10月4日のブログ「卒業出来るか出来ないか」に、再発治療を始めてまだ間もなくエンドレス治療が受け入れられないとおっしゃる方と、卒業を目前にしての再発告知で人生崖っぷちだとおっしゃる方からコメントを頂いた。辛く深刻な思いが綴られたコメントである。私自身も避けてとおれぬ問題に触れていらっしゃる。というよりも、再発患者すべてに関わることだ。
そこで、これを機会に再発・転移=完治しないこと、エンドレスの治療が続くこと=という厳しい事実をいかに受け入れて、いかにこれからの日々を送っていくのが幸せなのか、を考えてみた。
標題に「治らなくても幸せに暮らせるか」と書いたのは、先日、読売新聞を読んでいて、「がんの再発・転移と向き合う」をテーマに行われた医療ルネサンス・名古屋フォーラムの基調講演の見出し「治らなくても『幸せ』目指す」という文字が目に飛び込んできて、まさにそうだ、と思ったからだ。
基調講演は「がんとともに生きるための5つのキーワード」として虎の門病院臨床腫瘍科部長の高野利実さんが行ったもの。パッチ・アダムスというアメリカ人医師の言葉を紹介して講演を締めくくっている。「病気がなくても幸せでなければ健康ではない。病気があっても幸せであれば健康だといえる」つまり治らない病気であっても、幸せになることは出来る。それを目指すのが本当の医療だということだ、と。
治らなくても幸せに暮らせるか。-答えは自信を持って「イエス」だと思う。
幸せのハードルが低くなった、と言われればそうかもしれない。けれど、そんなに高いハードルを課してしまって、ずっと幸せを感じられないほど自分を追い込むことが本当に幸せか、ということも逆に問いたい。
がんだけでなく治らない病気、一生共存していかなければならない病気は沢山ある。いわゆる慢性疾患といわれるものだ。けれど、どうも「がん」だけが死に直結しているイメージだ。沢山の患者さんがいる=2人に1人ががんになる時代、がん大国日本=からこそ、がん対策基本法が出来、日進月歩で薬や治療法の研究が進んでいるのだ。こと他のがんに比べて、若くして罹患する乳がん患者はどんどん増加しており、新薬の適応も増えている。ごく稀な難病を抱えている患者さんより、沢山の情報と治療法がある。ある意味恵まれているのかもしれない。
もちろん私も、こうした心境になるまでには紆余曲折があった。胸は傷つき変形し、髪も失い、どうしてヘラヘラ笑っていられようか。副作用の気持ち悪さとあまりのだるさで起き上がることも出来ず、象のように足が浮腫んで靴も履けなくなって、本当に職場復帰など出来るのか、と思った夜もあった。平均寿命まで生きられればひ孫だって見ることが珍しくない今、なぜ、私は息子の成人式まで生きることさえ危ぶまれなければならないのか、と健康な方たちを見て、ひがんだこともあった。
再発したことで、「定年まで働いてから夫と世界一周旅行に行く!」みたいな夢は、定年まで働くのはちょっと無理そう・・・ということでまず断たれたし、そもそも週1回の通院を生活に組み入れていく中で、たとえばヨーロッパ旅行のような長期旅行はとても無理、ということで、これまた断たれた。(それでも最近では、点滴でなく服薬治療になればそれもありかしら、とずうずうしいことを考えている。)
出来なくなったことを数えても始まらないし、ハッピーにはなれない。
だから、今、出来ること、これからも出来そうなことを考えたい。少し早目に、体力が残っているうちに退職して、好きな時間に好きなだけ行ける所に行く、平日の昼間から本を読む、映画を観る、友人と逢う、こんなことは十分まだまだ出来そうだ。十分幸せではないか。
再発・転移を告知された時、(なぜ、私が?)という気持ちがなかったわけでもない。先日書いたとおり、それまで暴飲暴食をしていたわけでもないし、お酒やたばこを飲んでいたわけでもなし、メタボでもないし・・・。それなのに・・・と。ただ、それを考え続けることは不毛であることにも気付いた。
