いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

マオさんバッチ -北京2006 ⑭-

2006年12月27日 20時12分13秒 | 中国出張/遊興/中国事情



マオさんバッチ。 全24種類。

■今週は4夜連続で、NHK・BS1で、文革特集。今夜は;
 BS特集 民衆が語る中国・激動の時代~文化大革命を乗り越えて~ 第3章 下放・若者大移動 12月27日(水) 後9:10~10:00

めざましい成長を続ける中国には、かつて、文化大革命という激動の時代があった。人々は、その時代をどのように過ごし、どう乗り越えてきたのか。40人以上の証言でつづるBS特集「民衆が語る中国・激動の時代」。第3回は「下放・若者大移動」をおくる。

http://www.nhk.or.jp/bs/navi/docum_td.html

だった。

■主に、当事者を現在インタビューすることと過去の実写フィルムで構成される。インタビューされた「下放」された元「紅衛兵」たち(5-6人)は、実年齢は多分50-60歳なのだろうけど、 みんな表情が若い。顔の色つやもよい。各自の自宅のようなところでインタビューに答えるのだけど、部屋の雰囲気、調度が、下手な日本のプチブル家庭より、品がいい。 なぜかしら、本が無造作につまれた書棚を背景にインタビューに答える人が多かった。同じく現在インタビューを受ける、紅衛兵を迎えた農村の人たちと文化的「人種」が違う。

彼らは北京のプチブル子弟であったのだろう。そして、現在の改革開放路線にのって、文革時には呪いの対象であった「出身階級」が逆に効をなし、ゆとりある生活を送る今日のインタビューになったと思われる。なお、インタビューに答えた大半の人は党幹部の子弟は先に都市に帰ったが、自分は「普通の人/プチブル」なのですぐ帰れなかったと主張していた。

文革時都市部から農村に下放された若者は1600万人とのこと。このように復帰できた、そして現在プチブルになった/もどれたのは少数派であろう。

▼番組で文革時の北京の孔子廟らしき建物が出た。つまり、紅青らによる、批林批孔運動の一環の集会が北京の孔子廟らしき建物で行われたときの模様を撮影した映像であった。べつに破壊をしているわけではなく、天安門広場でと同じように、整然と集会をしていた。多少、あの紅衛兵手帳を振りかざすくらいである。

間違えない。映像の中に、大成殿のあの「看板」を見た。去年北京に行ったとき少なからず驚いたのが北京の孔子廟が別に損傷を受けている気配もなく残っていたことであった。おいらは、てっきり文革でめちゃくちゃになっている、つまり廃墟であろうと思って訪ねたのであったから。