昨日は朝から都心出張。折悪く電車の遅延に遭遇した。途中駅で振替輸送に切り替え、なんとか滑りこみセーフで会議に間に合った。午後職場に戻り、夕方のガイダンスも無事終えた。
前日水曜日の休暇に続き、木曜日はほぼ一日出張とイベントで席を温める暇もなく、今日金曜日は再び休暇ということで、イベント終了後はやむなく残業。大車輪で溜まった仕事を片付けてから夫の病院に向かった。
午後1番で入院した夫は、麻酔医の説明があった後は何もすることがなく暇で暇で・・・とのこと。今回初めてお世話になるこの病院は、複数の棟が入り組んでいる複雑な造りだ。渡り廊下を2つ超えエレベーターを乗り継ぎ、ようやく夫の部屋に到着した。既に夕食もシャワーも終え、後は眠るだけといった風情。寝間着姿でベッドにいるとなんとなく病人に見えてくるから不思議である。面会時間終了までお喋りの相手をし、病院を後にした。駅ナカで遅い夕食を摂り、帰宅。
片付け物をしてからようやくリビングに座り、何気なくスイッチを入れたテレビの画面に釘付けになった。熊本地震。震度7だという。それからはニュース画面から目を離すことが出来ず、九州在住の知人を想いながらベッドに入るのが遅くなってしまった。
今朝は、夫から早々とLINEで起こされる。昨夜の夕食以降は絶食で、手持無沙汰らしい。金曜日は1限があるからモーニングコールよろしくとのたまう甘ったれ息子に電話をかけるにはまだ30分も早い。再びテレビを点けて一夜明けた熊本の様子を知る。熊本城の石垣や瓦が崩れ落ちている。あの東日本大震災から5年余り。今度は九州か、と自然の過酷さにまたも言葉を失う。
息子をようやく起こしてこちらもゆるゆると起きる。夫の手術は2番目で、最初の手術の状況次第で開始時間が変わってくるが、概ねお昼から開始とのことだった。1時間くらい前に来てくれれば十分と言われていたけれど、若干早く行って良かった。実際には予定より1時間近く早い入室となった。私が病室に行くと、手術着に着替え、着圧ハイソックスを履くところだった。その後、主治医がライン確保に見えてご挨拶。さすがに点滴が入って手術着を着込むとすっかり病人に見える。
時間通りに看護師さんに付き添われて3人で中央手術室まで。ここで私はお別れである。「頑張ってね」と送り出して病室で待つように言われる。昨秋母が手術を受けた時は手術室前でずっと待機してくださいと言われたけれど、病院によって様々である。
西側の窓から燦々と陽射しが入るあたかも温室のような病室で、時間潰しに持ってきた文庫本を読んで待つ。原田マハさんの「永遠(とわ)をさがしに」(河出文庫)。帯には「母と娘の葛藤と和解、友情と愛情。そしてある奇跡が起こる-。音楽を通して描く感動物語」とある。解説は先日「羊と鋼の森」で本屋大賞を獲得された宮下奈都さんが書いておられるが、「―あらすじを聞いただけでぞくぞくした。これは面白いに違いない。原田さんがこんな設定で書く物語が面白くならないわけがない。・・・」というとおり、先へ先へと読み進めた。手術時間内で読み終わらないかもしれないと思ったけれど、実際には読み終わって、ああもう1冊持ってきても良かったかも・・・という次第。
当初手術時間は1時間から1時間半と言われていた。ところが、2時間経っても2時間半経っても戻ってこない。だんだん心配になり廊下に出たり部屋に入ったり。四半世紀前の盲腸の手術を想い出して、落ち着かない。3時間近く経ってようやく戻ってきた。何かあったのでしょうか、と訊くが、看護師さんはそういう連絡は入っていませんとのこと。さすがに夫は全身麻酔後だから意思の疎通は出来ても酸素マスクを付けており、口を開きたくないようだし、主治医のM先生から説明があるまでは気が気ではなかった。
結果オーライで予定通りの手術をし、問題がなければ明日には退院とのこと。来週土曜日に一度外来の予約が入った。
それにしても病院には長居が出来ない時代になった。術後はおかげさまで発熱もせず、血圧も安定していた。3時間の安静の後は、ベッドが起こされ、吸い飲みで水を美味しそうに飲み、看護師さんのフォローはあったが、点滴棒を引きずりながら一人で病室内のお手洗に行った。傷口もチラと見せてもらうと大きな絆創膏を貼った程度。立ちあがったことで若干血が滲んだ感じだけれど、問題なしとのこと。
今日は絶食だが、明朝からは普通食だという。夜勤の看護師さんとバトンタッチされた後、もうやることもないので洗濯物等を受け取って失礼することにした。
というわけで、無事懸案事項がまた一つ片付いて安堵した。
今回の熊本地震で被害に遭われた方々に心からお見舞いを申し上げます。今も頻繫に余震が続いており、どれほど不安でおられることでしょう。週末にかけて雨の予報のようですが、土砂災害等二次被害が心配です。
