いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第268週

2019年12月28日 18時17分20秒 | 草花野菜

▲ 今週の看猫

■ 新しい街でもぶどう記録;第268週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週のメタセコイア

■ 今週の草木花実

■ 今週の連打

今週ある日、F5を連打されたらしい。

■ 今週知ったこと;池田徳眞(のりざね)に会った英国人捕虜の記録

愚記事で「鳥取池田家の絶家;marquiseの決断、あるいは、絶倫殿様の曾孫の絶家」というのがある。

鳥取池田家の当主池田百合子さんが絶家を宣言したというニュースについて。その池田百合子さんの父親、つまり先代は池田徳眞(のりざね)=旧鳥取藩主池田氏第15代当主についての描写に出会った。

その池田徳眞(のりざね)に会った英国人捕虜の記録を読んだ。

その英国人捕虜はシンガポール戦で捕虜になり、出征前の職業に画家と書いたので、選ばれ東京に連行された。1943年11月。そして、大森収容所に到着;

 一日がものすごく長く感じられる。まだ我々は何もさせられておらず、東京に連れてこられた理由も聞いていない。 
 だがある日、状況に変化があった。
我々は一人ずつ事務所に呼び出された。二人のジャップが我々を聴取するという。
 やっと私の番がきた。事務所内に案内され、座るようにと言われた。質問者は二人の若いジャップだった[56]。洋服姿のきちんとした身なりで、そのうちの一人は完全な英語を話した。私の書類関係は彼の前にある。彼はいろいろと質問をした。
 まず次のように話した。
「えーと、あなたはウォトフォードに住んでいましたね。ウォトフォードはよく知っていますよ。バイパスやキングス・ラングレイの辺りをいろりろね」
 その後彼は、私が描いたスケッチのことや、演劇に関心があるか、絵を見せてもらえるか、どっちが戦争に勝つと思うか、などと質問してきた。それらの質問に答えると、彼はこういった。
「オーケー、これで終わりです。では次の人」
デリク・クラーク、和中光次訳、 『英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人』(Amazon

完全な英語を話すジャップが池田徳眞(のりざね)[wiki]。訳注[56]に書いてあった;

56 クラークを面接した人物
参謀本部駿河台技術研究所放送部主任で日の丸アワー放送を担当した池田徳眞[のりざね](徳川慶喜の孫)と外務省ラジオ室の牧秀司。池田は外務省ラジオ室で海外放送傍受等を担当していたが、ゼロアワー放送の責任者に抜擢された。池田は東大文学部を卒業後、1932年に渡英し、オックスフォード大学に留学、英国で4年4ヶ月、豪州で一年半暮らした。放送開始前に、候補の捕虜53名のうち、40名が大森収容所に到着しており、池田は3週間前に10回大森収容所を訪問して、捕虜管理本部棟応接室で捕虜を面接、雑談しながら放送に使えるかどうか判断した。使えそうな捕虜には、その捕虜に応じたテーマで、文章を書く課題を与えた。最終的には恒石少佐と相談の上、最初の14名が選ばれた。

面接でプロパガンダ要員に選ばれなかったデリク・クラークは都内で捕虜労働に従事することとなる。(『英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人』の内容は後日ブログ記事となる予定。)

■ 今週の破笑


google [日中韓首脳会談  2019]

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