四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

2021年01月31日 | 花・鳥・風景


昔 むかし と~い昔 ここは格好の泳ぎ場でした
然し、沢山の時間が川の形や流れを変えました 深さも変えました それは自然がそうさせたの
みならず人の手も加わってのことです
昔は何もなかった右岸は数年前に親水公園として整備されました




季節こそ違いますが 今は 子らに代わって鴨が泳いでいました
この日は釣り糸を垂れる人がいなかったため鴨たちが寄って来たのでしょう








日差しの角度と撮った位置の関係でしょうか 緑色の頭が紫に写っています




散策日:令和3年(2021)1月29日(金)

国津神神社の芭蕉句碑(埼玉県毛呂山町)

2021年01月30日 | 歌碑・句碑


 句 :  山さとは 万歳をそし うめの花
     (やまさとは まんざいおそし うめのはな)
出 典: ー
所在地:埼玉県毛呂山町西戸 国津神神社境内
建立日:不明(江戸時代末期か)
建立者:山本坊二十五世徳栄法印

徳栄が、かつて芭蕉が故郷の伊賀で詠んだこの句を選んで自然石に刻んだものと伝わる




【碑陰】




【標柱】
毛呂山町指定記念物史跡 山本坊の芭蕉の句碑
左側面には 平成二年二月二日 毛呂山町教育委員会
右側面には 句碑と二十五世山本坊についての説明文




国津神神社 旧・西戸村の鎮守であったとか




場所の句碑は国津神神社の社殿の左方に標柱と共に建立されています

散策日:令和3年(2021)1月5日(火)

川角八幡神社の芭蕉句碑(埼玉県毛呂山町)

2021年01月29日 | 歌碑・句碑


 句 :  道傍の むくげは馬に 喰われけり
     (みちばたの むくげはうまに くわれけり)
出 典: ー
所在地:埼玉県毛呂山町川角 八幡神社境内
建立日:文政12年(1829)3月
建立者:三世春秋庵(川村碩布)連中




【碑陰】
文政十二年歳次己丑春三月  ※写真では見えませんので陰刻の上に書き加えました




【芭蕉の句碑 説明板】




川角の八幡神社




【芭蕉の句碑】と【説明板】は参道左側に建っています

散策日:令和3年(2021)1月5日(火)

春日神社の芭蕉句碑(埼玉県ときがわ町)

2021年01月28日 | 歌碑・句碑


 句 :  むかしきけ 秩父とのさえ 角力とり
     (むかしきけ 秩父殿さへ すもうとり)

出 典: 『芭蕉庵庄文庫』
所在地:埼玉県比企郡ときがわ町玉川(旧・玉川村) 春日神社境内
建立日:不明
建立者:田杢念

※秩父殿 ⇔ 畠山重忠(秩父庄司重忠)




春日神社は都幾川の支川である雀川の左岸にあります
『春日神社の杜』は、県指定ふるさとの森(平成3年3月29日指定)




春日神社は岩山に鎮座し、この石段を上がった平場に社殿があります。
芭蕉句碑は石段を上がった所の平場の端に建立されています。

散策日:令和3年(2021)1月5日(火)

志賀の路傍の芭蕉句碑(埼玉県嵐山町)

2021年01月27日 | 歌碑・句碑


 句 :  春もやゝ けしきとゝのふ 月と梅
     (はるもやや けしきととのう つきとうめ)

出 典: 『薦獅子集』 元禄6年(1693)春 芭蕉50歳の時の句
所在地:埼玉県比企郡嵐山町大字志賀字久保前 路傍
建立日:不明
建立者:不明




この路傍の芭蕉句碑は、嵐山町志賀地内の県道296号(菅谷寄居線)【嵐山町役場入口(西)】交差点の
東南東約170mの路傍に建立されていますが、植え込みに隠れていますので通り過ごしてしまう恐れがあ
ります(自身の実体験!)




