四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

国営昭和記念公園

2010年03月29日 | 花・鳥・風景






冬に逆戻りしたかのような昨28日で、これでは桜の開花どころではありませんでした。そんな時は家でゆっくりしていればよいのでしょうが、
東京・立川市にある『国営昭和記念公園』に行って来ました。本来は、県内某所の桜の名所を予定していたのですが、まだ開花していないとの
情報でしたし、ここ国営昭和記念公園も同様でした。しかし、桜は未だでも他の花がということで寒い中を行ってしまったという次第で、馬鹿も
ここまでくるとつける薬もないようです。入園してまずは「パークトレイン」に乗車して園内一周を。
スピードは出ていないもののも窓がありませんので寒いのなんのって。 パークトレインを降車して、今度は徒歩で園内散策に。
























桜(染井吉野 )は開花を始めたというところでしたが、他の花々が沢山咲いていました。
ここにアップした以外の花も咲いていましたが、デジカメに収め切れませんでした。




菜の花がとても綺麗に咲いていました。蜂をかたちどった「顔出しパネル」ありましたが、残念ながら顔を出してくれる相手が居ませんでした。

池あり、サイクリングコースあり、日本庭園ありといろいろあり、花・木・草を楽しむだけでなく、色々な楽しみ方がある公園です。

しかし寒かった。季節が変わったらまた別の花を愛でに行きましょうか・・・

散策日:2010年(平成22年)3月28日(日)         

吉見百穴(埼玉県吉見町)

2010年03月28日 | 古墳




百穴や開花した桜は、わざわざ中に入らなくても見ることが出来るが、もう少し近くで見てみようと、観覧料300円を支払い敷地内へ。 
この「吉見百穴」の見学は、小学校の時の遠足で行ったのが最初だったかもしれない。以来、何度か行っていますが、
外から見ただけのこともあれば、今回のように観覧料を払っての見学と・・・この方が多いけれど。








これが外からも見えた開花した桜です。外からとの違いは、下からも眺められると言う程度のことですが。








百穴です。同じ方向からばかりになってしましました・・・他の見物客がいたもので。
ヨシミヒャッケツ」とも呼ぶことがありますが、正しくは「ヨシミヒャクアナ」なんです。 百穴については説明板で・・・
そうなんです。ここも、国指定史跡なんです。








「吉見百穴」全体が国指定史跡であることは今触れたばかりですが、更に、天然記念物に指定されている『ヒカリコケ」があります。
網の隙間から撮ってみましたが分かるでしょうか?








戦時中の掘られた地下軍需工場跡です。これを掘ったため、いくつかの洞窟(墓穴)が壊されてしまったそうです。戦争の爪あとは今も遺り続けています。




資料展示室(資料展示室も吉見町埋蔵文化財センターも前に見たときはなかったが)に展示されている「松山城想像復元模型」です。
これがあるのは知っていたが、ここにあったとは。しかし、この模型は建物の隅に置かれているため2方は壁に、一方は他の資料と隣り合わせ。
このため一方向からしか見られない。しかも、アクリル板のケースで保護されている(当然の措置ではあるが)ため見づらいし、
写真撮影には不適である。そこを敢えて写真撮影・・・結果はこの程度(これでもよく撮れたほうだ)
願わくば、アクリルのケースは仕方ないとしても、せめて四方から見られる場所において欲しい。
そう願うのは百穴見物客の何パーセントだろう? きっと少ないだろうが。

散策日:2010年(平成22年)3月27日(土)            

佐野城跡(栃木県佐野市)

2010年03月25日 | 100名城以外の城館跡












下野国(栃木県)の城館跡もそろそろ攻めてみようと、まず攻めたのが「足利氏館跡」であったが、 
更に、佐野市指定史跡となっている『佐野城』(別名春日岡城)跡を攻めてみた。

佐野城は、独立丘に築かれた平山城であるが、城の歴史については写真の案内板を見てください。
城跡は、現在、市民公園としての「城山公園」となっている。しかし、ここは郭跡だなとか、空堀跡だなとか素人の私にも分かる形で残っていた。
三の丸跡は、児童公園になっているうえ、佐野駅へ繋がる通路(城山公園口)にまでなっている。 登城したのが遅い時間帯で、日が落ちる間際で
あったため、三の丸跡から北出丸跡まで行って帰ってくるだけで暗くなってしまった。このため、外周等を見て歩く余裕もなかった。 
また、佐野城門が、惣宗寺(佐野厄除け大師)に移築されているということを帰宅後知った。これも見てみたいので、機会あったら再攻城してみたい。

散策日:2010年(平成22年)3月22日(月)           

