ディジーが教えてくれたこと・・・それは、一言でいえば・・・犬は、自分では出産したいとは思っていないことです。このように文章に書けば、ごく簡単・当たり前のことです。でもブリーダーの仕事を選んだのであれば、わん達に出産をしてもらうことが⇒お仕事になります。矛盾していますが・・・この難しい問題は、長く経験している人にしか分らないでしょう。生まれてくる赤ちゃんは可愛いです 天使です~ 癒されます。。。でも、産んでくれるお母さん犬は命がけです。自分の身を削って子育てをします。その姿を長年見守ってきた管理人は、仔犬の誕生が嬉しいだけでなく、お母さん犬の負担に関しては、辛いものがあります。
私は外で働く仕事が好きでした。勤めていた会社でも、受付カウンター業をしており、物件・マンションの販売・案内・別荘地の案内などに出かけ、軽井沢にも何度も出張しました。人間関係もうまくかわし、接客業が好きで楽しかったです ですから結婚して専業主婦になり、子育てや転勤と・・全く違う世界で過ごすようになり、とまどいました。特に官舎の生活には四苦八苦しました。共同で草刈りの日など行事も沢山ありました。奥さま達はみな、良妻賢母な方ばかりで、花嫁学校に入居したようでした。東京(おもに新宿)で、飲みにばかり行って、自由気ままに暮らしていた私にとっては、驚きの世界でした。新婚でいきなり八戸に転勤になったものですから。八戸がイヤだったわけではないのですが・・・東京に戻りたくて・・・涙を流していました。
しかし~朱に交われば赤くなる・・・です。すっかりまじめな主婦となった私は(笑) 結婚して十数年間、子育てと主人を支え、家族の為に縁の下の力持ちに徹して、家事・育児に励みました。何でも一生懸命に頑張る管理人です。お陰で、子供達も良い子に育ち(今でも仲がいいです) 主人も会社内の難関といわれているCGS試験にも合格し(この勉強中も、ひたすら耐えてフォローしてきました) まあまあ、出世しました。40代半ばから運転手付きになりました
そうして子育てが一段落した頃、本来自分がやりたかったことをしたくて、ブリーダーになりたいと思いました。本当は訓練士にも興味があったのですが・・・私の年齢では、時すでに遅し・・・と考えました。その頃は素人だったので、沢山のブリーダーさんに色々と教えていただきました。17年前に犬舎登録をしました。名前は イノセント です。汚れを知らない・純粋無垢な仔犬 イノセントしか思い浮かびませんでした。
そして迎えたシュナのディジーは、すごく可愛らしく健康で良い性格でした。一年後に5匹の仔犬を産んでくれました。子育ても上手で、一番大切な母乳も沢山でました。出すぎてありあまるくらいでした。私は初めてだったのでこれが普通かと思っていたのですが・・・後で分りましたが・・違っていました。後に、母乳がでない母親・難産で苦しむ母親を経験しました。 ディジーは毎回安産で、帝王切開なども一度もなくて、母乳もたわわに出るので、私はお産に関して、すっかり天狗になってしまいました。
私よりも、ず~っと先輩のブリーダーさんから、あなた⇒ 本当のお産の怖さを知らないのよ。ディジーがたまたま台雌として向いているだけよ。そのうち怖さを知るでしょう。。。。と言われました。 少しむっ!としましたが、それは本当でした。 数年後に本当にやってきました。 ディジーの後に迎えたヨーキーのルビーも、同じよう安産で、母乳もよく出て、よいお母さんをしてくれました。ディジーよりも母性が強くて、仔犬をよく守っていました。可愛い子でした。 ディジーとルビーが素晴らしいお母さんだったので、私は益々調子に乗っていました。その頃は仔犬は、仲の良いペットショップの女社長に買ってもらっていました。この女社長には沢山のことを教えてもらい、とてもお世話になりました。彼女は離婚して、新たにお店を開店したばかりだったので、彼女に協力していました。仔犬の買い取価格は安いです それでも専業主婦から脱却したかった私にとってはありがたいお金でした。
そのショップはシュナウザーを得意としていました。お相手の男の子も、そちらの男の子でした。女社長は、ディジーちゃんの仔犬は可愛いからね~ すぐに売れるのよ~ Mさんは綺麗にして大事に飼っているから安心よ。パピーミルからは絶対に買わないのよ! と言って、うちでよくコーヒーを飲みながら、業界のことなどを話してくれました。
この頃の私は、ディジーが安産で子育てが上手なことに甘えてしまい、本当のディジーの気持ちを考えていませんでした。5歳の頃、ディジーは近所で自家栽培しているお家の、農薬の匂いを嗅いで・・・肝臓を悪くしました。肝臓が治るまで、しばらくお薬の治療をしました。その間、当然繁殖はしていません。そして、肝臓が完全になおりました。ディジーはすごい食欲で元気になりました。
