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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.7.4 念じれば、叶う?

2014-07-04 21:52:59 | 日記
 このブログで何度かご紹介させて頂いている毎日新聞連載中の岡本左和子さんのコラム。最新号にまたハッとさせられたので、以下、転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

診察室のワルツ:/62 「言える、言える」と念じて=岡本左和子(毎日新聞 2014年07月03日 東京朝刊)
 ある患者から「医療者が使う言葉は、患者の思いから微妙に外れている」と言われました。患者からの質問や話を聞くことが多い私自身も含め、ハッとさせられました。
 例えば、「標準治療」「合併症」「病気を受け入れる」「前向きに治療に取り組む」などの言葉です。病気によって標準的な治療手順がありますが、「自分だけは違うかもしれない。自分にもっと合う治療があるのでは」と思うのは、患者の自然な気持ちです。それを「標準治療ですから」と医師に言われると、質問もできなくなります。「合併症はありますか」と聞かれ、「合併症には何が含まれるのだろう」と思いながら聞き返せない、もしくは「病気を受け入れるなんてできない。一生懸命治療することが積極的ということなのか」と思う人もいるでしょう。
 患者が医師に聞きたいことや聞いてほしいことは、病気や治療から日常生活まで広範囲です。「言いにくい」という思いを常に抱える患者にとって、忙しそうにしている医師を前にすると「言いにくさ」がさらに募ります。それでも患者は「勇気を出そう」「助けてくれそうな医療者を探そう」「何か一言声をかけてみよう」と工夫をしています。それなのに、医療者から微妙にずれた言葉を連発されると、患者は一方的に言われた気持ちになります。
 患者から医療者への願いは、話をするとき目を合わせてほほ笑むこと、短い診察でもゆったりとした態度で接してくれること、「何でも聞いてください」と水を向けてくれること−−の三つです。患者の方に聞いた克服術によると、勇気が出るような楽しい模様や明るい色の用紙にメモをとり、言いにくいときはそのメモを読み、それでも話せないときはメモを見せると良いということでした。
 私は「言える、言える」と念じることを提案します。子どもだましのようですが、例えば両足を踏ん張って片腕を肩の高さまで真横に上げ、それを誰かが下ろそうとした際、自分に「できる、できる」と言い聞かせて抵抗すると簡単には腕は下がりません。「言える、言える」と念じながら診察室へ行ってみてはどうでしょうか。(おかもと・さわこ=奈良県立医大健康政策医学講座講師)

(転載終了)※  ※  ※

 先日、土曜出勤のことを書いたときに、普段は金曜日になるともう青息吐息だけれど、今週は土曜日も出勤、土曜日も出勤・・・と念じていたら割と大丈夫、と書いた記憶がある。そう、念じることのチカラは決して侮れない。自分を上手く暗示にかけることが出来ると、こうした医療関係者と向き合う時に限らず、いろいろな場面でとても得をする、と思う。

 私はずうずうしいのか、恵まれているのか、主治医に言いたいことが言えずに帰ってきた、という経験は、殆どない。返ってきた答えが判らなければ、その場で訊き返すし、宿題を持ちこして、悶々としたまま診察室を後にすることは、まずない。
 けれど、いろいろ訊きたくて、せっかくメモまで用意して診察室に入り、それでも訊くことが出来なかったとなると、それは大きなストレス、不完全燃焼だろうな、と思う。もちろん何のメモもなく、いきあたりばったりで、訊ければめっけもん、というのではやはり患者としては準備不足で、心もとない結果が透けて見えてしまうけれど。
 確かに、主治医が忙しいのは重々承知であるにせよ、それでもPCの画面ばかり見て、こちらと目を合わせてくれなかったら、哀しいことこの上ないだろう。幸せなことに、これまでの私の主治医は皆、ちゃんと目を合わせ、私の話に耳を傾けてくださった。
 もちろん、実際の診察時間自体は決して長くはないけれど、言いたいことは言えているし、訊きたいことについての回答は(判らない時には、はっきり判らない、と言ってくださることも含めて)その場できちんとあるし、こちらがあまり質問を用意していない時には、私が興味を持っているであろう新しい情報提供もしてくださるし、で、中身に本当に満足している。
 だから、今は5週間に1度となった通院がそれほどストレスではないのも事実だ(まあ、待ち遠しい、とまでは言わないけれど。)
 この恵まれた環境に慣れてしまうと、また頻繁に通わなくてはならなくなったときはちょっとキツそうだ。とにかく今の状況がキープ出来ますように、と念じている。

