四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

天神塚古墳(埼玉県皆野町)

2020年01月31日 | 古墳


名 称:天神塚古墳(てんじんづかこふん)
別 名:大堺4号墳・氷雨塚
墳 形:円墳 
規 模:直径:13m、 高さ:2m 横穴式石室:全長:7.6m 
築 造:6世紀中葉(古墳時代後期)
指 定:県指定史跡(名称:金崎古墳群 昭和51年(1976)3月30日指定)
所在地:埼玉県秩父郡皆野町金崎字岩下

4基残存する金崎古墳群のうちの一つで、他の3基(大堺1号墳~3号墳)からは離れた場所に位置す
る古墳です。




墳丘を東側から  墳頂に建つ石碑は「大東亜戦争 従軍記念碑」 古墳東側は「金崎神社」




『天神塚古墳』標柱  背後の建物が金崎神社社殿




墳丘は葺石で覆われています  中には石室に使ったような大きなものも




南西向きに開口している石室




石室内部



奥壁前から開口部方向に




天神塚古墳遠景




天神塚古墳の東側に接してある「金崎神社」




天神塚古墳の西側(北西約50m)にある長興寺

散策日:令和元年(2019)11月29日(金)

大堺2号墳(埼玉県皆野町)

2020年01月30日 | 古墳


名 称:大堺2号墳(おおさかい2ごうふん)
別 名:『金崎古墳群』に属す
墳 形:円墳 
規 模:直径(推定)16m・(現存)6m、 高さ:3.6m 横穴式石室 現存石室長3.2m
築 造:6世紀初めから7世紀の半ば頃(古墳時代後期)
指 定:県指定史跡(名称:金崎古墳群 昭和51年(1976)3月30日指定)
所在地:埼玉県秩父郡皆野町大字金崎字大堺

金崎古墳群を構成する古墳の一つであるこの大堺2号墳は、大堺3号墳から北西に50mほどの位置にあります。




西方から大堺2号墳を




2号墳の墳頂に乱積みされた石材




石室に使われていた石材か?




『標柱』  表面に「金崎古墳群」 裏面に「大堺二号墳」 側面に史跡指定年月日




東側




墳丘南側にある石室開口部  侵入防止のための柵が設けられています
石室で残っている部分は玄室のみのようで、羨道、前室は破壊されてしまったようです。




左側壁




右側壁




玄室

散策日:令和元年(2019)11月29日(金)

大堺3号墳・1号墳(埼玉県皆野町)

2020年01月28日 | 古墳


名 称:大堺3号墳・1号墳墳(おおさかい3ごうふん・1ごうふん)
別 名:『金崎古墳群』に属す
墳 形:円墳 
規 模:3号墳 直径18m 横穴式石室
    1号墳 直径16.5m 未開口
築 造:7世紀初頭
指 定:県指定史跡(名称:金崎古墳群 昭和51年(1976)3月30日指定)
所在地:埼玉県秩父郡皆野町大字金崎字大堺

天然氷のかき氷で有名な阿左美冷蔵金崎本店と国道140号線を挟んだ反対側の住宅街の中に金崎古
墳群の3号墳、1号墳があります。更にその北西約50mに2号墳があります。
金崎古墳群は、かつては10基の古墳で構成されていましたが、金崎5号墳~10号墳は消滅し、現在
は、大堺1号墳~3号墳と天神塚古墳(大堺4号墳)の4基が残存するのみとなっています。




3号墳の墳丘中断に設置の『埼玉県指定史跡 金崎古墳群』説明板




埼玉県指定史跡 金崎古墳群
                                  昭和51年3月30日 指定
金崎古墳群は、荒川左岸の河岸段丘上にある群集墳で、かつては8基以上の円墳があったといわれている。
しかし、現在、墳丘や主体部が保存されているのは、字大堺にある大堺1号墳・2号墳・3号墳と字岩下に
ある天神塚古墳の4基である。
これらの古墳は、いずれも墳丘の形がくずれており、大堺1号墳を除いて石室が開口している。開口して
いる3基はいずれも横穴式石室で、秩父地方に特徴的な長瀞系変成岩の板岩や割石を使用した、たくみな
技術で積み上げられており、古代における技術水準の高さをうかがうことができる。石室の平面形は、大
堺2号墳・3号墳は胴張形、天神塚古墳は短冊形である。
天神塚古墳からは、円筒埴輪の破片、大堺3号墳からは、土師器や須恵器が発見されている。これらの遺
物と石室の形態から、天神塚古墳が6世紀後半、大堺3号墳が7世紀初頭の築造と考えられる。
         ・平成19年度 金崎古墳大堺3号墳緊急保存対策工事実施
平成20年3月31日 
                            埼玉県教育委員会 皆野町教育委員会




