだ本来のようには戻っていません。売られている品物は限られています。牛乳・お米・お茶類・お肉類・その他にも色々と棚にはおいてありません。でも、食べるものは贅沢をしなくても普通に食べていけるので、不自由はないです。

うちでは実は6日・地震が発生した日には、娘の家族が水入らずで、札幌に遊びに来る予定でした。ずいぶんと前から予定を組んで楽しみにしていたのに⇒ まさか の大きな地震が起こりました。千歳空港は建物の一部が損壊してしまい、閉鎖されました。飛行機は全便欠航となりました。よりによって・・この日に・・ あ然としました。遊びに行く場所も決めていて、夜の食事は、大好きなお寿司屋さんのお座敷を予約していたのに。。。

おマゴちゃんです ↓ 地震で行けなくなったと伝えたら ⇒いやだぁ 行きたい  とワンワン泣いたそうです。電話が通じたので話をしました。悲しそうな声でした。ばあばとじいじも楽しみにしていたんだよ。

この写真は、去年6月に、私が遊びに行った時のもの。私が絵本を読み聞かせしているところを撮っていたようです。いつ撮ったの?全く気が付かなかったです。だって感情をこめて読んでいるから。おマゴちゃんは、私の読み聞かせが好きです。いつも真剣に見入って聞いています。また近いうちに来れたらいいね。

千歳空港は8日からだったかな、飛行機も離発着できるよになりました。しかし、空港職員曰く、空港内の売店もレストランも閉鎖されていて営業していないそうです。おみやげは、搭乗口の保安検査を受けた後にある売店のみが営業しているそうです。これは10日の時点です、ラジオのニュースで流れていました。空港を利用する人は、飛行機に乗るだけのつもりで来てくださいねと。まだまだ通常に戻るには時間がかかりそうです。

娘家族が来るのでと、ガソリンを満タン・飲み物&食料・スイーツも多めに購入していました。それが幸いして、このきびしい状況・・食料が売り切れで乏しい中でも、私たちは食べるものには困りませんでした。携帯もフルに充電していました。ドッグフードも大袋があり余裕でした。牛乳、ヨーグルトなどの乳製品も沢山ありました。これはワンたちのために、いつも多めにストックしています。

地震直後から、沢山の方々が心配してメールや電話をくださいました。普段はあまり連絡をしていない方々からもいただきました。九州の親戚の、おじさん&おばさんからもきました。フミコちゃ~ん、大丈夫ね~心配したた~い と懐かしい声。亡くなった母と同年代なのに、遠くへ行ってしまった私を気にかけてくれて、感慨無量でした。

イノセントのファミリーさんからも、私&ワンのことを心配してくださっている方々がこんなにいてくれたと~、本当に嬉しかった ありがとうございました。驚いたのは、普段は全く音沙汰のない息子から、地震直後の明け方4時ころにメールが入ったことです。ええっ と驚きましたよ。肝心な時には連絡をくれるのだな と反対に安心しました。母からすると、いつまでも子供なんですけど。大人になっていました。

去年の写真ですが、イメージとして。

ワンたちも元気にしています。

気にかけて下さり、心配してくださっていたみなさん、ありがとうございました。中には、停電していることを知り、電源をたくさん使えないだろうから と連絡をひかえていました~と言って通電を確かめてからメールや電話をくださった方もいらっしゃいました。細かいお心遣いいただき、ありがとうございました。

P・Cのほうへくださった方々、ありがとうございます。返信がまだできていなくてすみません これから徐々に返信させていただきます。こんな小さな個人の犬舎です。主人はノータッチです。だから(喧嘩もせずに)やりやすいです。今回の地震で、私のこと&イノセントを応援してくださっている方々がいると実感しました。大きなパワーをいただきました。応援してくださっていることに感謝をしながら、これからも頑張っていきます。

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北海道の地震。

2018年09月08日 | Weblog

テレビやラジオなどのニュースで報道されているように、9月6日の未明・午前3時8分、胆振地方を中心に大きな地震が起こりました。寝入っているときに、激しい地響きがゴーン・ゴーン と鳴り響き・・あっ・あっ・・地震が来ていると分かりました。その次の瞬間にガタガタガタと大きく揺れ始めました。ちょっと寝ボケていましたが、恐かったです かなり大きな揺れと音でした。飛び起きて、電気とテレビを付けました。テレビでは即座にライブで地震情報を流していました。

