四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

山根六角塔(埼玉県毛呂山町)

2021年04月30日 | 史跡・遺跡・文化財


毛呂山町宿谷地内の山根六角塔を訪ねてみました

名 称:山根六角塔
概 要:緑泥片岩。高さ1.15m、六角形、一面欠、貞和2年、道教による建立
指 定:埼玉県指定史跡(昭和6年〔1931〕3月27日指定)
所在地:埼玉県入間郡毛呂山町宿谷39‐1




左側に『埼玉県指定史跡 山根六角塔』の標柱
標柱の奥の方に金網で囲繞された覆屋の中に六角塔があります
右側の覆屋の中に『宿谷地蔵尊』(毛呂山町指定有形文化財)があります ※写真は省略




覆い屋の中に六角塔




『山根六角塔婆』説明板
貞和二年丙戌・・・西暦1346年




一面欠の六角塔






残存の5面は丸数字の通りに配置されています それぞれ異なる梵字が刻まれています


散策日:令和3年(2021)3月23日(火)

石上寺の芭蕉句碑(埼玉県熊谷市)

2021年04月29日 | 歌碑・句碑


 句 : しはらくは 花の上なる 月夜哉
     (しばらくは はなのうえなる つきよかな)

出 典: 『初蝉』  元禄4年(1691)春  芭蕉48歳の時の句
所在地:埼玉県熊谷市鎌倉町36(旧・熊谷市) 石上寺 (花塚の碑)
建立日:明治35年(1902)3月
    当時は現在より荒川寄りの場所にあり、「花塚」として知られていた
    後に熊谷堤の形跡が残る石上寺本堂の前に移設された
建立者:熊谷の俳人・四分一葉々、竹井幽谷(澹如)、林幽嶂(有章)ら




【石上寺】




【石上寺本堂】
芭蕉の句碑は本堂前の右側に建立されています  ※芭蕉句碑とあるところ

散策日:令和3年(2021)3月14日(日)

文殊寺の芭蕉句碑・芭蕉翁塚(埼玉県熊谷市)

2021年04月28日 | 歌碑・句碑


 句 : 初しぐれ 猿も小蓑を ほしげ也
     (はつしぐれ さるもこみのを ほしげなり)

出 典: 『猿蓑』冒頭の句  元禄2年(1669)9月 芭蕉46歳の時の句       
所在地:埼玉県熊谷市野原623(旧・大里郡江南町) 文殊寺 
建立日:寺伝によると「横田柳几(俳人:1716-1744)書の五道庵竹二坊(俳人:1759-1836)建立
    の芭蕉の句碑あり」とされ
    昭和50年(1975)9月の文珠寺御開帳を記念して再建されたもの
建立者:-




    芭蕉翁塚の上に立つ碑

建立日:文政3年(1820)2月
    碑面には「文化十三丙子年 十月十二日 五道庵建」とあるが建立が遅れたようです
建立者:五道庵竹二坊
    五道庵(俳人:1759-1836)は福田村(現・比企郡滑川町)の人で、竹二坊と号した




【文殊寺仁王門】
五台山 文殊寺 日本三体文殊菩薩のひとつ「野原の文殊さま、智恵の文殊寺」と知られ
遥か昔から学業成就の願いを求めて多くの人々が訪れる武州野原のお寺




【鐘楼門】




【本堂】
この本堂左側の林を入ってすぐのところに芭蕉句碑・芭蕉翁塚があります




【芭蕉句碑】と【芭蕉翁塚(碑)】

散策日:令和3年(2021)3月14日(日)

鉢形城の御城印(埼玉県寄居町)

2021年04月27日 | 御城印


日本100名城のひとつで国指定史跡【鉢形城】の『御城印』が、4月1日より鉢形城歴史館で販売が始ま
ったとのことでしたので購入してきました。価格300円
御城印紙は、寄居町に隣接する小川町と東秩父村で漉かれている世界ユネスコ無形文化遺産の『細川紙』
が使われています(厳密には細川紙自体が無形文化遺産に登録されているのではなく、細川紙を漉く手漉
き和紙技術が登録対象ですが)
デザインは、後北条氏の家紋【三つ鱗】、鉢形城主北条氏邦の印判【翕邦挹福(きゅうほうゆうふく)】
と【櫓門】で、【天然の要害 国指定史跡 鉢形城】とあります。




