四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

吹上コスモス畑

2021年09月29日 | 花・鳥・風景


埼玉県鴻巣市明用地内荒川河川敷の「吹上コスモス畑」に行ってきました。
吹上という名の示す通り元は北足立郡吹上町でしたが、平成17年(2005)10月1日に北埼玉郡川里
町と共に鴻巣市に編入しましたので現在は鴻巣市の一部となっている場所です。
吹上コスモス畑は首都圏最大級の規模を誇るそうで、これまた全長1100mあまりの日本最長の水管
橋として知られる荒川水管橋のすぐ下流にあります。
満開には早かったようで咲いているエリアとこれからのエリアとは半々くらいだったでしょうか。
それでも十分花を楽しめました。

満開のころに再訪しようかと秘かに考えています・・・






黄花コスモスは満開のようです








広すぎてこの写真でも納まりきれません




こう見るとやはり満開には程遠いのが分ります










堤の上にある建物は「コスモスアリーナふきあげ」(鴻巣市吹上勤労青少年ホーム)














見頃は10月中旬から下旬  のようですのでこの頃また行こうかな!




「コスモスアリーナふきあげ」   火曜日で休館日でした




「荒川水管橋」と大きくペイントされています


>

橋なのに、とても端から端までは写せませんでした

続く(予定)

散策日:令和3年(2021)9月28日(火)

埼玉県の砂防発祥の地「七重川砂防堰堤群」(埼玉県ときがわ町)

2021年09月28日 | 史跡・遺跡・文化財


ときがわ町大野にある『七重川砂防堰堤群』は、埼玉県の砂防発祥の地とされ、大正5年に着工さ
れた巨石空石積堰堤です。石積み技術は、岐阜県黒俣の職人を招いて技術指導を受けました。野面
石と蛇篭を使用した護岸を組み合わせた階段式床固工石積みです。
近接・連続した堰堤から成る流路工で大正・昭和初期当時の砂防工法を遺すということから、平成
19年度に日本土木学会の「選奨土木遺産」に認定されました。

名 称:七重川砂防堰堤群(ななえがわさぼうえんていぐん
形 態:巨石空石積堰堤(きょせきからいしづみえんてい)
渓流名:七重川【都幾川の支川)
工 期:大正5年(1916)~大正6年(1917)
認 定:公益社団法人日本土木学会 平成19年度土木学会選奨土木遺産
所在地:埼玉県比企郡ときがわ町大字大野(旧・都幾川村)

そんな『七重川砂防堰堤群』をときがわ町の山奥まで訪ねてみました。




『七重川砂防堰堤群』は、現在開催中の
 「比企歴史の丘巡回文化財展  比企のタイムカプセル20ー比企の近代遺産ー」

   橋と砂防~交通・土木の進歩~
の一つとして紹介されていたものです。本文には写真の掲載はありませんが、パンフレットの表紙
に写真があります(赤丸で囲んだもの)
橋と砂防~交通・土木の進歩~の中から、七重川砂防堰堤群に関する記述部分を引用転記してお
きます。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
 埼玉県において砂防事業が始まったのも明治時代に入ってからでした。明治30年(1897)に砂防法が制
定され、明治43年(1910)8月の県下一円に大洪水をもたらした大雨によって、秩父郡大椚村(現ときがわ
町)の都幾川流域で大規模な土砂災害が発生しました。山容が変るほどの被害であり、埼玉県の砂防事業
として大正から昭和にかけて約20箇所の石積みの砂防堰堤群がつくられました。特に大正5年(1916)か
ら大正6年(1917)にかけて施工された七重川砂防堰堤群(ときがわ町)は埼玉県で最初の砂防工事であり、
近接・連続した石積みの堰堤から成る流路工で、当時の砂防工法を今に伝えます。

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------



橋の上から七重川砂防堰堤群を見ています




この橋の名は「上川橋」




別名「百段の滝」 ともいわれる堰堤群を正面から




堰堤に下りてみました




石が敷き詰められているのがよくわかります




上川橋の下の模様




橋の下流も何段もの堰堤が続いています




大野東松山線(県道172号・旧秩父往還)を白石峠に向って行くと都幾川の支川である七重川に架
かる橋「七重橋」があります。
この写真の上の方にフェンスが写っていますが。そこの山道を約1.5㎞登った所に七重川砂防堰堤群
があります。
この写真は、白石峠側から撮ったものですが、この橋を渡る手前の左側に「砂防記念碑公園」があ
ります。