病気をしても、まだバリバリと仕事をすることに未練があった、のも事実だ。
けれど、休職してみたら、昇進とか昇給とか、そういったことに実はそれほどこだわりがなかったことにも気付いた。そして何より、支えてくれる家族と友人がいれば、辛い治療も頑張れるものだな、ということを実感した。なぜ頑張るの?って、もっともっと長く一緒にいたいから。草葉の陰から一人参加は、まだ嫌だから。
こうしてブログに自分の気持ちを書き続けていくと、間違いなく冷静に客観的に自分を見つめ直すことが出来る。それに、ちょっと落ち込んだ内容だったとき、顔も名前も知らないけれど読んでくださる方たちから暖かいコメントを頂けることもしばしばだ。もちろん、誰かに読んで頂くということでなくとも、自分の気持ちを書き留めておくことは闘病を続けて行く上でとても大切なことだと思う。
再発・転移=死ではない。再発・転移=人生崖っぷちではない。再発・転移治療はまた新しい治療の始まりだ。何より長期戦になる再発・転移治療だ。いつもいつも前向きでアグレッシブに、は厳しすぎる。頑張りすぎて心がぽっきり折れないように、ちょっと撓ってもまた元に戻れるように少し緩いくらいに自分に優しく。自分が一番納得できる治療を自分の気力・体力と相談しつつ、ちょっと落ち込む時があっても、それでも精一杯、そして心穏やかに生き続けるために、今ある自分に感謝をしながら、ありのままの自分を受け入れてしぶとく治療を続けて行けば、きっときっと大丈夫だ、と言いたい。(これは再発治療を続けていく方たちへのエールであるとともに、自分にも言い聞かせている、ということでもある。)
昨日は制吐剤アロキシ2日目。いつもなら、投与翌日の午後あたりからグラニセトロンが半減期を迎える感じを受け、だんだん気持ち悪さが増してくる。そして夕方はよれよれになって、帰宅して横になる、というパターンだった。が、今回は気持ち悪さはなくはないが、なんとか我慢できる程度。そして夕飯も休まずに作り、そこそこ食べることが出来た。これで今日もこんな調子だったら、アロキシ変更は大成功だ。
さて、今朝は目覚ましが鳴る前に、またお腹が痛くて目が覚めた。アロキシの副作用の便秘を和らげるはずのマグラックスが、どうもいいタイミングで穏やかに効いてくれない。これにて服用は中止ということなのだけれど。
口の中は気持ち悪さがあるが、それでも我慢できる程度。とにかく今日1日乗り切れば、また3連休が待っている。
そこで、これを機会に再発・転移=完治しないこと、エンドレスの治療が続くこと=という厳しい事実をいかに受け入れて、いかにこれからの日々を送っていくのが幸せなのか、を考えてみた。
標題に「治らなくても幸せに暮らせるか」と書いたのは、先日、読売新聞を読んでいて、「がんの再発・転移と向き合う」をテーマに行われた医療ルネサンス・名古屋フォーラムの基調講演の見出し「治らなくても『幸せ』目指す」という文字が目に飛び込んできて、まさにそうだ、と思ったからだ。
基調講演は「がんとともに生きるための5つのキーワード」として虎の門病院臨床腫瘍科部長の高野利実さんが行ったもの。パッチ・アダムスというアメリカ人医師の言葉を紹介して講演を締めくくっている。「病気がなくても幸せでなければ健康ではない。病気があっても幸せであれば健康だといえる」つまり治らない病気であっても、幸せになることは出来る。それを目指すのが本当の医療だということだ、と。
治らなくても幸せに暮らせるか。-答えは自信を持って「イエス」だと思う。
幸せのハードルが低くなった、と言われればそうかもしれない。けれど、そんなに高いハードルを課してしまって、ずっと幸せを感じられないほど自分を追い込むことが本当に幸せか、ということも逆に問いたい。
