いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

この夏、ユンガーの『労働者』の邦訳が出るらしい

2013年07月28日 19時17分08秒 | 

 

― しかしながら、ここには労働に従事していない原子が存在しないこと、我々自身がこの激烈なプロセスに心の底まで取り込まれていることを、快感の入り混じった驚愕の感情とともに察知するためには、この我々の生活自体を観察すること、完全に解放されてあると同時に冷酷な規則に縛られ、そして煙を上げて灼熱する領域、運輸の物理学と形而上学、モーター、飛行機、百万都市を備えた、この我々の生活自体を観察することで充分である。総動員は、人為的に実施されるというよりも、むしろ自ら生じると言った方が適切である。それは戦争と平和の双方において、秘密に満ちた逃れようのない要求の表現であり、我々をこの要求に服せしめるものは、大衆と機械の時代の中に置かれたこの生活なのである。かくして、個々の生活が全てますます明白に労働者の生活となり、また騎士の戦争、王の戦争、市民の戦争の後に、労働者(3)の戦争が続く。この戦争の効率的な構造とその高度の冷酷さとついて、我々はすでに二十世紀最初の大きな対決を通じて、予感を与えられた。 ― (エルンスト・ユンガー、『追悼の政治 忘れえぬ人々/総動員/平和』 [川合全弘 編訳]、の"総動員、III"、1930年)

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訳注 [川合全弘] (3) ― 労働者という語は、ナチス党の正式名称(国民社会主義ドイツ労働者党)の中に取り入れられている[こ]とからも分かるように、ワイマール期ドイツにおける流行語のひとつである。ユンガーにおける用語法の特徴は、第一次世界大戦の経験を背景として、労働者の概念が兵士の概念と重ね合わせて理解されていることであろう。言い換えれば、ユンガーは、総力戦の中で兵士が味わった個人的自由の喪失の経験に照らして、この語を、技術の急速な発展とそれが現代人の生活にもたら[す]否定的変化とをシンボリックに表現する語として用いている。


8月上旬刊行予定:ユンガー『労働者』

それにしても、ユンガーって「こないだ」まで、生きていたんだょ。; wiki [エルンスト ユンガー]

 9.11は見せてやりたかった; 労働者の戦争なんて、終わっちまったって。 鋼鉄の嵐 ! in a civilian area

▲ twitter [ユンガー 労働者]

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