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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.8.26 あと5年すれば・・・

2011-08-26 07:01:14 | 日記
 昨日の日刊工業新聞の記事で目にとまったもの。以下転載させて頂く。
 
 ※  ※  ※(転載開始)

 岡山理科大など、副作用少ない抗がん剤の候補物質を開発(2011年08月25日)

 岡山理科大学の濱田博喜教授、岡山大学の妹尾昌治教授、塩水港精糖の研究チームは、薬物送達システム(DDS)を利用した新しい抗がん剤の候補物質を開発した。乳がんや前立腺がんなどへの抗がん作用を持つ化合物「パクリタキセル」を改変。ブドウ糖と結合させることで水に溶けやすくし、ナノサイズのカプセルに閉じ込め、副作用が少なくがん細胞のみを標的とした抗がん剤の候補物質を作れた。
 今後、動物実験での安全評価などを行い、「5年後には臨床試験に入りたい」(濱田岡山理科大教授)としている。研究成果は9月11日からフランスで開催される日仏合同シンポジウム「メディシナル・アンド・ファイン・ケミストリー」で発表する。
 パクリタキセルを水に溶かし、カプセルに封じ込めた例は初めてという。パクリタキセルは既に抗がん剤に使われているが、水に溶けない性質を持ち、白血球が減るなどの副作用があった。
 既存の抗がん剤の中には水に溶けにくい化合物も多い。研究チームが持つ技術で、水に溶けやすい抗がん剤に換えれば、カプセルの中に入れDDSに利用できる可能性があるという。
 多くのがん細胞に共通して発現する「Her2」というたんぱく質に着目。カプセルに水溶性のパクリタキセルを閉じ込め、カプセルの外側にHer2を認識し結合するトラスツズマブという抗がん剤を結合させた。
 作成したカプセル型薬剤の入った培養液に、ヒトの肝臓由来のがん細胞を5時間浸すと、72時間後にがん細胞の半分が死滅した。同じようにがん細胞を半分殺すために、パクリタキセルのみを含んだ培養液に浸した場合は16時間かかった。

(転載終了) ※  ※  ※

 パクリタキセルは言わずとしれたタキソール。私はそのお友達のドセタキセル(タキソテール)による白血球減少と、好中球減少症に苦しんだ。けれど、タキサン系とアンスラサイクリン系は乳がん抗がん剤治療の主役でもある(ついでに言えば脱毛必至の厳しい副作用も同じだ。)。
 これがトラスツズマブ、つまりはハーセプチンのカプセルに入るというのだから、それこそ元気な細胞をいじめることなく、がん細胞のみを狙い撃ちする分子標的薬の性格もあわせ持つものとなるわけだ。
 私もハーセプチン開始から3年以上が経過するが、初回に高熱を出した以外は殆ど副作用がなく、間違いなく効いてくれている。
 これにタキサンが加われば大きな力を発揮する、ということは素人の私にもわかる。しかも、ハーセプチンにくるまれたタキサンががん細胞だけをやっつけてくれるというのなら、脱毛もないのか?もしそうなら、それは女性にとって(もちろん男性にとっても)とても朗報ではないか。

 あと5年で臨床試験に入るという。しぶとく治療を続けて行けば、このカプセルの恩恵を得ることができるかもしれない。実際に使用承認されるにはまだ時間がかかるのかもしれないけれど、希望はずっと持ち続けたい、と思うし、それが可能だと信じている。
 何より5年後も笑って治療を続けていたい、とずうずうしくも正直に思う。そうすれば息子も20歳を迎えている。

 昨日はやはりお腹のモタモタ感が気になった。マグラックスは飲んだが、朝のお通じはなし。朝は普通に食べたけれど、出勤後は気持ち悪くなり、昼は空腹感があっても食欲がなく、ろくに食べられなかった。午後からは、仕事をしながら体がぽっぽとしてしまい、熱っぽくだるかった。夕食は何とか作ったけれど、私自身は全く食欲がなく、一人で横になってから薬を飲むために少しだけ無理矢理押し込んだ。
 それでも、吐き気自体はデキサート単剤の時よりも抑えられている、と思いたい。このまま少しでも長く、上手に付き合っていきたいと思う。