緑が眩しい鉢形城二の曲輪の堀跡 右下の小さな写真は玉淀河原から見た本曲輪の崖

購入日:令和3年(2021)4月23日(金)

歴史民俗資料館の芭蕉句碑(埼玉県坂戸市)

2021年04月26日 | 歌碑・句碑


 句 : あかあかと 日は難面も あきの風
     (あかかと ひはつれなくも あきのかぜ)

出 典: 『奥の細道』  元禄2年(1689)芭蕉46歳の時の句
所在地:埼玉県坂戸市石井 坂戸市立歴史民俗資料館中庭
建立日:嘉永5年(1852)10月
建立者:不詳




【碑陰】
嘉永五年壬子歳 行翆
十月吉日建之  三通




【坂戸市立歴史民俗資料館】 昭和13年(1938)に建てられた勝呂小学校の校舎の一部を移設改
修したもの
芭蕉の句碑は、市内仲町の吉川医院にあったもので同院廃業により歴史民俗資料館に移され、建物
の裏に横たわっていたようですが、中庭に建てたようです。隣には旧大谷村の道路元標が移築され
ています。  
なお、訪問時歴史民俗資料館は新型コロナウイルス感染症対策のため休館中でした。

散策日:令和3年(2021)3月10日(水)

東小平中山廃寺 木造塔跡(礎石群)(埼玉県本庄市)

2021年04月25日 | 官衙・国分寺・廃寺跡


本庄市児玉町小平にある『東小平中山廃寺 木造塔跡(礎石群』を訪ねてみました。

名 称:東小平中山廃寺 木造塔跡(礎石群)
種 別:塔跡
指 定:-
所在地:埼玉県本庄市児玉町小平(旧・児玉郡児玉町)
    
廃寺跡は元々は別の場所であり、木造塔跡の礎石群が移築復元されているもので、遺構はありませんし、
遺構のあった場所は現在、総合運動公園となっていますので遺構は埋め戻されています。




 東小平中山廃寺 木造塔跡(礎石群)
                               所在地 児玉町大字東小平字中山

 本廃寺は平成15年に行った「児玉町総合運動公園造成工事」に先立つ発掘調査によって発見されました。伽藍は、金
堂(仏堂)を中心に講堂や塔によって構成されていました。
 この規則的に並べられた礎石群は、「東小平廃寺」の中で保存状態が良好であった塔跡の礎石を本地点に移築し復元
したものです。
 本塔跡は、心礎穴が穿たれた心礎のほか、四天柱礎3個・側柱礎4個が原位置を保っていました。残っていた礎石か
ら塔の復元を試みると初層の規模は3×3m、心礎に穿たれた心礎心の径から推定する塔高がおよそ8m前後の多重塔で
あったことが想定できます。
 本塔の創建年代は、周囲から出土した古瓦片が武蔵国分寺創建期にあたる8世紀後半期の所産であると推定できるこ
とから、本塔の創建年代も8世紀後半と考えることができるでしょう。
                                  平成17年3月  児玉町教育委員会


※合併により現在は本庄市ですが説明板の表記のまま転記しました。




説明板の前に移築、復元された木造塔跡の組石群があります
上に見えるのは成身院百体観音堂(さざえ堂)
本庄児玉総合運動公園は写真の右方にあります




移築、復元された木造塔跡の組石群




心礎穴が穿たれた心礎

散策日:令和3年(2021)2月28日(日)

みか神社の芭蕉句碑(埼玉県美里町)

2021年04月24日 | 歌碑・句碑


 句 : 麦刈りて 桑の木ばかり 残りけり
     (むぎかりて くわのきばかり のこりけり)  
 
出 典: 『一井庵宛消息』?  ※存疑句
所在地:埼玉県児玉郡美里町広木1 みか神社 
建立日:昭和58年(1983)12月
建立者:-
※神社名の漢字は表示できないので「みか」としました




