四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

国指定史跡 七輿山古墳

2023年04月30日 | 古墳


藤岡市にある『七輿山古墳』は6世紀前半につくられた三段築成の前方後円墳で、6世紀代の古墳と
しては東日本最大級のもののようです。そんな国指定史跡である七輿山古墳を散策してきました。

名 称:七輿山古墳(ななこしやまこふん)
別 称:-
墳 形:前方後円墳 三段築成
規 模:全長150m、前方部幅115m、後円部径85m、高さは前方部・後円部ともに16m
築 造:6世紀前半
出土品:円筒埴輪・朝顔形埴輪・人物・形象埴輪類や須恵器・土師器
指 定:国指定史跡(名称:七輿山古墳 昭和2年〔1927〕6月14日指定)
所在地:群馬県藤岡市上落合831
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『七輿山の伝説』
七輿山の名前の由来は、羊太夫の伝説からきています。奈良時代に新設された多胡郡を賜った羊太夫は、八束の小脛とい
う神童の引く天馬に乗って朝廷へ日参していました。ある日、羊太夫は悪ふざけで昼寝をしている小脛の両脇に一本づつ
生えている白羽を抜いてしまいました。すると、神通力を失い天馬が走らず、朝廷へ日参できなくなりました。朝廷は羊
太夫が謀叛を計っているとして討伐軍を派遣しました。八束城を追われた羊太夫の一族が落ち合った場所が「落合」とい
う地名になり、羊太夫の女房ら7人がここで自害し、それぞれ輿に乗せ葬ったので「七輿山」と言う名称が伝えられてい
ます。
                            《藤岡市ホームページから引用》
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後円部東端の裾部から七輿山古墳の散策開始です




説明板が設置されています




『国指定史跡 七輿山古墳』説明板
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 国指定史跡
   七興山古墳
      所在地 藤岡市上落合八三一-一ほか
       所有者 国ほか

この古墳は、周辺の地形を利用して造られた三段築成の前方後円墳です。大きさは全長一四六㍍、後円部径八
㍍、前方部幅一〇六㍍、前方部と後円部の高さは一六㍍です。
四回にわたる範囲確認調査で、墳丘の周りに内堀・中提帯・外堀・外提帯・埴輪列が明らかになりました。ま
た、前方部前面にはコの字状に三重目の溝が巡っています。出土遺物は円筒埴輪・朝顔形埴輪のほかに人物・馬・
盾などの形象埴輪があります。特に、円筒埴輪は七条凸帯を有し、径五〇㌢、高さ一・一㍍の大型品です。古
墳の埋蔵施設は不明ですが、出土遺物から六世紀前半に造られたものと考えられます。
                                        藤岡市教育委員会

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墳丘中段(と言っても僅かな高さですが)に「石幢六面六地蔵」があります。




沢山の石仏が並んでいます




よく見るとみんな首がありません。「首なし地蔵」と言われているようですが、これは地蔵ではなく五百羅漢で
すね。なぜ首がないかの説は幾つかありようですが、ここにそれを書くと長くなってしまいますので・・・





墳頂を目指します 




後円部の墳頂です




後円部墳頂東端に後円部の外側を向いて釈迦三尊がありますが、これも首がありません。
立札があり「重要文化財にかってに補修や損傷を与えることは、文化的価値を著しく損なわれます。文化財を大
切にしましょう!
 藤岡市教育委員会」とあります。





後円部から前方部方向を見ています




くびれ部分あたりでしょうか?




前方部




前方部西端の裾  いくつもの石は「葺石」でしょうか?




前方部を西方から




手前が前方部




前方部先端  濠跡  奥に見えるのは堤の一部?




