城 名:永田城(ながたじょう)
別 名:-
形 態:平城(崖端城)
時 期:室町時代
城 主:永田林四郎、諏訪七左衛門、寺尾彦三郎
遺 構:郭・土塁・小口・空堀
指 定:県選定重要遺跡(永田城跡・昭和44年(1969)10月1日選定)
現 状:栄福寺
所在地:埼玉県秩父市大字寺尾字永田(旧・秩父市)
永田城は、荒川の左岸にあり、比高46mの段丘上にある。段丘は26mの急崖をなしている。城跡には、秩父三十四ヶ所観音
霊場22番札所童子堂 (栄福寺)がある。そんな永田城跡を訪ねてみました。
永田城跡縄張図(梅沢太久夫著「埼玉の城 127城の歴史と縄張」より 赤字は加筆)
山門前も城跡域です
山門脇に設置の「札所22番華台山 永福寺」の説明板 札所の寺名が寺号の永福寺になったり童子堂になったりとややこ
しいので統一してね。
山門前の六地蔵尊 まあ城跡とは関係ないのですが、このブログのお約束事ですので。
藁葺き屋根の山門(仁王門)
扁額には「阿吽」とあります 札所だけに千社札だらけです
天井、梁と貼れるところならどこにでも・・・
格子でお顔がよくわかりませんがとてもユニークな顔立ちの「阿」 童子仁王だそうです。
同じく「吽」
山門の後ろ姿です
童子堂を斜めから
正面から童子堂を
彫刻が素晴らしい 本尊と堂内は撮影禁止です
「秩父札所22番 西陽山永福寺」の説明板
山号は華台山のはずですが、この説明板では西陽山。一体どういうことでしょう。ますます混乱してしまいます。
本堂
取敢えずお寺さんの建物関係が一応終えましたので本題の城跡の遺構に移りましょう
縄張図の「あ」の土塁 削平されたのかすっかり通路に変っています
縄張図西側の「い」の土塁 「あ」と「い」の間の郭内に民家があります
上記場所を少し拡大で
「い」の土塁を北方から南方へ
写真左側が郭内 右側が郭外で堀跡が見られます
上の写真とは逆方向に
西側の土塁 上の写真の土塁より郭内側にある
小口 喰い違い小口になっている
西側北方の土塁
縄張図の「う」の堀
木が生い茂っていて堀底が見えないが水堀になっている
本堂裏は舌状地形で墓地となっているが周囲は急崖である
縄張図の「え」の地点 「う」からの延長でかなりの高さがある
縄張図の「お」の地点 「う」、「え」の延長沿いにある
縄張図の「か」の地点 舌状地形の先端(北側)で土塁跡がみられる
上記「か」の地点から小河川を望む
縄張図の「き」の地点
縄張図の「く」の地点から崖下を見下ろす
巡礼道になっているが足場が非常に悪い(最初はここを上って下りました)
「く」から望む武甲山と秩父公園橋
「く」から見下ろした巡礼道入口
ここから永福寺(永田城跡)まで往復してしまいました。上のほうは道らしきものがなく藪を抜けて童子堂の裏当たりに出ました。
なぜこんなところをと理由は聞かないで下さい。いつものことですので・・・
ここ永田城跡も一度では用が済まず二日続けての訪問でした。これだから新しい所が増えません。
散策日:平成30年(2018)3月28日(水)・29日(木)