がんだけでなく治らない病気、一生共存していかなければならない病気は沢山ある。いわゆる慢性疾患といわれるものだ。けれど、どうも「がん」だけが死に直結しているイメージだ。沢山の患者さんがいる=2人に1人ががんになる時代、がん大国日本=からこそ、がん対策基本法が出来、日進月歩で薬や治療法の研究が進んでいるのだ。こと他のがんに比べて、若くして罹患する乳がん患者はどんどん増加しており、新薬の適応も増えている。ごく稀な難病を抱えている患者さんより、沢山の情報と治療法がある。ある意味恵まれているのかもしれない。
もちろん私も、こうした心境になるまでには紆余曲折があった。胸は傷つき変形し、髪も失い、どうしてヘラヘラ笑っていられようか。副作用の気持ち悪さとあまりのだるさで起き上がることも出来ず、象のように足が浮腫んで靴も履けなくなって、本当に職場復帰など出来るのか、と思った夜もあった。平均寿命まで生きられればひ孫だって見ることが珍しくない今、なぜ、私は息子の成人式まで生きることさえ危ぶまれなければならないのか、と健康な方たちを見て、ひがんだこともあった。
再発したことで、「定年まで働いてから夫と世界一周旅行に行く!」みたいな夢は、定年まで働くのはちょっと無理そう・・・ということでまず断たれたし、そもそも週1回の通院を生活に組み入れていく中で、たとえばヨーロッパ旅行のような長期旅行はとても無理、ということで、これまた断たれた。(それでも最近では、点滴でなく服薬治療になればそれもありかしら、とずうずうしいことを考えている。)
出来なくなったことを数えても始まらないし、ハッピーにはなれない。
だから、今、出来ること、これからも出来そうなことを考えたい。少し早目に、体力が残っているうちに退職して、好きな時間に好きなだけ行ける所に行く、平日の昼間から本を読む、映画を観る、友人と逢う、こんなことは十分まだまだ出来そうだ。十分幸せではないか。
再発・転移を告知された時、(なぜ、私が?)という気持ちがなかったわけでもない。先日書いたとおり、それまで暴飲暴食をしていたわけでもないし、お酒やたばこを飲んでいたわけでもなし、メタボでもないし・・・。それなのに・・・と。ただ、それを考え続けることは不毛であることにも気付いた。
病気をしても、まだバリバリと仕事をすることに未練があった、のも事実だ。
けれど、休職してみたら、昇進とか昇給とか、そういったことに実はそれほどこだわりがなかったことにも気付いた。そして何より、支えてくれる家族と友人がいれば、辛い治療も頑張れるものだな、ということを実感した。なぜ頑張るの?って、もっともっと長く一緒にいたいから。草葉の陰から一人参加は、まだ嫌だから。
こうしてブログに自分の気持ちを書き続けていくと、間違いなく冷静に客観的に自分を見つめ直すことが出来る。それに、ちょっと落ち込んだ内容だったとき、顔も名前も知らないけれど読んでくださる方たちから暖かいコメントを頂けることもしばしばだ。もちろん、誰かに読んで頂くということでなくとも、自分の気持ちを書き留めておくことは闘病を続けて行く上でとても大切なことだと思う。
再発・転移=死ではない。再発・転移=人生崖っぷちではない。再発・転移治療はまた新しい治療の始まりだ。何より長期戦になる再発・転移治療だ。いつもいつも前向きでアグレッシブに、は厳しすぎる。頑張りすぎて心がぽっきり折れないように、ちょっと撓ってもまた元に戻れるように少し緩いくらいに自分に優しく。自分が一番納得できる治療を自分の気力・体力と相談しつつ、ちょっと落ち込む時があっても、それでも精一杯、そして心穏やかに生き続けるために、今ある自分に感謝をしながら、ありのままの自分を受け入れてしぶとく治療を続けて行けば、きっときっと大丈夫だ、と言いたい。(これは再発治療を続けていく方たちへのエールであるとともに、自分にも言い聞かせている、ということでもある。)
昨日は制吐剤アロキシ2日目。いつもなら、投与翌日の午後あたりからグラニセトロンが半減期を迎える感じを受け、だんだん気持ち悪さが増してくる。そして夕方はよれよれになって、帰宅して横になる、というパターンだった。が、今回は気持ち悪さはなくはないが、なんとか我慢できる程度。そして夕飯も休まずに作り、そこそこ食べることが出来た。これで今日もこんな調子だったら、アロキシ変更は大成功だ。
