四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

企画展「神川に生きた縄文人の痕跡」

2024年02月26日 | 企画展・見学会

令和5年度第2回企画展
神川に生きた縄文人の痕跡
会 期:令和6年2月1日(木)~3月31日(日) 午前9時から午後5時※土日祝日も開館
会 場:神川町多目的交流施設 文化財展示室2(児玉郡神川町大字下阿久原1088)
主 催:神川町教育委員会 生涯学習課

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はじめに
 神川町には、国指定重要文化財の金鑚神社多宝塔をはじめとして数多くの文化財が残されています。また、町
内に所在する遺跡の数は、県内屈指です。これらの文化財は私たちの先祖が営んできた生活の証であり、後世へ
と受け継いでいかなければならないものです。
 本企画展では、遥か昔の縄文時代に神川の地に生活した縄文人たちの生活の痕跡を発掘調査で出土した遺物を
中心に展示いたします。私たちが暮らす町の歴史を知り、郷土を切り開いた縄文時代の人たちの営みに思いを馳
せてみてください。
                    《展示解説パンフレットから転記》
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を観覧して来ました。


平成26年3月に閉校した「神泉中学校」を外観はそのままに、内部を改装して「神川町多目的交流施設」
として新たなスタートを切りました。



昇降口から入ってすぐにある受付で係員の方に企画展を観覧に来た旨を伝えますと、展示室まで案内して
いただき、今回の企画展「神川に生きた縄文人の痕跡」の展示解説パンフレットを頂きました。



展示室 その1 出土品の土器などのほかに写真パネルや解説文等が沢山展示されています。


展示室 その2


十二ヶ谷戸17号墳出土縄文土器  深鉢  縄文時代中期


深鉢(縄文時代晩期)  平遺跡F地点


動物意匠(縄文時代中期)  平遺跡F地点


人面付土器 十二ヶ谷戸17号墳出土    縄文時代中期


打製石斧(縄文時代)  平遺跡


土製耳飾 平遺跡出土 縄文時代後期     玦状耳飾 南塚原26号墳出土 縄文時代前期 


杉ノ嶺遺跡  土器埋設遺構(縄文時代中期)  写真


旧下久保コテージ(旧矢納中学校)付近から出土の縄文土器


縄文時代の土器


「神川に生きた縄文人の痕跡 展示解説パンフレット」
神川町の縄文遺跡分布図や縄文時代遺跡・出土品の紹介などが掲載されています


観覧日:令和6年(2024)2月24日(土)

講演会「中世の食、その前と後」

2024年02月25日 | 講演会・講座

埼玉県立嵐山史跡の博物館 企画展「武蔵武士の食と信仰ー食べて 祈って 戦ってー」記念講演会
講演名:中世の食、その前と後
 【内容】1 はじめに
     2 中世の獣肉食事情
     3 中世の農耕
     4 調理の発達
講 師:竹 内 由 紀 子 氏(女子栄養大学准教授)
日 時:令和6年2月25日(日)14:00~15:30 (開場時間:13:30・開会時間13:50)
会 場:国立女性教育会館講堂 (比企郡嵐山町菅谷728)


を聴講してきました。


いつもは講堂正面入口の脇に建てられている看板ですが、雨天のため研修棟内の講堂への横入口に。
以前は正面入り口から講堂に入っていましたが、ここ2,3年前からここからの入館に変わりました。
とは言え、国は今年度いっぱいで、この国立女性教育会館の老朽化と利用者減少傾向により、機能を交通
アクセスのよいところに移す計画を発表しました。これに対し、県や嵐山町では存続を訴えていますが果
たしてどうなることでしょう。
もしかしたら、今回の講演会が国立女性教育会館講堂を使って行う埼玉県立嵐山史跡の博物館主催の最後
の講演会(講座・シンポジウム等を含む)になるかもしれません。


聴講日:令和6年(2024)2月25日(日)

講演会「下野谷遺跡と縄文ムラの姿」

2024年02月24日 | 講演会・講座

記念講演会
演 題:下野谷遺跡と縄文ムラの姿
講 師: 細田 勝 氏(元早稲田大学考古資料館学芸員)
日 時:令和6年2月24日(土曜日)午後2時~3時30分
会 場: 早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター4階レクチャールーム2(本庄市西富田)

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下野谷遺跡は関東地方でも最大規模の縄文ムラ
住居の分析から、ムラの変遷と特色に迫ります

講演会では、遺跡から見つかった他地域の影響を受けた土器から下野谷遺跡と他のムラとの関係や大規模集落
の役割についても考えていきます。

                         《本庄早稲田の杜ミュージアムNEWS2月号より》
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を聴講してきました。

