四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

山吹の里(埼玉県越生町)

2011年04月24日 | 史跡・遺跡・文化財




七重八重花は咲けども  山吹の実のひとつだに  なきぞ悲しき

室町時代の武将で江戸城や川越城などを築いた太田道灌が鷹狩りに出た途中、突然のにわか雨に遭い農家に蓑を借りようと立ち寄ったところ、
娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出した。蓑を借りようとしたのに花を出され道灌は内心腹立たしかった。この話を家臣にしたところ、それは、
「七重八重 花は咲けども 山吹の実ひとつだに なきぞ悲しき」という歌に掛けて、山間の茅葺の家であり貧しく、蓑(実の)ひとつ持ち合わせが
ないことを奥ゆかしく答えたのだと教えられ、古歌を知らなかった事を恥じて、それ以後道灌は歌道に励んだという。
これが「山吹の里」伝説となる話です。この「七重八重花は咲けども ・・・」の和歌は、後拾遺和歌集にある兼明親王の歌とのことです。
ここでは道灌が鷹狩りに出たときとしましたが、道灌が父を訪ねて越生の地に来たときと説明するものもあります。
また、貧しい(農家の)娘がなぜこんな歌を知っていたのかという疑問もあります。そこで、その娘は、実は落ちぶれた名門であった家の娘で
あったから歌を知っていたのであろうという説を唱える方もおるようです。
この話が事実に基づくものか否かはともかく、これに似たような話があったのは事実でしょう。
それがいつの間にか形を変えて「山吹の里 伝説」となったのではないかと思うのですが。
なお、案内板には  「昭和37年に埼玉県指定旧跡となった」   とありますが
正しくは昭和36年9月1日に埼玉県指定旧跡になっており、指定名称は「伝山吹の里」となっています。







そんな伝説のある「山吹の里」を本日訪ねてみました。私が訪ねたのは入間郡越生町にある「史跡 山吹の里(山吹の里史跡公園)」です。
沢山の山吹の花が咲いており、数組の見学者が来ていました。
敢えて「私が訪ねたのは入間郡越生町にある」と書いたのは、この越生町以外にも、東京都豊島区高田、同荒川区町屋、横浜市金沢区六浦などにも
「山吹の里」と称されるところがあり碑が建っているからです。
でも、「どこが本当の山吹の里なのか?」なんていった推測はしません。なにせ伝説の「山吹の里」なのですから。
ここにアップした山吹の花は一重ですが八重の花もありました。なお、八重は実をつけませんが一重は実を付けるとのことです。   
   
余談ですが、この「山吹の里史跡公園」のすぐ隣が「日本料理 山富貴」で読み方は山吹と同じ(ヤマブキ)です。山吹の花を見たついでに
山富貴で食事をしてきたら如何でしょうか(宣伝料を頂いているわけではありませんが)。理由は言えませんが私にとって特別な場所でありますし、
食事にも何度か行っているお店です・・・    

散策日:2011年(平成23年)4月24日(日)            

日本の城ミステリー紀行 松本城

2011年04月23日 | 城郭関係テレビ番組


本日午後4時30分からのBS朝日「日本の城ミステリー紀行」(再放送)は『松本城』でした。
この国宝・松本城は一昨年の9月に訪城しましたが、城内見学するには数時間待たねばならない状況で行ったのが遅かったこと
もあり待つだけの時間はなく堀の外から城の姿を見るだけに終えてしまいました。そんな苦い思い出のある松本城でしたから
テレビの映像をしっかり見てみました。この城も機会あれば再訪城したいものです。 

投稿日:2011年(平成23年)4月23日(土)          

羊山公園の芝桜と枝垂桜 プラスα

2011年04月17日 | 花・鳥・風景




天気予報では雨天ということでしたが、昨日に引き続き予報が見事にはずれて晴れました。折角の晴天、家に居ては勿体ないということで
2年ぶりに秩父市の羊山公園へ芝桜を見に行こうと思いついたものですから行って来ました。

