城 名:葛西城(かさいじょう)
別 名:-
形 態:平城
時 期:不明なるも 15世紀中頃か
築城主:不明なるも 葛西氏か 山内上杉氏か
城 主:葛西氏、大石氏、足利氏、遠山綱景氏、後北条氏
遺 構:-
指 定:東京都指定史跡(平成10年〔1988〕3月13日指定)
現 況:御殿山公園、、葛西城址公園、住宅地
所在地:東京都葛飾区青戸7丁目
葛西城の築城時期や築城者は不明のようですが、この辺りを治めていた秩父平氏の流れを汲む葛西氏によって、
あるいは享徳の乱前後に山内上杉氏によって築かれたとも言われているようです。葛西城の伝承地には諸説あっ
たようですが、環状七号線建設工事に伴う発掘調査によって、葛西城の存在が明らかにされたとのことです。遺
構を見ることはできませんが、そんな葛西城跡とされる場所を歩いてきました。
環七通り青戸七丁目東交差点の若干南寄り この辺りも葛西城の城域であったと想定される
青戸七丁目東交差点にある「←御殿山公園・葛西城祉公園→」標識
葛西城跡は環七通りで分断されてしまっており、それぞれに名称の異なる公園が設けられている。
環七通り東側にある「葛西城址公園」 ここは本丸跡の一部と推定されるようですが遺構はなくただの公園です。
葛西城址公園案内図
葛西城址公園の模様
環七通り西側にある「御殿山公園」
天正18年(1590)3月、豊臣秀吉の小田原攻めにより落城した葛西城跡に、江戸に入部した徳川家康によって
青戸御殿が設けられ鷹狩りなどの際に休憩所と利用された。後に青戸御殿は取り壊された。
この御殿山公園にも遺構は認められず、遊具等が設けられた公園となっていますが、葛西城祉公園にはなかった
説明板や石碑が建てられています。
葛西城復元図
トイレのあるエリアには石碑や案内板が複数あります
「青砥藤綱城跡」碑
青砥藤綱とは執権北条時頼や北条時宗などに仕えた鎌倉時代の武士ので、この地を有していたという伝承があり、
葛西城の始まりとされる館を築いたとされることからこの石碑が建立されたようですが・・・
葛西城跡説明板
同上 日本語部位
青砥史蹟復興之碑
発掘された葛西城
後北条時代の葛西城跡縄張り想定図
東京文化財ウィーク「葛西城跡」解説カード(ポストカード)
今回の葛西城跡散策は、個人的なものではなく、埼玉県立嵐山歴史の資料館主催による【平成30年度文化財めぐ
り「戦国時代の城館を訪ねる3」葛西城跡の面影を訪ねて】への参加による散策でした。
団体行動ですからそれなりの制約はありましたが、京成電鉄青砥駅に集合出発で、住宅街の本丸外堀跡(推定堀
跡を含む)を歩きながら二つの公園を廻ったあと、延命寺、曳舟川親水公園(昼食)、葛飾区郷土と天文の博物
館見学(ここで流れ解散)という行程でした。
解散後、単独で葛飾区四つ木にある葛西清重館・重清塚を訪ねて来ました。
散策日:平成31年(2019)3月15日(金)