墳丘北側面  手前が前方部




墳丘北側面




後円部の北東端あたり




後円部




後円部東側




後円部東側




散策を開始したところまで戻ってきました




後円部南方から前方部方向に

墳丘から離れたところを歩いてきましたが、墳丘が大きすぎて全体の姿を1枚の写真におさめることはできませ
んでした。付近を含めて見落としてきた場所が複数ありますので再訪する機会があったら、それを含めてその時
は更に離れた場所を歩いてみたいと思うのですが・・・


散策日:令和5年(2023)4月20日(木)

埴輪とマンホールカード

2023年04月29日 | マンホール諸々


藤岡市には多くの古墳があります。窯跡もあります。ということは当然のことながら埴輪や須恵器なども数多く
出土しています。
そんな藤岡市のマンホールの蓋には、埴輪や須恵器などをデザインしたものが使われています。また、その埴輪
や須恵器などをデザインしたマンホール蓋のマンホールカードも配布されています。
今回、藤岡市に出向く機会がありましたので、藤岡市のマンホールカード配布先である「道の駅ららん藤岡」内
の観光案内所に寄っていただいてきました。
   ※マンホーラーではありませんが、埴輪のマンホールカードでしたので



                                    【合成してあります】
頂いた藤岡市のマンホールカード




「道の駅ららん藤岡」には『ミニ埴輪庭園』が設けられ、土器・埴輪が展示されています。




看板に書かれている通り、これらの土器・埴輪は藤岡市内の古墳から出土したものを「藤岡土器埴輪友の会」
の皆さんが複製したものとのことです。
壁画のデザインは藤岡市の花である藤と冬桜をモチーフに制作したとあります。





マンホールカードに書かれいる
         デザインの由来
  国指定史跡・七興山古墳で知られる藤岡市には、かつて1,200基ほどの古墳があったと伝えられています。
  市内には多くの窯址がみつかっており、埴輪や須恵器を関東一円に供給した拠点だったと考えられてい
  ます。その風土・文化は近現代に受け継がれ、良質な藤岡粘土を使った藤岡瓦の産地として栄えた藤岡市。
  江戸時代から藤岡鬼面瓦の魔除け・災厄除けとして庶民の暮らしに浸透し、屋根の上から睨みを利かせてい
  ます。本マンホール蓋のデザインは、古墳の上に並べられた人物埴輪や場形埴輪、須恵器の甕(かめ)など
  を中央に配し、その周りを鬼瓦の数珠や雨雲のデザインで飾ったものです。


最初に出てきた「国指定史跡・七興山古墳」とマンホールカードをコラボしてみました。

訪問日:令和5年(2023)4月25日(火)

平井地区1号古墳

2023年04月28日 | 古墳


歴史的な空間を憩いの場とするため整備された毛野国白石丘陵公園内にある『平井地区1号古墳』
を散策してきました。平井地区1号古墳の南側には皇子塚古墳あります。

名 称:平井地区1号古墳(ひらいちくいちごうこふん)
別 称:-
墳 形:2段に築かれた円墳
規 模:直径24メートル、高さ3.5m
築 造:6世紀後半
出土品:形象埴輪、須恵器、土師器、装飾大刀など
指 定:群馬県指定史跡(名称:平井地区1号古墳 平成5年〔1993〕4月20日指定)
所在地:群馬県藤岡市三ツ木249ー9ほか




憩いの場として整備された毛野国白石丘陵公園  四阿もあります




平井地区1号古墳




石標柱『群馬県指定史跡 平井地区一号古墳』




『県指定史史跡 平井地区1号古墳』説明板
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 県指定史跡
  平井地区1号古墳
   所在地 藤岡市三ツ木字東原二四九-九番地ほか
    所有者 藤岡市

本墳は直径二四㍍、高さ三・五㍍、二段に築かれた円墳で、幅広の基壇を有する。石室は北に開口する横穴式両
袖型石室で、羨道、玄室からなり、大きさは六・八㍍である。壁面は凝灰岩の切り石積みで、随所に切り組みの
手法を取り入れている。
出土遺物は墳丘上から家、大刀・靭・帽子・鞆などの形象埴輪、須恵器、土師器などが、石室からは装飾大刀・
直刀・桂甲・鉄鏃・馬具・耳環などが出土している。特に、装飾大刀の銀象嵌円頭大刀・単鳳環頭大刀は貴重な
もので、群馬県指定重要文化財に指定されている。
出土遺物などから六世紀後半に造られたと考えられる。
  平成六年十二月十五日
                                          群馬県教育委員会
                                          藤岡市教育委員会

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北側から
横穴式石室の開口部がこの北側にあったようですが、埋め戻されていて確認できません




南側から?