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2011.8.25 昨日通院日の3冊

2011-08-25 06:34:02 | 読書
 昨日は3冊読んだ。
 1冊目は西垣千春さんの「老後の生活破綻 身近に潜むリスクと解決策」(中公新書)。
 帯には大きく「『お金があれば安心』では、ありません。」。「認知症、病気、詐欺、事故、子どもの失業―老後の暮らしはリスクと隣り合わせ。豊富な実例とともに、解決へのヒントを提示する」書だった。
 幸福度は「健康」「家族」「収入」で決まる、は高齢化社会に限らず私たちが暮らしていくうえでの真実だと思う。だからこそ、高齢者だけの問題ではなく、セルフマネジメント能力をきちんとキープするための自分のこととして、溜息をつきつつも読み進んだ。日本人の平均要介護年数は7年とのこと。半端な長さではない。けれど、子どもが生まれてからある程度手がかからなくなるまでの時間を想えば、逆を辿る道なのだから当然か。
 それに比べれば、末期のがん患者が本当にターミナル期を迎えて要介護状態になるのは平均3か月というから、これは我慢しなければならないのかもしれない、と思った。
 
 2冊目は北原亞衣子さんの「父の戦地」(新潮文庫)。
 帯には「南方の戦地から幼い娘に贈った70余通の絵入り軍事郵便―」とある。裏表紙には「ゲンキデ、アソンデ、オリマスカ。南方ビルマに出征した家具職人の父は、昭和17年から3年間、幼い著者に70通もの絵入り軍事郵便を送り続けた。そこにはいつも娘の健康を気に掛ける言葉と、現地ののどかで珍しい風物のイラストが、ユーモアたっぷりの筆致で添えられていた。時代小説の名手が、戦争のむごさ、そしてついに生きて会えなかった父への限りない愛情を綴る慟哭の記。」とあった。
 著者の作品を読むのは初めて。昭和13年生まれというから母より5つ年下だ。その彼女が数え年4歳の時にお父さまが出征され、そのまま帰らぬ人となっている。
 それにしても、どれほどの思いで戦地からこうした絵手紙を書き続けられたことか。どれだけ娘の成長をこの目で見たかっただろうか。無事に帰国して親子3人の生活を送りたかったことか。それを許さなかったのが戦争だ。改めてそのむごさを思う。
 子どもの頃、母が祖母の実家に疎開した話を聞いたことがある。“東京の子”といじめられたこと、両親と離れて寂しかったことなど。片や父は、母より5歳年上で終戦の時に17歳。食べ盛り育ち盛りの思春期の男3人、女1人の兄姉と、それはひもじく辛い思いをしたようで、故郷の話になると口をつぐむほど、それ以上聞けなかった記憶がある。
 終戦から66年、体験した人たちが高齢化し、直接体験談を聞くことが出来なくなっている。息子にも何とか聞かせておきたい、とまたしても思ってしまった。

 3冊目は柳澤桂子さんの「いのちと環境 人類は生き残れるか」(ちくまプリマー新書)。
 この新書は若い人向けのシリーズなのだが、コンパクトでとても分かり易い。息子に読んでもらいたいと思ったところ、自分が読んでも十分面白いことに気づいて、以来しばしば手に取っている。
 帯には「生命にとって本当に必要なものは何だろう?『いのちと放射能』の著者の最新書き下ろし!」とあった。「はじめに」には「あなたがもし、この地球上で最後の一人の人間になったらどうしますか?あなたはその孤独に耐えられますか?地球に生きる最後の人間。あなた自身でなくても、あなたの子供や孫が最後の一人になることにあなたは耐えられますか?」とのっけから厳しく問いかける。
 著者は1938年の生まれで、30代から原因不明の病に苦しみ、30年近く前に研究所を退職されて以来、病床で多数の科学エッセーを書いておられる。この本を書き始めることになったのも、環境のことをともに考えたいとの思いで立ち上げたブログがきっかけだという。
 病と共存し、なおこうして病床から自らの務めを果たされることに強く胸を打たれた一冊だった。

 昨夜はロキソニン、マグラックスを飲んだ。涼しかったせいか、疲れていたせいか、睡眠導入剤のお世話にならずとも普通に寝つくことが出来、足が攣ることもなく朝まで起きることもなかった。
 昨夜から降り始めた雨がまだ降り続いている。涼しくていくらでも眠れそうだ。
 グラニセトロンのせいか吐き気はそれほどでなく、ほっとしている。このまま今日、明日と乗り切れますように。
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2011.8.24 ハーセプチン142回目(3倍量5回目)、ナベルビン18クール1回目

