標題は、宴会から帰ってきた夫の台詞だ。
当然のことながら、私は夫の“お母さん”ではないので、以前は子供が出来てもお互いを「お父さん」「お母さん」という呼び方だけは避けたいと思っていたのに、気付いたら息子がいなくともこう呼び合うことが多くなっていた。何とも複雑である。
昨年の1月半ば、盲腸の診断が遅れて急逝された、夫の友人の奥様の話をこのブログで書いた。
先日、その方と久しぶりに逢ったところ、すっかり元気がなかったそうだ。曰く「1年は頑張った。けれど、もう(生きていなくても)いい・・・」という心境だという。洗濯機を回しても、干してたたむ元気がない。食事は今では全く作らなくなった。と、同時に酒量は増えているらしい。
「そんな、もういい・・・なんて、お母さんが亡くなって今度はお父さんが続いてしまったら、お子さんたちが可哀想じゃない?」と言ったのだが、お子さんたちは既に独立しているから、子供たちのために頑張らなくては、ということでもないらしい。
一人遺された場合、女性の方が強いのかな、と思う。
もちろん、長年連れ添った伴侶を亡くすストレス度が大きいのは自明の理だ。1960年代に米国で点数化されたストレス度は「配偶者の死」を100点、「結婚」を50点として、転職、引っ越しなど計43項目のストレス指数を点数化したものだった。米国の研究結果では、過去1年以内に体験した生活上の出来事についての点数が合計150点以上の場合、翌年に何らかの健康障害に結び付く危険性が50%、300点以上の場合は80%とされる。
その後、88年に日本版のストレス点数表が発表された。勤労者を対象にした調査を基に点数を修正し、項目も「子供の受験勉強」「住宅ローン」「定年退職」「職場のOA化」など計65に増やしたという。ここでも「配偶者の死」はトップで83点だ。もろもろの細かいストレスの素を加えれば、あっという間に150点は越えてしまいそうだ。
身の回りのことが自分で出来るか否か、というのが大きいのだろうか。
義母は義父が亡くなって、それまで介護等で長いこと苦労したこともあり、ようやくこれからは自分の時間だ、というように、生き生きとあちこち飛び回って出かけ、四半世紀もの間(昨年12月に脳出血で倒れるまで)文句なしに元気印だった。
けれど、男性がある程度の年配になって妻を亡くして、四半世紀元気に飛び回って生きている、というお話はあまり聞かない。男性の方が大概その妻より年齢が高く、男性の平均寿命も短いから、ということなのだろうけれど。
我が家は、息子が一人前になるまでにまだまだ時間がかかりそうだから、「お父さん、大丈夫!仮に私がいなくなっても、まだ世話をやける息子がいるから『もう(生きていなくても)いい』なんて言っていられないわよ。」とは言ってみたけれど。
自分の身の回りのことさえ何も出来ない(やる気のない)息子に「お母さんが死んじゃったらどうするの?」と聞いたら「そうなってから考える。」とのたまう。想像しても仕方ない、と。まあ自分から母親が死んだ時に備えていろいろ用意周到に準備する子供はいない、といえばいないだろうから、確かにそうだろうけれど、何ともはや・・・のお答えだ。
とにもかくにも、自分のためにも家族のためにも、細くてもいいから長くしぶとく生きて行かなければ、と改めて思う。
今日も冷たい雨の一日になった。すっかり食欲が戻り、友人とのランチも出来、骨盤調整ヨガにも出かけた。気持ちはすっかりフルチャージ。休薬の週、心も体も上向きだ。いい1週間にもなりますように。
当然のことながら、私は夫の“お母さん”ではないので、以前は子供が出来てもお互いを「お父さん」「お母さん」という呼び方だけは避けたいと思っていたのに、気付いたら息子がいなくともこう呼び合うことが多くなっていた。何とも複雑である。
昨年の1月半ば、盲腸の診断が遅れて急逝された、夫の友人の奥様の話をこのブログで書いた。
先日、その方と久しぶりに逢ったところ、すっかり元気がなかったそうだ。曰く「1年は頑張った。けれど、もう(生きていなくても)いい・・・」という心境だという。洗濯機を回しても、干してたたむ元気がない。食事は今では全く作らなくなった。と、同時に酒量は増えているらしい。
「そんな、もういい・・・なんて、お母さんが亡くなって今度はお父さんが続いてしまったら、お子さんたちが可哀想じゃない?」と言ったのだが、お子さんたちは既に独立しているから、子供たちのために頑張らなくては、ということでもないらしい。
一人遺された場合、女性の方が強いのかな、と思う。
もちろん、長年連れ添った伴侶を亡くすストレス度が大きいのは自明の理だ。1960年代に米国で点数化されたストレス度は「配偶者の死」を100点、「結婚」を50点として、転職、引っ越しなど計43項目のストレス指数を点数化したものだった。米国の研究結果では、過去1年以内に体験した生活上の出来事についての点数が合計150点以上の場合、翌年に何らかの健康障害に結び付く危険性が50%、300点以上の場合は80%とされる。
その後、88年に日本版のストレス点数表が発表された。勤労者を対象にした調査を基に点数を修正し、項目も「子供の受験勉強」「住宅ローン」「定年退職」「職場のOA化」など計65に増やしたという。ここでも「配偶者の死」はトップで83点だ。もろもろの細かいストレスの素を加えれば、あっという間に150点は越えてしまいそうだ。
身の回りのことが自分で出来るか否か、というのが大きいのだろうか。
義母は義父が亡くなって、それまで介護等で長いこと苦労したこともあり、ようやくこれからは自分の時間だ、というように、生き生きとあちこち飛び回って出かけ、四半世紀もの間(昨年12月に脳出血で倒れるまで)文句なしに元気印だった。
けれど、男性がある程度の年配になって妻を亡くして、四半世紀元気に飛び回って生きている、というお話はあまり聞かない。男性の方が大概その妻より年齢が高く、男性の平均寿命も短いから、ということなのだろうけれど。
我が家は、息子が一人前になるまでにまだまだ時間がかかりそうだから、「お父さん、大丈夫!仮に私がいなくなっても、まだ世話をやける息子がいるから『もう(生きていなくても)いい』なんて言っていられないわよ。」とは言ってみたけれど。
自分の身の回りのことさえ何も出来ない(やる気のない)息子に「お母さんが死んじゃったらどうするの?」と聞いたら「そうなってから考える。」とのたまう。想像しても仕方ない、と。まあ自分から母親が死んだ時に備えていろいろ用意周到に準備する子供はいない、といえばいないだろうから、確かにそうだろうけれど、何ともはや・・・のお答えだ。
とにもかくにも、自分のためにも家族のためにも、細くてもいいから長くしぶとく生きて行かなければ、と改めて思う。
今日も冷たい雨の一日になった。すっかり食欲が戻り、友人とのランチも出来、骨盤調整ヨガにも出かけた。気持ちはすっかりフルチャージ。休薬の週、心も体も上向きだ。いい1週間にもなりますように。