『大堺三号墳』標柱  表面に『金崎古墳群』とあり




墳頂に小祠が鎮座






『金崎古墳群の配置図』と説明文(下記)

金崎古墳群は、荒川左岸段丘上に位置する古墳時代後期の群集墳で、大字金崎字大堺に3基(大堺1~3号
墳)、字岩下に1基の古墳(天神塚古墳)が現存しており、昭和51年に県指定史跡に指定されています。
現存する古墳は、高さ3m~5.2mほどの円墳で、このうち大堺1号墳は比較的良好な形を留めています。
古墳群の主体部は横穴式石室で、開口している大堺3号墳は、石室全長8mを超える胴張の両袖型石室です。
石室は、この地域に産出する緑泥片岩や紅簾片岩等の結晶片岩の板石を利用し、ドーム状に持ち送りなが
ら巧みに小口積みしたもので、高度な石積技術を垣間見ることができます。奥壁・天井石と玄門の門柱は
大型の片岩を立石にしてあり、側壁の片岩の隙間には、玉石が詰められています。
岩下の天神塚古墳は、この地方で開口している古墳に通有な「氷雨塚」の名称と伝説が残されています。




玄室崩落前の写真




墳丘南側にある石室開口部①




墳丘南側にある石室開口部②




墳丘南西部にある石室開口部③  鋼材で補強されています




小割りした板石を小口積みした石室側壁   奥壁は大きな板石




天井部




3号墳を北方から




『大堺一号墳』標柱  この右側(南側)が墳丘




南側から  この古墳群では唯一未開口
上記写真の標柱は、ここに写っている標柱を墳丘側から撮ったもの




1号墳を西南側から




1号墳を東側から

散策日:令和元年(2019)11月29日(金)

セミナー「戦国大名は如何にして軍需を調達したか」

2020年01月26日 | 講演会・講座


嵐山史跡の博物館セミナー
「戦国大名は如何にして軍需を調達したか」

日時:令和2年1月26日(日) 10:00 開場
   午前の部 10:30  午後の部 12:50 開演
会場:国立女性教育会館研修棟 講堂 (嵐山町菅谷)

【内容】
1 基調講演:伊藤正義 氏(元鶴見大学教授)
 「上杉謙信の関東侵攻―飢饉と徳政と越山―」
2 事例報告1:盛本昌広 氏(中世史研究家)
 「軍需物資から見た戦国合戦-鉄・鉛・塩硝・鉄製品を中心に」
3 事例報告2:佐々木満 氏(武田氏館跡歴史館館長) 
 「戦国大名武田氏の産業と軍需―武田氏関連遺跡の調査成果から―」
4 講師コメント

を聴講してきました。
と書きたいところなのですが、避けては通れない用事が急きょ発生してしまい聴講は無理になって
しまいましたが、何とか時間をつくって会場まで行って受付をして資料集を頂いてきました。
埼玉県立嵐山史跡の博物館では、例年、中世をテーマとする企画展・セミナー(シンポジウム)を
実施しており、今年度は「戦国大名は如何にして軍需を調達したか」をテーマとしています。




左側のが今回のセミナーの資料集 A3判 41ページ(¥500・受講料含) 右側のは企画展図録(¥400)

開講日:令和2年(2020)1月26日(日) 

円墳大塚古墳(埼玉県皆野町)

2020年01月24日 | 古墳


名 称:円墳大塚古墳(えんふんおおつかこふん)
別 名:―
墳 形:円墳 
規 模:直径約33m、高さ約7m、 横穴式石室 全長7.8m
築 造:古墳時代後期(7世紀前半)
指 定:県指定史跡(名称:円墳大塚古墳 昭和33年(1958)3月20日指定)
所在地:埼玉県秩父郡皆野町皆野95

