いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

1968年革命 地球認識編

2016年07月31日 19時09分38秒 | その他

 ― でもあの月から見た地球の写真は魅力的でした。 ―


[1]  (『通販生活』の元ネタ ???)

なお、今の若い人は知らないだろうが、この当時、1ドル=360円である。この5ドルのカタログは当時の日本円で1800円。今じゃ、5ドルは、高々、500円だ。 

昔のことを知るのに難しいのは、昔に起きた事柄を理解することばかりでなく、その当時の当事者の認識状況がわからないことである。現在の普通の人の意識では当たり前のことでも、当時は画期的なことであり、そういう考えや認識を誰も持っていなかったり、少数派だったりする。

つまらない例え話でいうと、今は洋書を買うのに何の苦労もない。Amazonでワンクリックである。そして、すぐ来る。自宅に来る。30年前のおいらが学生の頃は全然違った。そもそも本のカタログがない。古典で書名が分かっていても、どこの出版社からいくらで販売されているのかわからない。新刊については、いわずがもなである。丸善に行って、電話帳みたいカタログを引く。注文する。納品まで数カ月かかる。そして、下宿に電話がないので、納品されたことを知らせる葉書を注文時に準備する必要があった。自分で自分の住所を葉書に書いて注文時に渡す。納品されると葉書が来てわかる。そして、丸善に歩いて行って、引き取る。 今思えば、丸善に歩いて行く距離は、今では歩く気になれない遠さではある。当時は、元気に、歩いて行ったのだ。1980年代中半、今から見ればバブルの時期である。

と、たとえ話が滑って関係ない話になった。つまりは、ネットのない時代というのがあったのだ。

話を戻す。1968年革命 地球認識編。1980年代中半、団塊の世代・"全共闘世代"[2]のすぐ下の世代が助教授(今の准教授)がとなり活躍しはじめた頃、自分たちの若い頃(高校生あたり)の印象深い思い出としてアポロ・プロジェクト、月面着陸を話す人を複数おいらは見た。

[2] "全共闘世代"の人は、結果的に、研究者にならなかった(ようだ)。

その時だったか知った。アポロ・プロジェクトの意義は直接人類(ってか米国人のみだが)月に行って帰って来たこと、あるいは、月表面の物質を持って帰って来たことばかりでなく、地球外から見た地球の姿を人類に示したことであったと。ある種のコペルニクス的転回である。 地球も「月」であると語った画像がこれ;


Google 画像

海洋と大気がみえるこの像も今では誰も感嘆しない。当たり前だからだ。今では、自分たちの上の空は気象衛星で毎日外から見れる。

今の常識とは全然違う1968年はこういう時代であったと知った。 この本に書いてあった;

 われわれが生活全般の革命を目指した時に、アメリカの『ホール・アース・カタログ』に刺激を受けたことがあります。それはただの商品カタログに過ぎませんでしたが、私たちはもっと自分の手仕事を増やすことで買うことを減らしていけると考えていました。でもあの月から見た地球の写真は魅力的でした。
津村喬、『戦略とスタイル 増補改訂版』、2015年、航思社 [3]

■ まとめ

本に出てくる知らない固有名詞もネットでググレばすぐわかる。アメリカの『ホール・アース・カタログ』も今知った。

半年前に老舎を知って、これまでがきんちょの頃から読んだ本を再読すると、「老舎」という言葉がぼろぼろ出てくる。それらの本は確かによんだのだ。さらには何度も読んだものもある。これはどういうことかというと、おいらは、いままで、老舎をスキップしてきたのだ。読書というのはこちら側が持っている言葉、知識に応じて立ち現われるのだ。バカがいくら本を読んでも、バカ相応にしか読み取ることができないのだ。 (愚記事

知らない固有名詞はすぐググれ! いい時代だ!!!(???=読書が進まないよ)

[1] 君は伝説のカタログ「Whole Earth Catalogue」を知っているか?

[3]

【著者より】

 68年を境に、左翼でも新左翼でもない、決定的に新しい質の左翼が登場しました。それが全共闘です。
 全共闘については多少混乱していて、2つの全く違った意味がありました。
 ひとつは、60年代初頭までの全学連と同じスタイルを持った、革マル系、第四インター、ブント、解放派、中国派や構造改革派のほか、のちに中核派も全共闘を名乗ったこともあります。
 しかしそれらとは違って、まったく新しい組織原理を全共闘が意味している場合がありました。
 まず彼らはノンセクトであり、セクトに従わないことに大きな価値を見いだしていて、「一人で決断する」「一人が参加しても集団は変わる」ことを原理に、状況によってたえず離合集散するけれども、前衛の役割を果たす。
  ですから党派の統一戦線としての全共闘と、諸個人の機能を指している全共闘には明確に区別をつけてほしいのです。それが大量現象となったことに、「68年 以後」の新しさがあるということです。本書はこの時代の「全共闘」の存在原理を確立しようとして書かれた本なのです。(…)
 本書は、国家を離脱 した人にこそ読んでほしい本です。まだそこまでいかずとも、意識の上で離脱した人々に。そして離脱しても、毎日の起居振る舞いと食生活は当然に続いてい て、そのレベルでの「日常生活における管理と脱管理との、支配者のスタイルの模倣と脱出者のスタイルとの闘争」がまさに永続的に続いているのです。

――「新版まえがき」より

出版社広告より