▲ 今週の看猫
▼ 新しい街でもぶどう記録;第273週
■ 今週の武相境斜面
■ 今週の草木花実
■ 今週の富士山
今年の冬は雨が多い。でも今週末は関東の典型的冬の晴れとなった。富士山が見えた。
■ 今週みた本、今週知ったこと
『定山渓鉄道』、久保ヒデキ、(Amazon)
▼ 武相境よりも早くに、私鉄+宅地開発:札幌、澄川、藤の沢
例えば、東京の自由が丘とか田園調布は電鉄会社の鉄道開発とともに発展した住宅地、あるいは街。この私鉄+住宅開発が多摩川を越えての西側・神奈川県地域は戦後からだろう。東急の田園都市線の歴史について愚記事(東急田園都市線@1966 午前8時)にメモした。田園都市線の神奈川県地域の宅地開発は1960年代後半、昭和40年代であった。一方、札幌ではそれ以前に私鉄+宅地開発が行われていたのだ。おいらは札幌にかつてあった定山渓鉄道に東急資本が入っていたと5年前に初めて知った(愚記事;東急-定鉄(じょうてつ)ライン; 定鉄の定は定山坊主の「じょう」です)。そして、今週初めて知った。札幌の澄川や藤の沢は東急系資本の宅地開発で発展したと。澄川や藤の沢は定山渓鉄道の駅がある場所である。典型的私鉄+宅地開発だ。札幌では1950年代末から行われていたのだ。知らなかった。久保ヒデキ、『定山渓鉄道』に書いてあった。
上画像は久保ヒデキ、『定山渓鉄道』より。元の写真は株式会社定鉄のものと思われる。
ネットで当事者の説明web siteに書いてる;
■沿線開発~宅地開発~
その後、不動産事業への進出も考えられ、その一端として昭和32年10月に北茨木が澄川駅と改称された。
昭和33年4月1日に直営の不動産事業を開始し、沿線開発の促進計画のもと藤ノ沢を中心として443.053坪の土地を買収し、年度内に6,263坪の分譲地を売り出した。また、商社及び学校用地として藤ノ沢地区に12.219坪、澄川地区に6.293坪を一括分譲した。
(ソース:じょうてつの歩み 7回)
▼ 地下鉄・真駒内駅の51年前(1969年以前)姿
札幌地下鉄南北線真駒内駅(wikiより)の現在
定鉄時代は緑ヶ丘といった。駅ではなく停留所。材料と作りに感動した。
web site (シリーズ『澄川』⑧ 澄川南部の大開発『緑ヶ丘団地』)様より。元は『株式歌詞やじょうてつ100年史』よりと思われる。
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