2011-08-24 21:34:45 | 治療日記
 また夏らしい青空が戻ってきた。30度を超える予想最高気温だ。
 いつもどおりの時間に家を出て順調に乗り継ぎ、病院最寄駅に到着。新幹線の停車駅だから、この時期は大荷物を携えた人が目立つ。夏休みも残すところあと1週間、追込みのリフレッシュなのだろう。

 採血は30人ほどの待ち人数。受付から30分ほど待って呼ばれた。初めて見かける若い男性の検査技師さんだったけれど、実験台になった感じ。いかにも乱暴で、説明のテンポも悪く全く息が合わない。今日は白血球だけだからたった1本なのに、やけに痛かった。思わず名札をチェックした。もっと経験を積んで頑張ってほしい、と思う可愛げのない患者である。
 
 内科へ移動。血液検査の結果が出るまで読書しながら待つ。中待合に入れたのが1時間ほど経ってから。その後、診察室に入れたのは10分ほど待ってからだった。
 今日も診察に医学生さんが同席。
 いつものとおり前回投与後の2週間分の報告から。前回は吐き気止めのデキサート(ステロイド)を2倍の2アンプルにしたので、睡眠導入剤アモバンを飲んだところ、眠ることは出来たが、翌朝から翌々日まで酷い苦みを感じる味覚障害だったこと、当日夜から飲み始めた吐き気止めのノバミンは殆ど効かず、これまでのナウゼリンとあまり変わらなかったので翌日昼で飲むのを辞めてしまったこと、出来れば今回はデキサートを1アンプルに減らしてほしいこと、アモバンの苦みが辛いのでマイスリーに換えて頂きたいこと、夏バテもあるのかもしれないが、だるさと眠さが続き、傷口の痛みや頭痛でロキソニンのお世話になったこと、歯科検診の後、あちこちに口内炎が出来てしまい、うっとうしいことなど、一気にお話した。

 先生からはいろいろありますね、とのコメントの後に、吐き気止めのデキサート2アンプルにグラニセトロン(セロトニン拮抗薬)を上乗せしてみましょうという提案があった。そうすれば飲み薬の吐き気止めは飲まずに済む。それで大丈夫なら、次回はステロイドを1アンプルにし、次々回はデキサートなしでグラニセトロンだけに移行出来るとのこと。デキサートを吐き気止めとして使用するときには量に相関があり、今の倍くらいまでは増やしてもよいという。けれど、出来るだけ使わないということであればこの方針で良いのかもしれない。 
 以前ナベルビンを開始した直後に、吐き気止めとしてグラニセトロンを投与したときは、便秘が酷かったのでマグラックスを処方して頂いたことがある。まだ残りがあるので、今回は特に頂かずに済んだ。

 今夜は眠れないようなら睡眠導入剤を飲み、夜から発熱予防のロキソニンと便を柔らかくするマグラックスを飲むことにする。
 副作用止めでいろいろな薬が増えることに対して抵抗がないといえば嘘になるが、きちんと前向きに生活していくうえで、良く食べて良く眠ることを確保するためには、うまく薬を利用するのも必要なのだと思うようになっている。
 白血球は2,600でやはり少な目。診察のタイミングでは好中球のパーセンテージはまだ出ていなかったが、前回40%以上あったので来週にかけてまた上がっていき大丈夫でしょう、とのこと。

 化学療法室へ移動。20分ほど待って点滴椅子に案内された。
 その後30分ほどして、いつものようにベッドに横になってポートに針刺。今日も認定看護師のKさんに刺して頂いた。殆ど痛みがなく、仰向けで僅かに左に頸を傾けるというポーズで、逆血もスムーズに確認できた。7月からのニューフェースOさんもダブルチェックして、OKが出た。ここ1ケ月逆血が確認できず、もしかしたらまたポートの入れ替えかも、というストレスが解消されて素直に嬉しい。
 血圧は相変わらず上が90そこそこ、下が50台。体温は6度4分。

 結局、点滴が始まったのはお昼を回ってしまった。吐き気止めの2種類が2本の点滴になると、またも拘束時間が延びるかと心配したが、幸いセットで1本になってきた。ハーセプチン、デキサートとグラニセトロン、ナベルビン、生理食塩水の4本。終了は2時半近く。抜針はニューフェイスのOさん。
 まだ8ヶ月しか化学療法室にいなかったMさんも先週末で退職されたとのこと。あっという間に、ずいぶんメンバーが変わって、かつてと雰囲気も違いますね、と古参のOさんとお話した。