それから一年くらい経って、ディジーに発情がきました。ディジーは8歳になっていました。元気なディジーの様子から、最後に、もう一度だけ仔犬を産んでほしいと思いました。私に魔がさしたのです。何年か休んだのだから大丈夫だろうと・・・バカなわたし。この私の考えが、ディジーの身体をさらに痛めてしまいました。 例の女社長のお店に交配に行く時、ディジーはバリケンの中で暴れました。 あまりに暴れたので、バリケンがひっくり返りました。私は辛かった。 あとから考えると、ディジーはもう、仔犬は産みたくなかったのです。それなのに・・・社長との約束を破ることもできず、交配を遂行してしまったわたしでした。 鬼でした。バカでした。
そんなに抵抗していたディジーは2か月後に6匹の赤ちゃんを産んでくれました。 6匹も生まれたのは初めてでした。多くても5匹でしたから。すごい!ディジー ありがとうね。たくさん褒めてあげました。ディジーは産みたくはなかったけれど、お母さんが喜ぶならと、頑張ってくれたのです。犬って本当に、好きな人の為に・好きな人を喜ばそうと頑張ってくれるのですよ。ディジーも嬉しそうに笑ってくれました。これで最後だからね。これからはお産は引退して、ゆっくりと過ごしてね。そう、毎日話しかけていました。
ところがこの頃・・・すでにディジーの体内は病魔に侵されていたのです。表向きには何も現れていませんでしたけど・・・その病気は数ヵ月後に起こりました。ハウスで寝ていたディジーがガタガタ とすごい音を立てて痙攣を起こしているのです。目は白目が出ていて、身体は激しくのけぞって、口はガチガチとなり、今にも死にそうな形相で、すざましい痙攣でした。 私はの姿を見て、驚いたなんてものじゃありません。あまりの衝撃で、血の気が引き・自分のほうが倒れ込みそうになりました。 それまで何の前触れもなく、ご飯も良く食べ・・健康だったディジーが、どうしてこんなことに
その日のディジーは痙攣を何度も繰り返しました。病院で治療してもらっている間にも激しく発作が起こり、治療は夜中の11時過ぎまで続きました。何とか一命を取りとめたという感じでした。それからは闘病生活が続きました。病名はすぐには分りませんでしたが、お腹に一つあった小さなしこりが、またたく間にいくつも増えてきたので悪性の腫瘍⇒ ガンが広がっているようでした。 闘病中の写真はこちらです。↓
ディジーは週に1~2回点滴を打ちに行きました。それでも、段々と元気がなくなり、歩くことが困難な日もありました。
当時生まれていたルビーの最後の仔犬・ラブリーちゃんがディジーのハウスに入って行くと、おいで~という感じで歓迎していました。仔犬のことは大好きで、自分の産んだ仔犬でなくても可愛がっていました。
治療の経過で、ひんぱんにてんかんの発作があるのは、脳に腫瘍ができている可能性があるとのことでした。お腹の乳癌といい、多分身体が癌に侵されていたと思われます。乳癌は体力がついたら手術しましよう。という話をしましたが、何しろ、てんかん発作が来るたびに、ディジーの体力は弱ってきて、段々と歩くことさえ困難になってきたので、私は時間をみはからって・・・チーする?と話しかけ、おトイレに連れていきました。チーをすると、またハウスへ戻してあげていました。私はディジーのお世話・介護ができることが嬉しくて仕方ありませんでした。当時、犬はイタグレが増えて7匹になっていました。ディジーが倒れてからは、私はディジーに付ききりでした。ディジーもそれが嬉しかったみたいで、私の姿を一日中、目で追っていました。 そのお顔は、お母さん、やっとわたしのことを見てくれるようになったのね。この時が来る日を待っていたのよ・と言っているようでした。
もうひとつ涙が出ることがあります。ディジーが倒れたのは12月でした。その翌年、娘が成人式の為に帰ってきました。子供時代を共に過ごした愛おしい家族です。大人になった娘を見て、ディジーは喜びました。そして、成人式を終え、東京に戻るために身支度をしていると、それまでほとんど歩くことができなかったディジーが、のそっ!と起き上がり、娘の元に来て挨拶を始めました。私たちはびっくりして、ディジー、身体がきついでしょう。無理して起き上がらなくていいのよ。と言いました。でも、彼女は、玄関先まで来て、去っていく娘の姿を、いつまでも見送っていました。その時の姿を、娘は忘れられないと言っています。 ディジーの中では、娘に会うのはこれが最後だと分っていたのでしょう。あとから聞いたのですが、この前日の夜も、ディジーは娘の枕元に座り、じっと見つめていたそうです。きっと、お姉ちゃん、沢山の想い出をありがとう!もう会えなくなるのよ。さようなら とお別れをしていたのだと思います。
それから一進一退を繰り返しましたが、ディジーは食欲は旺盛でご飯をよく食べていたので、まだまだ生きてくれると思っていました。けれども、癌の進行は早かったです。2月12日の夜から、今までにない激しい痙攣発作が起きました。それはすざまじくて、途中で止まることがありませんでした。私は一晩中看病し、舌を噛まないように口にデニムをくわえさせ、けいれんが収まるように首のツボを押したりして、ディジーを抱きながら・・・どうか、止まって・止まってと祈りました。しかし、激しいけいれんは止まることはありませんでした。その苦しみはすざましくて、息も絶え絶えとは、まさにこのことでした。ディジーが苦しがって⇒ハアハアーと吐いた息・あの悶絶の苦しみの表情は、私の身体から抜けてることはありません。ディジーの苦しみかたが異常だったので、私は、神様~もうイジワルはやめて!と泣きながら叫びました。こんなに悲しいこと、一生忘れることはありません。