札幌は震度5。大きく強い地震でした。私はママ犬と一緒に寝ていました。周りに落ちてくる物はないので、起きてすぐにワン部屋を点検しました。ワンたちは意外にもおとなしくて、神妙な顔をしていましたが騒がなかったです。落下物もなく、ハウスもゆがんだりしていなくて、異常はありませんでした。

私が住んでいる所は、地盤が硬くて丈夫。地震には強いとされています。主人はその点を調べていたそうです。それで、あんなに強く大きな揺れでも、高い所のモノが少し落ちてきた程度で済みました。

そこで、まずはご報告させていただきます。

私とワンたちに関しては被害もなく元気にしています 携帯にメールやお電話をくださった方々、ありがとうございました。その後、通電してから分かったのですが、P・Cのメールやfacebookに、私やワンたちのことを心配して書き込みくださった方々、ありがとうございました。こんなに多くの方々が心配してくださっていたと知り、とても嬉しくて感激しております。

困ったのは停電でした。しかも、まる2日間、電気類を使うことができませんでした。6日は情報が分からずに、北海道はどのようになっているんだろう とラジオの電池を買いたくても売り切れでした。そして車に乗ってラジオのニュースを真剣に聞く。そこで初めて、胆振のあたりで大変な災害が起こっていると知りました。本州の身内や友人たちから、全道が停電であり、テレビでは一日中北海道の地震のようすを放映しているよと。。。携帯で教えてくれました。

わぁ~ 大変なことになっている。札幌でこれだけの揺れだったから、震源地近くは大変だろうと心配になりました。でも停電に関しては、札幌はすぐに2~3時間で通電するだろう~と甘く見ていました。ところがそんな簡単な問題ではなかった。全道が停電ですから、その理由もニュースで詳しく説明されていました。

それで懐中電灯の電池を買わなきゃと~今度は主人が大型電気店へ並ぶ。長蛇の列だったそうです。単一と単二はすぐに売り切れでした。単三と単四は沢山売られているのですが、買い置きがあるので必要ないのです。皆さんご存知ですか。懐中電灯は単一の電池がほとんどのようです。単一はあまり使わないので、今回の盲点でした。

うちにあった懐中電灯はこれ ↓ 単一が4本必要です。

しかも10年以上使用していません。果たして単一電池が手に入ったとしても、電気が付くかどうか~?不明です。

それで一日目は、ろうそくを出して明かりを灯しました ↓

こちらのろうそくも10年以上前のものです。うちにあったのを忘れていたほどです。

箱に40本あったので、助かりました。多分ホームセンターでも売り切れていたと思います。この日はワンたちを早めにハウスに入れて、私も寝ました。余震で危ないので、ろうそくは最後は1本だけ・・下の低いテーブルに置きました。そのうちに消えました。

そして2日目です。停電は依然続いていました。炊飯器も使えないので、お米をお鍋で炊きました。水加減がよくわからずに、だいたいの目分量にしたら、合っていたようで美味しく出来上がりました。しかし一番困ったのは冷蔵庫です。冷凍室はナントか冷たさをキープしていましたが・・・。冷蔵のほうが効かなくなってきました。ワンのために作っていたオヤツ(鶏肉とレバーをゆでたモノ)がぬるっ!として傷んでくるのが分かりました

食料は、大型店やセブンは開いているのですが、停電で店内へは入れずに、店頭の入り口に臨時の売り場があるだけです。しかも売られていたのは、カップ麺・ペットボトル・お菓子などの乾物だけです。私は、冷蔵庫の中身が無駄にならないように、家にあるもので食事を作りました。ちょうど お肉や魚が冷凍庫にあったので普通に作ることができました。良い意味、冷蔵庫の整理ができました。

ただ、2日目は曇りのお天気で暗くなるのは早かったので、暗いと見えなくて作れなくなるので夕飯は4時に作りました。ワンたちのご飯も同じく早めでした。2日目の夕方になっても通電しませんでした。早い地区では、すでに通電しているというのに。困ったもんだわ。その時です、暗くなる手前に あっ!そうだ あれがあったと思いだした。それは息子が高校に入学してワンダーフォーゲル部(登山部)に入ったときに、登山道具一式を専門店で揃えたのです。その中に、頭につける懐中電灯があったことを。それから2階の息子の部屋に上がり、登山用具が入った大きなリュックを探しました。その中にシュラフや食器・必要品が入っていました。立派な登山靴もありました。当時の顧問の先生から、購入リストをいただき、こんなにお金がかかるものか と驚いたものです 息子と一緒に専門店 秀岳荘 へ買い物に行った日が懐かしくよみがえりました。息子は、よく頑張って登山していました。帰ってきたときは、ヨレヨレになっていた時もありました。気候に左右されます。気象情報の勉強も欠かしていなかったです。命にかかわりますから。