まずは長瀞町の桜並木を見ていこうということで行ってみましたが、盛りをちょっと過ぎたようで葉桜になりつつありました。
それでもまだまだ見られますし、花見客もちらほろと。先週の土日はさぞ混んだものとと推測されます。
昼の食事は、この桜並木沿いにあるその名も「ガーデンレストラン桜ながとろ」で摂りましたが、何を食したかは内緒です。
食事を済ませて羊山公園に向かうため長瀞駅前を抜けていきましたが、人・ひと・人だらけ。さすが観光地長瀞です。   






羊山公園駐車場から芝桜の丘までは約20分の道のりですが、この「芝桜の丘木漏れ日散策コース」沿いの桜は今が盛りで、
時折吹く風に花びらが舞っていました。この花びらが地表に落ちる前に手のひらにおさめると「幸せになる」と誰かが後ろの
方で話していましたが本当でしょうか?・・・なんて疑ってはいけません。夢を持つことは大切ですから。
芝桜の丘入場口の手前には今年も何軒かのお店が出ていましたが、そのうちの1軒に「がんばろう日本」の幟が・・・
例年なら入園料を徴収されますが、今年は東日本大震災の影響を考慮して全期間を通して入園料は無料(駐車料金は通常通り徴収)ですが、
入園口において義捐金をお願いされました(義捐金は必須のようです。義捐金が必須というのもおかしな話ですが)  






2年前に見たときよりも芝桜の咲き具合が悪いと感じたのは私だけでしょうか? ポスターや絵葉書では見事な咲き具合のものが使われていますが。  














でもこれだけ密集して咲いている場所もあります。まあ、カメラの角度によるところも無きにしも非ずですが・・・    






羊山公園というと芝桜とばかり思っていましたが、枝垂桜もあったんですね。知りませんでした。
ここにも沢山の花見客がおり、枝の下はすべて占領されておりました。
道を挟んで枝垂桜とソメイヨシノ?(山桜?)のコラボレーション・・・




今が盛りの枝垂桜です。向うに見えるのは「武甲山」ですが、日々痩せていくようですね。 

散策日:2011年(平成23年)4月17日(日)            

日本の城ミステリー紀行 高知城

2011年04月16日 | 城郭関係テレビ番組


本日16時30分からのBS朝日「日本の城ミステリー紀行 高知城」(再放送)を見てみました。
坂本龍馬、武市半平太の土佐藩とのかかわりの話や長宗我部元親のことなど土佐、山内家、高知城にまつわる話。歴史好きの方や城ファン
の方なら既に知っていることなのかもしれませんが、私にとっては「え!そうだったの」と初めて知ることが沢山でした。
現在の山内家当主、長宗我部家当主も出ておりましたが、長宗我部家当主の「忍従しかない」のひと言は無念さを如実に表していました。

投稿日:2011年(平成23年)4月16日(土)           

花桃の郷(埼玉県東秩父村)

2011年04月16日 | 花・鳥・風景




桃の花が咲きにおう林に迷い込めば、世俗を離れた仙郷、別天地である「桃源郷」に辿り着けるかも知れない・・・というわけでもありませんが、
葉桜に変わり始めている桜に代わって花桃の時季になってきたようでしたので東秩父村大内沢地内の「花桃の郷」を訪ねてみました。










【順路】という札が立てられていましたから、これに沿って進んでいきました。
もし、何ら道標がなかったなら本当に桃源郷に迷い込んでいたかもしれません・・・ 
 





桃の花だけではありません。ツツジ、木瓜などのほか山吹、菜の花等も咲いていました。正に花一面の山里です。

散策日:2011年(平成23年)4月16日(土)           

喜多院の桜(埼玉県川越市)

2011年04月10日 | 花・鳥・風景


川越市の「喜多院」まで桜を見に行ってきました。  




花曇りでしたが桜は満開で、多数の花見客が訪れていました。シートを敷いて車座になって花見をしているグループが沢山。
でも、馬鹿騒ぎをしているところはなく、皆な静かに飲んだり食べたりしていました。今の状況を皆さん自覚しています。  



















喜多院には江戸城から移築された建造物があります。ここには徳川三代将軍家光誕生の間や春日局の化粧の間等があります。拝観料を支払い見学しましたが、
残念ながら建物内は撮影禁止。続いて「五百羅漢」に。自分に似た顔の羅漢があるということですが、見つけることは出来ませんでした(本当は見つけたくなかった)   

