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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.4.8 私は新種のマグロになろう

2013-04-08 20:18:59 | 日記
 先日、ランチ会をアレンジしてくれた大学時代の友人から、写真の御礼のメールがあった。
 30分遅刻した私が到着するまで、5人の友人たちは会食を始めるのを待ってお喋りしていてくれたのだが、その時に私はマグロだ、ということで一致したそう。
 マ、マグロですか・・・?最初にその「マグロ」という単語を見た時、反射的に陸揚げされ、ゴロンと横たわる太ったマグロを想い浮かべてしまった私。
 もちろん友人はそのココロについてもちゃんと書いてくれていたのだけれど・・・。

 後学のためにマグロの生態を調べてみた。
 以下、三崎まぐろのお店のホームページから転載させて頂く。

※ ※ ※(転載開始)

●時速160kmで泳ぐ海のチャンピオン
マグロは餌の乏しい外洋を回遊することが多いため、餌を捕まえるために高速で泳ぐ能力を身に付けました。
形態的には無駄のない、完全紡錘形の頑丈な体つきになりました。そして、高速遊泳時における水の抵抗を少なくするために、第一背ビレ、胸ビレ、腹ビレを収納する装置(鰭収納溝)を備え、また優れた推進力を生み出す強力な尾ビレを持っています。通常は時速30~60kmくらいで泳ぎますが、最高では時速160kmで泳ぐとの報告もあり、海の最速の魚といえます。
●マグロは一生眠らずに泳ぎ続ける
マグロは口を開けて泳いでいます。これは口を開けることによって、エラを通過する水から酸素を取り入れて呼吸するためです(ラムジュート換水法)。マグロは、泳ぐのを止めると窒息してしまうため、一生のあいだ、いっときも休むことなく高速で泳ぎ続けなくてはいけないのです。夜のあいだも十分な睡眠をとることはなく、やや代謝を低くして遊泳速度を落としながら泳ぎ続けます。マグロは呼吸するために泳ぎ続けることを運命づけられた魚なのです。

(転載終了)※ ※ ※

 皆さん、それはないでしょう。高速で泳ぎ(走り)続けることなど出来ないし、睡眠不足は私にとって一番の敵。完徹なんて、30年近く続けている仕事でも片手に余るほどしか経験がない。とにかく、体力(も根性も)がないのは折り紙付き。ただ、貧乏性なだけなのであって・・・。
 それでも、マグロにとって泳ぐのをやめることは生きるのをやめること。呼吸するために泳ぎ続ける、友人たちからは本当に頑張り過ぎに見えるけれど、それは私を生き生きさせる原動力なのかもしれない、そんなふうに思って頂いているならなんとももったいなく、本当に有難いことだ。

 そして、メールをくれたMちゃんが言うとおり、集まった6人は皆、それぞれが程度と向きの差こそあれ生き生きと泳ぎ続けるマグロなのだと思う、ということにとても納得した。
 決して高速でなくとも、自分なりのペースで深呼吸しながら、そしてしっかり睡眠(休息)をとりながら、少しずつでも前に進んでいける新種のマグロになれたらいいな、と思う。

 今日は目覚ましをかけていた時間の10分前に自然に目覚めた。ご飯を炊いて久しぶりにお弁当の準備。空を見上げれば雲ひとつなく真っ青。いい月曜日だ。
 息子も珍しく早目に起き出してきて、「早くしなさい!」を言わずに送り出すことが出来、何ともストレスフリー。

 そう、ほぼ1カ月ぶりに2人を送り出してから小一時間の1人の時間が戻ってきた。嬉しい。テレビのニュースをBGMにゆっくり新聞をめくりながら、身支度をする至福の時間。1週間のスタートが上々の滑り出し。こいつぁー春(新年度)から縁起がいいわ、という気分だ。
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2013.4.7 土日雑感~かつら調整からランチ会へ、そして先輩宅訪問

2013-04-07 19:47:39 | かつら
 当分の間、毎日更新しないことも・・・と書いたのが一昨日のこと。1日空いただけで、もうムズムズして、気付けばこうしてパソコンに向かっている。我ながら何ということだろう。

