昨朝の読売新聞の「人生案内」を見て、唸った。長くなるのだが、以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
闘病の長男と別居続ける嫁
80代男性。妻と2人暮らしです。関東在住の長男夫婦のことで相談します。
長男と嫁は結婚して24年ですが、嫁が第1子を出産後、育児を理由に実家に戻り、そのまま居着いてしまいました。そのため、長男は20年以上、妻の実家から電車で30分ほどの場所で、単身赴任と同様の自炊生活を続けてきました。
長男は優しくてお人よしで、嫁に給料の大半を渡して、嫁の実家の家計を助けてきました。一方の自分は小遣いも少なく、貧相な格好を見かねた私が洋服を買ってあげたこともあります。
そんな長男が5年前、がんを患ってしまいました。私は病後の面倒を見るため、嫁に一緒に住んでやってほしいと頼みました。でも、嫁は聞き入れませんでした。
長男は現在、がんの転移などで入院しています。今度ばかりは別居状態を放置できません。嫁を説得し、長男と同居させるにはどうしたらよいですか。(北海道・R男)
◇
一人闘病生活に耐えている息子さんを、離れた所で案ずるしかないご両親の胸中は察するに余りあります。身を切られるほどのつらい思いをしておられることでしょう。
しかし、残念ながら、息子さん夫婦の関係は親が介入してどうにかなる段階を超えていると思います。日頃はどんなに衝突していても、相手が危機的状況に遭遇すれば、何はさておいても助け合うのが夫婦だと思います。がんの再発や転移に苦しむ夫の看病に妻が一切駆け付けないのは、夫婦のあり方として尋常ではありません。
それでも長年お給料を渡し続けてきたのは、息子さんの妻子への愛情でしょうか。いずれにしても、第三者にはわかりえない夫婦の思いがあったのではないかと感じます。
息子さんは妻への期待はとっくに捨て、案外達観しているのではないかとも思います。ここに至るまで妻との関係を見つめてきた本人です。むしろ、高齢の両親にこれ以上心配をかけることを何よりもつらく思っているのではないでしょうか。
そっと見守るだけで十分です。あなた方の愛情に支えられているからこそ、息子さんも病と闘っていられるのだと思います。(大日向 雅美・大学教授)(2012年3月29日 読売新聞)
(転載終了)※ ※ ※
回答者の大日向先生は、少子化について海外研修に出かけた頃から、著書等で大変お世話になったので存知上げているが、お返事が本当に苦肉の作、という感じだ。
確かに夫婦のことは当事者以外、親にだってわからない。このケースはがんになって、再発転移してから別居というわけでもない。もちろん、それまで同居していて発病や再発転移をきっかけに別居、離婚という酷いケースだって世の中にはあるだろうけれど。それでも20年もの別居生活、何がこの方たちをそうさせたのか。私なぞ、結婚以来実家に帰ったのは本当に数えるほどだ。それはそれで、一人娘の分在でかなりの冷たさなのかもしれないけれど。帰らずに済んだ、ということも幸せな生活が送れていたからだ、とも思う。
80代という高齢のご両親の心配も察するに余りある。どうしても両親に重ねてしまうからだ。
病と闘う上で、近しい人から「あなたのことを決して忘れていませんよ」「いつも気にかけていますよ」という想いがキャッチ出来れば、人は想像以上に強くなれるものなのだ、と信じている。
さて、体調。昨夜も寝付きは悪く、いつものように4時過ぎに一度目覚めたが、その後もう一度眠ることが出来た。ナウゼリンを飲み、時間をかけて最低限の食事。少し水分が摂れるようになってきた。食後にイメンド80㎎、デカドロン3錠、ロキソニン、マグラックス服用。火照りは若干あるし、気持ち悪さもあるが、だるさはない。ステロイド・ハイというほどでもない。夕食前にもナウゼリンを飲んだが、そこそことることが出来た。
年度末最後の日、退職挨拶やらで事務室内はバタバタしている。昼もナウゼリンを飲んでから食事。食後は今回最後のロキソニンとマグラックス服用。午後は新入生の配布物の袋詰め作業の人海戦術。あっという間に最後の日が終わった。新しい座席表も配られた。週明けは新メンバーでのスタートとなる。
今日の2人の足取りは、午前中引き続き金沢観光でサイクリング。昼過ぎに「しらさぎ号」で金沢を発ち、高岡へ。高岡から城端を往復し、高岡から「しらさぎ号」で富山に入り、宿泊という。一体、何時間電車の中で過ごすのか。もらっている時刻表を足しあげたら3時間半。それほどでもないか、と思ってしまう私も鉄ママである。