さて、今朝は目覚ましが鳴る前に、またお腹が痛くて目が覚めた。アロキシの副作用の便秘を和らげるはずのマグラックスが、どうもいいタイミングで穏やかに効いてくれない。これにて服用は中止ということなのだけれど。
口の中は気持ち悪さがあるが、それでも我慢できる程度。とにかく今日1日乗り切れば、また3連休が待っている。
においては、だんだん調整できる薬にめぐり合えていらっしゃるようで、読んでいる側も嬉しくなってきます。
私もやっと、最近になって、ちょっと先から数年先まで夢見るようになれました。毎週の通院はまだくじけそうになるけど、家族の支えで何とか頑張れてます。
しかし、治療費はなかなかの高額ですね。そろそろ少し仕事を始めなければと考えるようにもなりました。これもやっと、医師や医療スタッフの言葉の統合された内容に治療が奏功していると感じ、家族と少しでも長く一緒にいられるようにとの思いからです。 再発転移したって、がんと共存して「幸せ」だなと十分感じている今があります。
我が家の目前は、よくお年寄りがグランドゴルフを楽しんでいます・・・。でも、そういった生活が来ない私は、何で私が・・羨ましい・・とすぐに考えてしまうのが本心ですね。再発の告知から、大分開き直れるようになりましたが、まだまだなのでしょうね。
今日のブログは再発患者にとって大きな励ましになると思います。
昨年、私は遠隔転移がわかり、かなり動揺しました。
ロッキングチェアさんやその他にも再発患者さんが書かれているブログには、癒され、励まされ、助けられています。
治療を続けながら、いつの間にか落ち着いた生活を取り戻しました。
自分のポリシーは、遠い未来を考えすぎて不安になるよりも、足元を見て、今できること、楽しむことを心がけています。
日常生活のささやかな事に幸せを感じたり、時には非日常のイベントを作って、旅行などを楽しんでいます。
先日いったヨーロッパの旅は6泊8日でした。休薬の週を使えば、可能だと思いますよ。ただ、ゆっくりしたペースのツアーでしたが、体力は必要で、体調と相談になりますね。
5日のブログを読ませていただいた時、治療薬がほとんど私の知らないものだと知り、乳癌の治療の進歩を感じました。
抗がん剤の治療による気持ち悪さも、以前は制吐剤がなく、みなそれが嫌で辛い辛いとおっしゃっていました。
でも毎週病院に通わなくてはならず、本当に一日仕事、大変ですね。自分のこととして考えてみると、耐えられるかどうか自信はありません。
今は薬も必要なく、いたって元気に好きなことをしている自分は、申し訳ない気持ちになります。
ブログに気持ちを書きながら客観的に見据えていく姿勢に感服です。
再発・転移=死ではなく崖っぷちではないという考えに大賛成です。落ち込んでも事態は同じです。それより新しい治療の始まりという考え方が素晴らしいと思います。
あなたのブログを読んでいる方々に大変大きな力を与えてくださっていると思います。
消化器系のガンに比べて乳癌は長期戦です。
それでも私のように最初の時から13年目に反対側がなった時は油断するなよという神の声かと思いました。以前乳癌の転移が10年以上たってから肝臓に見つかり、それでなくなった先生がいると学友に聞いた時、乳癌は5年で卒業はないんだと思ったことを覚えています。それなのに13年たったら卒業なんて考えた自分の甘さに、ガツンとやられた気がします。
いろいろと教えていただくことが多いことに感謝します。
どうぞこれからもより良き治療が現れることを願っております。
再発がわかってから1年がたち、丁度、今日、支えてくれた友人にありがとうのお便りとプチお菓子を送ったところです。
わたしも、12年目の再発です。お医者様から、卒業をいただいてから丁度、1年後、市内の一般の乳がん検診からリンパ節への再発がわかりました。