円墳大塚古墳は、秩父市との行政境に近く、荒川右岸に形成された低位段丘に立地する。墳丘は葺
石で覆われており、墳丘をほぼ一周する。




石碑のすぐ後ろにある『埼玉県指定史跡 円墳大塚古墳』説明板




『埼玉県指定史跡 円墳大塚古墳』説明板




円墳大塚古墳全景




石室開口部は墳丘の階段上り口左側にあり、南南西方向に開口しています




開口部には扉が設置され施錠されていますので、格子の間から室内を




前室  羨道は破壊されてしまったようです




玄室  外からなので残念ながら天井や側壁は撮影できませんでした




墳頂には小祠が祀られています




墳丘を東側から  草や落葉等で写真では葺石を確認できません

散策日:令和元年(2019)11月29日(金)

忍城の御城印(埼玉県行田市)

2020年01月22日 | 御城印


公益財団法人 日本城郭協会により、平成29年(2017)3月31日に選定され、4月6日の「城の日」に発表された
『続日本100名城』の一つに選ばれた【忍城】で、お城の朱印状とも呼ばれる「御城印」を頂ける(購入でき
る)ということで頂いて(購入して)きました。
呼び方は「御城印」以外にも、「登閣記念印章」「登城記念御朱印」「城郭符」「御城朱印」等色々あるようで
すが、忍城にあっては「御城印」を使っているようです(ホームページで確認)
現在、こうした御城印を頒布している城郭は209程あるようですが、一部無料の所を除いて、200~300円で頒
布しているところが大半です。また、社寺の御朱印と違って御朱印帳に手書きしてもらうものではなく、印刷物
になっています。
埼玉県内では、ここ忍城と菅谷城(菅谷館)の2か所のみで頒布されていますが、更に増えることを期待します。




「行田市郷土博物館」(忍城御三階櫓)で、1月18日に購入してきました。
他に、「観光情報館 ぶらっと♪ぎょうだ」でも購入できるようですが、御城印ですからお城に行って
購入することに意義ありと・・・




忍城の由来




忍城の御城印は、忍城御三階櫓のイラストの上に歴代城主の家紋、更にその上に忍城と書かれた形のものです。
折角ですから、遊んでみました。
御三階櫓の写真は、御城印のイラストとほぼ同じ方向から撮ったもの。
家紋は、御城印に押されている順番で並べてみました。
実際の歴代藩主の順番は、家紋順ではなく、下記のとおりです。

◎成田氏
  成田氏は、地武蔵国成田郷(現・熊谷市上之)に居館を構えて成田氏を名乗りましたが、十五代親泰が、延徳
  元年(1489)に忍城の忍大丞を攻め滅ぼし、延徳3年(1491)忍城に移り、以後、忍は、豊臣秀吉の小田原征
  伐で開城するまで成田氏の治めるところとなりました。

◎深溝・東条松平氏
  後北条氏滅亡後、関東に入った徳川家康は忍城に四男の松平忠吉を10万石で入れました。しかし、忠吉は11歳
  という幼年であったため、松平家忠(深溝松平氏(ふこうずまつだいらし))が1万石で入りました。

◎大河内松平氏
  寛永10年(1633)、松平信綱が3万石で入る。信綱は老中に昇進して島原の乱鎮圧では総大将として幕府軍を率
  いて乱を鎮圧し、寛永16年(1639)にはその武功により武蔵川越藩6万石に加増移封。

◎阿部氏
   松平信綱の後を阿部忠秋が5万石で入る。文政6年(1823)9代正権のとき、阿部家は陸奥国白河藩へ移封。

◎奥平松平氏
  阿部氏に代わって伊勢国桑名藩より奥平松平忠堯が10万石で入る。第5代藩主・忠敬は明治2年(1869)の版籍
  奉還で知藩事となり、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で忍藩は廃藩、代わって忍県が設置された。

登城日:令和2年(2020)1月18日(土)

ほるたま展「GuGuっと!縄文」

2020年01月20日 | 企画展・見学会


公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団主催による巡回展
 ほるたま展「GuGuっと!縄文」(ぐぐっと!縄文)

を、

2019年12月7日(土)~2020年2月9日(日)にわたり
埼玉県立さきたま史跡の博物館 企画展示室 (埼玉県行田市)

