四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

青石の里 小川町下里を歩く

2015年10月24日 | 史跡・文化財めぐり〈団体〉


小川町教育委員会 生涯学習課主催による
  青石の里 小川町下里を歩く  -板碑製作遺跡と板碑を訪ねてー
に参加してきました。
 ハイキングを兼ねた遺跡見学ですが、ハイキングを主目的にするか遺跡見学を主とするかは
参加者それぞれの気持次第ですが雰囲気的にはほとんどの方が遺跡見学目的だったようです。

上の写真は、第1の見学地「割谷地区・割谷遺跡」から第2見学地の「島根橋下流」に向かう途中の参加者に配布資料を重ねたものです。




集合場所である「割谷橋空地」に集まってきた参加者の皆さん。

 ① この集合場所「割谷橋空地」から出発し                      
 ② 国指定史跡 下里・青山板碑製作遺跡(割谷地区・割谷遺跡)        
 ③ 島根橋下流(河床の緑泥石片岩・現代の採石場)                 
 ④ 島根の馬頭尊                                     
 ⑤ 農村センター【昼食】トイレ                              
 ⑥ 国指定史跡 下里・青山板碑製作遺跡(西坂下前A地区・西坂下前A遺跡)
 ⑦ 字横吹路傍の板碑                                  
 ⑧ 字寒沢路傍の板碑群                                 
 ① 割谷橋空地       のコースです                       

スタッフの挨拶、注意事項の説明のあと出発

学術的な説明はできませんので、立ち寄り先の簡単な説明だけになりますがご容赦を。




下里・青山板碑製作遺跡(割谷地区・割谷遺跡)に向けて出発。参加者は約60名。




割谷遺跡を上がっていく参加者




露出した緑泥石片岩に見られる「矢穴」 いつのころのものかは全く不明




ズリ平場 *ズリ・・・板碑製作過程で出る廃石材?




1号トレンチ




説明をするスタッフ
参加者から幾つかの質問が出るが、史料・文献がないためあくまでも推定や仮定でしか答えようがありません。




島根橋下流で河床の緑泥石片岩・現代の採石場の説明を受ける参加者
対岸の山では2年ほど前まで民間の会社が採石していました




島根の馬頭尊
島根の死馬捨場跡に幕末から昭和にかけて建てられた馬頭観音の石造物群の中で一番大きな馬頭尊(高さ363cm)




矢穴を確認し指さす参加者




板碑と同じ緑泥石片岩で作られていても馬頭観音はあくまで馬頭観音で板碑ではありません




農村センターで昼食休憩
天候が良かったことから大半の方が野外で食を摂っていました




下里・青山板碑製作遺跡(西坂下前A地区・西坂下前A遺跡)に向かう途中の橋のそばにある大きな緑泥石片岩
かつては橋として使われていたようです。今回の催しのために地元の方が緑泥石片岩を覆っていた落ち葉や土等を払ってくれたとのことでした






下里・青山板碑製作遺跡(西坂下前A地区・西坂下前A遺跡)




字横吹路傍の板碑  元は近くにあった観音堂にあったものをこの場所に移したようです 




字寒沢路傍の板碑群

この後集合場所であった島根橋空地に戻り解散となりました

散策日:2015年(平成27年)10月24日(土)           

史跡 穴八幡古墳(埼玉県小川町)

2015年10月20日 | 古墳


昔、「昔」っていつ頃のことかを書くと齢がバレるので書きませんがかなり昔であることは確かです。中学生のころ同級生と
町内の旧所・史跡等の勉強をしようと「郷土部」なるクラブ活動の部を作って最初に訪れたのがこの「穴八幡古墳」でした。

当時はここにアップした写真のようには整備されておらず、まだ「円墳」として認識されていた頃で、周囲は畑だったように記憶しています。
無論、当時は「円墳」だ「方墳」とかそんな難しいことの知識はありませんでしたが。(今も難しいことは分りませんけれど)

そんな郷土部活動も何の実績も残さずに自然消滅してしまいましたが・・・




下の道も整備され、古墳が崩れないように石垣が施されたりと昔日の面影はありませんが・・・






古墳の全容です








自身の言葉で穴八幡古墳について語るだけの知識はありませんので、上3枚の案内板と図を観ていただければ・・・




石室入口




石室入口側面




石室内部




古墳を裏側(真裏ではありませんが)から




昭和63年の発掘調査等で確認されたという西側の2重周溝(周堀)




北側の周溝(周堀)

散策日:2015年(平成27年)10月19日(月)           