 会計はいつもより待ち時間が少なくスムーズに終わり、本当に滑り込みでランチタイムに間に合った。今日の病院滞在時間は6時間弱。外はまだ暑さ真っ盛りといった感じで、徒歩10分弱の駅までの道のりで早くも汗ばんだ。

 遅いランチを済ませた後、買い物をしながら帰宅したのは、いつも仕事が終わって帰宅する時間。今日も家を出てから帰るまで10時間。いつものことだが一日仕事。6時半には暗くなるので焦ってしまう。

 今日は3冊読んだが、それについては、長くなるのでまた後日のご報告にしたい。

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2011.8.22 昭和を想う

2011-08-22 21:10:58 | 日記
 今日の新聞のネット記事を読みながら、天声人語に目がとまった。
 私は、日々の些細な出来事を色鮮やかに写しとる向田邦子さんの作品が好きだ。
 
 以下転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

2011年8月22日(月)付 朝日新聞 天声人語
毎週のように乗っても、離着陸の時は平静でいられない。飛行機が苦手な向田邦子さんは、空の旅となると縁起を担ぎ、乱雑な部屋から出かけた。下手に片付けると「万一のことがあったとき、『やっぱりムシが知らせたんだね』などと言われそうで」(ヒコーキ)▼この一文が出て3カ月後、彼女は台湾で万一に遭う。51歳の急逝から30年が過ぎた。妹の和子さんによると、部屋はいつになく整理されていた。人気脚本家が随筆や小説で輝き始めて5年、直木賞の翌年だった▼生涯は昭和で完結した。戦争から平和、経済大国へ。激動下の日常を素材に、女と男、家族の機微をすっきりした筆致で描いた。己を笑う強さと優しさは時代を超えて愛される▼小さな幸せを書かせたら独壇場だ。「私の場合、七色とんがらしを振ったおみおつけなどを頂いていて、プツンと麻の実を噛(か)み当てると、何かいいことでもありそうで機嫌がよくなるのである」(七色とんがらし)。ささやかな起伏を捉え、味わう感性は「昭和限り」だろうか▼多磨霊園を訪ねた。本をかたどった墓碑に〈花ひらき はな香る 花こぼれ なほ薫る〉。森繁久弥さんによる慟哭(どうこく)の筆だ。あでやかな花の前で香煙がゆれる。ツクツクボウシが鳴いていた▼いま、こぼれた花の大きさが恨めしい。向田流の変哲もない泣き笑いが、どうにも恋しい震災後である。何から逃げるというのではなく、日々ちょっとしたことを抱きしめ、明日の糧にする。そんな生き方もある。

(転載終了)※  ※  ※

 そうか。まだ51歳だったのだ。その無念さを思うと胸が締め付けられる。本当にあまりに突然の早世だった。
 もちろん30年前に亡くなったので、当時私は20歳の学生。それこそ大人の雲の上の女性だと思っていた。生きておられれば81歳。父より2歳下だったのだなあ、と当たり前のことに驚く。

 以前、彼女のプライベートな生活の片鱗を感じさせる文庫(向田和子著『向田邦子の恋文』(新潮文庫))を読んだ。仕事に打ち込む彼女を慈しみ支えた一人の男性との、一途で切ない秘密の恋にまつわる手紙と日記に大きく心を揺さぶられた記憶がある。
 その彼女が突然生を断ち切られた齢まで私もあと1年。心底ごく普通の日々を無駄にしてはいけないと思う。
 今はNHKドラマ「胡桃の家」を録画して見ているが、さまざまな背景描写を見ながら、とにかくあちらにもこちらにも懐かしさが迫る。
 歳をとったのかもしれないけれど、たとえ平成が23年経とうと、やはり私は昭和という時代に形作られたのだな、と思う。

 週末から涼しい日が続いている。昨日は20度をちょっと超えた程度だったという。肌寒いわけだ。一時の酷暑に比べて15度も低い。気付けば夏の甲子園も終わった。西東京に深紅の優勝旗がやってきた。