墳頂部




西側から?




平井地区1号古墳の墳頂から平井地区2号北古墳と平井地区2号古墳




皇子塚古墳の墳頂から平井地区1号古墳を




平井地区2号北古墳と平井地区2号古墳

散策日:令和5年(2023)4月20日(木)

皇子塚古墳

2023年04月27日 | 古墳


歴史的な空間を憩いの場とするため整備された毛野国白石丘陵公園内にある『皇子塚古墳』を散策
してきました。皇子塚古墳の隣には平井地区1号古墳、2号古墳もあります。平井地区12号古墳に
ついては別途アップします。

名 称:皇子塚古墳(おうじづかこふん)
別 称:-
墳 形:4段に築かれた円墳
規 模:直径31メートル、高さ6m
築 造:6世紀後半
出土品:金銅装単龍環頭太刀の柄頭
指 定:群馬県指定史跡(名称:皇子塚古墳 平成4年〔1992〕5月15日指定)
所在地:群馬県藤岡市三ツ木247ほか




『毛野国白石丘陵公園』
国指定史跡七輿山古墳と白石稲荷山古墳を結ぶ間の場所で皇子塚古墳、平井地区1号古墳周辺を整備した公園で、
芝生広場や史跡散策を楽しめる園路やあずま屋があります。





「平井地区1号古墳」と「皇子塚古墳」
平井地区1号古墳は皇子塚古墳の北方に位置しています




皇子塚古墳を西方から




石標『群馬県指定史跡皇子塚古墳』




『県指定史跡 皇子塚古墳』説明板
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    県指定史跡
      皇子塚古墳
                         指定日 平成四年五月十五日
                            所在地 藤岡市三ツ木字東原二四七番地ほか
                            所有者 藤岡市
 
本墳は、直径三一㍍、高さ六㍍、四段に築かれた円墳である。内部構造は両袖型横穴式石室で、羨道、前室、玄
室からなる複室構造である。石室の大きさは全長八・三三㍍、前庭部を含めると十二・十六㍍になる。県内では例
の少ない複室構造の石室を持つ古墳で、保存状態も良好である。石室は前庭部から全室までが河原石の乱石積み、
玄室が凝灰岩の切り組手法を取り入れた截石積みという特長が見られる。出土遺物から六世紀の後半に築かれ、七
世紀前半まで追葬行われたと考えられる。
                                          群馬県教育委員会
                                          藤岡市教育委員会

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石室の開口部は南東側にあったということですが、すでに埋め戻されていますので確認できませんが、この辺り
かと思います。





南方から?(自信なし)




北側から?




皇子塚古墳の墳頂から平井地区1号古墳と平井地区2号古墳を




平井地区1号古墳の墳頂から皇子塚古墳を




古墳の東側  この下を「猿田川」が流れています

散策日:令和5年(2023)4月20日(木)