本講演会は、現在、本庄早稲田の杜ミュージアム早稲田大学展示室で開催中の早稲田大学展示室企画展
「下野谷遺跡から見る風景」
の記念講演会として開催されました。
下野谷遺跡(したのやいせき)は、東京都西東京市東伏見(旧保谷市)に所在し、平成27年(2005)3月10日に
国史跡に指定されました。
田無市と保谷市が平成13年(2001)に新設合併して西東京市が新設されたわけですが、50年前の保谷市時代から
発掘調査をしているようです。
講師:細田 勝 氏は下野谷遺跡の調査にも携わり、報告書もまとめているとのことです。
本講演会では、下野谷遺跡の双環状集落について、同遺跡からの出土品である土器と他の遺跡からの出土品であ
る土器との比較等について詳しくお話をして下され、予定時間を30分も超過するほどの熱の入った講習会でした
そんな下野谷遺跡を訪ねてみたいところですが、現在のところは諸事情から叶いそうにありません。



頂いた資料の最初のページの一部分を挿入してみました


企画展「下野谷遺跡から見る風景」を開催中の早稲田大学展示室の模様

聴講日:令和6年(2024)2月24日(土)

秩父困民党終息の地であり金屋戦争戦死者供養塔のある円通寺

2024年02月21日 | まち歩き

明治期に起きた秩父事件における秩父困民党終息の地であり、金屋戦争戦死者の供養塔がある
  『円通寺』本庄市児玉町金屋84(旧児玉郡児玉町)
秩父事件とは、明治17年(1844)11月悪徳金貸や政府の悪政を批判し、貧民の救済を訴えておこした日本
近代史上最大の農民蜂起。※詳しい説明ができず申し訳ありません。
この円通寺は秩父困民党と政府軍が戦った金屋地区にあり、仮の野戦病院として使われたようです。



円通寺墓地の南西隅に、檀家の方々により建立された秩父事件の金屋戦争で亡くなった人たちの供養塔の
五輪塔が建てられています。



五輪塔の”地輪”には「秩父事件死者之墓」と刻まれています


五輪塔の”土台”には「明治17年11月4日午後11時 30分 児玉町を目指した秩父蜂起軍を髙﨑鎮台
により銃撃戦と白兵戦で鎮圧した処であり 當山本堂は病院として使われ 又秩父蜂起軍の死者を葬った寺
である」とあります



五輪塔の横に建立されている芭蕉句碑「無残やな かぶとの下の キリギリス 芭蕉」
句 : むざんやな 甲の下の きりぎりす
     (むざんやな かぶとのしたの きりぎりす)

出 典: 『奥の細道』  元禄2年(1689)3月27日 芭蕉46歳の時の句
建立年:平成二十?年 春
建立者:児玉町八幡山 清水義信

※この句は、多太神社(石川県小松市)で所蔵する、白髪を黒く染めて挑んだ篠原合戦で討死した
斎藤別当実盛の兜を見て詠んだものとのことです

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秩父困民党は明治17年(1884)11月1日、ここ椋神社の境内で武装蜂起した


秩父事件関係略図  右上の児玉郡の文字の上に「金屋」とあります


下吉田椋神社境内に建立されている秩父事件百年の碑と秩父事件百年の像


秩父事件百年の碑


秩父事件百年の像
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秩父事件120周年を記念して製作された映画『草の乱』で使われたオープンセットの一部が、秩父郡吉田
町吉田久長(現・秩父市)の【道の駅 龍勢会館】に移築されました
※平成21年(2009)12月13日に撮影したもので現在はありません



オープンセットの説明板

撮影日:円通寺の供養塔 令和6年(2024)2月17日(土)
    下吉田 椋神社 令和2年(2020)9月28日(月)
    道の駅龍勢会館 平成21年(2009)12月13日(日)

五明水辺公園の双体道祖神

2024年02月19日 | まち歩き

埼玉県児玉郡上里町五明地内の道路端に『五明水辺公園』(五明水辺いこいの場)があります。
ここには四阿が設けられて、13基からなる石仏群がありますが、近隣に点在していたものを集めたもので
しょう。これら石仏は文化財指定されているわけでもありませんし、一部欠損したり、台座しか残ってい
ないものもありますが、歴史を物語るものに間違いはありません。
この付近は館跡、廃寺、延喜式内社、古墳等を訪ねて何度も行き来していますので、この石仏群も幾度と
なく目にしておりましたが、いつも素通りでした。
実は、この石仏群の中に双体道祖神があると最近知ったものですからあらためて訪ねてみました。



「五明堰用水路の歴史」説明版


石仏群と花壇  この地区「中五明」の方たちが花壇の手入れをしているようです


分かる範囲で
 ①馬頭観音
 ②馬頭観音
 ③双体道祖神
 ④庚申供養塔
 ⑤庚申供養塔  日月 二鶏三猿
 ⑥庚申     日月
 ⑦庚申塔  裏に文政八年(1825)
 ⑧庚申塔  裏に安政七年(1860)春三月
 ⑨猿田彦大神



双体道祖神  銚子を持った女神が、盃を持った男神に酒を注いでいる微笑ましい姿


石仏群の背後を五明堰用水路があります

散策日:令和6年(2024)2月17日(土)