 今朝の出勤途中、傘をさしながら学内を歩くと、5,6匹の蝉が落下してお腹を見せて死んでいた。長い間土の中に籠り、ようやく地上に出てきてわずか1週間。さあ鳴くぞ!と出てきたものの、何やら寒くて雨降りでびっくりしたのだろうな、と切なく思う。ちゃんとその生を全うできたのだろうか。今年は蝉の声を聞くのが少し遅かったような気もする。
 こんなお天気なのに一生懸命声を限りに全身を震わせて鳴いている。思わず頑張れ!と祈ってしまう。

 昨日はスズメバチのお話をかなり入れ込んで読んだものだから、何やら虫たちの夏が気になる私である。
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2011.8.21 肌寒さの中で・・・プチ虹のサロン暑気払い

2011-08-21 20:16:46 | 日記
 朝からあいにくの雨降り。昨夜も涼しさの中、たっぷり眠って体力チャージをした。
 息子のお土産のネックレスを着けて、息子から預かったお土産を携えてうきうきと出かけた。

 プチ虹のサロンの定例会、猛暑の時に予約したので、暑気払いに相応しく体にやさしい和食を個室でゆっくり・・・ということだったのだが、予想に反して、暑気払いどころかなんだか肌寒いほどの気候となった。
  
 待ち合わせの時間10分前にお店に着くと、既にSさんとKさんが到着済み。オープンと同時に個室に案内され、もう一人のSさんも、ちょっと遅れてTさんも登場。久しぶりの5人全員集合とあいなった。

 Kさんの“初発から10年経過、おめでとう!”と、Sさんの“新居完成おめでとう!”の乾杯をして、早速ランチとおしゃべり開始。夏休みの旅行に出かけたメンバーからは嬉しいお土産も頂き、テーブルの上が華やぐ。
 このお店で開催するのは新年会、花見会に続いて、今回で3回目。掘りごたつ式なので、足が楽ちんで、外の庭園が大きなガラスに望め、本当に静か。四季折々、次回は紅葉の頃にまたここで開催しましょう、となった。

 いつものとおり、気づけばあっという間に4時間近くが過ぎ、次回の日程を決めてお店を後にする。
 ぶらぶらと最寄駅まで歩いたが、いったん小やみになっていた雨がまた降り出していた。
 Tさんはひとり反対方向の電車に乗り、あとの4人は同方向へ。途中Sさんが降り、もう一人のSさんと私が降り、Kさんとお別れした。

 帰りはターミナル駅で買い物をし、昨日よりも1台早い急行に乗れた。土、日連続で都心に出るのも久しぶり。帰宅すると夫が夕食当番をしてくれていた。感謝だ。
 それにしても涼しいと良く眠れ、良く食べられる。今日もメンバーと話したけれど、やっぱり良く眠り、良く食べることは生きていくうえでの基本なのだと思う。

 今日Sさんから頂いたカードに書かれた“あいだみつをさん”の言葉。

 しあわせは
 いつも
 じぶんの
 こころが
 きめる

 本当にそうだ、と思う。病は得ても、今、私は家族と友人、知人たちに囲まれて支えられて、間違いなく幸せだ。

 今日は百田尚樹さんの「風の中のマリア」(講談社文庫)を読んだ。
 「命はたった三十日。闘うことに迷っている暇なんてない。私たちはただ務めを果たすだけ。ある日、突然やってくる終わりの日まで。」と帯にあった。最初、何の話だかわからずに手に取ったのだが、いきなり惹き込まれた。文句なく面白く、昆虫好きだった息子に「ぜひ読むように」と渡してしまった。
 「オオスズメバチの帝国で、挽夏、隆盛を極めた帝国に生まれた戦士、マリア。幼い妹たちと「偉大なる母」のため、恋もせず、子も産まず、命を燃やして戦い続ける。ある日であったオスバチから告げられた自らの宿命。永遠に続くと思われた帝国に影が射し始める。」とあった。
 解説を養老孟司さんが書いておられるが、「実に稀有な面白さを持った不思議な小説、きわめて学術的に描かれていながら、同時に冒険小説のように力強く感動的なドラマがある。ハチの本なんて読んだって、しょうがないよ。そう言わずに、小説として面白いから、読んでみたらいかが。ひとりでにハチが代表している社会性昆虫の生活が理解できてくるはずである。」そのとおりである。
 私は虫が好き、というわけではないけれど。本当に世界が広がった気分だ。
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