四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

半僧坊大権現堂の羅漢と彼岸花

2023年09月27日 | 花・鳥・風景

比企郡小川町大塚地内にある「半僧坊大権現堂」の羅漢を訪ねてきました。
小川盆地内の東西にのびる八幡台と呼ばれる高台にあり、お堂は15世紀後半の築城と言われる「中
城跡」と呼ばれるこの城跡の櫓台跡と推測される場所に建立されています。
また、ここは仙覚律師が「万葉集註釈」を完成させた比企郡北方麻師宇郷の比定地とされ、「仙覚
律師遺跡」にもなっています。
左側にある石碑「半僧坊大権現霊堂建設記念碑」で、昭和17年4月17日建之とあります。


もしかしたら羅漢像とのコラボが楽しめるかと訪ねたわけでして・・・
この右側にテニスコートがありますが、元は中城の本郭跡と言われています


群生とまではいかないまでも咲いています


中城の櫓台跡言われる場所に建立されている半僧坊大権現堂


彼岸花と羅漢のコラボにはちょっと難しい状況です


羅漢像は46体あると言われます。数えたら確かに45~46体はありました。


こんな感じで両側に並んでいます


同上


半僧坊大権現堂


お堂の前から


全部の羅漢を紹介したいところですが、無理筋ですので何体かを




半僧坊大権現堂と書かれたものを持った羅漢


台座にはそれぞれ寄進者の名が刻まれています






藪蚊がすごくて半袖の腕の何カ所も刺されながら撮った写真ですので・・・


半僧坊とテニスコートの間にあるポンプ式古井戸
かつてはここに一軒の民家がありました。テニスで喉が渇いたりしたら「お水をください」と井戸
を使わせていただいたとの話です。


仙覚律師遺跡


越郭跡付近に群生していた彼岸花



散策日:令和5年(2023)9月26日(火)

安戸河原遊歩道の曼珠沙華

2023年09月25日 | 花・鳥・風景


秋彼岸の間にと、埼玉県唯一の村「東秩父村」を流れる槻川右岸にある「安戸河原遊歩道」に咲く
曼珠沙華(彼岸花)を今年も見に行ってきました。
周辺案内図の[現在地]の文字のすぐ上のところが「安戸河原遊歩道」で大河原橋下流から安戸橋
上流の間500mがその範囲です。










大河原橋から安戸橋の間には流れ橋が2カ所ありますが、これがその一つ








対岸(左岸)にも沢山の曼珠沙華が咲いています。写真上に見えるのが安戸橋

散策日:令和5年(2023)9月24日(日)

歴史講座Ⅰ「中世城郭から近世城郭へー忍城・川越城ー」(2)近世の川越城と川越藩

2023年09月24日 | 講演会・講座


埼玉県立嵐山史跡の博物館
令和5年度  歴史講座Ⅰ「中世城郭から近世城郭へー忍城・川越城ー」(2)         
 日 時:令和5年9月22日(金)13:50~15:30
 会 場:国立女性教育会館 講堂(埼玉県比企郡嵐山町菅谷)
 演 題:近世の川越城と川越藩
 講 師:宮 原 一 郎 氏(川越市教育委員会 文化財保護課)
 内 容:はじめに
       1  近世初期における武蔵国の状況
      2 元和~寛永期における家光と川越
      3 寛永期の川越城と城下町の寺社

を聴講してきました。
前回の忍城に続き今回は川越城に関しての講義でした。武蔵国における3城体制(岩槻・忍・川越)についてや、
家光と川越との関係などについてお話をいただきました。
本講座の演題である川越城に関連する場所の中から少しだけ紹介したいと思います。諸般の事情からここ数年は
川越城に行っておりませんので古い写真ばかりですが・・・


川越城本丸御殿   所在地:川越市郭町2-13-1
現存する御殿は、二条城二の丸御殿(京都市)・掛川城二の丸御殿(掛川市)・高知城本丸御殿(高知市)と、
ここ川越城本丸御殿の4御殿しかありませんので貴重な建物です。
川越藩(城)の歴代藩(城)主は、次の8家21人です。
  酒井(雅楽頭)宗家 1代 ・酒井(雅楽頭)別家 2代 ・堀田家 1代 ・大河内松平家 3代 ・柳沢家 1代 ・
  秋元家 4代 ・前橋松平家 7代 ・松井松平家 2代
となっていますが、酒井(雅楽頭)宗家のあと一旦幕府領となり、その後、酒井(雅楽頭)別家 となりました。
さらにこの酒井(雅楽頭)別家の後は城番時代を経て堀田家となります。
写真の下部に各家の家紋を調べて並べておきましたが、複数の家紋が存在したり、同じ家系でも別の家紋を使用
していた城主がいたりしますので必ずしも正確ではありませんので参考程度に留めてください。