前から見るとこんな感じです

散策日:令和3年(2021)1月3日(日)

伊古神社の芭蕉句碑(埼玉県滑川町)

2021年01月26日 | 歌碑・句碑


 句 :  春もやや けしきととのふ 月と梅
     (はるもやや けしきととのう つきとうめ)

出 典: 『薦獅子集』 (巴水編)
所在地:埼玉県比企郡滑川町伊古 伊古乃速御玉比売神社(通称:伊古神社)
建立日:天保11年(1840)冬至月
建立者:不明




芭蕉句碑は一の鳥居を抜け二つ目の石段登り口手前の左側に建立されています (→印)

散策日:令和2年(2020)10月11日(日)

新田義貞が再興した『今城青坂稲実池上神社』(埼玉県上里町)

2021年01月25日 | 神社仏閣
◇延喜式内社〔論社〕◇


社 号:今城青坂稲実池上神社( いまきあおさかいなみいけがみじんじゃ)
通 称:稲荷様・忍保の稲荷様・池上神社
御祭神:・伊吹戸主命(いぶきどぬしのみこと)
    ・豊受姫命(とようけひめのみこと)
創 建:不詳・(社伝)和銅四年(711年)
社 格:延喜式内小社〔論社〕・旧県社 神饌幣帛料供進神社
例 祭:10月19日  例祭
指 定:-
鎮座地:埼玉県児玉郡上里町忍保225

上里町忍保に鎮座する延喜式神名帳「今城青坂稲実池上神社」は、延喜式神名帳「武蔵国
賀美郡四座」の一つ『今城青坂稲実池上神社』に比定される(論社)。
同名の神社が神川町関口にもあり、他にも論社とされるものがあり複雑な状況にあります。
由緒等については、境内に設置の説明板2基の内容を載せておきます。




参道入口前に立つ『社号標』 【縣社 今城青坂稲実池上神社】と刻まれています




『一の鳥居』
鳥居前には「神橋」があります




参道を進むと『二の鳥居』です  神域は玉垣で囲繞されています
左側の建物が『社務所』




玉垣で囲繞された神域




玉垣前に設置された『池上神社説明板』

  池 上 神 社
                                 上里町忍保225
 池上神社は、和同年間(708-715)の創立で、延喜式内社武蔵国四十四座の一つで、延喜式内神名
帳には、今白青坂稲実池上神社と記されている。
 忍保庄の総社と伝えられ、祭神は伊吹戸主命と豊受姫命で、古くは善台寺において別当を兼務し神
事を司っていた。
 正慶年中(1332-1334)には新田義貞、大永年中(1521-1528)には斉藤盛光の崇敬が篤く、神
殿の修復が行われたと言われている。
 また、天正十年(1582)、織田信長の家臣である厩橋(群加権前橋市)城主の滝川一益と小田原城
主北条氏直との神流川合戦の際に社殿を焼失し、その後、川窪信俊により再建されたと伝えられ、現
在の社殿は、明治住十二年に改築されたものである。
 なお、当神社には明治初期に始まった「忍保の神楽」と呼ばれる神楽の一座がある。
  昭和61年3月
                                  埼玉県  上里町
   



『手水舎』




『二の鳥居』 両部鳥居です




『扁額』 【延喜式内 今城青坂稲実池上神社』と揮毫されています




  今城青坂稲実池上神社 御由緒
                              上里町忍保225
縁起
 当社は烏川を背にして祀られており、『延喜式』神名帳に見える賀美郡四社の内の「今城青坂稲実
池上神社」の比定社の一つとされる。社名の「いまき」は今城すなわち新来の意で、渡来系氏族が当
地に高度な技術を導入し、「稲魂」を祀ったものであろう。
 祭神は伊吹戸主命・豊受姫命の二柱である。社伝によれば、和銅四年(711)に勧請され、忍保庄
の総社として崇敬された。元弘年中(1331-34)に新田義貞が金窪に大瑘城を築いた際、城の艮
(東北)にあって荒廃していた当社を再興し、城の鬼門除けとした。以後、代々の城主の崇敬を受
けたが、天正十年(1582)神流川合戦の兵火により社殿を焼失した。天正十九年(1591)川窪与左
衛門信俊が社殿を改築し、神田を寄進した。元禄七年(1694)の大洪水に社殿が流失したが、本殿
だけはかろうじて水中から引き揚げ、地盤を高く築き、修繕を加えて再興した。しかし、元禄十一
年(1698)に信俊の孫武田越前守信貞が丹後国に転領となってから衰退の一途をたどった。その後、
元文三年(1738)に地頭から鳥居の再建と供米の奉納があり、更に嘉永年間(1848-54)には地頭
から社殿の修繕と神田の寄進があり、徐々に社運を盛り返した。
 明治五年に旧称に復して村社となり、同二十二年に県社に昇格した。