その時の帯用電灯ですね。 ↓

見つけたときはヤッタ です。しかしどの電池だろう?主人も、何を見つけたの?と寄ってきました。裏を開けると、電池は単三でした。よかった~単三なら買い置きがあります。付くかなぁ~?これも10年以上前の品物です。そして電池を入れたら ⇒ ピカッ 付きました。しかも非常用というか登山者が使用する道具なので、通常のモノよりもすごく明るいです。(とても高かった記憶があります)これで今晩は少しは明るいかな。

普段使ったことのない、ろうそくにしても登山電灯にしても、困った時しか思い浮かばないものです。お鍋でご飯を炊いたり、車のラジオで情報を得たり、今回のことで貴重な体験をさせてもらいました。

時間がきました。続きます。

 

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生後 47日。

2018年09月05日 | Weblog

台風、すごい強風で各地に残酷な爪痕をもたらしました(@_@) 自然の猛威とは恐ろしいものです。このような大きな自然災害が続くと、安易に言葉がでてこないです 月並みな言葉ですが、被害に遭われた方々、お見舞いを申し上げます。

さて、生後47日となったパピー君。離乳食からカリカリフードになりました。動き回りじっとしていないので、写真を撮ることが難しくなりました。

やっと撮れた、静止した写真。

ブレ気味ですが~ハンサム君。

ブレております。おもちゃをカミカミ。それ以外も、何でもカミカミします。トイレシーツも噛むので、トイレはメッシュ付きに代わりました。歯がしっかりとしていて、噛まれると痛いです。私の足を噛んでくるので、しつけも始めています。

目が大きくてキラキラ体重1600gです。

どうだい!カッコいいだろう いつも目が輝いています。

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天国へと~眠るように ② 詩 ママ、もう泣かないで を追記。

2018年09月03日 | Weblog

ヘビの霊が取りついてるからと おはらいをしてもらったあと・・金縛りはどうなったか? 気になるところですよね。よく覚えていないのですが・・一旦はなくなったかもしれませんが・・・その後も金縛りには合いましたよ。30代の頃が一番ひどくてきつかったけれど、自然となくなってきました。だいたい、ヘビを敷いたのだってイジワルしたのではなく突然の事故だったのですから、しかも・・ふにゃふにゃ と感覚はあったけれどヘビはそのまま横切っていて、苦しんだようにクルクル回ってもいなかったです。子供だったから信じたようなもの。あの神様も~どうなんでしょう 

子供時代に飼っていた犬や猫で、老衰まで長生きした子は2~3匹しかいなかったです。今でいうボランティアという言葉はなかったけれど、一旦は引き取ってお世話をしていたので、少しは命を助けられたと思います。ワクチンがなかった時代なので、ウィルス感染で亡くなった子がほとんどでした。ジステンパーが多かったです。当時は動物病院も少なくて、動物を病院で診てもらうこと。医療費をかけることはなかったと思います。

私&母が、たまに病院に行っても、いつもガラガラ。誰も患者犬はいませんでした。犬にお金をかけない時代。病気になっても病院へは連れて行ってもらえずに、亡くなってしまう時代でした。犬は外につなぐ番犬でした。マズイご飯は、腐ったり凍ったりで、犬は家来。お腹がすくので仕方なく食べていた状態。腐っている食べ物で身体も弱っているし、お散歩もさせてもらえず、ご飯は人間の残り物。魚の骨を与えていて、それが体に刺さったりして、しばらくはおかしくなったと聞いたこともあります。。暑くても寒くても外に繋がれっぱなしで、ストレスで凶暴に吠える犬も多かった。可哀想な姿の犬をたくさん見てきました。

今は時代が変わって、動物の地位も上がりました。犬を、お金を出して買う時代です。ペットは家族の一員としてみてもらえるようになりました。動物病院も混みこみで、人間の病院並みの施設です。そのおかげもあり、犬の寿命も長くなりました。

イノセントのワンたちも、お陰様で長生きをしてくれます。下の写真は、イタグレの繁殖を本格的にする前の、ペットちゃんたちの姿です。最初の輸入犬。ロナルドが来る前です。私の子供たちも小学生で一緒に住んでいて、ワンたちと寝ていました。 家族みんなが動物大好きでした。