歴代川越藩(城)主の幟
道路右側の幟が立っているあたりに現在は土塁が復元されています(昨年末ころ完成)ので現況とは異なります。


松平大和守家廟所   所在地:川越市小仙波町1-20-1  喜多院・慈恵堂の裏手にあります
左奥 建中院(越前松平家10代 松平直侯)      右側手前から 霊鷲院(越前松平家5代 松平朝矩)・
俊徳院(越前松平家6代 松平直恒)・馨徳院(越前松平家7代 松平直温)・興国院(越前松平家8代 松平斉典)


川越城富士見櫓跡   所在地:川越市郭町2-15


川越城中ノ門跡(外観)   所在地:川越市郭町1-8-6
平成22年(2010)4月1日に開園(公園扱い)して間もない時の写真ですからまだなじんでいませんでした。


川越城中ノ門堀跡(復元)  所在地:川越市郭町1-8-6


仙波東照宮   所在地:川越市小仙波町1-21-1  

聴講日:令和5年(2023)9月22日(金)

上里町 清水南遺跡(2次)見学会

2023年09月23日 | 企画展・見学会

令和5年度 第2回 遺跡見学会
 上里町 清水南遺跡(第2次)
開催日:令和5年9月16日(土) 
場 所:埼玉県児玉郡上里町金久保
主 催:公益社団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団
共 催:国土交通省 関東地方整備局 大宮国道事務所・埼玉県教育委員会・上里町教育委員会

に参加してきました。(事前予約不要)
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 清水南遺跡は、神流川・烏川によって形成された扇状地に位置する遺跡です。西側には金久保内出遺跡が隣接
しています。また、北西に金窪城跡、西に神流川古戦場跡があります。
 発掘調査では、中世(鎌倉時代から室町時代頃)と考えられる大型の建物跡や、竪穴状遺構、溝跡などが多数
検出されています。
 特に、大型建造物の柱穴の中には、柱が沈まないように大きな石が据えられていました。当時の建物の構造を
知る貴重な手がかりが見つかりました。また、しっかりした構造から格式の高い建物と思われ、鎌倉時代から室
町時代に有力者がいたと考えられます。これらは地域の歴史を紐解く重要な発見となりました。 
                                       《遺跡見学会資料より》

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遺跡見学会の集合場所となった 清水南遺跡 発掘調査事務所
今回の見学会は予約制ではないため受付順に10名ずつ30分おきに係員とともに発掘現場に向かい説
明(約30分)を受けました。
発掘現場は、 発掘調査事務所から西北西約100mに位置します。


緑色のシートで囲まれているところが清水南遺跡です


先発のグループが説明を受けているところです。
発掘現場の写真撮影は可能でしたが、まだ発掘調査中であり調査報告書も当然できておらないこと
から撮った写真をSNS等に載せることは厳禁との注意がありました。要は自分だけで楽しむ分には
撮影してもいいですよということです(毎回のことですが)。ということで発掘現場の写真はあり
ません。


頂いた「遺跡見学会資料」と添付の「清水南遺跡周辺の出来事 年表 中世を中心に」

見学日:令和5年(2023)9月16日(土)

深谷七福神・秋の七草寺めぐり 第七番「正伝院」

2023年09月22日 | 神社仏閣

深谷市の「深谷七福神・秋の七草寺」をめぐってみました。
第七番は毘沙門天/クズの寺・正伝院です。これで一応七寺院めぐりは完了しましたが、七福神には会えたもの
の、秋の七草は半分にも至りませんでした。それぞれの花が咲く時季に訪ね歩けばよいのでしょうが・・・

第七番
正伝院(しょうでんいん)
『毘沙門天/クズの寺』
山 号: 瑠璃山
院 号: 正伝院
寺 号: 薬師寺
御本尊: 薬師如来
宗 派: 曹洞宗
所在地: 深谷市高島161


