いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

1945年8月30日、横浜に進駐する米軍を米英旗で迎えるがきんちょたち

2023年01月31日 20時41分01秒 | 日本事情

過去のブログ記事(1945年9月8日、東京に進駐する米軍を米英旗で迎えるがきんちょたち)が誤っていたので、訂正する。


マ元を歓迎する浜っ子たち、横浜市戸塚区

敗戦直後の占領軍の進駐において、米英旗を振って米軍を「歓迎」するがきんちょたちの映像を見た。こんな光景を見たことがなかった。この映像は、有名な映像供給会社のパテ・ニュース (google) のものなので、戦後ずっと公知であったはずだが、あまたあるテレビ番組・ドキュメンタリーにおいて、敗戦日本を語るための実写映像として使われているのを、おいらは、見たことがなかった。

このがきんちょたちが米軍を「歓迎」したのは、1945年9月8日にマッカーサー元帥(マ元)が横浜から東京の米国大使館に「入城」した日の出来事ではなく、マ元が「厚木」に舞い降りた日(14:05に着陸した)の「厚木」から横浜のホテル・ニューグランドへの移動中の戸塚区での出来事らしい。服部一馬、斎藤秀夫、『占領の傷跡』、有隣新書、1983年 (Amazon) にあった。ただし、詳細は記されていない。


服部一馬、斎藤秀夫、『占領の傷跡』より

そもそもこの米英旗で米進駐軍を歓迎するがきんちょたちは下記動画からのもの。今から見えれば、パテ・ニュースの映像は米軍の東京入城(1945年9月8日)を物語ったものだ。その物語の見せ場のひとつは チェイス少将 とデイビス上等兵の物語、東京入城第一人者のデイビス上等兵とチェイス少将の握手。1945年9月8日。ただし、この映像は、1945年8月30日にマ元が「厚木」飛行場に到着した以降のいろいろな場面で撮られた映像を編集したものであるらしい。そして、この米英旗を振るがきんちょたちは横浜は戸塚の子供たちとのこと。つまり、この動画の冒頭に港で上陸する第一騎兵師団が登場。記章で明らかに第一騎兵師団とわかる。史実として、1945年9月2日午前11時半横浜港大桟橋に4-5000名が上陸。動画は、おそらく、この場面であろう。一方、この動画の20秒以降の米英旗を振るがきんちょたちが出てくる場面は8月30日のことらしい。この場面ではトラックのみが写っていて、戦車は写っていない。「厚木」飛行場に到着したマ元は「最高司令官用として特別に準備された乗用車におさまり、乗用車二五台・トラック十〇台に分乗した完全武装の主力部隊一二〇〇名を従え、戸塚経由、横浜へ向かった」(『占領の傷跡』)とのこと。つまり、トラックに乗っているのは、第11空挺師団。そして、このがきんちょたちの米英旗による歓迎は戸塚での情景らしい。ただし、米英旗を振るというのは誰かの差し金だろう。いい映像を撮りたい米国側か?進駐を順調に進めたいと意志をもつ日本人グループか?わからないが。

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