ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.5.16 生きた証なんて出さなくていい?

2014-05-16 19:44:57 | 日記
 闘病記ブログが書籍になって世に出ることがある。
 ランキングに参加していて上位を続けていたりすると、出版社の方をはじめ報道関係者の眼にとまり、インタビュー等を受ける機会もあるのだろう。
 これは闘病記に限らず、今時、どの分野でも共通のようだ。受験ブログしかり、お料理ブログしかり。

 子どもの頃から書くことが好きだった私は、物を書くことを仕事に出来たら、と思ったこともあるけれど、早々とその才能のなさに気付き、今に至る。
 が、もし生涯一度でも自分の書いたものが大好きな“本”という形になったらどんなに幸せだろう、と心の片隅で思い続けてきたのも事実だ。
 ちなみに夫は既にその幸せな経験をしている。もちろん、夫が書いたのは闘病記ではなく、仕事関係の著書だ。当時も(ああ、羨ましいなあ・・・)と指をくわえて見ていたのだっけ。この辺りのことは語れば長くなるのだけれど、30年近く仕事をしてきて-私の52年の人生で30年近く続けられているものは唯一仕事だけだ。学校というものに通ったのは小学校から全て含めても17年だし、母歴も18年ちょっとだし、妻歴も25年弱。-仕事に関する本は書けそうにない。そしてまだ10年に満たない闘病についての方がずっと書きたいネタがある、というのも、仕事をしている人間の端くれとして、内心忸怩たるものがある。

 一方、こうしてブログを書き続けている私のことを買い被ってくれている友人は、「絶対本を出すべきよ。」などと言ってもくれる。「出したら絶対買うからね。」とも。

 先月旅立たれたたぁさんが書かれたものが書籍化される話があると伺い、「そんなことが叶うなら、それこそ生きた証だな。こうして書き貯めたものが本にしてもらえるなんて、凄いことよね。」と夫に言ったところ、「そんなこと、ちっともいいことじゃないんだよ。」とちょっと淋しそうな返事が返ってきた。

 なるほど、確かにこうした闘病記ブログが本になるのは、殆どが、その方が天に召されてしまってからだ。
 出版することを生きる励みとして、編集までは病を押してご本人が関わっても、その後病状が進み、最終的に出版を見届けることがなかったとか、出版されてすぐに力尽きて亡くなったとか、一般の方たちの手元に届く時には、既に著者は亡くなっている-そういうお話は枚挙にいとまがない。
 あるいは、亡くなられたということが切っ掛けになって編集者の心が動く、ということもあるだろう。

 私が記憶する限り、そうした闘病記本を書かれた後も現役第一線で活躍されておられるのは、“39歳、働き盛りの銀行員としてNY駐在中に大腸がんを発症した著者。肝臓や肺への転移を繰り返し、6回の手術に加え、心臓バイパス手術も受ける。すべてを乗り越え、「奇跡の患者」として64歳を迎えられた理由とは。16年の闘病記に、その後の心臓疾患、がん患者たちとの交流や、日本の対がん活動などについて加筆。”という書籍紹介の「がん六回人生全快 現役バンカー16年の闘病記」の関原健夫さんくらいではないだろうか。

 まあ、どうしても、ということなら自己満足かもしれないけれど、生きているうちに自費出版することだって出来ないことはない。
 けれど、それより何より、こうして友人知人(今や夫の友人知人まで含めて)をはじめ、沢山のお顔も存じ上げない読者の方々に、少しでも長く生存確認をしてもらえるように、“生き続けて”細く長くしぶとく、日々のことを書き綴っていけることこそ、今の私にとって本当の幸せなのだろうと思う。

 今日から夫は1泊の出張。1人悠々自適な金曜日の夜だ。そして、明日は羽田から直接イベント会場に駆けつけてくれるという。有難いことである。


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