社号標と参道  句碑は社号標の後ろに隠れてしまいました




みか神社社殿

撮影日:令和元年(2019)5月22日(水)

東京2020オリンピック・パラリンピックの聖火リレートーチ巡回展示

2021年04月23日 | エトセトラ


東京2020オリンピック・パラリンピックの聖火リレートーチの巡回展示については知りませんでした。
所用のついでに偶々立ち寄った施設のロビーで、各市町村1日だけの聖火リレートーチの巡回展示が行わ
れていました。




      五輪用は『桜ゴールド』         パラリンピック用は『桜ピンク』
長さ71センチメートル、重さ1.2キログラム
因みに聖火ランナーのみトーチを購入できるようです 価格は71,940円

玉淀・ふるさと文学碑歩道 ③(埼玉県寄居町)

2021年04月22日 | 歌碑・句碑


「玉淀河原」への下り口に建立されている『埼玉県立自然公園 玉淀』石碑

裏面に銘板がはめ込まれており
 名勝玉淀命名六十周年記念
 寄居町観光協会 平成三年十月吉日
  ※役員名列記
とあります

『玉淀』  名前の由来は、水がゆるやかに流れる様を玉の色に見立て「玉のように美しい水の淀み」だと
いうことからきているそうです




正喜橋上流左岸の歩道沿いにある⑥から⑨までの4基の歌碑、句碑等と対岸の鉢形城本曲輪跡にある⑩田
山花袋の詩碑を廻ります
必ずしも番号順に廻ったわけではありませんが・・・




佐々紅華が昭和7年(1932)から自ら設計し住んでいた建物「京亭」の入り口脇に歌曲碑はあります




『佐々紅華歌曲碑』

佐々紅華作曲の「寄居小唄」の歌曲碑
「君恋し」(唄・フランク永井)は佐々紅華の作曲




    寄居小唄    金子虹作詞 佐々紅華作曲

  寄居良いとこ         城は鉢形
      秩父の山が         御城下町に
  雪のけはいの         昔ならした
      品のよさ          意地もある
  娘まけるな紅つけて      思いきるまい心なら
  しゃんとすませよ       せめて二度咲け
      ミスよりい          山つつじ


※長い歌詞の中から一部を碑にしたようです
   
  


玉淀河原に下りずにそのまま歩道を進みます
この写真の左側に桜樹碑』が建立されていたのに気づかず通り過ぎてしまい帰り道で気付いた次第です




『桜樹碑』

大正年間に植樹した桜の木について記されているようです

建立:昭和33年5月 建碑後援者 (1958年)




『茂木秋香句碑』

  花にあけ 山にくれけり 水の音

建立:昭和12年丁丑歳花見月(1937年) 門人中




「玉淀碑」と「玉淀碑解説版」




『玉淀碑』

建立:昭和8年 宝登山神社宮司塩谷啓山翁




「玉淀碑」解説版
碑にはここに記された歌が刻まれていいます
碑陰には「玉淀碑陰記」が刻まれています




玉淀河原から下流の正喜橋を望む




左端の遊歩道を進むと「雀宮公園」に




正喜橋の下に咲く花ダイコンの花




正喜橋の上から荒川下流を 左側に「雀宮公園」




正喜橋の上から荒川下流を




『田山花袋詩碑』はこの対岸にある鉢形城本曲輪跡にありますので正喜橋を渡って




『田山花袋詩碑』

  襟帯山河好 雄視関八州   (襟帯山河好し 雄視す関八州)
  古城跡空在 一水尚東流   (古城の跡空しく在り 一水尚ほ東流す)
     花袋作 実篤書

建立:昭和29年8月5日 田山花袋詩碑建設委員會 (1954年)
武者小路実篤の揮毫です
鉢形城跡には何度も足を運んでいますが、詩碑だけを目的として訪ねたのは今回が初めて・・・

散策日:令和3年(2021)4月18日(日)

  
  

玉淀・ふるさと文学碑歩道 ②(埼玉県寄居町)