橋の手前左側にある「砂防記念碑公園」




「選奨土木遺産」の記念碑




「選奨土木遺産」銘板




「埼玉の砂防発祥地」と刻まれた 自然石の大きな石碑
碑の表面は黒ずんでしまっていて陰刻がはっきりしませんが

  埼玉の砂防発祥地
     埼玉県知事 土屋義彦

と刻まれています




「埼玉の砂防発祥地」碑 碑陰

 砂防法百年記念
  大正五年七重川
  砂防事業着工にちなむ

    平成八年十月吉日

なお、このときがわ町大野にある『七重川砂防堰堤群』が埼玉県の砂防発祥の地とされますが、秩父郡
小鹿野町の吉田川の支流である「栗尾沢」も、「埼玉の砂防発祥地」を名乗っていて、国道299号の
栗尾沢に架かる 勘定木槁側道槁(かんじょうきばしそくどうきょう)の東詰左側の道路脇に「埼玉の砂防発祥
地」の石碑が建っているとのことです。
「栗尾沢」の砂防工事も『七重川砂防堰堤群』と同時期に行われたことから双方が埼玉県の砂防発祥の
地を名乗っているもので、石碑についても砂防法百年記念で同じ年に建立され、碑文も【七重川】と
【栗尾沢】の違いがあるだけの同じもののようです。ただし、土木学会選奨土木遺産に認定されている
のは【七重川砂防堰堤群】の方だけです。


散策日:令和3年(2021)9月10日(金)

比企の近代遺産「滝の鼻橋」(埼玉県ときがわ町)

2021年09月26日 | 史跡・遺跡・文化財


『滝の鼻橋』は、ときがわ町を走る大野東松山線(県道172号・旧秩父往還)と西平小川線(県道
273号・旧小川往還〔松郷峠〕)が交わるの西平交差点付近にあります。
滝の鼻橋という名は、この付近の小字である滝の鼻に由来するようです。
この滝の鼻橋の前は何度も通っていますが、じっくりと見たことはありませんでした。
今回、現在開催中の
 「比企歴史の丘巡回文化財展  比企のタイムカプセル20ー比企の近代遺産ー」
で紹介されていましたので、見学に行ってきました。

名 称:滝の鼻橋(たきのはなばし
河川名:都幾川
竣 工:大正14年(1925)7月
形 式:ワーレントラス式
規 模:橋長約20m 幅員1.8m
認 定:公益社団法人日本土木学会 2019年度土木学会選奨土木遺産
所在地:埼玉県比企郡ときがわ町西平(旧・都幾川村)




「比企歴史の丘巡回文化財展  比企のタイムカプセル20ー比企の近代遺産ー」パンフレット表紙
赤丸で囲んだのが「滝の鼻橋」(パンフレット本文には写真なし)
 橋と砂防~交通・土木の進歩~
の中で、滝の鼻橋については次のように記述されています。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
滝の鼻橋(ときがわ町)は、大正13年(1924)の洪水で橋が流出したため、翌年に村民が一丸とな
って寄付金を集めて鋼製のワーレントラス橋梁として架設されました。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------



県道172号大野東松山線(旧秩父往還)から「滝の鼻橋」北詰を見る




「滝の鼻橋」北詰(左岸側)




滝の鼻橋銘板




「滝の鼻橋」南詰(右岸側)




「滝の鼻橋」南詰の若干上流から




「滝の鼻橋」の上流の川原から




滝の鼻橋の上から都幾川の魚道を




滝の鼻橋の上流左岸から




滝の鼻橋の下流左岸から

散策日:令和3年(2021)9月10日(金)

鉢形城 日本最強の城ならず!

2021年09月24日 | 城郭関係テレビ番組


7月20日(月・祝)午後7:30からNHK(総合)テレビで放送された
   日本最強の城スペシャル 第9弾
を観てみました。

 今回は、
  高知城(高知県)  国指定史跡 現存天守・御殿 日本100名城84
  新発田城(新潟県) 市指定史跡         日本100名城31
  鳥取城(鳥取県)  国指定史跡         日本100名城63
  鉢形城(埼玉県)  国指定史跡         日本100名城18
  岡崎城(愛知県)  市指定史跡         日本100名城45
の5城が登場(城)し、出演者(高橋英樹 春風亭昇太 村井美樹 山本彩 千田嘉博)によって
この中から最強の城を選ぶというものでした。

結果、今回の最強の城に選ばれたのは高知城で、残念ながら地元の鉢形城ではありませんでした。
春風亭昇太さんだけなら絶対に鉢形城を選んだでしょうが、土の城には興味がなく、建物のある城
には中途半端に詳しい、大物とされるゲストがいましたので鉢形城は最強にはなれませんでした。
高知城は好きなお城のひとつでその素晴らしさも知っていますので無論異義はありませんが。
正直、高知城はお城ファンでなくても知っている城ですが、鉢形城は建物があるわけではなく(復
元した四脚門はありますが)高石垣があるわけでもない土の城で、城郭愛好者以外には馴染みのな
い城ですから(以上はあくまでも思い込みの私感です)

