萩日吉神社の流鏑馬は天福元年(1233)に平安末期の武将木曽義仲(源義仲)の家臣と伝えられる
明覚郷(現ときがわ町)の萩窪・馬場・市川氏と大河郷(現小川町)の横川・加藤・伊藤・小林氏
の7苗によって奉納されたことが始まりと伝えられ、近年は3年に一度、1月の第3日曜日に開催
されています。
朝早く大河郷の今年の当番家である伊藤氏宅での出陣の様子を途中まで見に行ってきましたが体調
を考え、当初は行く予定になかった「夕まとう」を雨の心配をしながら見に出かけてきましたので
その様子を・・・
萩日吉神社参道
時間がありましたので神社を参拝してきましたが今回は写真は省略します
大河郷の陣所
朝まとうを終えて夕まとうまでの時間を休憩しているようです
ことらは明覚郷の陣所
大河郷の陣所と道を挟んで向き合っています
萩日吉神社参道から見た萩日吉神社流鏑馬祭りの特設馬場
夕まとう(15:00ころから)までには2時間近くありましたのでまだ見物客の姿はありません
午後3時を少し回った所で夕まとうの一行が馬場末(到着点)から馬場に入ってきました。
定刻の午後3時に陣所を出たようです。
これより30分くらい前から雨が降り出しました。幸い霧雨でしたが、濡れるれることには違いあり
ませんので傘をさす方が増えました。
左側(写真では右側)が大河郷
右側(写真では左側)が明覚郷
大河郷の的は2枚を繋げたもの 明覚郷の的は3枚の板を繋げたもので矢が当たっても割れて落ち
ることはありません。
神官のすぐ後を、各郷2名の方が馬場に清めの塩を撒いて進みます。
その後ろを当番家の当主 矢取りっ子と介添え人(弓持ち)、的持ち、神馬・乗子、各苗・関係者
の方が続きます。
大河郷の馬と乗子
前回の投稿「萩日吉神社流鏑馬祭り 2023①」の中でも触れましたが、約800年の歴史を持つ萩日吉
神社の流鏑馬神事において女性の乗子というのは今回が初めてであろうと言われます。
肩に担いでいるのは夕まとうで射られる矢です
大河郷の矢羽根は赤・黄・緑の3色
明覚郷の矢羽根は白地に斜めの黒線・・・鷹の羽
馬場元(出発点)に向かう一行
馬場元(出発点)に着くと「ひき目」と「四方固め」が行われます。両郷とも乗子が陣羽織を片袖脱いで、一の
的を矢の先でこつこつと3回当て、山王様・東・西・南・北・中央と何本もの矢を射ます。
この矢を手に入れるとその家族が1年間幸福になると言われます。そんなことから馬場元(出発点)付近に多く
の見物客が集まっています
この後、馬場を両郷とも5回疾走します。
今年の一の馬は大河郷 二の馬が明覚郷で次回は入れ替わります。
大河郷は1回目の疾走では一の的を射り、2回目の疾走では二の的を、3回目の疾走で三の的を射ります。
明覚郷は1,2,3回とも三つの的を射ります。これは一の馬、二の馬が入れ替わっても変わりません。
4回目の疾走では両郷とも軍扇を広げながら走ります。
5回目(最後)の疾走は乗り払いを意味する「ノッパライ」で鞭を振りながら走り、これで馬場での一切の行事
が終わります。
「ひき目・四方固め」が終えますと両郷の矢取りっ子と介添え人(弓持ち)が馬場末(到着点)に
向って走ります。
大河郷の矢取りっ子は数本の矢を背負っていますが、明覚郷の矢取りっ子は手に一本の矢を持って
いるだけです。
こんなところにも両郷の違いがあります。
矢取りっ子と介添え人(弓持ち)が馬場末に到着し、馬場元(出発点)に合図が送られると一の馬
である大河郷の馬が走り出して一の的を射ります。
二の的、三の的は射りませんのでそのまま馬場末まで走ります。
続いて二の馬の明覚郷の馬が走り出しましたが、3つの的を射るために1本は弓につがえ、1本は
弓を持つ手に持ち、もう1本は口に咥えています。
3本の矢をすべて射ることが出来たか? それは見てなかったことにしておきましょう。
馬場末に到着した乗子から弓を預かった介添え人(弓持ち)と矢取りっ子は馬場末から馬場元へ
走って戻ります。
矢取りっ子と介添え人(弓持ち)が馬場元(出発点)に戻ったあと馬と乗子も馬場元に走って戻
ります。
大河郷の一の馬に続いて明覚郷の二の馬も・・・
ここでまた「四方固め」が行われ何本もの矢が射られます。
この後1回目と同様に矢取りっ子と介添え人(弓持ち)が馬場末(到着点)に向って走り、到着すると合図を待
って一の馬である大河郷の馬が走り、今度は二の的を射り射ります。
続いてニの馬の明覚郷の馬が前回同様3本の矢を持って3つの的を射るために走り出します。
3回目も同様ですが、大河郷の馬は三の的を射ります。
3回目の疾走を終えると矢取りっ子と介添え人(弓持ち)、馬・乗子も前2回同様に馬場元に戻ると「四方固め」
を行います。
4回目は軍扇を持っての疾走ですから、弓を使いませんので矢取りっ子と介添え人(弓持ち)は馬場元に残った
ままで、5回目も同様です。
4回目の疾走は馬上で軍扇を右に左に上に下にと走ります
明覚郷の馬も同様です
5回目(最後)の疾走は「ノッパライ」で鞭を振りながら走り、走り終えても馬場元には戻りませ
ん。
明覚郷の馬も当然ながら馬場元には戻らず馬場末で当番家当主などの関係者が戻ってくるのを待ちます。
馬場元(出発点)から当番家当主、弓取りっ子・介添え人、各苗の方など関係者は馬場を歩いて馬場
末に。
馬場での行事を終えましたので来た道を再び歩いて各郷に帰ります。
弓取っ子も馬に乗って・・・
曇天で一時霧雨も降りましたが幸い大雨にならずにそれなりに楽しめました。
果して3年後の萩日吉神社流鏑馬神事を見ることが出来るでしょうか??
散策日:令和5年(2023)1月15日(日)