散策日:2011年(平成23年)4月10日(日)          

日本の城紀行 高知城

2011年04月10日 | 城郭関係テレビ番組


高知城が築かれた大高坂山は、南北朝時代には大高坂松王丸の居城があったという。関ヶ原の戦い後、山内一豊が掛川より入封、
大高坂山に新たに近世城郭として高知城を築城し、四重六階の天守を建てた。山頂に本丸と二の丸、東側の一段下に三の丸が配され、
二の丸には藩主の居住空間である御殿が設けられた。現存する天守は、享保12年(1727)の大火でほかの建物とともに焼失後、
延享4年(1747)に望楼型天守として再建されたものである。築城当時の古い様式となっているのは、掛川5万石から一躍土佐
24万石の太守となった藩主山内一豊への想いからであるといわれている。また、天守に接続している本丸御殿(懐徳館)は全国でも
数少ない現存する御殿遺構として貴重である。     (「日本100名城 公式ガイドブック 84高知城」 より引用転記)

本日(4月10日)午前11時30分からBS朝日で「日本の城紀行 高知城」が再放送されました。私は最初の放送を見ておりませんでしたので出先で見てきました。

今夏は高知行きを予定しておりますので、都合がつけば高知城攻城をと考えておりますが・・・    

投稿日:2011年(平成23年)4月10日(日)           

日本の城紀行 彦根城

2011年04月10日 | 城郭関係テレビ番組


関ヶ原合戦の戦功により近江に18万石を賜った井伊直政は一旦石田光成の居城であった佐和山城に入城する。直政が翌年佐和山城中で没すると、
子の直継は慶長8年(1603)より新城の築城にとりかかる。これが彦根城である。築城に際しては公儀より奉行が派遣され、助役に7か国12の
大名が動員された天下普請であった。この慶長年間の築城は大坂城に備えた軍事的なものであった。大坂落城後の元和の築城は表御殿の造営や中堀、
城下町など山麓部分の整備であった。その構造は彦根山の頂上に本丸、西の丸、太鼓丸、鎧の丸を一直線に配し、それらを2本の堀切で切断すると
いう戦国的な縄張であった。山麓には彦根山を取り囲むような内堀が巡らされ、その内側には広大な表御殿や米蔵などが設けられていた。中堀に囲
まれた外郭には馬屋、楽々玄宮園、さらに大身の家臣屋敷が配された。   (山川出版社「山川MooK 日本の城」彦根城の項より引用転記)

4月9日(土)午後11時からのBS朝日「日本の城紀行 彦根城」(再放送)を見てみました。
この番組はナレーションはなく時折字幕がでるだけで、静かなBGMが流れる中、映像のみで城の美しさを知ることが出来ます。

この国宝彦根城は、BS-TBS「【にっぽん百景】栄華を極めた名城」でも3月15日に放送(再放送)されたばかりですが番組構成が異なりますので・・・   

投稿日:2011年(平成23年)4月10日(日)          

難攻不落・熊本城

2011年04月09日 | 城郭関係テレビ番組


天気予報では雨でしたし、ここと言って行くところもなかったものですから予定通り16時30分からのBS朝日「日本の城ミステリー紀行 難攻不落・熊本城」
の再放送を見てみました。日本3名城のひとつだけあってこれまでにも幾度となく紹介されてきた熊本城ですが、何度見ても食い入るように見てしまいます。 

ここで熊本城のことについてあれこれ書く必要もないでしょう・・・ 

投稿日:2011年(平成23年)4月9日(土)           

明日も熊本城

2011年04月08日 | 城郭関係テレビ番組

BS朝日で昨年10月から今年3月まで放送されていた「坂東三津五郎がいく日本の城ミステリー紀行」が明日から再放送される。
明日は、『熊本城・・・難攻不落の謎』を放送予定。これは見ていないから是非見なくては。 

画像は、2001年10月に熊本市を訪ねた際にホテルから撮った熊本城。

投稿日:2011年(平成23年)4月8日(金)