いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ヤマザキ (山崎製パン) の「ロシア派」の謎、あるいは、「大ロシア」はすごかった

2017年08月15日 20時45分40秒 | 日本事情


図1

買い物に行ったら、ヤマザキ (山崎製パン) の「レーズンロシアパン」なるものを見つけた。

初めて気づいた。 これまでは、「シベリア」はよく目に入っていた(図2)


図2 ヤマザキ (山崎製パン) の「シベリア」 (ネット上からのパクリ)

やはり、ヤマザキ (山崎製パン) には、ロシア派、がいるのだ。 以前からうすうす感づいていたが、今日、確信した。

「以前からうすうす感づいていた」と云ったが、その「以前」とは20年以上前だ。 あの「大ロシア」を見た時だ。


図3 ヤマザキ (山崎製パン) の「大ロシア」 (ネット上からのパクリ)

今から20数年前、おいらは中国山地の奥にいた。 

どれくらい中国山地の「」かというと、平家の落人(おちゅうど)伝説を抱いて生きている?人を間近にするくらいの里山・山間地だ。

その我が(自己)下放時代、平家の落人伝説を抱いて生きている?人を見た。

その人は、造園業者であり、いつも乗っている軽トラに書かれた業者名 [0] が、おいらをして、おまいは平家の落人かよ!?と感じせしむるものであった。

[0] アントクテンノーは壇ノ浦の藻屑とはならず、この地まで行幸なされ、この地で崩御されたのであります!的な業者名

おいらは、やや里山地域で暮らしてして、その造園業者は「山奥」から来ているようであった。

そんなある日、その「山奥」に行くと、その軽トラを敷地内に止めている屋敷に出くわした。そして、その屋敷の大きな表札にははっきりと「」と書かれていたのだ。

さて、その平家の落人伝説を抱いて生きている?人を間近にするくらいの里山・山間地。

おいらがその里山に来た時は、20世紀末。既に昭和は終わり、平成になっていた。 ソ連は解体し、ロシアが「復興」していた。

その里山にはコンビニなぞなかった。そして、あの赤と黄色で彩られたデイリー・ヤマザキさえなかった。

ただ、農協の事務所があった。平屋の小さな建物だ。 何の理由があったか忘れたが、用があって行った。その事務所の半分はオープンスペースで、小さな商品棚があり、わずかのものが売っていた。 そのわずかの売り物の中に、「大ロシア」があったのだ。 今から思えば、おいらがヤマザキ (山崎製パン) の「大ロシア」の現物に出会ったたった1回のことだ。

今となっては記憶がないのだが、なぜか財布をもっていたらしく[1]。その「大ロシア」を買った。 これもはっきりした記憶がないのだが、べろっと食べた。 飢えていたのだろう。

[1] 幸か不幸かおいらはこれまでの人生の大半、そして今も、財布を持たなくて仕事場に行ける生き方をしている。というか、日常で財布を持たなくていい生き方を、がんばって、選んでいる。なので、この「大ロシア」に出会った日になぜ財布をもっていたか不明。おそらく、農協事務所に何か支払いにいったのであろう。

それにしても、恐るべし、ヤマザキ (山崎製パン)。 コンビニもない、平家の落人伝説を抱いて生きている?人のところにパンを浸透させていたのだ。

まとめ

今、「大ロシア」は製造、販売しているのだろうか? している気配はない ↓

そして、ヤマザキ (山崎製パン) の「ロシア派」は、何時、「シベリア俘虜黒パン」、を販売するのだ?!

 

 



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