正伝院表入り口


寺号標「高野山真言宗 瑠璃山正伝院」と刻まれています


「由緒 正伝院は弘仁年中(810~823)に小野篁が関東に下向する際、薬師如来の尊像を彫刻し安置して 瑠璃山薬師寺
正伝院とし、弘法興隆している。」と寛政8年(1796)鋳造の梵鐘(太平洋戦争に供出 銘にあったため、現梵鐘にも、
この銘を左のとおり鋳造してある。」
※小野篁・・・おののたかむら 小野小町の祖父
説明板の左下半分が切り取られたようになっていますが、何が書かれていたのか気になるところです



お約束の六地蔵尊


四脚門(山門) 大棟に「三つ葉葵紋」


山号額「瑠璃山」と揮毫


門扉にも「三つ葉葵紋」  正伝院と三つ葉葵紋との関係がわかりません(調べた範囲では資料なし)寺領〇〇
石といった御朱印状でも受領しているのでしょうか?



正伝院境内


鐘楼 「施薬の鐘」と揮毫された扁額が掲げられています


鐘楼の隣に「毘沙門天」像があります


毘沙門天


毘沙門天
秋の七草・正伝院の花であるクズ(葛)らしきものが見当たりません



境内(2)


手水舎


三鈷の松


弘法大師像 和歌山県の高野山の方を向いているとのこと


正伝院本堂


正伝院本堂


本堂扁額「正傳院」と揮毫


石仏


境内から四脚門(山門)方向を

参詣日:令和5年(2023)9月14日(木)

深谷七福神・秋の七草寺めぐり 第六番「泉光寺」

2023年09月21日 | 神社仏閣


深谷市の「深谷七福神・秋の七草寺」をめぐってみました。
第六番は泉光寺(恵比寿天・オミナエシの寺)ですが、昨年も訪ねています。とは言っても深谷七福神・七草寺
めぐりが目的ではありませんでした。ここ深谷市上敷免(じょうしきめん)地内に、鎌倉街道上道の支道とされる
伝承路線が残されており、この泉光寺を起点に鎌倉街道の伝承路線を歩きました。その際にオミナエシを見てい
たものですから、他の七草寺と違って間違いなく花を見ることができるという確信がありましたが、案の定、沢
山のオミナエシが咲いていました。

第六番
泉光寺(せんこうじ)
『恵比寿天/オミナエシの寺』
山 号: 寛平山
院 号: ー
寺 号: 泉光寺
御本尊: 阿弥陀三尊
宗 派: 高野山真言宗
所在地: 深谷市上敷免473


泉光寺遠景


泉光寺鐘楼門の斜め前に百日紅と六地蔵


泉光寺鐘楼門


庚申塔・青面金剛


鐘楼門 柱に「高野山真言宗」(右) 「寛平山泉光寺」(左)の標札


境内参道


真言宗開祖・弘法大師像と地蔵


子育観音と六地蔵


オミナエシ(女郎花)が境内のあちこちに咲いています


泉光寺本堂の前にも


本堂


本堂とオミナエシ


同じく本堂とオミナエシ


堂宇(覆屋)の中に「恵比寿天」がおりました


「恵比寿天」を正面から  鈴緒がちょっと邪魔のようで


少しだけ斜めから これならお顔がよく見えます
あれ! 恵比寿さんの後ろに「深谷七福神・七草寺めぐり」の幟が隠れています
どうも境内に幟が立っていないと思ったら・・・恥ずかしがらずに立ってください
そういえば「恵比寿」と染め抜かれた朱色の幟がどこにも見当たりませんが



オミナエシをアップで


オミナエシと地蔵の背


オミナエシ越しに子育観音を


揚羽蝶 オミナエシには止まってくれず百日草ばかりに止まっていました。蝶にも好みの花があるようで


多層塔(十三重塔)とオミナエシ  右に庫裡


オミナエシと多層塔(十三重塔)


多層塔の宝珠に雀が止まりました


オミナエシと本堂

参詣日:令和5年(2023)9月14日(木)