円通寺の梅

2024年02月18日 | 花・鳥・風景


”梅の寺”として知られる 『円通寺』 本庄市児玉町金屋84(旧児玉郡児玉町)を参詣してきました。
円通寺は真言宗豊山派のお寺で、大光山星光院と号し、児玉三十三霊場九番札所。敷地内には100本の梅
の木があり、紅梅・白梅が盛りを迎えていました
同寺は、明治17年(1884)に起きた秩父事件の秩父困民党終息の地であり、金屋戦争戦死者供養塔があり
ます。



参道沿いの梅


山門  左側の堂宇は薬師堂


山門から境内を














本堂








《芭蕉句碑》
 句 : 昔聞け 秩父殿さへ すまふとり
     (むかしきけ ちちぶどのさえ すもうとり) 
出 典: 『芭蕉庵小文庫』 貞亨元年(1684)41歳頃から元禄7年(1694)51歳までの間の作品と思われる
※秩父殿・・・畠山重忠











参道沿いの梅林の中に咲いていた「ムラサキハナナ」









金屋戦争戦死者供養塔については別の機会に
なお、供養塔の傍らには 「無残やな かぶとの下の キリギリス」の芭蕉句碑があります


散策日:令和6年(2024)2月17日(土)

講演会「深谷の弥生時代」

2024年02月17日 | 講演会・講座


本庄早稲田の杜ミュージアム企画展
本庄早稲田の杜地域連携展覧会「弥生時代の児玉・深谷地域」講演会
第2回 深谷の弥生時代

 日 時:令和6年2月17日(土) 午後2時~午後3時30分
 会 場:早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター3階レクチャールーム1(本庄市西富田)
 講 師:審 島 審 氏(深谷市教育委員会文化振興課)
 内 容:・深谷市内の再葬墓
     ・深谷市内の集落遺跡
     ・低地の遺跡 

を聴講してきました。



本庄早稲田の杜地域連携展覧会「弥生時代の児玉・深谷地域」は2階情報資料室で開催中


講演会の後半約30分は2階情報資料室で開催中の展覧会「弥生時代の児玉・深谷地域」の出土品の中から、
講演会講師が関係した遺跡の出土品を中心にした解説がありました。


聴講日:令和6年(2024)2月17日(土)

若泉第一公園・若泉第二公園の芭蕉句碑

2024年02月13日 | 歌碑・句碑


 句 : さざれ蟹 足這ひのぼる 清水哉 
     (さざれがに あしはいのぼる しみずかな)

出 典: 『続虚栗』  貞亨4年夏(1687) 芭蕉44歳の時の句
所在地:埼玉県本庄市若泉2丁目地外 若泉第一公園
建立年:昭和63年(1988)8月
建立者:山田石材店 寄贈


若泉第一公園(1)


若泉第一公園(2)
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 句 : 松杉を ほめてや風の かをる音 
     (まつすぎを ほめてやかぜの かおるおと)

出 典: 『杉風真蹟書簡』  元禄7年(1694) 芭蕉51歳の時の句
所在地:埼玉県本庄市若泉2丁目地外 若泉第二公園
建立年:昭和63年(1988)8月
建立者:山田石材店 寄贈


若泉第二公園

2基とも施設名(若泉第一公園、若泉第二公園)の標柱の側面に芭蕉の句を刻んだものです。

散策日:令和6年(2024)2月8日(木)

越生梅林 梅まつり

2024年02月12日 | まつり・イベント

越生梅林の梅まつりに行ってきました。今年で何回目でしょうか?
ほぼ満開で迎えたオープニングでした。梅のだけではありません。福寿草や、蝋梅、水仙も咲いていました。































冒頭で「今年で何回目でしょうか?」と書きましたが、正直、何回行ったかははっきりしません。梅まつ
り期間外に行ったことなどもありますので。
記録に残っているもので一番古いのは、昭和57年(1982)2月で、その時の入園券と駐車整理券が左側の
ものです。そして、右側が今年の入園券と駐車整理券です。
入園料・駐車代金もこの途中において¥200・¥400の時もありました。


散策日:令和6年(2024)2月11日(日)

越生梅林 梅まつり 『和太鼓 青龍』

2024年02月11日 | まつり・イベント

関東三大梅林の一つに数えられている《越生梅林》(入間郡越生町大字堂山)で、本日2月11日(日)か
ら3月17日(日)までの予定で『梅まつり』が始まりましたので初日早々出かけてきました。
まつり期間は一か月以上ありますので、いつ出かけてもよいのですが、オープニングセレモニーで、地元
の武蔵越生高等学校和太鼓部青龍の演奏があるということで出かけた次第です。
梅まつりが始まっても開花が遅れていることが屡々ですが、今年はほぼ満開の状態でオープニングを迎え
ました。
和太鼓部の生徒さんたちの衣装(法被)には梅の花が描かれています。第一演奏は「梅花」(ばいか)で、
まさに梅まつりのオープニングに相応しい曲でした






























和太鼓の演奏を楽しんだ後、梅林内を散策してきましたので、これも追って・・・

散策日:令和6年)2024)2月11日(日)