万葉自然公園かたくりの里

2010年03月24日 | 花・鳥・風景






今の時季、あちらこちらの”かたくりの群生地”の情報が流れてくる。わが町にもかたくりの群生地があるが、今季は、栃木県佐野市の『万葉自然公園かたくりの里』を訪ねてみた。

県道を走っていくと進行方向右側に、かたくりの里入口の看板を見たのでウインカーを出したら、誘導員と思しき人が流れの様子を見ながら対向車を止めてくれた。
駐車場手前まで行くと、今度は駐車場整理係?(料金徴収が主任務かも)が車の脇に。500円を支払い「観光施設利用券」を。徒歩の方からは徴収していおらず、
その実体は駐車料金なのである。最近は、直接「駐車料金」と言う表現を使わず、〇〇協力費とか、〇〇管理費等と名目を変えているところが増えてきたが、よく見ると
小さく駐車料金であることを示す文言が入っている。 話が横道に逸れてしまったようですので、かたくりの里への山道に戻りましょう・・・

上の写真の建物は、かたくりの里の管理センターで、パンフレットはここで頂きました。















山道を少し歩ったところに「野外音楽堂」【上左写真】があり、この日(22日)もイベントがったのですが、私が行った時は丁度片づけが終えたときでした。 
この音楽堂の前辺りからかたくりが群生しており、多くの方がかたくりを見に来ておりました。 よく分からない写真ばかりですが、少しでもかたくりの里の雰囲気が伝われば幸いです。

散策日:2010年(平成22年)3月22日(月)         

足利氏館跡(栃木県足利市)

2010年03月23日 | 日本100名城
■ 国指定史跡 足利氏館跡



現在、鑁阿寺(ばんなじ)の境内になっているのが「足利氏館跡」(国指定史跡 日本100名城)とのことであった。
そんな鑁阿寺=足利氏館跡を訪ねてみた。和源姓2代目義兼が1196年に自らの館内建てたのが鑁阿寺で氏寺としたようだ。
楼門(山門)・・・県指定文化財



水堀




足利氏宅跡・・・国指定史跡




金剛山鑁阿寺伽藍図




中御堂(不動堂)・・・市指定文化財




経堂・・・国指定重要文化財




多宝塔・・・県指定文化財




鐘楼・・・国指定重要文化財




御霊屋




石畳の参道




館跡(境内)には幾つもの伽藍が建っており、そのほとんどが国重要文化財であったり、県指定、市指定の文化財である。
残念ながら訪問時、本堂は工事中でシートに覆われていました。 足利氏や歴史について、私には述べるだけの知識がないので省略します。

この鑁阿寺山門前の道路と足利学校前の道路は「石畳」になっております。また、山門前道路沿いには「足利尊氏」像が建っています。いうまでもなく
室町幕府を開いた征夷大将軍足利尊氏その人です。尊氏は、清和源姓足利氏8代目にあたるそうですが、この足利氏館に居住したことはないとのこと。      

今までとはちょっと雰囲気の違った城(館)跡めぐりとなったため、何をどう書いたらよいのか戸惑いのままに・・・

散策日:2010年(平成22年)3月22日(月)            

足利学校(栃木県足利市)

2010年03月22日 | まち歩き
















3連休最後の本日22日は、日本最古の学校である『足利学校』(栃木県足利市)に入学してきました。因みに、入学金は、「400円」でした。

頂いてきた教科書(パンフレット)をよく読んで、足利学校のことについて勉強に励みたいと思います・・・

散策日:2010年3月22日(月)     

平沢官衙遺跡(茨城県つくば市)

2010年03月15日 | 官衙・国分寺・廃寺跡
■ 国指定史跡 平沢官衙遺跡



辞書によれば、「官衙(かんがい・かんが)」とは、「役所」のこととある。




 平沢官衙遺跡は、いまから千年以上も前の奈良・平安時代の筑波郡の群役所跡である。昭和50年(1975)の調査で、重要な遺跡であることが判明し、
昭和55年(1980)に国史跡に指定されました。平成5・6年度(1993・4)には復元整備事業を計画し、本格的な調査を行いました。調査では、
一般の遺跡ではみられない大型の高床式倉庫と考えられる建物が数多く並び、それらを大きな溝が囲むという遺跡の全容が確認されました。これらの倉庫跡は、
そのころの税である稲や麻布などを納めた、群役所の正倉跡と考えられます。出土物はわずかで、土器類・瓦・硯の破片、焼米などがあります。
 つくば市では、この貴重な文化財を後世に伝え、活用するため、平成9年度(1997)から6年をかけ、往時の姿を復元しました。  つくば市教育委員会