 昨日は朝一番の予約時間でかつらサロンに出かけた。
 いつもは1時間半もかからずに終わるのだけれど、髪の毛が伸びてきたこともあり、調整が思いのほか長引いた。その後いつものようにシャンプー、ブロー、トリートメントをしてもらい、結局、2時間近くかかってしまった。ふんわり艶が出て綺麗になって戻ってはきたけれど、いかんせん4年前の最初の脱毛時から使っているので、少し痛みが気になってきていると言われた。
 この後、このまま自毛に戻ることが出来るか、それともずっと被り続けるのか、今の状況では分からない。2つ目を購入するかどうかはまたご相談ということで、2か月後の予約をし、サロンを後にした。こうして無料で調整してもらえるとはいえ、安い買い物ではないのでちょっと悩ましい。

 さて、普段ならサロン滞在時間が2時間かかっても全く問題ないのだが、折しも昨日は大学時代の友人とのランチ会が控えていた。昨年、私がEC治療中で出席することが出来ず、体調の安定を待って頂いてのアレンジだった。さらに、私が午前中かつら調整で出かけているため、開催場所を都心ではなくずっとこちら寄りにしてもらったのだ。
 よりによってこの日を狙って来なくても・・・、というタイミングで春の暴風雨の予報。午後遅くからは雨風とも強くなることを考え、決行すれども早め解散の連絡が来ていた。かつらサロンを出た時には既に強い風が吹き始めており、かつらが飛ばされそう。折角ブローしてもらったのに・・・と、ちょっと哀しくなる。開始時間には間に合わないので、先に始めていてください、のメールをしたものの、電車の接続も悪く、友人たちを30分も待たせてしまって、恐縮しきりだった。
 あっという間の2時間半。閑静な住宅地にあるフレンチ懐石の隠れ家風レストランで美味しいお料理を頂き、今日は出席していない同級生たちの近況も聞いたりしながら、楽しい時間を過ごした。
 早めの解散で、皆が無事に帰宅出来たことが分かり、ほっとする。記念写真も撮り、次回もまた元気で会えますように、とメールでお送りした。

 そして、今日。
 日曜日らしく寝坊はしたが、台風一過の如く青空が広がり、風は強めだけれど春爛漫のお天気。これは!と洗濯機を欲張って3回回してから、夫と駅前で買い物を済ませ、昼過ぎのベーシックヨガのクラスに参加する。しっかり汗を流してリフレッシュ。
 その足で、昨年の夏に引っ越しした職場の先輩宅を訪問した。一昨年の東日本大震災直前にご主人を肺がんで亡くされてから早いもので2年が過ぎた。ご主人との思い出がありすぎて・・・と、ご自宅を処分されてお一人で新築マンションに移られたのだ。
 お一人では本当に広いだろうな、と思うほどの素晴らしい新居。ご主人にお線香をあげさせて頂いた後、リビングの大きな窓ガラスからの眺望にため息をつく。職場である大学の全景、遠く富士山も眼前に広がっている。
 ご主人との思い出話や仕事のこと、これからのこと等、職場ではあまりお話しすることも出来ない話題が次々と。
 これまたあっという間に3時間以上が過ぎ、お暇してきた。

 そんなこんなでこれまたあっという間に土日が終わってしまった。

 明日からは勤務する大学では前期授業開始。ガイダンスもあり、忙しい1週間になりそうだ。とにもかくにも仕事があることに感謝しながら有難く過ごしたいと思う。
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2013.4.5 これからのこのブログのこと

2013-04-05 19:03:10 | 日記
 あっという間に4月第1週の勤務も最終日になった。
 一昨日とは打って変わって、昨日、今日とぽかぽかとした春らしいお天気。ちょっと胸痛があっても自然と機嫌が良くなってしまう。
 思った通り、木々の若芽の緑はきらきらと輝いている。一緒に思いっきり深呼吸をして、光合成をしたくなる気分だ。

 長かった息子の春休みも今日で終了。明日はようやく始業式。いよいよ中高一貫校の最高学年になる。
 この4週間近く、すっかり朝寝坊が身に付いて(こういうのを身に付くと言ってよいものかわからないが)、さぞや生活のリズムを戻すのが大変だろうな、と思う。が、来週からは私もまたお弁当作り再開なので、起床時間が繰り上がるのがちょっと憂鬱でもある。