伊勢塚古墳

2023年04月25日 | 古墳


藤岡市に所在する群馬県指定史跡伊勢塚古墳を散策して来ました。

名 称:伊勢塚古墳(いせづかこふん)
別 称:-
墳 形:円墳あるいは不正八角形墳 
規 模:径27.2m、高さ6m、
築 造:6世紀後半
出土品:円筒埴輪・人物埴輪・盾形埴輪
指 定:群馬県指定史跡(名称:伊勢塚古墳 昭和48年〔1973〕8月21日指定)
所在地:群馬県藤岡市上落合318ほか
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伊勢塚古墳は、藤岡駅の北西約4キロメートルに所在します。この古墳の周囲には、国指定史跡七輿山古墳、県
指定史跡皇子塚古墳、国指定史跡白石稲荷山古墳等が存在し、白石古墳群を形成しています。
伊勢塚古墳は、七輿山古墳の北400メートルの平坦地に造られた径27.2メートルの円墳あるいは不正八角形墳と
考えられます。昭和62年から3回にわたる範囲確認調査により、墳丘は4段に造られた古墳で、特に、3段目は最
上段の葺石を積み上げてから、その外側に河原石を敷き詰めて造りだした段築面であることがわかりました。出
土遺物に円筒埴輪・人物埴輪・盾形(たてがた)埴輪があり、6世紀末ごろに造られたと推定されます。
                                   《藤岡市ホームページから引用》

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西側の農道から伊勢塚古墳を




古墳尾西南のところに石標と説明板が立てられています




石標柱『群馬県指定史跡 伊勢塚古墳』



『伊勢塚古墳』説明板
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県指定史跡 
 伊勢塚古墳
 所在地 藤岡市上落合字岡三一八番地ほか
 所有者 藤岡市
本墳は当初、円墳と考えられていたが、昭和六二年度の範囲確認調査により直径二七・二㍍、高さ六㍍の二段に
築かれた不正八角形墳と考えられる。内部構造は羨道、玄室からなる両袖型横穴式石室で、大きさは八・九㍍で
ある。
石室の石積みに特長がある。玄室は流麗な曲線を描く胴張りプランで、模様積み(珪岩質の転石を中心に片岩製
の棒状の石を配する)と称される独特な石積み技法で、ドーム状の構造になっている。また、擬似楣も架設され
ている。出土遺物に須恵器、埴輪などがある。六世紀後半に造られたものと考えられる。
  平成六年十二月十五日
                                          群馬県教育委員会
                                          藤岡市教育委員会

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※その後の調査で上記内容と異なる部分が生じている可能性もありますが、このまま載せておきます。
 なお、墳丘は2段説から4段説に変わってきているようです?





開口部は南を向いています




開口部




羨道




羨道から玄室(石室)を




石室の左右の壁には、大小の河原石を組み合わせた「模様積」(もようづみ)と呼ばれる積み方が見ら
れる。この模様積石室は藤岡市とその周辺の一部でしか見られない特殊なもののようです。




玄室(石室)内から羨道・外方向を




墳丘東側




墳丘西側




墳頂
長方形の石で桝形が造られています
これは何なのか調べてみたのですが答えに辿り着けませんでした


散策日:令和5年(2023)4月20日(木)

国指定史跡 本郷埴輪窯跡

2023年04月24日 | 古代窯跡


名 称:本郷埴輪窯跡( ほんごうはにわかまあと)
種 別:埴輪窯跡
時 代:古墳時代・5世紀中葉~6世紀末
指 定:国指定史跡(名称:本郷埴輪窯跡 昭和19年〔1944〕11月13日指定)
所在地:群馬県藤岡市本郷304-1
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県内の埴輪生産については、太田地域と藤岡地域の2地域が一大生産地として知られています。藤岡地域
では、神流川流域の本郷埴輪窯址と鮎川流域の猿田埴輪窯跡の2地点があります。このうち本郷埴輪窯に
ついては、明治39年(1906年)に柴田常恵氏により発見されました。そのあとの発掘調査により、5世紀後
半から6世紀末まで操業していたことが確認されています。    《藤岡市ホームページから引用》

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国指定史跡本郷埴輪窯跡を見学してきました。立派な覆屋で保護保存されています。