まさに、振出にもどってしまいました。今度は、卒業のないおつきあいになってしまいました。
再発がわかってからは、一人になる時間が怖くて、一人で仕事にも、病院にも行くことができませんでした。パソコンの前に座れば、あとどれくらい生きられるのか、あるいは、逆に奇跡的に完治しないのかと検索ばかりしていました。
ただ、時というのはありがたいもので、あんなに長時間わたしの心を占めていた病気の時間は、徐々に減っていきました。
あたらしいなにかを買っても、いつまでもてるかわからないからと買い物にも意欲がわかなかった私が、がんと共存することに気持ちが落ち着いてデパートでバックを2つ買いました。
この先も、ずっと心穏やかに治療が続けられるかどうかはわかりません。でも、今のこの時を大切に生きていくしか明日はない。残念だけど、がんと共にという覚悟は少しづづできてきました。
お元気に頑張っていらっしゃるご様子、良かったです。ゆうさんの明るさが伝わってくるコメント、私も本当に嬉しいです。
治療が奏功していると感じられるとのこと、何よりです。
そうです!がんと共存して「幸せ」を十分感じられますよね。家族に感謝ですよね。
グランドゴルフが出来る日ですか・・・、近々凄い薬が出来て、本当に来るかもしれませんよ。
確かに治療費高額ですよね。健康な頃なら桁が1つ少なくても「高い!」と思っていたような額を毎回当然のように支払っています。1回の治療費でどれだけ豪華な1泊旅行ができることか・・・。
とにかく、日々を大切に積み重ねていけば、気がつけばあっという間にこんなに過ぎてきたのだ・・・、と振り返れる日がきっと来ますよ。
一緒に細く長くしぶとく頑張りすぎずに頑張っていきましょうね。
ワッショイさん、
ありがとうございます。確かに動揺するし、落ち込むこともあるけれど、そう、落ち着いた生活、今を楽しむ生活を取り戻せる日は必ずやって来るのですよね。
そしてワッショイさんのようにお嬢さんとのヨーロッパ旅行だってちゃーんと実現出来ちゃうのですよね。素晴らしいです。
確かに今でも休薬の週を使って休暇を1週間とれば9日間は休めますから、不可能ではないですよね。
体力と相談しながら、諦めずに目標の一つに掲げ続けておきたいです。ありがとうございます。
slamchanさん、
制吐剤はめまぐるしく進歩しているようです。やはり吐き気や嘔吐は前向きであり続ける気持ちを奪いますから。
確かに通院は一日仕事なので、患者は辛いよ、とは思うのですが、3年半ほど続けていると生活の一部になってきているのは事実です。
行けば副作用に悩まされることが分かっているので、行きたくないな・・・と思う日がないわけではありませんが、小心者なので効いている薬を辞める勇気(?)はありません。まだまだしぶとく生きていきたいですから。
申し訳ない気持ちになど、どうぞならないでくださいね。
治療の進歩をともに願って頂き、感謝いたします。
Y.Yさん、
お久しぶりです。いつもお読み頂き、ありがとうございます。
1年経ったのですね。卒業のお墨付きを頂いた後の再発・・・辛かったですね。それでも、時間(とき)薬、って本当にあるのですよね。
買い物に意欲が出てきたのは何よりだと思います。私も再発転移当初はもう買い物するのは辞めよう、と思いましたが、治療で顔色が悪くなり、浮腫みが出たり、爪のトラブルが出たり、・・・とお洒落をして出かけたいという華やぐ気持ちが失せてしまうと、それはそれで辛かったです。
今はそんな気持ちはどこかへ吹き飛んでしまい、治療で頑張っているご褒美に、とかなんとかこじつけながら楽しく買い物しています。
それで気持ちが明るく前向きになれるのだから、毎週の治療費を思えば安いもの(?!)だと割り切っています。
がんとともに・・・私は恥ずかしながら覚悟などという確固たるものは持っていませんが、とにかく何とか心穏やかに、このままうまく折り合いをつけていきたいと思っています。お互いに頑張りすぎずに治療を続けていきましょうね。