 さて、当初は治療日記から開始して、いつのまにかほぼ毎日、日記形式で綴ってきたこのブログのこと。
 最近、毎日書くことが励みになるのと同様、自分で自分の首を絞めているのではと感じるようになっている。
 そもそも貧乏性なことと、一度始めたことを止めるのが不得意なせいで、自分の中でやらなければならないことが増える一方なのである。
 とはいえ1日は24時間。職住近接とはいえフルタイムで働き、仕事の後にヨガスタジオに寄り、休日は友人たちと交流を深め、手抜きとはいえ一応日々の家事もこなす中、読みたい本も観たい映画も山積。だからといって体調管理を思えば睡眠時間を減らすことも出来ない。
 何より書くことが好きだし、書くことは自分の気持ちの整理にもなるし、沢山の方たちに読んで頂けているということが自分の励みにもなる。
 けれど、独り言をメモ書きしているわけでもなく、ひと様に読んで頂くために、それなりに編集も推敲もする。ごく普通の生活を送っている中で、そうそう波乱万丈なネタが日々是満載というわけでは当然、ない。
 私のことを案じてくれる友人知人たちに、今の私の状況を1人1人に連絡するのは相手にとっても重いだろうし、もし気にかけてくださっているなら、よろしければ読んでくださいね、ということで、ブログのアドレスをお教えしてきた。
 今の体調と通院の頻度がいつまで続くのかは神のみぞ知るであるが、通院が4週間に1度となり、大きな体調の変化や目に見えた病状の悪化があるわけでもなく(実際来月辺り効果測定をする迄は、体の中で何が起こっているのかはわからない。)、ごく普通の毎日を送っていることについて、大勢の方たちにこと細かにお知らせする必要があるのだろうか、とも思うようになっている。

 当初から、ブログを書くことが「私生活の垂れ流し」になってはいけないと自分に言い聞かせてきた。それは一緒に暮らしている夫や息子に対する最低限の礼儀でもある、と。
 昨日も更新出来なかったが、沢山の方たちにご訪問頂きながら申し訳ないな、という負い目がある。また、ブログにログインする度に眼の前に出てくるアクセスランキング等、そういうものに全く煽られないと言われれば嘘になる。 
 けれど、人目をひくような題名をつけて、それに相応しくない中味のないものを書くとか、せっかくご訪問頂きながら更新がないのでは申し訳ないからといって、無理やりネタを絞り出して書くというのでは、本末転倒であるし、私自分の美意識にも反する。

 今後、また体調や治療に大きな変更があり、発信しておきたいことが溢れて・・・ということになれば、また毎日綴ることになるだろう。けれど、今の治療が続いてくれるしばらくの間、書きたいことがある時、発信しておきたいことがある時だけの更新にしたい、と考えている。

 そんなわけで、時には更新されない日もあるかと思いますが、よろしければ今後も、たまに覗いて頂ければ嬉しいです。
 更新がないから具合でも悪いのかしら、とご心配頂くことはとてもありがたいのですが、私の場合、逆に具合が悪い時こそ(家にいて、あるいは病院で)ブログを書き連ねるような気がします。
 毎日ブログが更新されていないからといってどうぞ心配なさらぬようにお願いします。
 細く長く続けていくために、の方針変更です。これからも末永くよろしくお願いいたします。
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2013.4.3 閑話休題、最近の体調のこと

2013-04-03 19:55:22 | 日記
 昨夜から降り続いた雨は収まるどころか今日は本降り。ようやく午後遅くになって上がった。
 昨年の今日も季節外れの台風が来て、大荒れの天候だったことを思い出す。昨日と同じ新入生対象の印刷物配布日だったから、やけにはっきり記憶しているのだろう。
 今日も学部ガイダンスの日だが、新入生にとっても準備する職員にとってもお天気が悪いと大変だ。
 そして、春の嵐は無情に桜の花びらを散らして通り抜けていった。夕焼けが美しい。

