七重八重花は咲けども 山吹の実のひとつだに なきぞ悲しき
室町時代の武将で江戸城や川越城などを築いた太田道灌が鷹狩りに出た途中、突然のにわか雨に遭い農家に蓑を借りようと立ち寄ったところ、
娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出した。蓑を借りようとしたのに花を出され道灌は内心腹立たしかった。この話を家臣にしたところ、それは、
「七重八重 花は咲けども 山吹の実ひとつだに なきぞ悲しき」という歌に掛けて、山間の茅葺の家であり貧しく、蓑(実の)ひとつ持ち合わせが
ないことを奥ゆかしく答えたのだと教えられ、古歌を知らなかった事を恥じて、それ以後道灌は歌道に励んだという。
これが「山吹の里」伝説となる話です。この「七重八重花は咲けども ・・・」の和歌は、後拾遺和歌集にある兼明親王の歌とのことです。
ここでは道灌が鷹狩りに出たときとしましたが、道灌が父を訪ねて越生の地に来たときと説明するものもあります。
また、貧しい(農家の)娘がなぜこんな歌を知っていたのかという疑問もあります。そこで、その娘は、実は落ちぶれた名門であった家の娘で
あったから歌を知っていたのであろうという説を唱える方もおるようです。
この話が事実に基づくものか否かはともかく、これに似たような話があったのは事実でしょう。
それがいつの間にか形を変えて「山吹の里 伝説」となったのではないかと思うのですが。
なお、案内板には 「昭和37年に埼玉県指定旧跡となった」 とありますが
正しくは昭和36年9月1日に埼玉県指定旧跡になっており、指定名称は「伝山吹の里」となっています。
そんな伝説のある「山吹の里」を本日訪ねてみました。私が訪ねたのは入間郡越生町にある「史跡 山吹の里(山吹の里史跡公園)」です。
沢山の山吹の花が咲いており、数組の見学者が来ていました。
敢えて「私が訪ねたのは入間郡越生町にある」と書いたのは、この越生町以外にも、東京都豊島区高田、同荒川区町屋、横浜市金沢区六浦などにも
「山吹の里」と称されるところがあり碑が建っているからです。
でも、「どこが本当の山吹の里なのか?」なんていった推測はしません。なにせ伝説の「山吹の里」なのですから。
ここにアップした山吹の花は一重ですが八重の花もありました。なお、八重は実をつけませんが一重は実を付けるとのことです。
余談ですが、この「山吹の里史跡公園」のすぐ隣が「日本料理 山富貴」で読み方は山吹と同じ(ヤマブキ)です。山吹の花を見たついでに
山富貴で食事をしてきたら如何でしょうか(宣伝料を頂いているわけではありませんが)。理由は言えませんが私にとって特別な場所でありますし、
食事にも何度か行っているお店です・・・
散策日:2011年(平成23年)4月24日(日)