シュナウザーは初代のディジーと娘のティアラ。イタグレは、右からシルビィ・ジュリア・ミユリ(ジュリアの娘)バービィ(シルビィの娘)右端はヨーキーのルビーです。懐かしい写真です。20年ほど前の写真です。今はもう~全員天国へ召されてしまいました。シュナちゃん2匹は、10歳前に病気で亡くなりました。バービィは、身体が弱ったときに、よかれと打った栄養剤の注射で・・激しいアレルギー反応を起こし、げぼげぼ一と吐き 気を失いました。一瞬のうちに病院で亡くなりました。先生は、誠意で施してくださったことです。すぐに蘇生をしてくださいました、心臓マッサージです。でも命つきました 今でも、キツネにつままれた亡くなりかたでしたが。しかし誰に対しても不満はないです。

自分が、もっと早くにバービィの異変に気が付いてあげられていたらと バービィのお口が、その前からすごく臭かったのです。それは口臭ではなくて、身体の中からくる危険な匂いだったのだと 亡くなった後に思い知らせれました。それ以外の4匹は、ゆったりとした老後を過ごし、長生きしてくれました。どの子も最後は老衰で亡くなりました。

こちらは、ロナルドが来てからのようす↓

ロナ君は穏やかで友好的で、誰とでも仲良くできました。男の子が来ることに躊躇していました。マーキングがイヤだったから。家がまだ新築でキレイでした。でもロナ君は私の前ではオシッコは完璧でした。あとから分かりましたが、陰ではマーキングしていました(@_@) 

ロナルドのお陰で現在のイノセントがあります。彼も老衰で亡くなりました。穏やかな最期でした。でも主人曰く、お母さんが、あんなに悲しんで泣いている姿を初めてみた ぼくが死んでも、ロナルドのようには悲しんでくれないよ。というのです。ええっ~私・・そんなに泣いてたかな? 彼が亡くなる一週間まえから、お別れが近いと察知できたので、毎日抱きしめて話しかけて涙を流していました。それは夜の寝る前だけでした。他のワンに悟られないようにね。部屋の隅で見られないようにね。でも主人はその姿を見ていたのですね。

私、普通のことではまずは泣かないのです。ショーで素晴らしい成績をいただいても泣かない 嬉しくても涙は出ないです。しかし唯一涙が出るのは、愛犬が死んだときです。だって、本当に悲しいですから。押さえられることではないです。

どの子も最期は、私に抱かれて亡くなって逝きます。シルビィ以外はね。臨終が近く、虫の息になって心臓がかろうじて動いているだけの状態になっても、私が抱き上げて、最後のお別れ・・話しかけて・・ありがとう!とお礼を言って・・お疲れさま・・ゆっくりと休んでね・・といたわりの言葉をかけるまでワンは待っています。

亡くなって逝くことはつらく悲しいけれど、いつかはこの日が来ます。私は彼らの最期を、悔いがないようにしっかりと看取ってきました。病気で苦しんだ子は、そのお顔にも、苦しかった様子が残ります。お顔を見るのもつらいです。反対に、大往生で、苦しむことなく安らかに息をひきとった子は、お顔も安らかな表情です。人間の医療に携わっている方がおっしゃいました。死にざまは 生きざま だそうです。

8月18日のブログに書かせていただいたおばあちゃん犬が、その翌日に亡くなりました。亡くなる日も、ゆっくりと歩くことができて、トイレまで行っていました。でも、その後横たわったときに、珍しく くーん と悲しそうな声を出しました。私には、お母さん、もう行くから抱っこしてよ~ と聞こえました。それで、他のワンたちをハウスに入れました。2人だけになって、抱きしめながら最後のお話をしました。私の涙がポロポロと彼女の身体に流れ落ちました 赤ちゃんいっぱい産んでくれたね。ありがとうね。幸せだったかなぁ。また生まれ変わって来てね。もう行っちゃうの がんばったもんね。いい子だったね と話しかけているうちに、心臓の鼓動が止まっていきました。眠るような穏やかな最期でした。私も悔いはありませんでした。

抱きながら見送ってあげることができました。沢山のお礼の言葉や、愛していることを伝えました。彼女も私の気持ちを分かってくれたと思います。死にざまは 生きざま。この言葉のように、安らかな死に顔でした。ちょっとリアルですが、私は美しい死に顔だと思い、ここに載せることにしました。今にも起き上がって歩きそう。〇〇ちゃん、本当に死んでるの と何回も問いかけました。