 治療日記が母体のブログといいつつ、2月以降は4週間に1度の通院になっているため、ついつい病気であることを忘れ、日々の仕事や友人とのランチ会、あるいはホットヨガに明け暮れる(家事は手抜きの)ずうずうしい私の姿を晒している。
 もちろん全くストレスフリー、痛みからもフリーというわけではないけれど、昨年秋のEC治療中のあの酷い副作用に悩まされた数カ月は、今は遠い忘却の彼方といった感じである。人間は忘れられるからこそ生きていられるのだな、と改めて思う。

 それでも、たまには体調のことや副作用のことを書いておきたい。
 ゾメタ点滴後は、何となく体中の骨がギシギシする、というのはもう慣れっこなこと。そしてずっと続くわけでもない。せいぜい翌日、翌々日くらいまでのことだ。また、昨日今日のように気温が低く雨模様だったりすると、胸骨辺りの胸部圧痛や鈍痛からは逃れられない。ひところより酷くなっている、というわけではないので、気にしても仕方がないといった感じ。

 フェソロデックス注射後、当日から2,3日間は注射をした両方の臀部に痛みと重さが残り、押すと当然痛いし腰痛のごとくちょっと足を引きずる感じ。筋肉注射だからこれまた致し方ない。それでも看護師さんたちが上手なのだろう。酷い痣になったり、硬くなってしまったり、ということはこれまでの4回では一度もない。
 フェマーラやアロマシン等の内服のホルモン剤ほどではないが、朝に限らず手指のこわばりはいつも若干ある。また、忘れたようにホットフラッシュもやってくる。まだ更年期状態なのか良くわからないけれど。
 今のところ、心配した白内障等眼の異常はない。老眼鏡をかけることなく(まだ作っていないのもずうずうしい?)日々を送ることが出来ている。
 口内炎等の粘膜障害や下痢、便秘等の消化器系障害も殆どなし。ナベルビン時代からの足先のしびれは未だ取れずなのが、玉にキズである。

 完全脱毛した髪の毛は、そろそろ全方向に野放図に伸び始めて2センチくらいになる。このペースで夏になると、四方八方かなり爆発的になって、かつらの下に被るガーゼの黒い帽子が、きつくて被れなくなるだろう。けれど、もみ下げの部分やおでこの部分から自分の髪の毛がはみ出しているとこれまた頂けないので、やはり被らないわけにはいかない。いきなり自毛でベリーショートデビューする元気もないので、どうしても我慢できそうになければ、ソフトランディングのためにショートのかつらを被ることになるだろうか。

 そんなこんなで、前回の通院日から早くも20日が経った。来週の木曜日が通院日である。
 「私のノート」も先月末で書き終えてしまった。最低限のメモはしているけれど、有難いことに特記事項が殆どないので、日々の体重や便通の記録+α程度だ。
 抗がん剤治療中というわけでもないので、新しいノートはまだもらわないでおくつもりだ。

 帰宅すると、今月1回目のお花が届いていた。
 オレンジと赤いラナンキュラスが2本ずつ、白と紫と赤のアネモネが1本ずつ、小さな白い花をつけたアリウムコワニーが3本、榊のような葉のルスカスが2本。それぞれの花言葉は輝く魅力」、「はかない恋」、「正しい主張」だという。色がとても鮮やかで花瓶に活けるとぐっと元気が出るようだ。
コメント (4)
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2013.4.2 義母のことと両親のこと

2013-04-02 21:47:57 | 日記
 昨夜、義母が入所している特養施設の担当者から、入居時に“身元引受人”となった夫に連絡があった。
 入院先の主治医との話で、「(義母は)今後快復が望めない」ことが確認されたという。また、義母が元気な頃にしたためていた「延命治療は望まない」という押印済みの書面が見つかったそうだ。
 そのため、義母の意思を尊重すれば延命のための胃ろう、気管切開や心肺蘇生等は行えないということになる。経口栄養摂取が難しいということなので、原則として口からの食事を提供する施設に戻ることは出来なくなった。

 見舞いに行くたび、意識も斑になっていたし、私はもとより夫のことも判らなくなっていたので、施設に戻れないというのは致し方ないことなのか、と思っていた。何より施設では体調のトラブルがある度に、仕事中であろうが夜中であろうが構わず義妹のところに電話が入り、義妹が仕事どころではない、と音を上げていたことも問題だった。だから入院出来て義妹は心底ほっとした、と聞いていた。

