関東管領山内上杉氏の居城・平井城跡を14年ぶりに攻城してきました。城跡の状態は以前とほとんど変わ
りませんでした。
城館名:平井城
別 名:ー
築城者:上杉憲実
築城年:永享10年(1438)
廃城年:天文21年(1552)
遺 構:なし(復元:土塁、内堀、竪堀)
現 状:関東管領平井城址公園
指 定:群馬県指定史跡(名称 平井城金山城跡 平成11年〔1999〕4月30日指定)
所在地:群馬県藤岡市西平井字新曲輪235-1 ほか
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平井城の築城には諸説あり、一説には永享10年(1438)に勃発した永享の乱に際して関東管領上杉憲実が家臣の
総社(前橋市)長尾氏に築かせたと伝わります。応仁元年(1552)には関東管領上杉顕定が修復・拡張したとい
い、発掘調査ではこの時期の遺物が出土しています。
天文21年(1552)の小田原北条氏の攻勢により落城するまで、関東管領・山内上杉氏の拠点・居城として繁栄し
ました。
《パンフレット『関東管領 平井城址公園 金山城址公園』(藤岡市教育委員会)から抜粋引用》
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本丸内から土塁(復元)を 背後の山が平井城の詰城であった金山城があった金山
土塁の上から本丸跡を
本丸内に設置されている平井城関連の各種説明版
左から
【関東管領と山内上杉氏】
【平井城築城】
【山内上杉氏と平井城周辺】
【関東管領と山内上杉氏 年表】
【みかほ王国
[平井城御城印取扱場所]
【城跡を探る】
【関東管領平井城址公園の整備と活用】
上掲各種説明版の中の【城跡を探る】から
〇主郭および周辺部概要図 ※①②③記号は管理人の書き込み
上掲①のところには、上杉氏・平井城に関する石碑、歌碑や説明版などが多数立っています
『関東管領 上杉氏一族之碑』
『永享の乱 藤岡郷平井城平井詰(金山)城二ヶ月に及ぶ攻防戦史』
二の丸跡
〇主郭および周辺部概要図②
本丸東側の郭(東郭?)の内堀と竪堀(いずれも復元) 北方から
〇主郭および周辺部概要図③
本来は本丸に直接接していますが、間に牛舎があることから本丸からいったん道路に出て北上し、本丸と
三の丸跡の境の道を来てここに至ります。
竪堀(復元)
本丸東側の郭(東郭?)の内堀と木橋(いずれも復元) 南方から
土橋の先に見える民家の前の道を歩いて来て土橋を渡り郭に至りました。
攻城日:令和6年(2024)5月9日(木)