八幡神社の例大祭

2015年10月19日 | 神社仏閣


鎮守の森の空に花火が上がっています。そう。今日10月19日は小川町の八幡神社の例大祭です。




ここが境内への正面入り口

この八幡神社は大塚地区にあり、同じ町内角山地区にも八幡神社があることから各々「大塚の八幡神社」、「角山の八幡神社」と
言い分けることもあるようですが、八幡さまと言えばここの八幡神社を指しています(あくまで主観ですが)

町内にはこれ以外にも沢山の神社がありますが、今でこそ制度廃止になったものの旧「郷社」ですので町内の神社では格が高い神社でしょう。




ここの境内入り口は社殿に向かって右側にあり、長い参道を歩いてきますとここに突き当たります




神社の歴史についてはこの案内(説明)板を読んでください




近年、あちこちのお祭りでは本来の祭日の前後の土、日曜日に祭りを行うところが増えていますが、
ここ八幡神社の例大祭は昔から10月19日で通していますので平日のことが当然多くなります。

例大祭ですから幟も立てられ、社務所には氏子総代等の役員さんが詰めておりますが、参拝者はぽつりぽつりです。




幟がなければ普段と変わらない状況です




普段は閉められていて見ることが出来ない拝殿の中です




神楽殿も戸が外されていました。昔は神楽が舞われたのですが今はそんなこともなくなりました。




往時は沢山の露店が境内や参道に並んでいたものですが、今日は町内の団子屋さんのみが出店




神楽殿では神楽に代わって和太鼓の演奏が午前午後の2回にわたり行われたようです。
太鼓演奏は事前告知がなかったようで、たまたま参拝に来た方が演奏を見ることが出来た程度です。自身もそのひとり。

演奏したのは、役員さんのお孫さんと仲間のグループのようでしたが、初めてみる太鼓グループでした。




見物客はこの程度。これでも集まった方ですね。

もう何十年も前のことになりますが、神楽が舞われたり、流鏑馬が行われたころは境内いっぱいの
人出がありましたが、いつのころからかすっかりさびれた祭りになってしまったようです。
自身も子供のころに来ただけで、今日はたまたま散歩途中に寄ったにすぎません。




境内正面入り口前の道路です。昔、ここを流鏑馬の神馬が走りました。
今では舗装されて車道になってしまいましたし、玉垣も建てられてしまいましたので、仮に流鏑馬が行われるとしても無理ですね




昔はこんなんでした!!

散策日:2015年(平成27年)10月19日(月)          

青石の里 小川町の中世を語る 2015

2015年10月18日 | 講演会・講座


本日、リリックおがわ(小川町民会館)において、「国指定史跡 下里・青山板碑製作遺跡 講演会 青石の里 小川町の中世を語る 2015」が催されたので聴講してきました。

 基調講演「日本史のなかの小川町」
  講 師  五 味 文 彦 氏 (東京大学名誉教授)

「板碑を知ってもらうために 発題と趣旨説明」
  講 師  千 々 和 到 氏 (國學院大學特任教授)
    
 報告1 「板碑の造立推移と宝篋印塔・五輪塔」
  報告者 諸 岡 勝 氏 (埼玉県教育委員会)

 報告2 「青石の特質と石材への利用」
  報告者 本 間 岳 史 氏 (元埼玉県立自然の博物館長)

 全体討論
  参加者 五 味 文 彦 氏、本 間 岳 史 氏、諸 岡 勝 氏
  司 会 千 々 和 到 氏 
      浅 野 晴 樹 氏 (埼玉県立嵐山史跡の博物館)

上記の内容でしたが、自身が聴講したのは都合で午後の部からになり、報告1以降となってしまいました。
「板碑」自体をまだよく理解できていない状況ですから、歴史学から地質学にまで至る内容で、自身には非常に難しい講演でした。
いや、難しいとか難しくないとかの次元ではなく何がなんだか全く分からなかったというのが本当の所です。
町外からの聴講者も多く、遠く徳島県からいらした方もいたという話しでした。



全体討論の一コマです。聴講者からの質問に各先生方が答えておりましたが、質問事項があるということは
それだけの知識があってのことで、分らないことが分らない状態の自身にはとてもとても・・・




本日頂いた資料集です。これを読んで少しは勉強しなくては・・・どこまで理解できるかは全く自信ありませんが。

聴講日:2015年(平成27年10月18日(日)            