 ところが、何か行き違いがあったのか現状認識の違いがあったのか、先週末「もう一度、食事訓練から始めて面倒を見させてください。」という話が施設の担当者から出た。
 このことで、一旦は回復は難しいからこのまま病院で最期を迎えるしかないという気持ちが固まりつつあった義妹が、また悩ましい状態になっており、案じていた。
 病院で点滴の管に繋がれ、ただ最期を待つだけという判断をすること-自分が母の命の選択をすること-は辛すぎる、どうしたらいいのだろう、と判断の重みに耐えかねている義妹の悲鳴を聞いた。

 けれど、今回、主治医から、胃ろう又は経管栄養しかないとの説明が特養の担当者に行われ、特養としては、「もう一度、食事訓練から・・」とは言ったものの、それではやはり施設で受け入れることは困難、となった。
 結局、点滴を施すだけの病棟への移動を受け容れるしか術がないことになる。義妹としては、自分が敢えてそういう選択をしたというのではないということで、むしろ救われるのではないか、と夫と話した。

 義妹は、義母の今の状態がこんなに(闘病生活が)長くなるとはゆめゆめ思わなかったそうだ。一昨年暮れに脳出血で倒れた時に、そのまま(病気が)悪くなって亡くなることしか想定していなかったという。だから、急性期には義母の意向を忖度して“延命治療はしない”という判断をしたものの、この1年半で、本当にそれでよいのか、とその気持ちが揺らいでいるというのは十分考えられる、と夫は言う。

 義母が倒れ、認知症の症状が進んで自分の意思を伝えることが出来なくなってからは、当然のことだけれど、義妹や夫の意向により今の義母があるわけだ。
 義弟や私にとっては実の親ではないから(決して冷たく突き放しているわけではない。)、義妹や夫が納得出来る母親の見送り方をすることが何より大切なことで、今の状況でのベスト(ベター)な選択をしてもらうしかない。

 けれど、冷静に考えてみれば、この状況が例えばあと10年後でなくて良かったとも思う。これ迄1年半近く、義妹夫婦も私たち夫婦も肉体的、経済的に今出来る最大限のことをしてきた。私たちの体調や資力が10年後に同じであるとは限らない(第一私が10年後まで元気でいられるというなら、そもそもこんな闘病記ブログを書いているわけがない。)。
 さらに、受け容れ先を探しながら病院を移動することもなく、今の病院で入院が継続出来る、ということも幸運だったのではないか、と思う。今の義母は肺炎も治り、特に悪い所があるわけではないため、今いる治療が必要な人たちの病棟には最大3カ月しかいられないそうだ。その間に、2階下の点滴病棟(でどなたかが亡くなって空きが出て)に移動することになるのだろう。

 こんなことがあって、自分自身のことを振り返れば、今までなるべく三猿状態(見ない聞かない言わない)、アンタッチャブルにしてきた両親と、きちんと機会を設けて話をしておかなければならない、と思うようになっている。
 今年の誕生日が来れば85歳と80歳になる“後期高齢者”の両親だ。いつ何時、何が起こるかわからない。義母と両親の最期が重なることだって考えられる。そんな状況になったら、悩んで迷っている時間などないだろう。
 面と向かって、最期にどうしたいか、と訊くのはなかなか辛いことではあるが、避けられないこと。
 延命治療についても葬儀についてもお墓(これに関しては、両親は早々と都営霊園の合祀の手続きを済ませている。一人娘の私が自分たちより長生き出来るかわからず、全くあてにならないし、1人きりの孫に墓守をさせるのもどうか、と考えてのことらしい。)のことについても、書面にしてその意向確認をし、預かっておくなりしておきたいと思う。
 お互い後悔をしない最期を迎えるために。

 今日は朝から冷たい雨。夜に向けて予報通り土砂降りになった。
 昼前からは新入生向けの資料配りで、屋外で立ち仕事、力仕事。手がかじかむような寒さの中、ダウンコートとブーツで臨んだ。
 さすがにこの雨は花散らしの雨になるだろう。10日近く楽しむことが出来た桜も終わり、この雨が上がったら、芽吹き始めた木々の緑がいきなり輝いてくることだろう。
コメント
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