ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.7.10 父、逝く

2016-07-10 22:32:22 | 日記
 今朝、母からの電話で起こされた。
 金曜日に見舞った時には会話が出来た父が、今朝方に容態が急変し、病院から「会わせた方がいたら・・・」と連絡があったという。

 私も急ぎ病院に向かったが、従姉も、私も僅かの時間で間に合わなかった。伯母(母の姉)が母に次いで駆けつけてくれて、母と2人で看取ったという。
 5月に米寿を迎えた88歳1か月。腰椎圧迫骨折で入院したのだが、誤嚥性肺炎によりすぐに食事が摂れなくなった。死因は肺炎。

 私が病院に到着した時はエンゼルケアの最中。「終わりました」と連絡があり、病室に入ると、穏やかな顔をした父が軽く口を開けて、眠っているようにそこにいた。

 入院する日まで普通に食事をしていたのだから、あまりにあっけないといえばあっけない幕引きだった。
 母は入院後、毎日バスを乗り継いで病院に向かい、一日おきに見舞っていた私から見てももうヨレヨレだった。長期戦になるかもしれないから、少し休まないと(母が)ダウンしたら元も子もないから、と説得した。
 
 そして、初めて「明日は1日休ませてもらうね」と一昨日の帰り際に父に了解を得た。私も「また月曜日も水曜日も来るからね」と言ったところ、手をびっくりするほどしっかり握って「ありがとう、親子だから・・・」と言った。
 それが父と交わした最後の言葉となった。

 突然のピンピンコロリなど、そうはあり得るものではない。寝たきりで長患いをしたわけでもなく、病院である程度の時間を過ごしたことで、私たち家族に寄り添う時間と覚悟する時間を与えてくれた。そして、最後には母にしっかり1日の休養をさせてくれて、静かに逝った父。娘の私が言うのもなんだけれど、遺していく母や私のことを思いやってくれた天晴な最期だったと思う。

 エンゼルケアの最中にすぐに葬儀社に連絡を取り、1時間もしないでお迎えの車が病院に到着した。入院して一番最初にお世話になった看護師さんたちに見送って頂き、父は母と伯母とともに、自宅に戻った。
 従姉が実家に先着してくれて布団の用意もしてくれ、本当に有り難かった。夫は少し遅れてお弁当やら飲み物やらを買って、汗だくで実家まで来てくれた。

 葬儀の日程は今週末。親族だけのごくごく小さな葬儀となる予定だ。
 それにしても、決めなければならないことが目白押し。当たり前だけれど初めてのことばかり。これはとても母一人では対処出来なかっただろうと思う。こうして私が元気に動き回れるタイミングを選んでくれて、本当に感謝だ。

 先ほどようやく帰宅したため、選挙に行くことも叶わなかった。
 明日はひとまず出勤して、午前中に1週間の段取りをつけてから慶弔休暇に入る予定だ。とにかく週末まで体調管理をしっかりして、母を支えなければと思う。

 というわけで暫く更新が途絶えるかもしれませんが、どうぞご理解くださいますようよろしくお願いいたします。
コメント (6)
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