覆屋の右側には「国指定史跡 本郷埴輪窯址」説明板が立てられています。




石標「史蹟 本郷埴輪窯阯」と陰刻されています。
登り窯は傾斜面に築かれていますので、それに合わせて覆屋は奥の方が高く手前に従って低くなっ
ています。




「国指定史跡 本郷埴輪窯址」説明板
石標では「阯」の字が、こちらでは「址」の字が使われています。どちらも「跡」と同じではありますが・・・




覆屋正面の引き戸は網の入ったガラスのために写真を撮るとどうしても線が入ってしまいます




覆屋のガラス越し窯跡を撮ってみましたが・・・




本郷埴輪窯跡から南西約50mの道路沿いに建立されている石碑
「埴輪製造之竈址」と陰刻されています。




余談ですが、これまでに歩いてきた窯跡の中から覆屋で保護された登り窯跡(左上:大谷瓦窯跡 右上:赤沼古代瓦窯跡 
左下:五厘沼窯跡 右下:末野窯跡)を抜き出してみました。
覆屋によって窯跡の価値を左右するわけではありませんが、今まで見てきたこれらと比較したら、本郷埴輪窯跡は良い意
味で異質な覆屋で、とても窯跡の覆屋とは思えない建物でした。


見学日:令和5年(2023)4月20日(木)

土師神社と土師の辻

2023年04月22日 | 神社仏閣


社 号:土師神社(どしじんじゃ)
旧 称:-
御祭神:野見宿禰(のみのすくね)
創 建:不詳
社 格:旧郷社 
例 祭:春祭り・秋祭り 
指 定:-
鎮座地:群馬県藤岡市本郷164

土師神社があるこの地域は、古墳時代には埴輪や土師器(はじき)を製造した技術集団である土師部
(はじべ)が周辺に住んでいたとされ、その氏神である野見宿禰を祀ったのが土師神社のようです。
祭神である野見宿禰は土師(はじ)氏の祖であり、相撲の始祖とされています。



境内参道




割拝殿




拝殿




神額『正五位上土師大明神』




本殿




神楽殿  勾欄の塗り替え中でした




石祠群




北参道(社殿背後)の鳥居(両部鳥居)  ※表側の鳥居は失念




土師神社境内にある「日本三辻」のひとつとされる「土師の辻」(相撲辻)
「土師の辻」は藤岡市の指定史跡となっています(昭和46年〔1971〕4月16日指定)




「土師の辻」説明板




相撲壇(相撲の土俵)




「土師の辻」歌碑

参詣日:令和5年(2023)4月20日(木)

東松山ぼたん園 2023 (2) +番外編

2023年04月20日 | 花・鳥・風景


『東松山ぼたん園 2023 』もう少し載せてみたいと思いまして・・・その2ということで














































東松山市の市の花「ぼたん」をデザインしたマンホール蓋を挿入してぼたん園の全景(半景?)を・・・

見学日:令和5年(2023)4月17日(月)

【番外】


昨日(19日)朝、『東松山ぼたん園 2023(1)』をアップした直後、依田さんの天気予報が始まりまし
た。「依田さん 今日はどこからですか?」
何となんと、東松山ぼたん園からの中継。まるでブログへのアップを待っていたかのようなタイミング。
これは写真をと思いましたが間に合わず。30分待って再び依田さんが登場してきたのをパチリ。




依田さんの名前と同じ名が付いたぼたんがあると・・・依田さんの下の名は「司」さん
『阿蘇の司』



更に、『黒光司』も

東松山ぼたん園 2023 (1)

2023年04月19日 | 花・鳥・風景


『東松山ぼたん園』(東松山市大谷1148-1)へ行ってきました。
市の花「ぼたん」の普及活動の一環として平成2年に開園したぼたん園で、開園当初は「野田ぼたん園」と
称していました、現在は150品種・約6500株が植栽されている関東有数のぼたん園です。
ぼたんが見頃を迎えるのにあわせ、4月12日(水)~5月7日(日)は「春の有料期間」となり、この一番い
い時季に行きましたから入園は当然有料(500円)でした。
風がちょっと強かったですが快晴の空の元、満開を迎えた沢山の「ぼたん」を楽しんできました。
芍薬(しゃくやく)も咲いていました。さすが平日とあって大型遊具近くには一家族くらいしかいません
でした。





























































見学日:令和5年(2023)4月17日(月)