亡くなった日は、私は抱きしめて一緒に寝ました。身体は冷たくて、どんなにこすって暖めても、冷たくなり硬直していくばかり。でも私の愛は伝わったと思います。この写真は、亡くなった翌日です。ひとまず家にあったお花を手向けました。この後・・斎場へ行く途中の花屋さんで新しいお花を買い、もっとたくさんのお花で囲んであげました

かつて若かった頃のあなた。若いというだけでキレイです。でも、歳を重ねたあなたは、もっとさらにキレイでした。14歳6か月の犬生、お疲れさまでした。

私がお世話になってる動物霊園です。最初に亡くなったディシーの時は、何もなくて寂しい場所でした。あれから15年の歳月がたち、現在は遺族の控室&休憩場もできました。駐車場もキレイに整備されました。

ここは、合同葬の動物たちのお墓です。以前はドックフードやおやつなど沢山のお供え物が置かれていましたが。現在はおいてはいけないようです。カラスや野生の動物があさりに来て、汚れてしまうからね。

私は個別葬で、お骨は自宅に連れて帰ります。しばらくはリビングに置いてみんなを眺めてもらっています。一週間たつと、お仲間と一緒の場所へ。 ↓

ワン部屋の一角です。ここから、みんなを見守ってくれています。お花とフードは欠かしません。毎朝、新しいフードを手向けて、亡くなった仲間たちに話しかけています。このときのステキなお花は、ちょこママさんからです。ルビーの命日にと献花してくださいました。

霊園でいただいた詩。ママ 泣かないで です。この詩は何度読み返しても涙が止まらなくなります。

ママ、もう泣かないで

大好きなママ

ぼく、虹の橋に来たよ

もうどこも痛くないよ

もう何も苦しくないよ

動物の神様に抱かれているの

ママ、もう泣かないで

ママが泣いているとぼくも悲しいよ

ママと一緒だったあの日

あの春もあの夏も

ぼくはいつも幸せだったよ

ママ、後悔なんてしないで

自分を責めたりしないで

『早く気付かなくてごめんなさい』

『もっとこうすればよかった』

『ああしなければよかった』

って、そんなふうに思わないで

ママ、いいことだけ思い出して

楽しかったよね、あの日

笑ったよね、あのとき

ママとぼくは、幸せを与えあっていたんだね

ママ、とても寂しかったら

次の子をお迎えしてあげてね

ぼくはやきもちなんて焼かないよ

その子はぼくの代わりじゃなくて

別々に可愛いんだって

ぼく、ちゃんと知ってるよ

ママとその子が楽しく過ごして

ママがもう一度笑ってくれたら

ぼくは安心してここで待っていられるの

だから笑顔で暮らしてね

ママ、もう泣かないで

ぼくはずっとママの心に住んでいるの

そしてずっと先のある日

ママと会えることを知ってるの

だから、ママ、もう泣かないで

 

私は、今回亡くなった子の名前は書いていません。お名前を書くことにより、その子とご縁してくださった方々が悲しまれたり、お心遣いをしてくださることを望んでいません。心の中で冥福を祈ってくだされば、それで十分です。私が責任をもって供養しております。お悔やみの献花や穀物はご遠慮申し上げます。毎回このように書かせていただいているにも関わらず、送って来られる方がいらっしゃいます。

お心遣いはありがたいのですが、もっとはっきりと申し上げると・・お断りいたします 我が家にはまだ老犬たちがいます。過分なお心遣いをされると、これから先には、このようなブログを書くことができなくなります。

どうぞ、管理人の心中をお察しください。お歳暮・お中元などの品物も、ご遠慮申し上げます。すみません 気を悪くなさらないでください。

今日もご連下さり、ありがとうございます。よろしければ、下の イタグレ の文字をプチっ!と押してください。

 

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時のながれ~天国へと・・眠るように。。。

2018年09月02日 | Weblog

私は子供のころから動物が大好きでした。私が子供の頃は、捨てられた子犬や子猫たちを公園などで見かけることは珍しくありませんでした。くぉーん・くおーん と鳴いている声、その姿を見てしまうと・・もう可哀想でダメ 家に連れて帰って面倒を見ていました。しかし、母は動物がキライで⇒戻してきなさい と怒っていましたが、私が泣きながら、イヤだイヤだ 私のご飯をあげるから、飼ってよ と再び捨てに行くことをしないので、半場あきらめて、アンタの病気ね と言って見ても見ぬふりをしていました。