残念ながら、鉢形城と高知城は何度も行っていますがそれ以外の3城は未攻城ですし、諸々の事情
からこの先行く機会もないでしょう。




放送された上の映像と同じようなアングルの写真を探してみましたら今年4月に撮ったものの中に
ありました。

前回の第8弾(3月20日放送)でもやはり埼玉から「山城の教科書」といわれる杉山城がエントリー
され、この時、昇太さんはスタジオ参加ではなく杉山城からの参加でした。
この時も、そして今回も「この辺りはいい山城が沢山あるんです」旨を熱く語ってくれました。
ただ、この番組にエントリーされるだけのテレビ向け要素がないので第10弾以降で埼玉の城の登場
は難しいでしょうね。

「秋分の日」秋彼岸の中日なのでまた彼岸花を

2021年09月23日 | 花・鳥・風景


今日は「秋分の日」 秋の彼岸の中日です。この時季はどこに行っても彼岸花が目につきます。
槻川に架かる切通橋(県道11号線・秩父往還)の下流200m程の右岸に彼岸花の群生地があります。
2年前(令和元年)の台風19号でだいぶ傷みつけられてしまいましたが旧来の姿にほぼ戻ってきて
いるようです。




この群生地の途切れたところに「腰越堰」があります。草が伸びていますので形がはっきりしませ
んが斜め堰(河道に対して斜めに配置した固定堰)です。




腰越堰の下流に流れ橋が架っており、対岸である左岸も彼岸花が群生しています。




道路から降りてその流れ橋を渡り左岸へと その流れ橋の上から左岸の彼岸花を










左岸から流れ橋方向を  道路の向こうに見える山は中世の山城「腰越城」跡




真紅です




左岸から更に下流方向を  この先にも流れ橋が架っています




この流れ橋は先の流れ橋から下流約130mのところに架かっています
この流れ橋を渡って左岸から右岸に戻ってきました

散策日:令和3年(2021)9月21日(火)

路傍のコスモス

2021年09月22日 | 花・鳥・風景


コスモスの季節です。コスモスの名所やコスモス街道と言われるようなところには行けません。
路傍のコスモス畑でも十分に楽しめます。
比企三山のひとつ「笠山」に向かう途中にある小さなコスモス畑で何枚か撮ってきました。




















散策日:令和3年(2021)9月21日(火)

日野岡家住宅長屋門と舛井戸遺跡(埼玉県鳩山町)

2021年09月21日 | 史跡・遺跡・文化財


鎌倉街道上道の鳩山町から嵐山町との境に笛吹峠があります。この名の由来は、正平7年(1352)
2月25日の武蔵野合戦で敗者となった宗良親王がこの峠で笛を吹いたことからと伝わります。
ここで武蔵野合戦の詳細を述べるつもりはありませが、この笛吹峠に差し掛かる少し手前の鎌倉
街道の西方350m程のところに、日野岡家住宅長屋門と舛井戸遺跡がるとのことから訪ねてみまし
た。

名 称:日野岡家住宅長屋門ひのおかけじゅうたくながやもん
形 態:建築物
登 録:国登録有形文化財(建築物)(名称:日野岡家住宅長屋門 平成19年〔2007〕7月31日登録
時 代:江戸時代後期
概 要:木造平屋建、茅葺(鉄板仮葺)、桁行15.7m、梁間4.6m、建築面積74㎡
所在地:埼玉県比企郡鳩山町須江

日野岡家は、江戸時代には瑠璃光院(須恵山光雲寺宮本坊)と称する「里修験」であったとのこと。 
この長屋門は、山門(大門)として江戸後期に建築されたが以後何度か改修されているようです。
 



南方の農道から日野岡家住宅長屋門も見ています
この写真の右端に舛井戸遺跡がありますが、日野岡家入口から東方約30mの距離です




名 称:舛井戸遺跡ますいどいせき
形 態:手洗い井戸
指 定:鳩山町指定史跡(名称:舛井戸遺跡 昭和56年〔1981〕4月1日指定)
所在地:埼玉県比企郡鳩山町須江

擬木の囲いで保護されている舛井戸遺跡




現地に設置の説明板
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
  村指定記念物  舛井戸遺跡

 寛徳年間のころ(西暦1045年)この地に日出薬師尊があった。参詣する善男善女の御手洗井戸と
して建設された。
以来、今日に至るまで渇水することなく明泉が湧出している。先人たちが伊勢神宮、黒岩神社に参
拝の折に身体を浄めた泉といい伝えられている。又干魃の際には住民の飲料水として近年まで用い
られていた。
昭和32年道路改良工事により一時埋立てられたが、地元有志により復元され由緒ある遺跡として保
存することとした。