2021年04月21日 | 歌碑・句碑


正喜橋下流左岸に建立されている歌碑を散策のため雀宮公園の駐車場北東側の石畳の道路(歩道)を荒川
に沿って進みます
この先に『桜柳碑』以外の4基の碑が建立されています




番号順に散策すればよいのでしょうが、④=③=②=①と探して歩きます




『菅谷幽峰碑』

題額に「一酔千日」とありますが何の碑かよくわかりません 
また【菅谷幽峰】さんについても知りません
碑文を全部読めばよいのでしょうが・・・




『草合歓の歌碑』

  夏草の深くも茂る
 本丸に語る哀しさ
    鉢形城戦史  中里 清
           
 出水あとの河原は清く
 洗はれてみずゆたかなるを
  舟下りゆく    鳥塚 仁

 河鹿鳴く馨すがすがし
  河原にかはらははこは
        いまだ短し
           内田 義


建立:平成2年10月 寄居文学碑建設委員会 (1990年) ※陰刻が不明瞭のため「年」が違う可能性もあります




『宮沢賢治歌碑』

 ◇ 毛虫焼く まひるの火立つこれやこの秩父寄居のましろきそらに
 ◇ つくづくと「粋なもやうの博多帯」荒川ぎしの片岩のいろ

建立:平成5年9月 宮澤賢治歌碑建立実行委員会 (1993年)




【碑陰】
歌碑建立に至る経緯が書かれています
宮沢賢治が盛岡高等農林学校(現国立岩手大学農学部)第2学年在学中の大正5年(1916)9月、
地質見学旅行で、ここ寄居町を含む秩父地方を訪れ短歌を詠んだそうです。




この荒川の岩場にあるのが『玉淀水天宮 奥の院』
元は「水神様」と称されていた




『玉淀水天宮』




     玉淀水天宮

 昭和6年にこの地が「玉淀」(県指定名勝)と命名された後、神社の設置の話がもちだされ、探したところ
川に面したところに石の宮があるのが発見されました。これは俗にいう水神様といってこの地方の漁師たちが
お祭りして、水難除けの神様として信仰していることがわかり、当時の玉淀保勝会が直ちにこの水神の神体を
基として水天宮を祀りました。
 水天宮の縁日は毎月「五」の日であるというので、最初の大祭を昭和6年8月5日に挙行し、現在は8月の第
1土曜日に盛大に行われています。祭事のあと「つけまつり」として、町内別の供奉船が花やボンボリちょうち
ん等で飾りたて、笛、太鼓等ではやしながら玉淀を遊覧し、多数の煙火が打ち上げられます。夏の祭りの美観は
実にみごとなもので、寄居町の年中行事のもっとも大きい祭りとして、また、埼玉県内としての大祭の一つに数
えられています・
 現在、水天宮は、水難除けと安産の神様として広く信仰されています。
                                      寄居町・埼玉県





玉淀水天宮境内にある『石澤無腸句碑』と『句碑説明碑』




『石澤無腸句碑』

建立:昭和63年3月 寄居町文学碑建設委員会 (1988年)




歌碑に刻まれている【玉淀の四季】4句と石澤無腸の略歴が刻まれています




正喜橋下流左岸の歩道沿いに建立されている歌碑、句碑等の散策は一応終えましたがこのまま玉淀駅まで
向かってみることに・・・
荒川に架かる東武東上線の鉄橋です




鉄橋の手前を左折して「玉淀駅」前まで来ました
何年ぶり いや何十年ぶりでしょうか 玉淀駅に来たのは・・・




駅舎内  業務委託駅で駅員さんはいません




正喜橋上流にある句碑、歌碑を散策のため来た道を戻ります。
鉄橋を4両編成の電車が走ってきました。上り列車ですが行先は「小川町駅」
東武東上線は「池袋」から「寄居」までの区間となっています。
昔は、池袋⇔寄居と一本でしたが、現在は、池袋⇔小川町(10両編成)と小川町⇔寄居の2本になって
います。

=続く=

散策日:令和3年(2021)4月18日(日)