 岡本さんが最後に腕を下げる実験の話をされているが、これは本当だ。ヨガの瞑想ワークショップの時にも体験したけれど、自信を持って前向きな思いで念じると、腕は簡単に下がらない。そして、逆にしょぼんと後ろ向きな気持ちになった途端、腕はちょっとした力が加わるだけで簡単に下がってしまう。
念じていれば、叶う!のだ。患者たるもの診察室にも「大丈夫、大丈夫、私、出来るわ!」という気分で臨もうではないか。

 ようやく迎えた金曜日。あいにく朝から雨模様だ。今日は仕事の帰りに夫と美容院で合流し、カット。ヘッドスパもオプションで追加して、極楽の時間を過ごす。すっかり頭が軽くなってリフレッシュし、そのまま同じ階にあるレストランで夕食を摂って帰宅した。
 土日のお休みも梅雨空の予報。予定は入っているけれど、無理せずゆっくり過ごしたい、と思う。
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2014.7.3 センセイと呼ばれる方たち、大丈夫?

2014-07-03 19:59:18 | 日記
 先日、このブログでも取り上げた(品位というより、人として・・・)後、なんだかなあ、と強引に幕引きされた感が充満中の、都議会のセクハラヤジ発言事件。
 本当にこのまま終わらせるおつもりですか・・・、という何とも後味の悪い感じを受けるけれど、都議会なんてそもそもそんなレベルのものさ、という冷めた声も聞こえてくる。
 そして、その後も、センセイと呼ばれる方たちのあまり格好良くない記事がネット上にも紙面上にも踊り続けている。
 7月2日の読売新聞には「東京など“2日に1度日帰り訪問”…○○県議」とある。

※  ※  ※(転載開始)

A県議(47)(無所属)が昨年度、同県○○市や東京などを計195回、日帰りで訪問したとして、鉄道の切符代名目で政務活動費計約300万円を支出していたことが収支報告書で分かった。2日に1度以上、日帰り訪問を繰り返した計算。報告書に訪問相手や目的の記載はなく、領収書も添付されていなかった。A県議は1日、記者会見を開き、「全て実績に基づいた支出だ」と主張。一方で「県民から疑われており、返還を検討したい」と話した。13年度の報告書では、○○温泉駅(○○市)に106回、○○駅(○○県、○○町)に62回、○○駅(福岡市)に16回、東京都内に11回、日帰り訪問した、と記載されていた。同様の支出は11、12年度の報告書にも記されており、それぞれ約60回で約150万円、約90回で約350万円。3年間で計約800万円が支払われた。

(転載終了)※  ※  ※

 いや~、1年、365日のうち195日の日帰り出張、なんとお忙しいことか。この県議は一体何がしたくてそんな日帰り出張を繰り返したのだろう。そして、会見では日帰り訪問とは全く関係のないことまで言い出して号泣したとのこと。もう支離滅裂である。

※  ※  ※(転載開始)

やっと議員に…195回訪問の県議、突如号泣(2014.7.3読売新聞)
A県議(47)(無所属)が2013年度、同県内や東京などを計195回、日帰りで訪問したとして、鉄道の切符代名目で政務活動費計約300万円を支出していたことが、収支報告書でわかった。報告書には訪問相手や目的の記載はなく、義務づけられている領収書も添付されていなかった。A議員は2日、県議会の○○議長から「説明できない支出は返還すべきだ」と注意を受けた。A議員は1日に記者会見し、「すべて実績に基づいた支出」と正当性を主張。一方で、「県民から疑われている」として、返還を検討するとした。会見の途中では突如号泣し、「やっと議員になれた」「少子高齢化を解決したかった」などと、一方的に話し続ける場面もあった。