深谷七福神・秋の七草寺めぐり 第五番「惣持寺」

2023年09月20日 | 神社仏閣


深谷市の「深谷七福神・秋の七草寺」をめぐってみました。
第五番は惣持寺(弁財天・オバナの寺)ですが、同寺のHPによれば草創は奈良時代初期の養老2年(718年)行
基菩薩によって創建され、後弘安年間(1278年~1288年)顕盛(勅号宗澄)により再興された、深谷市内最古の
名刹であるとのことです。果たして七福神唯一の女性の神・弁財天にお会いできるでしょうか・・・

第五番
惣持寺(そうじじ)
『弁財天/オバナの寺』
山 号: 蓮沼山
院 号: 地蔵院
寺 号: 惣持寺
御本尊: 大日如来
宗 派: 高野山真言宗
所在地: 深谷市蓮沼463-1


総持寺参道 寺号標には「高野山真言宗 蓮沼山総持寺」と刻まれています
白壁土塀の前にはいくつもの石造物が並んでいます



白壁土塀の前に並んだ石造物の一部


山門(表門)と仁王像(金剛力士)


寺号額「総持寺」と揮毫


山門内の参道  参道両脇には石仏等が並びます


六地蔵尊と子育て観音(中央)


この円形の参道の名は? 説明書きがあったのですが失念しました


地蔵尊


真言宗の開祖・弘法大師の像


総持寺本堂  向拝柱の朱色が目立っています


扁額「総持寺」と揮毫されています
ガラス戸に入っている「五三の桐紋」は二つある真言宗の宗紋のひとつ もう一つは三巴紋です



客殿(彩光殿)前の参道量脇には羅漢が


客殿(彩光殿)


こちらにも羅漢が


鐘楼


本堂前の境内のどこにも「弁財天」の姿がありません。むろんオバナ(薄)もありません。
それどころか「深谷七福神・七草寺めぐり」の白い幟が立っていませんし、「弁財天」の朱色の幟も見当たりません。



何と本堂の西側の木の下に


「弁財天」


せめて幟を立てていてくれれば・・・弁財天にはどうにかお会いできましたが、オバナ(薄)はどこに?

参詣日:令和5年(2023)9月14日(木)

深谷七福神・秋の七草寺めぐり 第四番「全久院」

2023年09月19日 | 神社仏閣


深谷市の「深谷七福神・秋の七草寺」めぐりの第四番は「全久院」です。深谷は深谷上杉氏が治めていましたが
後北条氏の傘下に入っていました。豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏が敗れたため所領を奪われました。
全久院は、徳川家康が関東入府後、松平丹後守康長が当地を領有しましたが、祖先戸田弾正左衛門宗光追福のた
めに、豊川全久院を写して当地に創建したといいます。

第四番
全久院(ぜんきゅういん)
『寿老人/フジバカマの寺』
山 号: 東方山
院 号: 全久院
寺 号: ー
御本尊: 釈迦如来像
宗 派: 曹洞宗
所在地: 深谷市東方2902

【幡羅郡八十八ヶ所霊場第50番札所】


道路端に建立されている石標「七福全神巡排の寺」 全久院内だけで七福神を巡排できるようです


全久院山門 塀の外側にも色々な石碑が並んでいます 檀家さんから奉納・寄進されたものでしょう


門前の大きな看板の側面には「深谷七福神七草寺 寿老人 フジバカマの寺」と書かれています


山号額「東方山」と揮毫


境内参道 


本堂に向かって参道左側の六地蔵尊  この六地蔵の他にも何体ものお地蔵さんがありました


深谷市指定文化財(考古資料)の板碑  南北朝時代のもので善光寺式阿弥陀三尊像を刻す


本堂の前のこの大木は深谷市指定文化財(天然記念物) 樹齢800年の榧(雌) カヤ(メス)


全久院本堂


扁額 院号「全久院」と揮毫

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ここからは全久院の七福神を  何れも檀家さん?からの奉納のようです

毘沙門天


大黒天


恵比寿天


福禄寿


布袋尊


弁財天


寿老人
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深谷七福神・七草寺の幟  やっぱりこれが立っていなければ七福神めぐりの気分になれませんからね


「寿老人」と染め抜かれたこの朱色の幟が立っている所に深谷七福神の寿老人がいます


寿老人


寿老人が連れているのは「鹿」 鹿は長寿を意味するそうです


全久院の秋の七草は「フジバカマ」ですが花は見当たりません。これが花が咲く前のフジバカマのようです
違っていたら内緒で違うよと教えてください!!