連れ帰った子犬も子猫も、とても弱っていました。外に捨てられていた子を、せっかく家の中に入れて暖かくして食べ物を与えても、呑み込むこともできない子が多かったです。ニャー・ニャーと鳴いていました。犬は鳴く元気もなく横たわっている子が多かったです。野ざらしで捨てられていた時点で弱っていました。

しかも、今のようにワクチンやフィラリアのお薬が浸透していない時代です。連れ帰った時点で病気に感染していたり、ミックス犬で大きくて外で飼っていたので、その後フィラリアに感染して亡くなってしまった子もいました。フィラリアで亡くなった子はすごく苦しみました。その子は リラ という名前でした。フィラリアのお薬は当時はありませんでした。先生からも絶望です(@_@) 時間の問題ですよと言われました。

リラが亡くなったときは、あんなに反対していた母も大泣きをしていました。リラに母が話しかけながら泣いてる姿を見て、私は・・お母さんもこんなに悲しがってる とビックリしました。それまでは庭に埋めて埋葬していたのに・・母は、初めて火葬場してくれました。

リラが死んだあと、私は金縛りがすごくて、夜に何度も目が覚めて怖いくらいの金縛りにあいました 睡眠ができずに体調があまりに悪くなったので、神様・・と名乗る人から、おはらいをしてもらいました。そのおはらいは、激しかったです その神様は、大きな数珠・・縄跳びくらいの長さ数珠を、私の身体にパンパンとたたきつけて延々と呪文を唱えました。

そしてその神様は、これはリラの悪霊ではありません。リラは、貴女を守っていますよ リラのことは安心してくださいねと言いました。

金縛りの原因は・・貴方にはヘビの霊が取り付いていた と言いました。確かに~その数年前に、わき道からヘビがニョロニョロといきなり出てきて、 私は自転車に乗っていたのですが、よけることができずに、自転車のタイヤでヘビを敷いてしまったのです その時の衝撃と言ったら言葉にできませんヘビを見ることも滅多になかったですし。すごく怖くて、後ろを振り向かずに、ビュンビュンと自転車のスピードを上げた記憶があります。しかし~小学生で小さくて、自転車も小さかった。その衝撃でヘビが死んだとは考えられないですけど

その当時私は、自分の意志ではなくお受験をさせられて、遠い学校へ通っていました。越境入学ですね。それで特別に許可を得て、小学生なのに自転車通学をしていました。そのヘビの事件は、あまりに怖すぎて、誰にも言えないトラウマでした。

リラの前に亡くなった子は、亡骸を庭に埋めていました。何匹も病気で亡くなりました。交通事故で車に轢かれて亡くなった子もいました。轢かれた後、息も絶え絶えに自宅まで帰ってきました。キャインとけたたましく鳴いて、その姿に驚きました。うしろ足が皮ひとつでつながっていて・・ドキドキしながら、あわてて病院へ。先生からは、このままでは生きていけません。安楽死をさせたほうがこの子はラクですと言われたました。母はこのときも病院へ連れて行ってくれて、安楽死にうなづいていました。いつも犬を拾ってくると怒ってたのに、最終的には黙認して、かかるお金は出してくれていました。後から考えると、母には迷惑をかけていました。小学生の子供で、何もできないのにね。捨て犬を救いたい気持ちだけでした。

そのように動物の病気や交通事故を目のあたりにして、獣医さんになりたい と子供心に思いました。でも、子供でしたね。中学生くらいから部活などで忙しくなり、違う方面へ進みました。いえいえ単に、難しい獣医さんへの勉強をしなかっただけです。

そのような子供時代の経験もあり、次に犬を飼うときは、責任をもって一生幸せにできる環境を整えてからと決めていました。現在の家を建ててからも、主人の転勤がまだ読きました。そうなるとまた東京へ戻る可能性もあるので、一年間はガマンして飼いませんでした。でもその後、主人が単身赴任をすると決まってから・・内心 ヤッタ やっと夢だった犬が飼える と嬉しかったです。

前置きが長くなりました。ヘビの話まで書く気はなかったのに・・・。

8月18日のブログに書かせていただきました。おばあちゃん犬の寿命が、残り少ないと感じたことを。そのことを書くつもりだったのに、前置きが長くなりワンの夕飯の時刻になってしまいました。続きは、明日にします。写真もなくて、すみません

 

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