※ ※ ※(転載開始)
闘病の長男と別居続ける嫁
80代男性。妻と2人暮らしです。関東在住の長男夫婦のことで相談します。
長男と嫁は結婚して24年ですが、嫁が第1子を出産後、育児を理由に実家に戻り、そのまま居着いてしまいました。そのため、長男は20年以上、妻の実家から電車で30分ほどの場所で、単身赴任と同様の自炊生活を続けてきました。
長男は優しくてお人よしで、嫁に給料の大半を渡して、嫁の実家の家計を助けてきました。一方の自分は小遣いも少なく、貧相な格好を見かねた私が洋服を買ってあげたこともあります。
そんな長男が5年前、がんを患ってしまいました。私は病後の面倒を見るため、嫁に一緒に住んでやってほしいと頼みました。でも、嫁は聞き入れませんでした。
長男は現在、がんの転移などで入院しています。今度ばかりは別居状態を放置できません。嫁を説得し、長男と同居させるにはどうしたらよいですか。(北海道・R男)
◇
一人闘病生活に耐えている息子さんを、離れた所で案ずるしかないご両親の胸中は察するに余りあります。身を切られるほどのつらい思いをしておられることでしょう。
しかし、残念ながら、息子さん夫婦の関係は親が介入してどうにかなる段階を超えていると思います。日頃はどんなに衝突していても、相手が危機的状況に遭遇すれば、何はさておいても助け合うのが夫婦だと思います。がんの再発や転移に苦しむ夫の看病に妻が一切駆け付けないのは、夫婦のあり方として尋常ではありません。
それでも長年お給料を渡し続けてきたのは、息子さんの妻子への愛情でしょうか。いずれにしても、第三者にはわかりえない夫婦の思いがあったのではないかと感じます。
息子さんは妻への期待はとっくに捨て、案外達観しているのではないかとも思います。ここに至るまで妻との関係を見つめてきた本人です。むしろ、高齢の両親にこれ以上心配をかけることを何よりもつらく思っているのではないでしょうか。
そっと見守るだけで十分です。あなた方の愛情に支えられているからこそ、息子さんも病と闘っていられるのだと思います。(大日向 雅美・大学教授)(2012年3月29日 読売新聞)
(転載終了)※ ※ ※
回答者の大日向先生は、少子化について海外研修に出かけた頃から、著書等で大変お世話になったので存知上げているが、お返事が本当に苦肉の作、という感じだ。
確かに夫婦のことは当事者以外、親にだってわからない。このケースはがんになって、再発転移してから別居というわけでもない。もちろん、それまで同居していて発病や再発転移をきっかけに別居、離婚という酷いケースだって世の中にはあるだろうけれど。それでも20年もの別居生活、何がこの方たちをそうさせたのか。私なぞ、結婚以来実家に帰ったのは本当に数えるほどだ。それはそれで、一人娘の分在でかなりの冷たさなのかもしれないけれど。帰らずに済んだ、ということも幸せな生活が送れていたからだ、とも思う。
80代という高齢のご両親の心配も察するに余りある。どうしても両親に重ねてしまうからだ。
病と闘う上で、近しい人から「あなたのことを決して忘れていませんよ」「いつも気にかけていますよ」という想いがキャッチ出来れば、人は想像以上に強くなれるものなのだ、と信じている。
さて、体調。昨夜も寝付きは悪く、いつものように4時過ぎに一度目覚めたが、その後もう一度眠ることが出来た。ナウゼリンを飲み、時間をかけて最低限の食事。少し水分が摂れるようになってきた。食後にイメンド80㎎、デカドロン3錠、ロキソニン、マグラックス服用。火照りは若干あるし、気持ち悪さもあるが、だるさはない。ステロイド・ハイというほどでもない。夕食前にもナウゼリンを飲んだが、そこそことることが出来た。
年度末最後の日、退職挨拶やらで事務室内はバタバタしている。昼もナウゼリンを飲んでから食事。食後は今回最後のロキソニンとマグラックス服用。午後は新入生の配布物の袋詰め作業の人海戦術。あっという間に最後の日が終わった。新しい座席表も配られた。週明けは新メンバーでのスタートとなる。
今日の2人の足取りは、午前中引き続き金沢観光でサイクリング。昼過ぎに「しらさぎ号」で金沢を発ち、高岡へ。高岡から城端を往復し、高岡から「しらさぎ号」で富山に入り、宿泊という。一体、何時間電車の中で過ごすのか。もらっている時刻表を足しあげたら3時間半。それほどでもないか、と思ってしまう私も鉄ママである。