四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

常楽寺(埼玉県川越市)

2019年05月14日 | 神社仏閣


山 号:河越山(かわごえさん)
院 号:三芳野院(みよしのいん)
寺 号:常楽寺(じょうらくじ)
宗 派:時宗
創 建:鎌倉時代
開 山:中政智徳 中興開基:大道寺駿河守政繁
本 尊:阿弥陀如来
所在地:埼玉県川越市大字上戸194

平安時代末期から南北朝時代にかけて、武蔵国で最大勢力の豪族であった桓武平氏秩父平氏の嫡流である河越氏
が拠点としていた河越館の跡地の一角にあります。
常楽寺は河越氏の持仏堂が基となって発展したものとされる。応安元年(1368)の武蔵平一揆で河越氏が滅んだ
あと、長享の乱の際には扇谷上杉家の河越城を攻略するため、山内上杉家の上杉顕定がここに上戸陣を置きまし
た。

後北条氏が川越を支配すると重臣の大道寺政繁が領主となりましたが、豊臣秀吉の小田原征伐に屈し、秀吉の命
で大道寺政繁はこの地で自害しています。当寺には大道寺政繁供養搭があり、また、近年建立された河越重頼・
京姫(郷御前)・源義経の供養塔もあります。重頼の墓と伝わるものは同じ川越市内の養寿院にあります。




今はほとんど読めなくなっていますが 河越館跡 と書かれた標柱




木製の標柱の文字は読めなくなっていますが、表門の外側には「国指定史跡 河越館跡」の石標が建っています。




門前には、河越山 常楽寺 と刻まれた大きな石が置かれています。




お約束の六地蔵尊




表門




参道の両側に二基づつ四基の大きな石灯篭
これは、芝増上寺の徳川将軍の廟にあったものです。これまでにも何回となくこの石灯篭の件に触れていますが、
最近はあってもスルーすることが多くなりました。訪ねるお寺のほとんどにあるものですから、いちいち西武鉄
道云々の説明をしてもしようがないので(と言いつつ触れちゃいましたが)




山門(鐘楼門)
川越城の城将「大道寺政繁」の子孫・道順入道が寄進し、江戸時代中期の天明8年(1788)に再建された。
左右に金剛力士(仁王様)を安置しています。2階には銅鐘が吊るされています。




本堂




本堂に架かる扁額は山号の「河越山」
寺紋は「折敷に三文字」 この常楽寺の宗派時宗の宗紋のようです。これは一遍上人が出た伊予の河野氏の家紋
から採られたようです。
河越氏の持仏堂から発展したお寺ですので、河越氏の家紋「三本傘」とか「三つ花菱」とかを寺紋にということ
はなかったのでしょうか?




一遍上人像と本堂




庫裏




扁額には「福聚殿」(多分この文字だと)とあります 観音堂のようです




河越重頼・京姫(郷御前)・源義経の供養塔と供養塔建立之碑




重頼等三供養塔建立之碑




河越重頼・京姫(郷御前)・源義経の供養塔




大道寺政繁供養搭(宝篋印塔)  揚羽蝶紋は大道寺氏の家紋
政繁の墓は群馬県安中市(旧碓氷郡松井田町)の補陀寺にある




墓誌
大道寺政繁の戒名は、松雲院殿江月常清大居士




常楽寺の全景とまではいきませんが半景くらいは入っているでしょうか・・・

参拝日:平成31年(2019)4月15日(月)