で開催中ですので見学してきました。

この巡回展は、毎年テーマを決めて、県内の百貨店、ショッピングセンター、県立さきたま史跡の
博物館など数か所を巡回しているもので、2019年度は、昨年8月1日から八尾百貨店(秩父市)
で開始され、さきたま史跡の博物館が最後(6カ所目)の巡回展示先となっています。

※ほるたま=埼玉を掘る




展示場内の様子




         深鉢                  台付鉢




                 人面土版




                 中空土偶




  パンフレット                       深鉢

※ 展示品の写真撮影はOKでしたので、一部を載せてみました。

見学日:令和2年(2020)1月18日(土)

萩日吉神社の流鏑馬(埼玉県ときがわ町)

2020年01月19日 | まつり・イベント


3年に1度、1月第3日曜日に、ときがわ町の萩日吉神社で流鏑馬が開催されます。
今年はその開催年に当たりましたので、夕まとうのみを見学してきました。

この流鏑馬は、天福元年(1233)に木曾義仲の家臣七苗によって奉納されたことが始まりと伝
えられています。その七苗とは、明覚郷(現ときがわ町)の荻窪、馬場、市川氏、大河郷(現小川
町)の横川、加藤、伊藤、小林氏で、それぞれの郷から流鏑馬が奉納されています。

との伝承です。ここで、その理由付けをすることはしませんが、木曽義仲の家臣というよりも、義
仲の父源義賢の家臣の後裔の方たちと考え方も出来ます。義賢の家臣であるのだからその嫡男であ
る義仲の家臣でもあるとも言えないこともありませんが。

以下は、今回撮った写真です。順不同ですが、何枚か載せておきます。















この夕まとうの行程は毎回同じで、一の馬・二の馬が開催ごとに入れ替わるだけで、前回(2017年)
は大河郷が一の馬でしたので、今回は明覚郷が一の馬となりました。
前回(2017年)の夕まとう記事 萩日吉神社流鏑馬祭りⅢ にリンクしますので参考にして下さい。

見学日:令和2年(2020)1月19日(日)


さきたま考古学講座「縄文時代の世界観」

2020年01月18日 | 講演会・講座


埼玉県立さきたま史跡の博物館主催
令和元年度さきたま講座 考古学講座5『縄文時代の世界観』
講 師: 吉 田 稔 氏(公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団)
日 時: 令和2年(2020)1月18日(土)13:30~15:30  
会 場: 埼玉県立さきたま史跡の博物館 2階講堂 (埼玉県行田市埼玉)

を聴講してきました。

主 旨:縄文時代に暮らした人々の使用した道具(狩猟・採集・衣食住に使う実用品や祈りやマツ
リに使う非日常品)に込められた世界観を読み解く。




本講座とは直接関係はありませんが、昨年11月15日、国の文化審議会が文部科学大臣に、埼玉古墳
群を国の特別史跡にするよう答申したことにより、特別史跡になることはほぼ間違いありません。
そんなことから、「埼玉古墳群 特別史跡に」と染め抜かれた幟が何本も立っています。




これは講座とは全く関係ないことですが、さきたま史跡の博物館に講座聴講で訪れた際には、博物
館入口の並びにあるこの「元祖田舎っぺうどん さきたま古墳群店」で何回か昼食(きのこ汁うど
ん)を摂っています。
「元祖田舎っぺうどん」は数店あり、ここを含めて3店舗で食していますが、微妙に麺や汁が違いま
す。
このさきたま古墳群店は2月10日をもって一時休業に入るそうです。これからはどこで昼食を・・・

聴講日:令和2年(2020)1月18日(土)

カワセミ

2020年01月17日 | 花・鳥・風景


川沿いの堤をよく散歩していますが、カワセミを見たのは2度ほどしかありませんでした。しかも、飛んで行って木叢に
隠れてしまうところだけでした。
今回は珍しく河川の石の上や護岸コンクリートに止まったところに遭遇しました。
望遠を目いっぱいにして撮ったものの、距離がある上に相手は小鳥です。トリミングしてもこの程度。




こちらは対岸の護岸コンクリートに止まったものを、更に目いっぱいのトリミングで・・・
決して見られた写真ではありませんが、初めて撮ったカワセミですので。

撮影日:令和2年(2020)1月5日(日)