                       (写真のリーフレットに記載の説明文をそのまま転記引用しました)





芝生に「みらい」とあるが、古代の建物に対し「未来」とは深い意味と含蓄を感じますね。






「土壁双倉」という構造の建物




床下の模様  掘立柱




「板倉」という構造の建物




「校倉」という構造の建物




礎石

散策日::2010年(平成22年)3月13日(土)           

小田城跡(茨城県つくば市)

2010年03月14日 | 100名城以外の城館跡
■ 国指定史跡 小田城跡



常陸(茨城県)の城攻め3ヶ所目は、これまた国指定史跡であるつくば市の『小田城跡』となった。初めに攻めた「関城城跡」のある筑西市には
これ以外にも城跡があるし、次に攻めた「真壁城跡」の桜川市においても同様であった。ならば、同じ市内の城跡を攻めたほうが時間の無駄も
ないし、効率的であることは十分承知していたが、飛び飛びの城攻めとなったのも成り行きであったし、ある種の必然性があったためである。




この『小田城』は、鎌倉期から戦国期まで小田氏の居城として使われていた平城である。








写真3枚は、いずれも「曲輪1(主郭)」の状況である。城域はこれの何倍もの広さである。
曲輪内を斜めに走る道ようのものが、これは、筑波鉄道筑波線(廃線)の線路跡だそうです。










小田城跡は発掘調査を終え、現在は、城址公園とすべ区整備工事を行っております。あと何年かしたらまた攻めてみたいですね。

細々と書けばよいのでしょうが、詳しくはHP等で調べてください(興味ある方はですが)

散策日:2010年(平成22年)3月13日(土)           

真壁城跡(茨城県桜川市)

2010年03月13日 | 100名城以外の城館跡
■ 国指定史跡 真壁城跡















 本日2ヶ所目の城攻めは、茨城県桜川市(旧真壁町)にある『真壁城跡』。実は、本日の目的はここであったのですが、途中に「関城跡」があったもの
ですから、後になってしまいました。この『真壁城跡』も、国指定史跡となっておりますが、現在も復元工事中で、現場で工事作業に当たっていた方の
許可を得ての城攻めとなりました。真壁城の歴史等については省きますが、ここも、南北朝時代以前の城で、広大な規模を誇る平山城です。 
 城址公園として工事中のこともあり、案内板等はほとんどありませんので、素人の私には、どの郭が何郭かさえ分かりませんでした。
 また、本丸跡が何処なのか分からず、帰宅後調べてみましたら、ある場所にあったようでした。下調べが不十分だったのが災いしたようです。
 工事が終えたらまた行く必要がありそうです・・・今日の状態では、何か物足りませんでしたので。

散策日:2010年(平成22年)3月13日(土)            

関城跡(茨城県筑西市)

2010年03月13日 | 100名城以外の城館跡
■ 国指定史跡 関城跡



茨城県筑西市(旧関城町)にある『関城跡』を訪ねてみた。この関城は、戦国時代より前のもので、南北朝争乱の際、南朝方の中心的な城であったらしい。
因みに、関城町という地名(町名)は、関城に由来するとのこと。

城跡見学者用に設けられた駐車場に設置されている「案内図」であるが、方向音痴の私にはいまひとつ位置関係が分からなかった。








この城址碑のあるところに、「城址説明板」と「関宗佑の墓」が並んでいる。






いずれも「土塁跡」であるが、民家の敷地内にあるもので外からの撮影となった。
案内図を見る限りでは、城跡はかなり広いが、田畑や民家等になっており、遺構らしき遺構を見つけるのは大変そうであったのでさらっと流して見ただけである。






ここ『関城跡』には、他の城跡では見ることが出来ない「坑道」が発見されている。ここの売り物はこれだけかもしれない。

この『関城跡』は、国指定史跡となっている。しかし、往時を偲ばせる遺構は数少なく整備されてもいない。素人の私には魅力のない城跡である(というより城跡と
いう雰囲気すら感じられなかった)。そんな城跡にもかかわらず(あくまで素人の偏見)国指定史跡というのはどういうことなのだろうと色々調べてみた。その結果、
遺構の状態等の文化財としての価値からではなく、冒頭で触れたよう、南北朝争乱の際の城ということでだろうという見解を出しているお城ファン(セミプロ以上かな?)が
複数でした。ここに限らず、遺構の状態とは別の観点から史跡指定がなされるようで、私のような素人から見れば、なぜ、これだけの遺構がありながら町指定に
とどまっているのか、何でこの程度の遺構しかないのに国指定とはと、納得いかないことがしばしばですが・・・

散策日:2010年(平成22年)3月13日(土)