このブログで何度かご紹介させて頂いている毎日新聞連載中の岡本左和子さんのコラム。最新号にまたハッとさせられたので、以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
診察室のワルツ:/62 「言える、言える」と念じて=岡本左和子(毎日新聞 2014年07月03日 東京朝刊)
ある患者から「医療者が使う言葉は、患者の思いから微妙に外れている」と言われました。患者からの質問や話を聞くことが多い私自身も含め、ハッとさせられました。
例えば、「標準治療」「合併症」「病気を受け入れる」「前向きに治療に取り組む」などの言葉です。病気によって標準的な治療手順がありますが、「自分だけは違うかもしれない。自分にもっと合う治療があるのでは」と思うのは、患者の自然な気持ちです。それを「標準治療ですから」と医師に言われると、質問もできなくなります。「合併症はありますか」と聞かれ、「合併症には何が含まれるのだろう」と思いながら聞き返せない、もしくは「病気を受け入れるなんてできない。一生懸命治療することが積極的ということなのか」と思う人もいるでしょう。
患者が医師に聞きたいことや聞いてほしいことは、病気や治療から日常生活まで広範囲です。「言いにくい」という思いを常に抱える患者にとって、忙しそうにしている医師を前にすると「言いにくさ」がさらに募ります。それでも患者は「勇気を出そう」「助けてくれそうな医療者を探そう」「何か一言声をかけてみよう」と工夫をしています。それなのに、医療者から微妙にずれた言葉を連発されると、患者は一方的に言われた気持ちになります。
患者から医療者への願いは、話をするとき目を合わせてほほ笑むこと、短い診察でもゆったりとした態度で接してくれること、「何でも聞いてください」と水を向けてくれること−−の三つです。患者の方に聞いた克服術によると、勇気が出るような楽しい模様や明るい色の用紙にメモをとり、言いにくいときはそのメモを読み、それでも話せないときはメモを見せると良いということでした。
私は「言える、言える」と念じることを提案します。子どもだましのようですが、例えば両足を踏ん張って片腕を肩の高さまで真横に上げ、それを誰かが下ろそうとした際、自分に「できる、できる」と言い聞かせて抵抗すると簡単には腕は下がりません。「言える、言える」と念じながら診察室へ行ってみてはどうでしょうか。(おかもと・さわこ=奈良県立医大健康政策医学講座講師)
(転載終了)※ ※ ※
先日、土曜出勤のことを書いたときに、普段は金曜日になるともう青息吐息だけれど、今週は土曜日も出勤、土曜日も出勤・・・と念じていたら割と大丈夫、と書いた記憶がある。そう、念じることのチカラは決して侮れない。自分を上手く暗示にかけることが出来ると、こうした医療関係者と向き合う時に限らず、いろいろな場面でとても得をする、と思う。
私はずうずうしいのか、恵まれているのか、主治医に言いたいことが言えずに帰ってきた、という経験は、殆どない。返ってきた答えが判らなければ、その場で訊き返すし、宿題を持ちこして、悶々としたまま診察室を後にすることは、まずない。
けれど、いろいろ訊きたくて、せっかくメモまで用意して診察室に入り、それでも訊くことが出来なかったとなると、それは大きなストレス、不完全燃焼だろうな、と思う。もちろん何のメモもなく、いきあたりばったりで、訊ければめっけもん、というのではやはり患者としては準備不足で、心もとない結果が透けて見えてしまうけれど。
確かに、主治医が忙しいのは重々承知であるにせよ、それでもPCの画面ばかり見て、こちらと目を合わせてくれなかったら、哀しいことこの上ないだろう。幸せなことに、これまでの私の主治医は皆、ちゃんと目を合わせ、私の話に耳を傾けてくださった。
もちろん、実際の診察時間自体は決して長くはないけれど、言いたいことは言えているし、訊きたいことについての回答は(判らない時には、はっきり判らない、と言ってくださることも含めて)その場できちんとあるし、こちらがあまり質問を用意していない時には、私が興味を持っているであろう新しい情報提供もしてくださるし、で、中身に本当に満足している。
だから、今は5週間に1度となった通院がそれほどストレスではないのも事実だ(まあ、待ち遠しい、とまでは言わないけれど。)
この恵まれた環境に慣れてしまうと、また頻繁に通わなくてはならなくなったときはちょっとキツそうだ。とにかく今の状況がキープ出来ますように、と念じている。
岡本さんが最後に腕を下げる実験の話をされているが、これは本当だ。ヨガの瞑想ワークショップの時にも体験したけれど、自信を持って前向きな思いで念じると、腕は簡単に下がらない。そして、逆にしょぼんと後ろ向きな気持ちになった途端、腕はちょっとした力が加わるだけで簡単に下がってしまう。
念じていれば、叶う!のだ。患者たるもの診察室にも「大丈夫、大丈夫、私、出来るわ!」という気分で臨もうではないか。
ようやく迎えた金曜日。あいにく朝から雨模様だ。今日は仕事の帰りに夫と美容院で合流し、カット。ヘッドスパもオプションで追加して、極楽の時間を過ごす。すっかり頭が軽くなってリフレッシュし、そのまま同じ階にあるレストランで夕食を摂って帰宅した。
