二の丸巽櫓と枡形
駿府とは駿河の国の中心を意味し、徳川家康が幼少時今川氏の人質となっていたところでもある。今川氏の居館があったとされる場所に
家康が最初に城を築いたのは天正13年(1585)といわれるが、詳細は不明である。その後、隠居した家康が城を改築したのは慶長
12年(1607)だった。このとき西国の大名たちに負担させて大御所にふさわしい3重の堀と六重七階(あるいは五重七階)の天守
をもつ城に大改築させた。しかし、天守は出火で寛永12年(1635)焼失して以後は再建されなかった。二の丸や三の丸の堀、大手
御門の虎口はよく残されている。また、二の丸東御門、巽櫓や本丸堀の一部が復元公開されている。
(「日本100名城公式ガイドブック・41駿府城」から転記引用)
二の丸の堀
「駿府城跡」碑
「東御門橋」
「水堀」
「東御門」
「桝形」
「東御門」内側から
「巽櫓」
「本丸堀(内堀)」越しに見る「東御門」・「巽櫓」
「本丸堀(内堀)」
「広場(沈床園)」
本丸跡に建つ「徳川家康公銅像」
駿府城跡は県庁や広い駿府公園となっており、とても歩ききれませんでしたので復元建物見学主体の散策となりました。
更に建物が復元・復興がなされた際に、再び訪れることができれば良いが・・・
静岡駅前に建つ徳川家康公銅像と竹千代君(家康の幼名)の銅像
静岡駅前広場にも、家康公の銅像と竹千代君の銅像が建っておりました。
こちらの家康公の銅像は駿府城絡みというよりも、久能山東照宮国宝指定記念の一環として建立されたようです。
同じ家康公なのに駿府城跡のものとここのものとでは顔が違っている?
攻城日:2011年(平成23年)11月14日(月)