『 はざ掛け 』のある風景

2015年10月08日 | 花・鳥・風景


昔はこんな光景をよく見たものですが、久しぶりに見た気がします。『はざ掛け』(稲掛け)と呼ぶようです。

稲刈り直後の籾はそのままでは水分が多過ぎるので乾燥させる必要があるそうですが、機械
乾燥になってしまい、このような天日干しはほとんど見られなくなってしまったようです。
しかし、天日干しが見直され、再びこうした『はざ掛け』が増えてきたようでもあります。
ただ、稲木は以前の木材(丸太)や竹から鋼管などの金属製のものに変わってきたようです。




青い空に白い雲。でも風が強くてコスモスは揺れていましたが・・・
本日の散歩コースは少しひねりを入れたBコース




この時季の散歩の定番と言いましょうかお約束ごとと言いましょうか本日も”蝶”を。
ちょっと調べてみたのですが「ツマグロヒョウモン」でよろしいでしょうか?




このトンボ ”ミヤマアカネ”で合っていますか? やはり帰宅後調べてみたのですが・・・








いつも歩く川辺にて   「たわしのような穂をした植物」をキーワードにして  ”チカラシバ”に辿り着きましたが?

散策日:2015年(平成27年)10月8日(木)           

コリウス

2015年10月07日 | 花・鳥・風景
本日の散歩コースはAコースの変則バージョン。変則と言ったところで途中のコースを若干変えるだけのことですが。
変則バージョンの頻度は10回のうち1、2度くらいかな。
とあるクリニックの前を通りかかったところ、駐車場入り口あたりの花壇に、まるで葉の周りに刺繍を施したようなきれいな葉を見ました。
他に濃紫と赤紫の葉もありました。
葉の形と花の形から「シソ」のようでしたが、こんなきれいなシソを見たのは初めての気がします。

帰宅後早速調べてみたましたら、
 シソ目 シソ科 コリウス属の 『コリウス』で  別名(和名) 「金襴紫蘇」「錦紫蘇」と知ることが出来たました。
 花言葉は 「善良な家風」「かなわぬ恋」「恋の望み」「健康」 だそうです。












コスモス

2015年10月06日 | 花・鳥・風景


あじさいの季節には毎日のようにあじさいを ヤマユリの季節もしかり ついこの間までは曼珠沙華がブログの主役でした
今はコスモスがその主役になろうとしています そんなことで今日もコスモスから始まります 




昔 我が家にも柿の木がありましたが今はありません ですから スーパーで買ってくる柿を食べています




小さな畑の道端に咲いていました  帰宅してから調べたら ダリヤ・カクタス咲き とわかりました




橋の欄干に止まったところを激写? 今年の秋は蝶やトンボをたくさん見ますが・・・




お茶の木の花 蜂が止まった写真も撮ったのですが これ以上にブレていますので




山をバックにしたコスモスも良いでしょうと・・・

散策日:2015年(平成27年)10月6日(火)           

秋の花と実を探して

2015年10月05日 | 花・鳥・風景


上にいち枚羽織って丁度良いくらいの肌寒いどんよりした空の下を少しの時間でしたが今日も散歩してきました。
陽が出ていればもう少し綺麗な風景に写ったかも知れないと、腕のなさを天候のせいにしてコスモスを。




野アザミの蜜を求めて・・・




更に別の場所では・・・




いろいろ調べてみましたが花名を特定できませんので「向日葵に似た花」ということで・・・




「クロガネモチ」というようですが、違っていたら ゴ・メ・ン・ナ・サ・イ




これは「野菊」でよいでしょう




「どんぐり」に間違いない!



清少納言ではありません。「ムラサキシキブ」です。

散策日:2015年(平成27年)10月5日(月)          

神無月の向日葵

2015年10月01日 | 花・鳥・風景
今日から10月。そんな今日、全国の神様が集まって一年のことを話し合うために出雲に向かって旅立ったようです。そんなことから10月を「神無月」と呼ぶようで。
逆に出雲では「神在月」と呼ぶそうな。でも、神様が全部いなくなってしまうわけではなく、ちゃんと留守神がいるようですから安心のほどを。

さて、向日葵と言えば夏のギンギラした太陽の下に咲く花のイメージが強いですが、すっかり秋になった今日、買い物途中で向日葵畑に遭遇しました。
どんよりした空模様でしたから、向日葵のイメージにはそぐわなかった気がしますが・・・
その向日葵畑の隣には頭を垂れ始めた稲田があり、夏と秋を一緒に感じるそんな光景です。















散策日:2015年(平成27年)10月1日(木)