そして翌朝、急いで病院に行きましたが、成すすべはありません。彼女は次第に意識がなくなってきました。家に帰ってから、私はディジーをずっと抱いていました。夕方、他のわんたちのご飯作りがあるので、ちょっと待っててね!と席をはずしました。そしてまたお布団に戻ってディジーを抱きました。そしたら・・・待っていてくれたのでしょう。私に抱かれて旅立ちたかったのでしょう。抱きながら~お母さんが悪かったね~ごめんね~と話しかけているうちに、ディジーがお口を2~3回開けて何か言いました。そうして、その数十秒後に心臓がぴたっ!と止まりました。 何と言ってくれたのでしょうか。きっと、ありがとう・・・とは言ってくれてないと思います。 ディジーに関しては、良い飼い主ではなかったから。私はこの子のことがこんなにも好きだったのに、ディジーの優しさ・ふところの大きさにに甘えてしまい、私のほうからは何もよいことをしてあげられなかった。。。ディジーが亡くなったあと・・娘のティアラがギヤンギャンと声を出して騒ぎました。まるで、お母さん!起きて!と言っていたのでしょう。私はディジーとティアラの親子を抱いて号泣しました。
私はディジーに関しては、申し訳ない気持ちばかりで、できることなら始めからやり直したいくらいでした。その、後悔の念が強かったからか・・・ディジーを亡くしたあと、泣いてばかりの日々でした。スーパーでディジーの好きな食べ物を見るだけで~こんなことなら(ディジーは、ダイエットしていました)自由に食べさせてあげたかったと・・・涙ボロボロでした。どこに行ってもディジーのことしか頭になくて、ディジーに懺悔の気持ちばかりでした。私は食べることができなくなり、食べ物を受け付けなくなりました。体調を崩しました。
最後の仔犬を産ませていなかったら、もっと長生きできたかもしれない。交配に行く時、あんなにバリケンの中で暴れたのは、自分の寿命を知っていて・・・お母さん、わたしは病気になっているのよ。早く気が付いてよ!パピーは産みたくないのよ!と訴えていたのでしょう。それなのに、私は気が付いていなかったのに・・立派に産んでくれた。 こんな愚かな飼い主だったのに・・・犬は飼い主を裏切らない。ごめんなさいディジー。ディジーを死なせてしまったのは、私なんだ。。。そんなことばかり考えて、私はペットロスの状態になりました。ウツになり、夜も寝られなくなりました。苦しくて・苦しくて生きて行くことがイヤになりました。でも、そのような状態では、家族や他に残されたわん達に申し訳がない。そうして自分も病院に通い~何とかウツなら脱出しました。 ディジーの為に供養してあげたくて ↓ このようなモニュメント・お墓を創りました。
このお墓は、御影石にディジーの姿を彫っていいただきました。ディジーの写真を送り、シルエットを彫っています。天使や花びらのイラストも私が考えたもので、彼女が安らかに天国に行けるようにと~天使に囲まれて幸せになれますように、と私からの祈りです。
このモニュメントを創って、お庭に設置し毎日眺めているうちに、私の心も落ち着いてきました。飼い主がいつまでもメソメソしていたら、ペットもあの世にいくことができず、この世とのはざまで苦しむそうです。快く送り出してあげたら、またイノセントに生まれ変わって帰ってきてくれるでしょうか。イタグレの中に、ディジーに似ている子がいます、もしかしたら、生まれ変わってきてくれたのでしょうか。何よりも一番解決してくれたのは時間でした。
私は忘れません。ディジーが自分の身を削って教えてくれた 命 の大切さを。 女の子がお産をすることが、どんなにか大変であるのか。飼い主の誠心誠意のフォロー・愛情がなくてはしてはいけません。時に天狗になっておかしくなっていた私に、ディジーは身を呈して⇒お母さん、それではいけないよ! 目を覚ましてね!と教えて・気づかせてくれたのです。デイジー、ありがとうね。ディジーはお母さんの大先生でした。お母さんはディジーの死を無駄にしないよ。未熟だったために一番大切なわんを亡くしてしまったんだもの。
私がいつも言っている言葉・・・仔犬はもちろん可愛いけれど・・・それよりも産んでくれた母犬のほうが愛おしい・尊敬して敬意をはらいますと。。。これはディジーが教えてくれたことです。 それ以降は、益々ママ犬を大切にしています。
今日の長い文章に付き合ってくださった方々、ありがとうございました。書きながら涙 涙の管理人でした。 よろしかったらワンクリックお願いします。
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