(転載終了)※  ※  ※

 もちろん大切な1票を持つ有権者たるもの、こういう人を選出してはいけないのだろうけれど、本当になんだかなあ、である。
 そもそも、私たちが都外に出張する時には全て出張報告書を書き、出張の証拠書類(例えば宿泊先の領収書や面会した相手の名刺等)を揃えて提出することになっている。公金を使うとなれば、収支報告書を求められることは当然わかっているのに、そうした領収書の類が何もなくて、でも正当だ、というのはなんとも苦し紛れだ。説明責任はどこにいってしまったのだろう。
 300万といえば、若い人たちの年収や高齢者の年金を優に超える額。それを全て2日に1回の出張に使いました、これは正当です、で一体誰が納得するだろう。
 そして、じゃあ、返せばいいんでしょ、という姿勢では、また同じことが繰り返されても何の不思議もない。本人がこれは人としてとても恥ずかしいこと、悪いことなのだ、と納得し、反省していなければ、何の解決にもならない。

さらには同じ読売新聞の今日付けの記事で、

※  ※  ※(転載開始)

「視察は知人に委託、報告書ほぼコピペ…○○県議
B県議(56)が昨年度の政務活動費73万円で知人女性に海外視察を委託した問題で、B氏は2日、県庁で記者会見し、委託視察の報告書を公表した。しかし、ほぼ全編がインターネット上で公開されている省庁の刊行物や個人ウェブサイトなどの記述と酷似していることが読売新聞の調べで判明。B氏は「私的なものなので問題はない」としているが、識者は「活動費を返還すべきだ」と指摘している。報告書によると、この女性がフランスなど3か国を訪問したのは昨年10月7日からの約1か月間。報告書は78ページで女性が作成したというが、出典や引用元は記されていない。主に文章で構成される54ページのうち8割にあたる44ページの表現がネット上の資料と酷似しており、ほぼ全編にわたり複写してはり付けたコピー・アンド・ペースト(コピペ)とみられる。オランダの「農業政策」についての報告のうち8ページは農林水産省が2013年に発行した報告書のほぼ丸写しだった。中には「2・2(章)以降で述べる」と引用しながら、その章がないずさんな複写もあった。同省国際政策課は「著作権は農水省にある。引用元を明記していないのは好ましくない」としている。ドイツの「犬猫殺処分」に関する報告では主に現地在住の日本人獣医師の個人ブログなどから引用した。フランスでの「都市交通政策」の調査では、路面電車「トラム」の歴史や路線図を京都大非常勤講師の個人ウェブサイトから引用していたとみられる。報告書には女性が現地で行ったとみられる関係者へのインタビューなども掲載されている。B氏は取材に対し「報告書は私的なものなので引用があっても構わない。ただ、引用の比率が高いと言われれば確認する」と釈明した。B氏はこの日の記者会見で、委託費として支出した73万円の根拠について「調査の成果に対してお支払いした」と説明、交通費や宿泊費など個別の経費については「全部足しはしなかった」と述べ、積算していなかったことを認めた。政務活動費の返還について「成果物(報告書)がある。なぜ返還しなくてはならないのか」と語り、返還する意思のないことを強調した。

(転載終了)※  ※  ※

 うーん、どうして公人が平然とこういうことを口に出来るのだろう・・・。
 そもそも県議として、自らが行う必要があったはずの視察を、知人に委託すること自体も理解出来ないが、報告書がコピペであることさえ確認しないまま提出してしまうのも余りに大胆不敵ではないか。
 そんなにいい加減でいいのだろうか。否、いいわけがない。それとも端から有権者を馬鹿にしているのだろうか。

 こうした人のアラ探しのようなことを好き好んでいるわけでは決してないけれど、あまりに驚愕することが続くので、記事にしてみた。こうしたことはまだまだ氷山の一角なのだろう、とも思う。もちろん自分を選んでくれた県民のために汗水たらして誠実に仕事をしているセンセイ方もおられるわけだから一緒にされては、たまらない、ということもあるだろう。

 センセイ方、卑しくも税金を頂いているわけですから、納税者に説明責任があるのは当然なのだと思いますけれど、いかがでしょうか。
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2014.7.2 文月スタートは精神保健講習会参加から