 昭和56年4月1日      鳩山村教育委員会
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
説明板は「鳩山村」となっていますが、この1年後の昭和57年(1982)4月の町制施行で「鳩山町」
に変っています。
村の一文字だけシール等を貼ったりで町に変えるよりこのままの方が味がありますね。




「舛井戸遺跡碑」 昭和55年3月建之




舛井戸① 西側から




舛井戸② 東側から

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
余談ですが、「国登録有形文化財に指定(された)」という表現をよく見かけますが、国登録有形文化財はあく
まで登録であって指定されるものではありません。文化財保護法の規定上、文化財の「指定」と「登録」とは明
確に区別されています。「登録有形文化財として登録されている」と表記するのが正確であり、官報告示におい
ても「文化財を登録有形文化財に登録する」と表現されています。
酷いものになると「国指定登録有形文化財」なんてありもしない名称を使っているHPもありました。
指定重要文化財と登録文化財とではその対象や性格、要件が異なります。また、指定重要文化財 と 登録
有形文化財 には「国」と「文化財」という共通ワードがあることから国登録有形文化財を国指定重要文化財と
同格に捉えている方も見受けられますが(国登録有形文化財を否定するつもりではなく)全く格が違います。こ
れ以上述べるといろいろと問題がありますのでこの辺にしておきます。
なお、当ブログで国登録有形文化財を取り上げるのは今回が(多分)初めてですのでちょっと触れてみたもので、
日野岡家住宅長屋門について述べたものではありませんので、誤解なきようお願いいたします


散策日:令和3年(2021)9月7日(火)

博物館セミナー「戦国の忍びを考えるー武蔵国での戦いをめぐってー」

2021年09月19日 | 講演会・講座


埼玉県立嵐山史跡の博物館 令和3年度企画展「実相 忍びの者」の関連事業のひとつ

博物館セミナー「戦国の忍びを考えるー武蔵国での戦いをめぐってー」
 日時:令和3年9月19日(日) 午前10:00~
 会場:毛呂山町福祉会館 ウイズもろやま

 内容
  情報提供「戦国の忍びの実相を追う」
         岩 田 明 広 氏(埼玉県立嵐山史跡の博物館学芸主幹)
  詳細報告「戦国時代の岩付城をめぐる上杉・北条の攻防と忍び」
         新 井 浩 文 氏(埼玉県立文書館主席学芸主幹)
  詳細報告「忍びにより葛西城を奪う」ー主に出土板碑の分析からー
         谷 口 榮 氏(葛飾区観光課・郷土と天文の博物館兼務 学芸員)
  詳細報告「八王子城の戦いに忍びがいた可能性を考える」
         柳 沢 誠 氏(八王子郷土資料館学芸員)
  詳細報告「八王子城跡の発掘調査と忍びの足跡」
         村 山 修 氏(八王子市教育委員会文化財課学芸員)
  座 談 会 「戦国の忍びと歴史の夢」

を聴講してきました。




毛呂山町福祉会館 ウイズもろやま




上記5氏の講演資料  A3判 計27枚・計51頁 500円
500円というのは正しくは資料代ではなく聴講料ということですが・・・


  

  新井浩文氏の「戦国時代の岩付城をめぐる上杉・北条の攻防と忍び」の講演の主題である
  【岩付(岩槻)城】の中の城門    平成24年(2012)1月22日岩槻城跡散策の際の撮影


  
  谷口榮氏の「忍びにより葛西城を奪う」ー主に出土板碑の分析からーの講演の【葛西城】
  の城跡にある説明板         平成31年(2019)3月15日葛西城跡散策の際の撮影


  

  【葛飾区郷土と天文の博物館】 葛西城に関する資料も多数展示されています             
                    平成31年(2019)3月15日葛西城跡散策の際の撮影


  

  柳沢誠氏「八王子城の戦いに忍びがいた可能性を考える」・村山修氏「八王子城跡の発掘
  調査と忍びの足跡」の講演の主題である【八王子城】の「御主殿跡」  ここから土玉な
  どが発掘されています       平成30年(2018)6月2日八王子城跡散策の際の撮影




昨日である9月18日(土)に、やはり 毛呂山町福祉会館 ウイズもろやま で開催予定であった
ものの台風接近の予報により急遽中止となった

嵐山史跡の博物館企画展関連講演会  「伊賀・甲賀の忍びと公儀隠密」

 講演(予定であった) 
  「伊賀・甲賀の忍びと忍び研究の現状」
          山 田 雄 司 氏(三重大学人文学部教授)
  「将軍直属の隠密御庭番の探索報告書」
          深 井 雅 海 氏(徳川林政史研究所長)

の講演資料 A3判 計9枚・計16頁  500円
も頒布してましたので購入してきました。

なお、講演が流れてしまった山田雄司氏については、本日のセミナーの座談会に特別に登壇して下
さいました。

聴講日:令和3年(2021)9月19日(日)