御祭神  (省略)
御祭日  (省略)




『拝殿』  瓦葺入母屋造




拝殿の棟紋は「抱き稲」紋  これが当社の神紋でしょう




拝殿の『扁額』 【延喜式内 今城青坂稲実池上神社』と揮毫されています




拝殿表面を横から
格子戸の内側には板が貼られていて拝殿内を覗くことはできませんでした




拝殿を左斜め前から




拝殿側面




拝殿主棟鬼飾りには「左三つ巴」紋
この三つ巴紋を神紋とする神社が多いようですが、自社の神紋ではないが使っているとい
う例も多いようです
巴は火災除けの願掛けの意味合いから、屋根瓦や蔵などにその模様を用いるケースが多く、
また、神社=三つ巴紋というイメージ(?)があります




『拝殿』(左側)と『本殿覆殿』(右側)




『御神木』




『神楽殿』




境内社 左:『雷電神社』  右:『八坂神社』




境内社 『宮西神社』




『遥拝所』




社殿左側の石祠

参拝日:令和2年(2020)11月4日(水)

東堤古墳群の墳丘に鎮座する『堤熊野神社』(埼玉県上里町)

2021年01月24日 | 神社仏閣
◇延喜式内社〔論社〕◇


社 号:熊野神社(くまのじんじゃ)
旧 称:熊野皇太神社
御祭神:・奇御木野命(くしみけぬのみこと)
    ・奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)
    ・豊受媛神(とようけびめのかみ)
創 建:不詳
社 格:延喜式内小社〔論社〕・旧村社
例 祭:10月19日 秋祭り
指 定:-
鎮座地:埼玉県児玉郡上里町堤1204

上里町堤に鎮座する「熊野神社」は、延喜式』神名帳
に載る『賀美郡四座』のうちの「今木青坂稲実荒御魂神社」とされてきたようです。「延喜式内 今木
青坂稲実荒御魂神社」と刻まれた社号標も建立されています。
然し、御由緒に依れば《今木青坂稲実荒御魂神社なりといへど、証となすべきことなし》とあり、《今
木青坂稲実荒御魂神社であるとするのは付会と思われるが・・・》としています。
「付会」すなわち「こじつけ」と思われるということですが、完全に否定しきれず《当社が勧請される
以前にもこの地に何らかの神社があった可能性までは否定できない。》と結んでいます。
式内社ではないと思うものの式内社であってほしいという思いもあるのでしょう。
今城青八坂稲実池上神社の論社は5社もありますし、どの社が「延喜式」神名帳に載っている今木青坂
稲実荒御魂神社なのかは定かではありません。




金網フェンスを境にするだけで道路に沿うように参道と社殿があります
神社に駐車スペースはありませんし、路駐できるだけの道幅もありませんので、離れた場
所の農道際に駐めて歩いて神社まで・・・




『鳥居』


     

