いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

~♪~錦糸輝く、銀しゃりに~♪~ :ねた:

2010年02月11日 08時47分56秒 | 日本事情

-錦糸卵丼。ネタのため作りました。コスト、玉子代20円、お米ただ。-


発明される伝統・歴史
建国記念の日は今年でわずかに44回目。紀元2670年なのに。なぜなら、建国記念の日は1967年から適用されたから。wiki; 建国記念の日 当然、大日本帝国時代の紀元節が建国記念の日になったのではある。しかし、明治節⇒文化の日といった多くの祭日が名称を変えたが終戦・マック憲法制定をはさんで連続していたのに対し、紀元節は戦後廃絶。1967年の建国記念の日としての再興となる。つまりは、昨日・一昨日取ってつけたものである。

実は、紀元節、皇紀こそ"近代"の典型的産物である。1872年(明治5年)11月15日、明治政府は神武天皇の即位をもって「紀元」と定め(明治5年太政官布告第342号)、同日には「第一月廿九日」(1月29日)を神武天皇即位の相当日として祝日にすることを定めた(明治5年太政官布告第344号)。 (wiki; 紀元節)。たぶん、大日本帝国政府がグレゴリオ暦の影響を受けて皇紀を制定したのであろう。

これこそ要出典なのではあるが、新井白石センセは皇紀なんて知らないのではないだろうか。つまり、日本の通史を考察する際、江戸時代以前の学者には大化の改新(645)や鎌倉幕府(1192)やなんやらかんやらの時間間隔の感覚がなかったのではないだろうか。あるいは、元号をすべて把握して、積算するか。この件に書かれた本をまだ読んだことがない。"歴史学"学です。

■もっとも、近代になっても大化の改新が紀元何年で、鎌倉幕府が紀元何年と日本の学生・学者がそらんじていた気配もない。ただ、わが日本は2600年も続く世界に冠たるえらーいおクニであるという、あまりに幼稚でばかっぽい観念におのれを肥大させ、対米英蘭支戦争へと邁進するのでありました。マンセー! でも、ちょっぴり成功しちゃうんだから、侮れない。 マンセー!紀元は2600年!

~♪~荒ぶ世界に 唯一つ揺がぬ御代に 生立ちし感謝は清き火と 燃えて紀元は 二千六百年ああ 報国の血は勇む ~♪~

そんな典型的誇大妄想狂を高らかにうたったのが、増田好生作詞(やっぱり、増田だよ)、「紀元二千六百年」。外山正一の「陸軍分列行進曲」の諧謔と逆説に満ちた高尚な歌詞に比べ、この「紀元二千六百年」の単細胞、自画自賛には感動する。ばかのように明るい曲調と無内容な美辞麗句の自己横溢の歌詞に亡国の香りがふんぷんとする*1。元祖「美しい日本」である。おいらは何度も聞いちゃったよ。カウンターまわしまくり。

↓この曲が戦後結構うたわれたのは軍歌金鵄 禁止という戦後の放送コードにひっかからなかったためとおいらは推定しています。

紀元二千六百年(水前寺清子)

金鵄輝く 日本の
栄ある光 身にうけて
いまこそ祝え この朝
紀元は 二千六百年
ああ 一億の胸はなる

歓喜あふるる この土を
しっかと我等 踏みしめて
はるかに仰ぐ 大御言
紀元は 二千六百年
ああ 肇国の雲青し

荒ぶ世界に 唯一つ
揺がぬ御代に 生い立ちし
感謝は清き 火と燃えて
紀元は 二千六百年
ああ 報国の血は勇む

潮ゆたけき 海原に
桜と富士の 影織りて
世紀の文化 またあらた
紀元は 二千六百年
ああ燦爛のこの国威

正義凜たる 旗の下
めいろう明朗アジア うち建てん
力と意気を 示せ今
紀元は 二千六百年
ああ 弥栄の日は昇る

*1;ベタに解説すると、卵の黄色を金色(錦)と、そして、ご飯の白を銀色と表現するこの過剰麗句へのツッコミが、今日のネタとテーマなのでありんす。美しい国へ! 楽しんで、嗤っていただけましたでしょうか?