このブログをお読み頂いておられる方の中にも被害に遭われた方がおられるのでしょうか。心が痛みます。どうか一日も早く収束してくれますようにと願います。
前日水曜日の休暇に続き、木曜日はほぼ一日出張とイベントで席を温める暇もなく、今日金曜日は再び休暇ということで、イベント終了後はやむなく残業。大車輪で溜まった仕事を片付けてから夫の病院に向かった。
午後1番で入院した夫は、麻酔医の説明があった後は何もすることがなく暇で暇で・・・とのこと。今回初めてお世話になるこの病院は、複数の棟が入り組んでいる複雑な造りだ。渡り廊下を2つ超えエレベーターを乗り継ぎ、ようやく夫の部屋に到着した。既に夕食もシャワーも終え、後は眠るだけといった風情。寝間着姿でベッドにいるとなんとなく病人に見えてくるから不思議である。面会時間終了までお喋りの相手をし、病院を後にした。駅ナカで遅い夕食を摂り、帰宅。
片付け物をしてからようやくリビングに座り、何気なくスイッチを入れたテレビの画面に釘付けになった。熊本地震。震度7だという。それからはニュース画面から目を離すことが出来ず、九州在住の知人を想いながらベッドに入るのが遅くなってしまった。
今朝は、夫から早々とLINEで起こされる。昨夜の夕食以降は絶食で、手持無沙汰らしい。金曜日は1限があるからモーニングコールよろしくとのたまう甘ったれ息子に電話をかけるにはまだ30分も早い。再びテレビを点けて一夜明けた熊本の様子を知る。熊本城の石垣や瓦が崩れ落ちている。あの東日本大震災から5年余り。今度は九州か、と自然の過酷さにまたも言葉を失う。
息子をようやく起こしてこちらもゆるゆると起きる。夫の手術は2番目で、最初の手術の状況次第で開始時間が変わってくるが、概ねお昼から開始とのことだった。1時間くらい前に来てくれれば十分と言われていたけれど、若干早く行って良かった。実際には予定より1時間近く早い入室となった。私が病室に行くと、手術着に着替え、着圧ハイソックスを履くところだった。その後、主治医がライン確保に見えてご挨拶。さすがに点滴が入って手術着を着込むとすっかり病人に見える。
時間通りに看護師さんに付き添われて3人で中央手術室まで。ここで私はお別れである。「頑張ってね」と送り出して病室で待つように言われる。昨秋母が手術を受けた時は手術室前でずっと待機してくださいと言われたけれど、病院によって様々である。
西側の窓から燦々と陽射しが入るあたかも温室のような病室で、時間潰しに持ってきた文庫本を読んで待つ。原田マハさんの「永遠(とわ)をさがしに」(河出文庫)。帯には「母と娘の葛藤と和解、友情と愛情。そしてある奇跡が起こる-。音楽を通して描く感動物語」とある。解説は先日「羊と鋼の森」で本屋大賞を獲得された宮下奈都さんが書いておられるが、「―あらすじを聞いただけでぞくぞくした。これは面白いに違いない。原田さんがこんな設定で書く物語が面白くならないわけがない。・・・」というとおり、先へ先へと読み進めた。手術時間内で読み終わらないかもしれないと思ったけれど、実際には読み終わって、ああもう1冊持ってきても良かったかも・・・という次第。
当初手術時間は1時間から1時間半と言われていた。ところが、2時間経っても2時間半経っても戻ってこない。だんだん心配になり廊下に出たり部屋に入ったり。四半世紀前の盲腸の手術を想い出して、落ち着かない。3時間近く経ってようやく戻ってきた。何かあったのでしょうか、と訊くが、看護師さんはそういう連絡は入っていませんとのこと。さすがに夫は全身麻酔後だから意思の疎通は出来ても酸素マスクを付けており、口を開きたくないようだし、主治医のM先生から説明があるまでは気が気ではなかった。
結果オーライで予定通りの手術をし、問題がなければ明日には退院とのこと。来週土曜日に一度外来の予約が入った。
それにしても病院には長居が出来ない時代になった。術後はおかげさまで発熱もせず、血圧も安定していた。3時間の安静の後は、ベッドが起こされ、吸い飲みで水を美味しそうに飲み、看護師さんのフォローはあったが、点滴棒を引きずりながら一人で病室内のお手洗に行った。傷口もチラと見せてもらうと大きな絆創膏を貼った程度。立ちあがったことで若干血が滲んだ感じだけれど、問題なしとのこと。
今日は絶食だが、明朝からは普通食だという。夜勤の看護師さんとバトンタッチされた後、もうやることもないので洗濯物等を受け取って失礼することにした。
というわけで、無事懸案事項がまた一つ片付いて安堵した。
今回の熊本地震で被害に遭われた方々に心からお見舞いを申し上げます。今も頻繫に余震が続いており、どれほど不安でおられることでしょう。週末にかけて雨の予報のようですが、土砂災害等二次被害が心配です。
このブログをお読み頂いておられる方の中にも被害に遭われた方がおられるのでしょうか。心が痛みます。どうか一日も早く収束してくれますようにと願います。