    『社号標』【延喜式内 今木青坂稲実荒御魂神社】と刻まれている




『熊野神社御由緒』

  熊 野 神 社 御 由 緒
                          上里町堤1204
御縁起(歴史)
 堤は、江戸時代の初期までに開発された村で、正保二年(1645)の「国絵図」(本庄市中原歌子
家蔵)によれば、当時の村髙は三七九石、家数は三六軒であった。
 当社の主祭神は『明細帳』には、竒御木野命(神祖熊野大神櫛御気野命)・竒稲田姫命・豊受姫命
の三柱が記されている。
 『風土記稿』堤村の項に「熊野社 鎮守とす、東昌院持、相伝て〔延喜式〕神名帳に載る所の今木
青坂稲実荒御魂神社なりといへど、証となすべきことなし」とあるように、当社は『延喜式』神名帳
に載る賀美郡四座のうちの今木青坂稲実荒御魂神社であるといわれてきた。『風土記稿』に記されて
いる通り、それを裏付ける資料はなく、町内にある他の熊野神社が中世の武士団の信仰とかかわりが
あることから推測すれば、当社が今木青坂稲実荒御魂神社であるとするのは付会かと思われるが、地
内には平安時代の住居跡があり、当社も東堤古墳群に属する墳丘上に鎮座していることから考えると、
当社が勧請される以前にもこの地に何らかの神社があった可能性までは否定できない。
 また、江戸時代に別当であった東昌院は、『児玉郡誌』によれば、本山派の修験で、幸手不動院の
配下として当地方の修験道宇の年中行事職を務めていたという。この東昌院は、神仏分離によって廃
寺となり、当社から東へ約二キロメートル離れた石蔵寺の脇に、その跡地がある。
御祭神 
 ・竒御木野命・竒稲田姫命・豊受姫命
御祭日   (省略)


     

     鳥居『扁額』 【熊野皇太神】と揮毫




『参道』
広い敷地の端にあります




『狛犬』




『拝殿』
拝殿前左側にある大きな石は何か意味を持ったものなのでしょうか




この写真ではよくわかりませんが向拝の蟇股の彫刻は見事です
拝殿の戸は格子の裏に板が貼ってありますので中の様子は確認できません




『拝殿』と『本殿覆殿』




社殿裏の古墳(東堤古墳群8号墳)の墳丘に鎮座する境内社




同上




離れたところから見ると墳丘がよくわかります
社殿も古墳の上に建つということですが見た限りでは平らな場所ですから削平したのでしょう




注連縄がありますので『御神木』でしょう
しかし、社殿の敷地の端にあるしどういうことでしょうか

参拝日:令和2年(2020)11月4日(水)

摩訶池の弁財天の芭蕉句碑(埼玉県美里町)

2021年01月23日 | 歌碑・句碑


 句 :  ほととぎす 声よこたふや 水の上
     (ほととぎす こえやよことう みずのうえ)

出 典: 『宮崎荊口宛書簡』 元禄6年(1693)4月  芭蕉49歳の時の句
所在地:埼玉県児玉郡美里町広木 摩訶池の弁財天脇
建立日:大正13年(1924)
建立者:ー




【摩訶池】
灌漑用の溜池であり、ゴルフ練習場になっており池にはゴルフボールが無数に浮かんでいます




ゴルフ練習場駐車場の横の池畔に弁財天が鎮座します




弁財天と芭蕉句碑

散策日:令和2年10月7日(水)

冬の牡丹(埼玉県東松山市)

2021年01月22日 | 花・鳥・風景


埼玉県東松山市大谷にある『東松山ぼたん園』(旧称:野田ぼたん園)で【新春ぼたん展】を開催
中でしたので訪ねてみました。
この【新春ぼたん展】は同園としては初めての試みであったようです。
平日のうえ会期末近くということもあり見物客はぽつらぽつらでした。
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花の少ない冬にお正月の縁起花として、抑制栽培の技術を駆使して開花させたものが、新春ぼたん
です。特殊な管理により芽の動きを抑制し、秋に路地で春を体感させた後、温度調整をしながら、
冬に備えるという作業に丸一年を費やし、厳寒に楚々とした可憐な花をつけます。
                            (東松山市ホームページから抜粋)
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ここでは「新春ぼたん」と謳っていますが「冬牡丹」のようです。
※「寒牡丹」:二季咲きで花だけが咲き、葉はほとんどない
 「冬牡丹」:春牡丹を促成栽培して人工的に咲かせている 青々とした葉が展開している




新春ぼたんは通常のぼたんのエリアではなく、アジサイのエリアに植えられています。
新型コロナが猛威をふるっていることから竹細工の《アマビエ》が-疫病退散祈願-に・・・




菰掛けがされていたのが16あり、あとの幾つかは菰掛けなしでした
雪があったら絵になりますが、雪になったら見学に行けませんのでどちらがよいのやら
全部は載せられませんので何点か・・・




『島大臣』




『明日香』




『明日香』




『島の輝』




『黄冠』




『八千代椿』




『黄冠』

見学日:令和3年(2021)1月22日(金)