同上

参詣日:令和5年(2023)9月14日(木)

深谷七福神・秋の七草寺めぐり 第三番「宝泉寺」

2023年09月17日 | 神社仏閣


深谷市の「深谷七福神・秋の七草寺」をめぐってみました。
第三番はキキョウの寺・宝泉寺ですが、果たして桔梗は咲いていたでしょうか・・・

第三番
宝泉寺(ほうせんじ)
『福禄寿/キキョウの寺』
山 号: 境井山
院 号: ー
寺 号: 宝泉寺
御本尊: 釈迦牟尼仏
宗 派: 曹洞宗
所在地: 深谷市境220-1


参道入口  寺号標には「曹洞宗 境井山寶泉寺」と刻まれています


参道脇には沢山の石仏・石造物が並んでいます


山門前です


お約束事になっている「六地蔵尊」


仁王像(金剛力士像)


「深谷七福神・七草寺めぐり」の幟  深谷七福神・秋の七草寺めぐりをしているわけですからやはりこの幟が立ってい
ないと絵になりませんね



山門から参道と宝泉寺本堂を


山門を潜ったすぐの左手に「高祖道元禅師」像
曹洞宗のお寺さんではこの像がよくみかけます。道元は日本における曹洞宗の開祖ですからね



参道左側に「福禄寿」の姿が見えてきました


「福禄寿」の幟も立っています


「福禄寿」


「福禄寿」


「キキョウの寺」ですので、どこかに桔梗はないかと探してみたところ本堂寄りの石灯篭の下にちょっとだけ咲
いていました



3輪程ですが・・・


参道を跨ぐ松の枝の向こうに本堂が・・・絵になります


他に桔梗が咲いていないかと探したところ、駐車場の脇の方にある石製五重塔の周りにも群生とまではいきませ
んが咲いていました。



桔梗の花の時季を過ぎたのでしょうか枯れているのがあります


ここにも何輪か


僅かに咲いていた桔梗をアップで・・・これでどうにか秋の七草寺・キキョウの寺の面目は立ちました。

参詣日:令和5年(2023)9月14日(木)

深谷七福神・秋の七草寺めぐり 第二番「一乗寺」

2023年09月16日 | 神社仏閣

深谷市の「深谷七福神・秋の七草寺」めぐりの第二番は「一乗寺」です。一乗寺は武蔵七党の猪俣党の流れをく
む人見氏の菩提寺といわれています。人見氏の館跡は一乗寺の北方約550mのところにありますが、説明板が立っ
ているだけで遺構と呼べるようなものは何もありません。

第二番
一乗寺(いちじょうじ)
『布袋尊/ナデシコの寺』
山 号: 泰国山
院 号: 人見院
寺 号: 一乗寺
御本尊: 阿弥陀三尊立像
宗 派: 時宗
所在地: 深谷市人見1621-2


参道の両側に建つ石標
左側の石標には「開基 人見四郎基堅入道恩阿」 右側の石標には「時宗 人見院泰國山一乗寺」と陰刻



山門前の模様
左側に「深谷七福神・七草寺霊場会のご案内」とある看板。案内図の右下に当寺(一乗寺)の概略、案内図の左
右に他の6寺院の概略。 その右側に一乗寺の文化財等の説明板



一乗寺の文化財・人見氏累代の墓・板碑についての説明板


一乗寺山門


山号額「泰國山」と揮毫


山門を潜ったすぐ右手に「六地蔵尊」


左手に「人見氏累代の墓」


参道  
本堂に向かって右手の「深谷七福神・七草寺めぐり」と染め抜かれた白色の幟と「布袋尊」と染め抜かれた朱色
の幟が立っているところに「布袋尊」がいます。



参道左手にある「鐘楼」


「布袋尊」


同上  花立の花が枯れたまま この暑さではすぐに枯れてしまい仕方ないのかもしれませんが・・・
ところで肝心の「ナデシコ」はどこに? それらしきものが見当たりません



一乗寺本堂


扁額「一乗寺」


もう一度本堂を  右側の木の下には色々な石造物が・・・でも、今回の目的は布袋さんとナデシコでしたので

参詣日:令和5年(2023)9月14日(木)