2014-07-02 20:22:04 | 日記
 7月がスタート。あっという間に今年も折り返し地点を超えた。昨日からようやく職場にも冷房が入り、ほっと一息だ。朝は数名の異動者がご挨拶をされ、新体制で業務がスタートした。

 昨日は午後から「管理監督者が精神保健に関する正しい知識を身につけ、職員の心の問題に対する適切な対応について習得することを目的とする。」という精神保健講習会に参加した。例年、時間が合えばなるべく参加している講習会だ。こうして時々、職場外の空気を吸うことは私にとって、とても大切なことである。

 今年のテーマは「職場を元気にする 部下とのコミュニケーション法」。チラシには「メンタルヘルス不調の発生を未然に防ぐ取組みとして、“職場におけるストレス要因の把握と改善”が挙げられますが、管理監督者自身も忙しく、仕事上のやりとり以外で部下への配慮が難しくなってきています。また、行政課題の高度化・複雑化や定期異動など、避けられないストレス要因があるのも実状です。そこで、ストレスを過大に感じないよう職員1人1人のストレス耐性を高めることも、重要な取組みとなってきます。本講演では、仕事上のやりとりの中で、部下のストレス耐性が向上していくようなコミュニケーション法について、心理学の専門家を招き、講義して頂きます。」という触れ込み。講師は東北大学大学院教育学研究科准教授の若島孔文先生が務められた。
 氏は財団法人ふくしま自治研修センター客員教授、海上保安庁第三管区惨事ストレス対策委員などを務め、職場・家庭・学校等の人間関係の問題解決について、実践・研究している若手研究者。様々な行政機関・教育委員会等の講演・研修及びセミナー講師を務めるとともに、東日本大震災後、石巻市役所等の被災地を支援する行政職員のストレス・ケアに多くの力を注いでいる。いわば行政をよく知る、心理学の専門家である。
 ご本人がおっしゃるには、一番の苦手は話すこと。最初は緊張されていたせいか、失礼ながら正直、ちょっと「アレレ、大丈夫かな」と思ったけれど、だんだん調子が出てきてからは朴訥とした感じが実に良い味を出して、後半は笑いが溢れる講演会となった。
 あの佐藤優さんがよく書いておられるけれど、出来ることと好きなことは違うし、自分が一番興味のあることが一番得意なことではないのだな、と実感する。

 自律性、有能性、関係性という人間が持っているこころの基本的ニーズを尊重しながら、学習性無気力に陥らせない―やる気のない人は、そもそもパーソナリティとしてやる気がないのではなく、コントロール感の欠如を体験することにより(自分では出来ないということを学習し)無気力になる―ようにすることが大切だ、という説明になるほどな、と思う。

 特に、物事がうまくいった時、うまくいかなかった時、どういう形でそれを説明(理由づけ)するかという説明スタイル―肯定的説明スタイル、否定的説明スタイル―について、うまくいった時は個人的、永続的、普遍的な説明とし、うまく行かなかった時は逆にそうした説明にはしない(仕事がうまくいったとき、(1)今回はなんとか切り抜けられた、が否定的、(2)どんな問題でも最終的になんとかなるものだ、が肯定的。人間関係がうまくいかないとき、(1)私には人間関係をうまく行う才能がない、が否定的、(2)今回の相手は自分とはたまたま相性が悪い、が肯定的)ことでパフォーマンス力が上がるということについては、大いに頷かされた。
 と、同時に、これまで私がしてきた息子に対しての接し方を大いに反省しなくては、と気づかされた(仕事上、部下には自然に出来ることがなぜ、身内には出来ないのだ、と思うけれど・・・)。

 今日は梅雨の晴れ間、夏の日差し溢れる日になった。あっという間に暑い夏がやってきそうな気配である。
 帰宅すると今月初めてのお花が届いていた。中心が濃いピンクのオリエンタルリリー、紫のネギ坊主のような丹頂アリウム、細かい黄色い花を沢山付けているソリダコがそれぞれ2本ずつ、花言葉は「高貴」、「くじけない心」、「永遠の少年」だそうだ。
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