土日のお休みも梅雨空の予報。予定は入っているけれど、無理せずゆっくり過ごしたい、と思う。
※ ※ ※(転載開始)
診察室のワルツ:/62 「言える、言える」と念じて=岡本左和子(毎日新聞 2014年07月03日 東京朝刊)
ある患者から「医療者が使う言葉は、患者の思いから微妙に外れている」と言われました。患者からの質問や話を聞くことが多い私自身も含め、ハッとさせられました。
例えば、「標準治療」「合併症」「病気を受け入れる」「前向きに治療に取り組む」などの言葉です。病気によって標準的な治療手順がありますが、「自分だけは違うかもしれない。自分にもっと合う治療があるのでは」と思うのは、患者の自然な気持ちです。それを「標準治療ですから」と医師に言われると、質問もできなくなります。「合併症はありますか」と聞かれ、「合併症には何が含まれるのだろう」と思いながら聞き返せない、もしくは「病気を受け入れるなんてできない。一生懸命治療することが積極的ということなのか」と思う人もいるでしょう。
患者が医師に聞きたいことや聞いてほしいことは、病気や治療から日常生活まで広範囲です。「言いにくい」という思いを常に抱える患者にとって、忙しそうにしている医師を前にすると「言いにくさ」がさらに募ります。それでも患者は「勇気を出そう」「助けてくれそうな医療者を探そう」「何か一言声をかけてみよう」と工夫をしています。それなのに、医療者から微妙にずれた言葉を連発されると、患者は一方的に言われた気持ちになります。
患者から医療者への願いは、話をするとき目を合わせてほほ笑むこと、短い診察でもゆったりとした態度で接してくれること、「何でも聞いてください」と水を向けてくれること−−の三つです。患者の方に聞いた克服術によると、勇気が出るような楽しい模様や明るい色の用紙にメモをとり、言いにくいときはそのメモを読み、それでも話せないときはメモを見せると良いということでした。
私は「言える、言える」と念じることを提案します。子どもだましのようですが、例えば両足を踏ん張って片腕を肩の高さまで真横に上げ、それを誰かが下ろそうとした際、自分に「できる、できる」と言い聞かせて抵抗すると簡単には腕は下がりません。「言える、言える」と念じながら診察室へ行ってみてはどうでしょうか。(おかもと・さわこ=奈良県立医大健康政策医学講座講師)
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先日、土曜出勤のことを書いたときに、普段は金曜日になるともう青息吐息だけれど、今週は土曜日も出勤、土曜日も出勤・・・と念じていたら割と大丈夫、と書いた記憶がある。そう、念じることのチカラは決して侮れない。自分を上手く暗示にかけることが出来ると、こうした医療関係者と向き合う時に限らず、いろいろな場面でとても得をする、と思う。
私はずうずうしいのか、恵まれているのか、主治医に言いたいことが言えずに帰ってきた、という経験は、殆どない。返ってきた答えが判らなければ、その場で訊き返すし、宿題を持ちこして、悶々としたまま診察室を後にすることは、まずない。
けれど、いろいろ訊きたくて、せっかくメモまで用意して診察室に入り、それでも訊くことが出来なかったとなると、それは大きなストレス、不完全燃焼だろうな、と思う。もちろん何のメモもなく、いきあたりばったりで、訊ければめっけもん、というのではやはり患者としては準備不足で、心もとない結果が透けて見えてしまうけれど。
確かに、主治医が忙しいのは重々承知であるにせよ、それでもPCの画面ばかり見て、こちらと目を合わせてくれなかったら、哀しいことこの上ないだろう。幸せなことに、これまでの私の主治医は皆、ちゃんと目を合わせ、私の話に耳を傾けてくださった。
もちろん、実際の診察時間自体は決して長くはないけれど、言いたいことは言えているし、訊きたいことについての回答は(判らない時には、はっきり判らない、と言ってくださることも含めて)その場できちんとあるし、こちらがあまり質問を用意していない時には、私が興味を持っているであろう新しい情報提供もしてくださるし、で、中身に本当に満足している。
だから、今は5週間に1度となった通院がそれほどストレスではないのも事実だ(まあ、待ち遠しい、とまでは言わないけれど。)
この恵まれた環境に慣れてしまうと、また頻繁に通わなくてはならなくなったときはちょっとキツそうだ。とにかく今の状況がキープ出来ますように、と念じている。
岡本さんが最後に腕を下げる実験の話をされているが、これは本当だ。ヨガの瞑想ワークショップの時にも体験したけれど、自信を持って前向きな思いで念じると、腕は簡単に下がらない。そして、逆にしょぼんと後ろ向きな気持ちになった途端、腕はちょっとした力が加わるだけで簡単に下がってしまう。
念じていれば、叶う!のだ。患者たるもの診察室にも「大丈夫、大丈夫、私、出来るわ!」という気分で臨もうではないか。
ようやく迎えた金曜日。あいにく朝から雨模様だ。今日は仕事の帰りに夫と美容院で合流し、カット。ヘッドスパもオプションで追加して、極楽の時間を過ごす。すっかり頭が軽くなってリフレッシュし、そのまま同じ階にあるレストランで夕食を摂って帰宅した。
土日のお休みも梅雨空の予報。予定は入っているけれど、無理せずゆっくり過ごしたい、と思う。